天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

33 / 48
少女、と女傑たち

 

 浮上した意識とともに顔を上げ、その瞬間に後悔した。ベッドの向かいにある長ソファ奥、テーブル状になっているそこで誇らしげに立っている写真を、まともに見てしまったからだ。

 完全非番一週間を言い渡され、サクヤは部屋一人寛いでいた。それはあくまで表向き、ではあるが。

 実際には、サクヤは塞ぎ込んでいると形容して相違なかった。

 部屋の扉を潜る事は一切せず、室内で何もかもを済ませた。元々部屋には簡易シャワーも水場もあったのが災いした。生きる上で必要最低限の食事をし、ベッドの上で自堕落に微睡む。見るのは悪夢か、もしくはもう叶わない夢幻か、はたまた優しい過去だったりと様々だが、どれも等しくサクヤを深く傷つけた。飛び起きては絶望する時間だけがそこには流れていた。

 目を瞑れば瞼の裏側に容易に蘇る。些細なやり取りさえついさっきあった出来事のように鮮明に思い出せた。なのに、その最愛の相手はいない。

 サクヤは何もかもに耐え切れなくて、立てた膝に顔を埋めた。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。どうしてあの日その場で残れなかったのだろう。どうして置いて帰ってしまったのだろう。そんな「どうして」ばかりが浮かんでは、生産性もなく消えてった。なにもかも、仕方のなかった事なのに。どうしようも、ない事だったのに。

 細い体躯が項垂れると、より一層華奢さが際立った。戦場を駆る狙撃手とは思えないほどの薄い身体は、平時よりずっと青褪めている。

 そんなサクヤの部屋に来訪者を知らせるノックが響いた。一瞬だけ浮かんでしまった淡い期待を、頭を振って振り払う。その程度の理性と正気は残されていた。前触れなく来るリンドウのせいでロックを忘れた扉を自発的に開く。

 そして直後に言葉を失った。絶句である。

 なんでかって、扉の向こうにいたのが缶ビールオバケだったからだ。

 

「……何をしてるの?ユウカ」

「完全非番とお聞きして酒盛りしに来ました」

 

 頭痛を堪えるようにして額に手をやりながら聞くと、ひょこりと缶の山の横から顔を出した予想通りの少女がはにかみ笑う。ツバキから聞いた話通りなら、そういえばユウカも三日ほど休暇を貰っていたはずだ。そして、未成年にも缶ビールは配給される。この時世法律やら憲法なんていう平和的なものとっくになかった事にされているし、軍規には別に禁止されていない。配給された不必要なものは、大抵同僚や上官とトレードしたりするものだ。個人の好みなぞまでフェンリルが把握するはずもない、勝手にやれという事である。けど、それにしたってこの量の缶ビールはどこからかっぱらってきたのか。

 疑問はともかく、立ちっぱなしというわけにもいかないので部屋に入れる。配給ビールがガコンガコンとテーブルに転がった。

 

「サクヤさん、怒ってますか?」

「……何に対して?」

「あの時判断を下した私に対して」

「怒ってると思う?」

「少しは。怒る権利はありますから」

 

 どうなんだろうな、とサクヤは少し考えた。本当に自分にそんな権利があるのか疑わしかったし、ユウカに対してそんな感情を抱いているとも思えなかった。だってあの時は本当に、そうするしかなかったのだから。むしろ、謝りたい気分でさえあった。あの時使い物にならなかったのは、間違いなくサクヤの方だった。

 

「……怒ってない」

「怒ってないんですか?」

「ええ」

「私はバキバキにキレてるのに?」

「どうして??」

 

 素直に心の底からそう言ったサクヤに、ユウカは唇を尖らせていかにも不機嫌そうな表情になった。

 

「だってリンドウさん来月までには絶対帰ってきませんよ。私の嗜好品交換券……」

「うん。うん、うん、待ってね。重要なのは貴方にとってそこなのとか、リンドウが帰ってくるのは来月どころかっていうか、突っ込み所が私の中で大渋滞を起こしてるから」

「私はただ単純にあの人がアラガミに手古摺って危機的状況になる姿が想像できないだけですよ」

「整理してるところで新しい弾頭を持って来ないで?貴方リンドウの事なんだと思ってるの?」

「アラガミより理不尽でスパルタだと思ってます」

 

 キッパリと言い切ったユウカに、サクヤは遣る瀬無い気持ちで、しかしどこか理解も示せるような感じもしてしまって項垂れた。何とも否定し辛い。ことユウカに関しては、彼女の言い分は間違いではないだろう。サクヤもちょっとどうかと思うくらいの指導ぶりだった。

 

「なので帰ってくるまでに、リンドウさんの恥ずかしいエピソードとかお伺いして強請るネタにしようかと思って参りました!」

「清々しいほど自分の事しか考えてないわね!?」

「当然です。ヘマ踏んだお馬鹿さんなんて慮るに値しません」

 

 それは揶揄いを前面に押し出してはいたが、隠しきれないほどの信頼が在った。彼女は、信じている。いや、疑ってすらいないのだ。この期に及んで、まだ。

 

「もう一週間も行方知れずなのよ?オラクル細胞の調整注射もしてない」

「まだ一週間、の間違いですよ。壁外のマーケットは黒も白もありますが、放蕩ゴッドイーター用のものもいくらか叩き売られてます。諦めるには早すぎますね」

「けど、何の音沙汰もないし……」

「便りがないのは元気な証拠ですって!それに、案外帰れない便りも出せない明確な理由があるのかもしれません」

「例えば?」

「さあ。深入りする気はないので存じ上げませんが、不愉快に思ってた人はいるみたいですよ」

「知ってるの?」

「知りませんてば。でもなんていうか、あからさまじゃないですか。任務地のブッキングもそうですし、あんなにアラガミが集まってたのもおかしいですし、新型が二人も配属されてるのもおかしい。あ、あとあの時の任務記録も消えてますよ」

 

 サクヤは冗談よねって笑おうとしたけども、無言でアーカイブを視線で促されて頬を引き攣らせる。嘘だと思うなら自分で確かめろということだ。そしてそれはつまり、冗談ではないということだ。

 

「次々舞い込んでましたから、有耶無耶にするのはさぞ簡単だったでしょうね」

「…………どう思う?」

「きな臭いなあと」

「そうじゃなくッて!」

 

 焦燥を直情的に乗せた鋭い声に、ユウカは眉を下げて押し黙った。サクヤはその表情に覚えがある。彼女が部隊員に注意を言いつける直前によく浮かべる表情だった。ガラじゃないと思っていながらも、同僚を心配する顔だ。

 プシッと缶が爪を剥がされる。無言でユウカはそれを一口飲んだ。そして口を開きかけたとき、再度扉が開かれて咄嗟に振り向く。

 

「ゲッ!ツバキ教官、イダッ」

「子どもがこんなもの飲むな馬鹿者が」

「軍規には抵触してません~~~良いじゃないですか別に初めてじゃないですよ」

「ほーう、初犯なら情状酌量の余地あったが、そうかそうか既に前科持ちか」

「その言い方やめてくださいよ、不良少女じゃないんだから」

「どっからどう見ても不良少女だバカが。お前はこっちでも飲んでおけ」

「ジンジャーエールで酔える人類がいたら見てみたいもんですねぇ!」

 

 颯爽と現れたツバキは流れるような手つきで缶を取り上げ、喚くユウカを片手で押さえつけた。取り返そうと藻掻いて掲げられた手に、ジンジャーエールの小瓶が二本押し付けられる。

 

「ツバキさん、どうして」

「シッカリ自室待機しているかとコレの様子を見に行ったら姿がなくて探し回っていたんだ」

「え?教官からの信用がなさ過ぎてビックリなんですけど。えっ?」

「何か弁明の言葉があるなら聞くが?」

「アルワケナイジャナイデスカー」

 

 首根っこを鷲掴みにされたユウカはもう諦めきった眼で虚空を見つめた。賢明だなとサクヤも首肯する。ユウカがここに来た経緯を簡易に説明してやっと、ツバキはユウカから手を離した。

 

「なんだそういう事なら私も呼べ。何もかも暴露してやるぞ」

「じゃあ手始めに一番最近のでも教えて下さい」

「この前神機に向かって人生相談してたぞ」

「めちゃくちゃ面白いじゃないですか詳しくお願いします」

「構わん。サクヤ、座っても?というかお前も何時までも突っ立ってないで座れ」

「え、あ……はい」

 

 停滞した澱んだ空気がユウカによって押し出されたかと思えばぶち壊され、挙句ツバキの登場で最早そこは混沌と化していた。眼前の目まぐるしい状況変化に耐えられず、身に染み込んだ命令直下の脳が咄嗟に返答して、身体はストンとその場に腰を下ろした。

 

「というかホストのお前は何か持ってないのか」

「えー……あ、リンドウって名前が、女の子が生まれてくると思って用意されてたもので、いざ生まれてきても両親がそのまま名付けてしまって生きづらいって」

「はっはっはっは!そうそう、ウチの両親はすっかり姉妹で花の名前にしようと思っていたんだ」

「女子だと思ったらゴツい男が来たからってよくどつかれて鬱陶しいらしいです」

「ゴッドイーターに何を期待してるんだそいつらは……」

「まあ字面だけならカワイイ女の子感ありますからね。教官も好きでしょう?カワイイ女の子」

「……………まあ…………」

「えっ???ツバキさん??」

「軽い同意をしただけだ別にそういう趣味はないやめろ」

「妖しいやらしい」

 

 無言でユウカの顔面を掴んでアイアンクロウし出したので、サクヤはそっと後退って目を逸らした。ツバキはユウカと違って賢いようでなによりだと言った風に頷き、右手に力を籠めるにつれモゴモゴ煩い少女をぺっと投げ棄てる。

 

「いたい……圧倒的暴力……これは明らかなパワハラ……訴えて勝ってやりますからねェ……サクヤさん証人として協力してくださいよぉ……」

「ユウカ、私も所詮軍の犬なのよ」

「味方はいないんですかっ」

「どう考えてもその緩い口が問題だろうが」

 

 ジンジャーエールの小瓶を無理矢理突っ込まれ、情報漏洩の模範のような口が強制的に閉じられる。不満そうにそのまま口を動かしていたが、最終的に憮然とした顔でゴクゴク喉を鳴らして静かになった。思ったよりもジンジャーエールが美味しかったみたいだ。

 

「サクヤは何か持ちネタないのか?」

「その呼び方やめません?」

「代替案があるなら考えるがないなら私はもうこの路線でいく」

「ソですか……ええと、あ、……もう結構前の話ですけど、あの人出撃した後神機忘れた事に気づいてました」

「あったなそんなこと」

 

 ブーッと横で液体が噴出される。お腹を押さえて転がったユウカにつられて、サクヤも自分で話して自分で面白くなってしまって浅い引き笑いを起こした。

 

「完璧小学生がランドセル忘れた時のそれじゃないですか!」

「バカだからなアイツはバカだから」

 

 ツバキが腹部の痙攣を抑えながら応えると、ユウカはアハアハとますます大きく笑い声を上げた。息も絶え絶えになりながら、目尻に浮かんだ涙を拭う。

 

「もっと聞かせて下さいよ、サクヤさん。小さい頃から最近まで、リンドウさんのこと!」

 

 満面の笑みで言うユウカに、サクヤは虚を突かれたかのように息を呑んだ。そうしてこの瞬間、サクヤはすべてを理解した。

 ああこの少女は、私を守りに来たのだな。

 いくつもの建前と方便と釣り餌を手にして、巧妙に隠しながら、自分だって傷だらけのくせに。ずるい。なんてズルいお馬鹿さんなんだろう。気付けて本当に良かった。

 

「そうね、じゃあリンドウと初めて会った頃の話をしましょうか」

「おっこれは惚気の予感~~~!」

「最後まで付き合ってもらうわよ?」

 

 もちろん!少女がニコニコ笑って小さく肩を竦めた。優しい微笑みを浮かべたツバキがそれらを眺めている。

 周到に用意された、優しいこの時間を守らなくてはならない。厚意を無駄にしないよう、好きでもない配給ビールを煽った。相変わらず、旨くもなければ不味くもない、苦味の強いヘンな味である。だが悪くはない。体温の上昇と共に気分を高揚させ、サクヤはなんにも気付かないフリをしながら、目を細めて昔を懐かしみ、謳うように口を動かした。

 

 

「私、最初はこの子に嫉妬してたんです」

 

 誰がジンジャーエールで酔わないと豪語していたのやら。それとも雰囲気酔いか、もしくは最初の一口が彼女の限界だったのか、ユウカはすっかり出来上がって目を回していた。今はサクヤの膝の上に頭を乗せ、赤ら顔で涎を垂らしつつ呻いている。

 そんなだらしない少女の世話をしてやりながら、サクヤはゆっくりとした口調でツバキに言った。ツバキは驚くことも、相槌を打つこともなく、ただ静かにサクヤの話に耳を傾けた。

 

「リンドウに今までにないくらい目を掛けられて、他のゴッドイーターなんか目じゃないくらい才能があって、なのにいつもふざけててお馬鹿で……けど私よりよっぽど強くて、なのに私に憧れてて、慕ってさえくれて……嫉妬というか、…………なんと言ったら良いんですかね、こういうの」

 

 きっと本当の意味では、ユウカは天才ではないのだろう。彼女には彼女の苦労や苦悩、辛さとか痛みとかがあって、ユウカは今までとんでもなく頑張って来たことは違いないのだ。けど、―――サクヤだって、懸命に頑張って来たのに。

 どうしてこんなに敵わないのだろう。神機使いとしても、人間としても、指揮官としても。

 だが嫌悪するにはユウカは人間が出来過ぎていたし、サクヤさんサクヤさん、とひよこみたいに後ろを追いかけられては、そんなことできるはずもなかった。可愛かった。サクヤは本当に、そんなユウカを本心から可愛がっていたのだ。嫌いなわけではない、嫌いなわけ、ないのだ。

 こんな思いは、きっと誰にも理解できないだろう。だから惨くてかなしい。

 しかしようやく、リンドウのやりたかったことが、サクヤにもわかった。どうしてユウカをあんなに育てていたのか、後継者にしたがったのか。その理由が。

 負い目があるくせに、今日ここに来てくれたこと。サクヤの荷物を背負いに来たこと。頼る相手はここにいるよって、彼女は伝えに来たのだ。いつも弱気なくせに、こんなときばっかり。

 

「ツバキさん、第一部隊のリーダー、ユウカを推薦して下さいませんか」

「構わんが、…………良いのか」

 

 それは、「リンドウの事は諦めるのか」という確認でもあった。サクヤはふるふると首を横に振る。

 

「いいえ、私はきっと生涯リンドウを諦められないでしょう。でも、現実としてリンドウは今支部に不在になってしまった。なら、代打でもその時ばかりの部隊長でもない、正式なリーダーが、第一部隊には必要です。そしてそれは、ユウカ以外に在り得ません」

 

 判断力、指揮力、武力や防衛力だけでない、リーダーとして必要な能力全て申し分ないユウカを推さないと言う事は、最早背信行為にすら等しかった。今はもう、それだけが理由ではないけれど。

 

「彼女の下でなら、私は全幅の信頼を置いて戦えると確信しています」

 

 サクヤの何の衒いもない本心からの言葉に、ツバキは真剣な顔で一つ確かに頷いた。

 第一部隊のリーダーの事は、ツバキとしても悩みの種だった。早々に決めては周りの心の準備もできないが、曖昧なままにしておいて良いものでもない。いずれは決めねばならない重要事項には心配も僅かにあった。だが、どうやら杞憂に終わるようだ。

 

「頼る相手は見つけたられたか?」

「……ええ。ちょっと頼り甲斐がありすぎるところが、問題ですけどね」

「違いない」

 

 仰向けになってすよすよ安らかに眠る少女の黒髪を、サクヤは丁寧に丁寧に梳いて微笑んだ。そして、冷蔵庫に視線だけを向ける。

 

『配給ビール、取っておいてくれよ!』

 

 リンドウの最後の言葉を思い出して、膝に居るユウカが起きていたとしても聞こえないほどの小さく息を吐いた。

 もし、そこに何かがあったのなら。全てを相談した上で、何もかもから彼女を守ろう。それが、リンドウに託されたすべてのように思えた。

 

 

 




ユウカちゃんは酒に激弱なわけじゃないですが、雰囲気酔いをするタイプなので一人飲み・サシなら普通ですが、飲み会では真っ先に潰れるタイプです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。