乱入してきたアラガミ共を残らず駆逐し終えた頃には、高かった日が沈みつつあった。崩れかけた摩天楼を朱色に染め、強い西日がすべてを照らし出している。ヴァジュラの後に中型二体を倒したと思ったら、またもポコジャカとアラガミが湧いて来ては対応し続けていたら、すっかり時間がたってしまった。全員残らずボロボロのヘトヘトである。擦り切れた雑巾になった気分だった。
『皆さん、お疲れさまでした!周辺区域のアラガミ一掃完了です!』
「はぁー……い。チェックありがとーヒバリちゃん。そっちもゆっくり休んでね」
『うん、ありがとうユウカちゃん。お帰りをお待ちしていますね!』
通信の向こうも情勢が安定して気が抜けたようで、何時にも増して柔らかい声を最後に途切れた。神機にもたれかかったり地面に座り込んだりしている隊員たちに振り返る。
「任務終了だって、皆お疲れ様でしたー」
「あ゛ーー!もー動けねぇーー」
「流石に疲れたわ……」
素直に疲労を訴える二人に笑いかけると、安堵したような笑みが返って来た。尚、強がり魔神は身体ごとそっぽを向けてユウカに背中だけを見せた状態である。見栄っ張りにも程があると思わざるを得ないが、ユウカは小さく苦笑するだけに留めた。
「さあ、みんなもうひと踏ん張りお願いしますね。家に帰るまでがミッションですよー」
「はぁーい」
「了解、隊長殿」
「私が殿やるから、先頭、ソーマさんお願いね」
「了解」
極度の疲労で重い太腿と痛む足裏を一切表に出さずソーマの肩を小突く。前衛神機使いが二人だと、自然先頭と殿は決まってくる。故にソーマには頼りっぱなしになってしまうが、こればかりは如何ともしがたい。
コウタが笑う膝を押さえつつ立ち上がるのを見届けて、周囲を警戒しながら退却を開始した。オペレーターのヒバリが観測を終えてしまったので、ここからはアラガミ探知は自力でどうこうしなければならないのだ。この点、ソーマよりも優れた人材は隊にいない。
速度を維持しながらも最大限慎重に移動していると、不意に気配を感じて全員が顔を見合わせる。あまり遠くない。それに、どうやらアラガミではなく、人間だ。
壁外民間人が何かの間違いで入り込んだのか、それとも偵察班でも来ているのか。どちらにせよ通信はウンともスンとも入らず、また事前に何か聞かされてもいない。盛大に顔を顰めるソーマに、ユウカも小さく頷きを返した。
殊更ゆっくりと歩調を落とすと、その矢先に曲がり角から人影が出て来た。
「なに?」
「は?お前ら……」
「あれ?リンドウさん、なんでここに」
気配の正体は、別の任務に就いていた筈のリンドウとアリサであった。見慣れた姿に双方詰めていた息を解きほぐし、軽く姿勢を崩す。するとそこには疑問だけが残った。
ゴッドイーターの同行は腕輪のポインタや生体信号で監督されている。命令違反や脱走者が出た時に素早く対処する為、というのも勿論理由だが、一番は任務の際の混乱を避ける為だ。アラガミがわんさかいる中で、端末に表示できる以上のイキモノの気配とあらば、戦闘時という特殊な状況下では誤る事が十分に有り得る。
その危険性を長い経験を以て知っているらしいサクヤが、最も狼狽して身をのり出した。
「どうして同一区画に二つのチームが……どういうこと?」
「まったくです、同士討ちするところでしたよ~」
「いや撃つなや。ったく、考えるのは後だ。さっさと仕事を終わらせて帰るぞ」
「はーい。私たちは外の警戒してますのでごゆっくりー、って言っても、私たち結構ここらへんでどんちゃんしてたので異変はないとは思いますが」
「なんか騒がしいと思ったらお前らかよ……ま、頼んだ、ぞッ」
「アイッタ!」
リーダーの登場で緩んだユウカの背中を思いッきり叩く無骨な手の持ち主を睨む。痛いし重いししんどい。帰ったら今日の苦労を一から百まで語り聞かせることを胸に誓った。「早く仕事終わらせてくださいよッ」と抗議とも催促ともつかない言葉を投げる同時に、ソーマがリンドウの脚へ中々の勢いのローキックをかました。そこまでしようとは思ってない。
「へぇへぇ退散しますよーっと。アリサ、ついてこい」
「……はい」
「リンドウさんには後でご飯奢ってもらうので、みんなもう何踏ん張りかわかんないけど、がんばろーね」
「オッシャ!」
「ええ」
「悪くないな」
おーーまえぇぇぇーーー、と背後から怨嗟の声が聞こえて、朽ちた教会を背にしてクスクス忍び笑う。
軽快なやり取りとは裏腹に、ピリッと緊張感が肌を滑っていた。なんとなく、嫌な気配だ。重苦しいような、腹の底に鉛でも沈んでいるかのような呼吸のし辛さ。
不安に駆られてチラとソーマを見ると、力強く鋭い視線が返って来た。集中しろ、という叱咤にも、勇気づけるようにも見える。どちらにせよ、ソーマの不思議な青色を見るとユウカはいつも心が落ち着くのだった。浅い呼吸を二、三して心を抑える。
大丈夫だ。何しろイレギュラーではあるが第一部隊が全員いるのだし。
ユウカが健気にも気丈を装おうとした矢先だった。
背後――教会の内部から、轟くような爆発音と、崖崩れで岩が転がるような崩壊の音、それから悲鳴が響き渡った。
真っ先に飛び出したサクヤを、ユウカがソーマに目配せしながら追いかける。
内部に飛び込むと、そこにはおかしな光景が広がっていた。確かに教会は朽ちかけて、何処も彼処もヒビだらけだ。
だが、自然崩壊でもここまで崩れるだろうか?
教会のステンドグラスを拝むまでの控えのそこを繋ぐ通路は、屈強な岩石で塞がれていた。巨大な岩のように塞がれたそこは、ゴッドイーターであっても労せずして通さない確固たる意志すら感じる程だ。
そしてその前に、小さな女の子が座り込んでいた。アリサだ。
「あなた、一体何を!?」
「アリサ?」
サクヤが切羽詰まったように、ユウカが出来る限り平静を保って問いかけるが、アリサはこちらに少しも意識を向けていない。
「違う……違うの……パパ……ママ……、私、そんなつもりじゃ、」
明らかに様子が可笑しい。というか完全に忘我している様子だった。なりふり構わず銃口を岩石に向けてカラッケツのOPを消費するサクヤの一方で、ユウカは頭を抱えた。
何が起こったのかは全くわからないが、彼女がしてしまった事はわかる。しかしまさかこんな、こんな形でだなんて。
アリサの傍に跪いて大きく肩を揺さぶるも、何の反応も起こさない。通信を支部に繋げようと試みるも、無機質な応答音が続くばかりで救援を呼ぶにも呼べそうにない。
「アリサ!アリサッ、しっかりしてッたら!」
「おい!こっちも囲まれてるぞ!」
ソーマの声に入口を見やると、直後にコウタが吹っ飛んできた。次いで、見た事もない異形のアラガミが飛び込んでくる。そいつは獣の姿をした四足歩行で、ゾッとするような冷気を身に纏わせていた。金色のまなこが西日を反射してギラギラ光っている。
「コウタ!」
「ッてー……ヘーキ!もうちょいなら持たせられるよ!」
「はあああ?大言壮語甚だしいんだよバカが!アホなこと言ってないで一発でも多く撃てバカ!」
「そんなバカバカ言う!!?」
元気そうで何よりだ。あんまり心配なさそうな二人を放置して、もう一度アリサに強く呼びかける。凛々しかったヴァイオレットは、今や深淵の底のような澱みに溢れていた。桜色の唇は青白くなり、今も取り留めもない、途切れ途切れの単語を呟き続けている。
「違う……私は……違うの……私じゃない……私のせいじゃ……」
「あーもう、これ駄目そうなんですけど!」
「諦めてンじゃねーこの弱みそ!」
「弱みそってなんですか!ってか大丈夫ですかーリンドウさーん!」
現状どうにもならなそうなアリサに音を上げた時、埋没した壁の向こうから聞き慣れた陽気な声が聞こえてきてホッとする。少しくぐもってはいるが、それは隔壁のせいであって本人が埋まってるわけではなさそうだ。よく耳をすませば、向こうでも戦闘が行われているのがわかる。
「こっちは大丈夫だ!お前らはアリサ連れてアナグラに戻っとけ!」
「リンドウは!?」
「俺はもうちょいこいつらと遊んでから帰る!ユウカ!これは命令だ、わかるなァ!?」
理屈の上ではわかる。コウタは強がっていたが、もうユウカが率いていた第一部隊はとっくに行動限界を迎えていた。入口はもうもたない。この壁も壊せそうにない。全力でここを死守しようとしたとしても、こんな状態のアリサを守りながらの戦闘など、到底無理だ。
リンドウの言う通りだ。ここで留まっていても何も良い事なんかない。そもそもリンドウは第一部隊全員が束になってかかるより強いし、置いて行ったとしても、もしかしたら。というか全然生きて帰ってきそうだ。ユウカはそうやって、自分を納得させようとした。そしてそれは叶えられそうだった。
けれど、悲痛な悲鳴を上げて壁に縋りつくサクヤを見て思う。
もし壁の向こうにいるのがソーマさんだったら、私は同じ決断を下せるのだろうか。
私はサクヤさんとリンドウさんの、「 」を、奪ってしまうのではないのか。
アリサを見て、サクヤを見て、入口を見て、それから壁の向こうを思い浮かべる。
「ユウカ!」
異様な雰囲気を漂わせるアラガミの前足二足を盾で防ぎながら、ソーマがユウカに鋭い視線を向けた。強い眼だ。揺るぎない信頼と、覚悟がそこにあった。コウタにもだ。二人はユウカの選択をどうやら尊重してくれるらしい。どんな道を選んでも、支えてくれるのだろう。
だから。
だから、どうしても、選ぶ事ができないのだ。
「―――……撤退、します」
「ッそんな、イヤよ!そん、な」
「いいえ、いいえ。サクヤさん、撤退です。それ以外に選択肢は在り得ません」
――そりゃ、本心を言えば、ここに残って、何がなんでもこの囲んできているアラガミを全員死滅させてやりたい。それは犠牲を許容すればできなくはないかもしれない行動だ。
だが、ユウカは今回隊を任されたリーダーとしてそれだけは選んではならないのだった。隊員を生きて帰すこと、その為の判断の時を誤ってはならないこと。リンドウに連れ回されるようになって、教えられたことのひとつであった。
「コウタがまず戦線に穴をあけて、ソーマさんが切り開いてっ。一点突破で帰還するよ!アリサは私が担ぐ!」
「了解」
「了解!」
「サクヤさん、走れないなら気絶させます。そうしてでも帰します」
アリサの神機に触れないように器用に彼女を肩に担ぐ。サクヤは大きく目を見開いて、そのまま固まった。陸に上がった魚のように口を開閉させて、溺れて喘ぐように息をしている。頷こうとして失敗して、肯定しようとして口にできなくて、否定しようとも思えない、そんな有様だった。やがて大きく項垂れた彼女の腕を取る。
「リンドウさん!嗜好品引換券忘れないで下さいよー!」
「わぁっとるわー!後ヨロシク!あサクヤ!配給ビールとっといてくれよー!」
サクヤは返事すらできないようだ。親の仇でもいるかのようにひたすら地面を凝視して、異常に発汗もしている。彼女の精神の為にも、一刻も早く離れた方がよさそうだ。
教会から転がり出て来たユウカと、外にいた二人とで視線を交わす。ソーマは毅然としているが、コウタはもう泣きそうだった。勇気づけるようにユウカが力強く頷いて見せると、コウタは思いきり首を横に振って思考を振り払った。そうだ、泣いてる場合じゃないのだ。ここを切り抜けるのだって、今の彼等には至難の業なのだから。
ユウカの指示通りソーマとコウタで道を作ったは良いが、その最中もそれ以降も、雨のように大群からの攻撃が降り注ぐ。頬を掠める氷の礫に背筋が冷えなかった人間はいなかった。両手が塞がって攻撃できない故によく観察できるユウカが声を嗄らすほど叫んで指示を出し続け、その場をその場をギリギリで駆け抜ける。
誰も余裕なんかなく、誰一人教会を振り返らないまま、第一部隊は贖罪の街を脱出した。
ただ一人、雨宮リンドウを除いて。
クソ短