命令無視が幸いしてか、アリサはグングンと元の調子を取り戻していった。ツバキにとっては最悪だっただろうが。
実戦投入は三日で許可され、他の隊のゴッドイーターからの下種な悪口はすっかり鳴りを潜めた。後者に関しては見つける度にユウカとコウタが狂犬のように噛みつきまわったからかもしれないが。
ともかく、アリサは元気になった。なって良かった。
「おっはろー!」
「なんです、その挨拶」
「おはよって言おうか、ハローって言おうか迷った!」
朝のミーティング時間。ユウカが背後から勢いよくアリサに飛びつくも、彼女は動じることなく微笑んで迎えた。
毎日のようにやられるので、流石に慣れたのである。
「ホントそういうところですよ……おはようございます、ユウカ、ソーマ」
「ああ」
「サクヤさんとコウタは?」
「コウタはまた遅刻じゃないですか?」
「してねーよ……んでお前らそんな元気なん……?昨日結構遅くまで討伐してたよなオレら……」
「なんだ居たんですか。あの程度でダレるなんて、鍛錬が足りないんじゃないですか?」
「アわかった。どーせあれからバガラリーでも見て寝るの遅くなったんでしょー」
「ぎくッ」
「自業自得だな」
「うっせー!」
「あら、みんな早いのね」
「サクヤさん!はざまーッス!」
「おはようございます!」
ユウカとコウタがと良い子の朝の挨拶をしたが、アリサはほんの少しだけ気まずそうに眼を逸らした。サクヤが復帰してもう数日経つが、経緯を考えれば仕方のない反応だとも思う。
一瞬ぎこちなくなった空気を無視して、アリサに抱き着いたままソーマを振り返った。
「今日はソーマさん別件だっけ?」
「ああ。しくるなよ」
「しないしー。じゃあツバキ教官来る前に大まかなとこだけ終わらせちゃおうか」
「え、教官くんの?」
「今日やる任務がちょっとね。ソーマさん以外のフルメンで行くから」
「あ、昨日調査班のやつが言ってたアレか」
「コウタ知ってるんですか?」
「多分」
「はいはい。そういうわけで今日は大変な日になると思うから、各自用心するように。ソーマさんもだよ、ソーマさん今日3つも大型アラガミ討伐任務入ってるんだから」
「はー?ソーマヤバ。ウケる」
「酷使されすぎじゃありません?ドン引きです」
「ほんそれ。あ、時間だいじょぶ?」
「あと十分はどうこうできる」
「そう?じゃあ続けるね。ソーマは本日〇九三五にクアドリガ討伐任務。終わり次第連続で任務になるので、十分な物資を積んで出撃すること。アリサ、コウタ、サクヤの各隊員は隊長の私と共に本日一一三〇から緊急任務に就いて貰います。調査班が会敵した大型アラガミ、ヴァジュラが小型アラガミを捕食して肥大化しているそうで、早急な対処が求められています。場所は――」
軽薄で和やかな空気が一転、ピリッとした緊張感に包まれる。バインダーサイズの端末を手に淡々と本日各員に振られた任務の確認をしていく。
注意事項と装備の再確認を行ったところでソーマが任務開始時刻が差し迫った為、円から抜けるその背を見送った。それと入れ替わりに、アナグラ内移動エレベーターからツバキが降りてくる。
「なんだ、もうミーティングは終わったのか?」
「ソーマさんが早めの出撃でしたので、巻きでやってたんです」
「チョー早口だったッスよ。よく噛まなかったよな」
「装備確認までシッカリ終わらせて、すごかったです」
「装備品や物資は命に関わるものね。ソーマって愛されてるわよねー」
「早めに出撃するのがサクヤさんでもコウタでもアリサでも同じ事をしましたよ」
「あー、だろうな」
「そこで「そうだろうな」って納得できるのがユウカのスゴイところだと思います」
「私たちって愛されてるわねぇ」
「任務説明は?」
「済ませました」
「よろしい。なら充分聞いてると思うが、今回は『あの日』問題になった新種の同型だ。わかっているな?」
はい。平時より低い返事が空気を震わせる。ヴァジュラは極東支部新人の登竜門。手強いが、慎重に立ち回れば問題ない相手。
ただそれだけの筈なのだ、――アリサ以外にとっては。
扉の隙間を見るのが怖い。
こじ開けられるのを知っているから。
ユウカは横目でアリサを見つめた。限界まで張り詰めた糸のような、強かながらも儚い姿。
堪え切れず、ユウカはそっとその細い肩に手を置き、コウタがアリサの背中をドッと拳で叩く。恨めしそうな眼がユウカとコウタに向けられた。
「う、……大丈夫ですよ、本当ですから」
「ホントかぁ~?」
「ホントですっ!」
「別に狼狽えてくれても良いのに」
「なー」
「甘やかさないでくれますッ!?」
「末っ子は何かとサクッといじられるものだから」
「私そんなスナック感覚で揶揄われてたんですか!?」
「良い反応してくれるから、つい」
「サイテーです!弄ばれました……!」
「アッ外聞が悪い」
「お前たち、万事その調子なのか……」
教官の前だろうが構わずハシャぐ未成年三人組に、ツバキは盛大に顔を顰めさせた。これが完全に所構わずであったらまだ指導も入れられるのだが、引き締めるところはキッチリ引き締めているところがこなクソである。
こんな小賢しい小娘に任せて良いのだろうか、今更ながらに懸念に思えてきた。リンドウとはまた違った理由で、ツバキの胃を痛める要因である。
「それから、第一部隊全員に通達がある。本日一八〇〇にエントランスに全員集まるように」
「部隊員全員ですか。ソーマさんも?」
「ああ。間に合うよう本日はソーマにヘリの使用を許可させている」
「そこまでするほど……何かあったんですか」
「約一名にとってはそうだ。ともかく、全員今日は無傷で帰って来い。締まらんからな」
「無傷」
「急に任務の難易度上がって来ましたね」
「ええいつべこべ言わず行ってこい!」
「ハーイみんな出撃するよー」
出撃用エレベーターを後ろ手で操作して扉を開く。そのまま誤魔化し笑いをしながら、正面をツバキに向けたまま後ずさりで乗り込んだ。ガシャンとエレベーターの鋼鉄で出来た扉が大きな音を立てて閉まる。
逃げたのである。
*
「通達、って何でしょうね」
「さあ?」
「アレじゃね?ユウカとオレが入隊して一ヵ月記念!とか」
「高校生カップルか?」
「じゃあおしるこソーダが自販機から撲滅した記念とか」
「それはホントにしてほしい、ホントに、壊しちゃいそう」
「極東の自販機ラインナップって誰が決めてるんですか?他の支部では見たことないのばっかりあるんですけど」
「知ってたら直談判しに行っとるわ」
「支部長が決めてると思うわよ、普通に」
「今度支部長室にC4セットするわ」
「確実に木端微塵にしようとないの」
今にも崩壊しそうな背の高い建造物が乱立する贖罪の街のすぐ手前、待機エリアにて神機を構えてかんらかんらと笑う。
作戦開始時刻もそうだが、目的のヴァジュラの反応を支部の方で探っている最中だ。つまり殲滅部隊である四人に今できる事はないのである。
ツバキの話に対する疑問などで雑談している最中、ようやっと通信の着信音が全員の耳元で鳴り響く。
『出ました!奥の、Hエリアです!小型アラガミも複数出現してる模様!十分注意して下さい!』
「了解。ありがとヒバリちゃん。じゃあ早速本丸を叩きに行こうか。小型アラガミは私が掃除するから、ヴァジュラは三人で総攻撃して下さい。アリサ、タンクお願いね」
言いながら神機を肩に構え、ちらとアリサを見る。
ユウカは隊長だ。本来なら目標アラガミから離れるのは悪手と言える。しかし、ユウカは真っすぐにアリサを見た。反論を許さない口調。
胸元を握りしめ、瞠目して立ち尽くすアリサは、しかし、それでも勇ましく首を縦に振った。
「ぁ、……はいッ」
彼女は乗り越えなければならないのだ。ユウカはそれを見守る事しかできないのだった。
そして見守っているのはユウカばかりではない。
「大丈夫大丈夫、なんかあれば俺が守ってやるからさ!」
「……よろしく、お願いします」
「エッ」
「なんですか」
「めちゃ素直じゃん……ヤバ……ユウカ、コイツ杏調子悪いんじゃないの……」
「丸くなるまで殴りますよ」
「サーセン!」
「コウタ五月蠅い。サクヤさん、そっちはヨロシクお願いします」
「任されました。ユウカも気を付けて」
「はいっ。そーいん散開!」
緩い!シャキッとしてください!やんややんや騒がしい三人組を顔だけそちらに向けて見送る。
サクヤが着いている以上死ぬ事はまずないだろう、コウタも着いているなら猶更だ。
そうは言っても、速めに駆けつけるに越した事は無い。
ユウカは一息短く吐いて、風を纏うかのように両脚を動かした。びゅうびゅうと耳元で風切り音が流れ、それより尚早く神機を振るう。
すれ違いざまに血飛沫を置き去りにして、空中にいようが地上にいようが突進してこようが変わらず鋼は平等に切り裂いた。
赤茶の地面に赤い一線と花火を描きながら、ユウカは無線のポジションを片手で調節する。耳が小さいので、イヤホンがよくずれるのだ。
「ヒバリちゃーん、後何匹?」
『ザイゴート堕天三体、オウガテイル五体、オウガテイル堕天十体です!』
「うーん、やっぱりなんか最近多いなー……リンドウさんが壁外掃除行ってないからかな?」
『前はユウカちゃん連れて事あるごとに行ってましたからね、そうかもしれません』
「やっぱり?めんどくさいなー。後で私が廻るからクエスト作っといてー」
『了解しました!あ、今ので殲滅完了です!』
アジみたいに開かれたオウガテイルのコアと素材を神機にパクパクして貰いながら、オッとユウカが顔を上げる。見れば、地面からはアラガミが蒸発する時の特徴的な煙があちこちでモウモウ上がっているだけで、動く物体は見当たらない。
遠くで聞こえる戦闘音はお仲間のものだろう。死体まみれになった地上は悲惨の一言だったが、アラガミの唯一素晴らしい点がそこは解決してくれる。
「了解。ありがとヒバリちゃん」
『いえ!お怪我は……ないですよね。ご武運を!』
「はいはーい」
神機で宙を切り、付着した赤黒い液体を振り払う。まだ剣捌きが未熟故に、こうして返り血を被ってしまうのだ。その事実に低く舌打ちした。
ユウカは脚を出来る限り速く、そしてめいっぱい伸ばして距離を縮ませる。まだ未成熟な脚はサクヤや成長が早いアリサに比べれば短い。だがその脚はカモシカみたいにすらりとしていて生命力に溢れ、比類ない程彼女を遠くへ速く運んでくれる。
戦闘場所はHエリアからFエリアに移動したらしい。中央の教会の外周を走る形でぐるりと回り込むと、間もなく緋色の鬣と三人の人影が交差しているのが見える。
ヴァジュラとは言え流石に大型アラガミか、その俊敏さと苛烈さに手を焼いているらしい。
ユウカは手始めに銃形態に変化して先程までで溜め込んだバースト弾を全員に撃ちこみ、ついでに雷球の当たりそうだったコウタの前に盾を広げた。
「お待たせ。状況は?」
「サンキューッ。前足と頭部は崩壊してる!」
「オーケー、もう詰められそうってことね」
低く笑った彼女の視線の先には、へっぴり腰のアリサの姿があった。怯えているのが一目でわかる竦んだ脚だが、彼女の命令を聞くだけの使い様はあったらしい。
ぎこちない、児戯に等しき足取りではあったが、それでも彼女は闘えている。
ヴァジュラ相手にひどく危ういアリサを支えるのは、サクヤの素晴らしい射撃技術であった。この支部で彼女以上にオラクルを効率よく扱える者はいないだろう。
だがカバーされっぱなしではアリサを今回の作戦に組み込んだ意味がない。さてどうするべきかとユウカが再度銃形態に神機を組み替えた丁度。
「アッ、逃げたよ!」
ヴァジュラが高く跳躍して教会の壁をよじ登る。無様に逃げ惑う姿は悪くないが、ユウカはちぇっと舌打ちした。折角走って来たのにタイミング悪い。
「全員で動いちゃ効率悪い。全員散開して探すよ、私は東、サクヤさん南、コウタは西、アリサは教会内、見つけたら即連絡。以上!」
「了解。折角バースト貰ったのにねえ」
「ラジャ。ほん、それッスよね」
煌々と光る神機が徐々に落ち着いていくのを横目に忍び笑いながら、サクヤとコウタがまず真っ先に駆けていく。すっかり命令が脳直で脚へ伝わるようになっているのだな。
彼等に一拍遅れでアリサも駆けていく。ユウカはその背中に声を掛けようとして、やめた。
先ほどまでのアリサは精彩を欠いてはいたが戦えてはいた。わざわざお節介を焼かなくても、アリサならきっと自分で乗り越えられるはずだ。乗り越えられなかったらそれはそれで、ユウカがなんとかすれば良いだけの話である。
それに。
「ああ、鬱陶しい。なんでこう、アラガミっていうのは節度がないのかな」
緋色のたてがみに修羅の顔、筋張った漆黒の体躯。他者を害する事のみを至上としたような鋭い牙や爪。帯電する紫の雷。
どうやらこの区画にいるのは一体のみではなかったらしい。