天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

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少女、憤怒

 

 最終的に死屍累々となった就任祝いの夜が明け、翌日は半数が這う這うの身体で出勤となった。

 ユウカ率いる第一部隊も、元気に(寝惚け眼を擦りつつ)任務に当たり、吹雪く廃寺にて恙なく目的のアラガミを殲滅した。問題なく殲滅した、のだが。間を置かず別問題が浮上した。

 別動隊として小型アラガミを潰して回っていたソーマが、いつまで経っても戻ってこないのである。

 

「心配なのはわかるけど、落ち着きなさい、ユウカ」

「だって任務終了から三十分も経ってるんですよ?このエリアもそこまで広いわけじゃないですし……」

「そう簡単にやられるタマじゃないでしょう彼は」

「そーそッ、資材の回収でもしてんじゃねーのっ?なっ、きっとそうだってッ。だからアラガミを延々と踏みつけるのをやめろ!」

「そうですよ!ばっちいです!」

「そこじゃねーだろ!」

「ハハハ、何言ってるの皆、私は落ち着いてるよ?これ以上ないくらい落ち着いてるって、アハハ」

 

 いやぜってー嘘じゃんッッ……。第一部隊隊員たちは揃ってそう思ったが、賢明にも口には出さなかった。

 ユウカの貧乏揺すり――というか、アラガミを踏み潰す速度が明らかに早まっていたので。可憐な少女の足元で、肉の潰れる音がするのはなんとも言えない空気がある。

 ていうかぶっちゃけすんげーこわい。閻魔様も裸足で逃げ出すようなカッ開いた眼を、隊員たちは直視できずサッと目を逸らした。炎に油を壺単位で投入する蛮行などとても犯せそうにない。

 だがユウカはそんな縮こまる隊員たちを見て、雰囲気をいつもの穏やかなものへと和らげた。シュンと肩を落として眉を下げる。

 

「ごめん。八つ当たりしました」

 

 とても正直に素直に謝る少女の姿は、誰でも憐憫を覚えて許してしまえそうなほどかわゆかった。

 だがそんなことで騙される彼等ではない。

 

「ウソでしょ?あのレベルの感情をそんなスグ収められる普通」

「情緒どうなってんだ」

「逆に怖いです、ユウカ」

「皆してなんなの?」

 

 隊長に非常によく似てきた隊員たちである。

 口を尖らせるユウカの足元、アラガミは既に姿を消していた。黒煙となって地に呑み込まれたか消えたかでもしたのだろう。

 ストレスの向かう先もなくなったユウカは、ふーっと息を長く一つだけ吐いて三人を見渡した。

 

「帰投時間を過ぎたので、本格的に探しに行くよ」

「全員?」

「サクヤさんとアリサは待機。もしかしたら別ルートで戻ってくるかもしれないし……、コウタと私で探しに行ってくるよ。三十分で戻ってくる」

「三十分で見つからなくても?」

「まあその時はコウタを取り合えず寄越すから、三人は先に帰投しちゃって」

「できるわけありませんよ!私たちも一緒に探します!」

「いや寒空の下部下をいつまでも待たせるのはちょっと……」

「待ってる奴が凍えるまで探す奴があるかっつの。安心してサクヤさん、アリサ。引きずってでも一緒に戻ってくっから」

「頼みます」

「お願いね」

「私がリーダーだよね?ね?」

「よし、方針も決まった事だし、ソーマを探しに行くかリーダー!」

「あからさまにとってつけたように言うなーー!」

 

 どつき合いながら駆け出して行く二人を、サクヤとアリサは表面上は呆れ顔で見送った。

 けれど、二人とも内心では不安があり、心配があった。ソーマの安否もだが、それよりもユウカが心配なのだ。

 自分たちは結局のところ、リーダー、もといユウカに依存せざるを得ない。いつでも理性的で現実的な彼女は、その時必要な、最善を選び取るだろう。それがどんなに彼女の意に反するとしても。

 そんな場面が来なければ良いなと二人は思った。

 けれど同時に、きっとそんな場面はいつか必ず来るのだろうなとも思った。

 

 

 打ち捨てられた廃寺の中、軋む床で出来得る限り音を立たせず、慎重に歩を進める。

 人の気配はない。ない、のだが。

 

「誰だ。……姿を見せろ!」

 

 低く、しかし朗々とした声が冷えた空虚で響く。

 しかして応答の声はなく、しんしんと降り積もる雪の静寂ばかりが広がっている。

 人の気配はない、だがソーマには、其処に何かが居る気がしてならないのだ。しかも何やら、ソーマにすら判断が難しい、アラガミとも人間ともつかぬ摩訶不思議が、死角に渦巻いている。直感だが、間違ってはいないという確信があった。

 足擦れの音が聞こえ、ソーマはハッとして神機を携える。

 それは軽やかだがどこか焦りがあって、二人分の足であった。ソーマは神機を腰より下へ切っ先を下げ、慌ててなんでもない風を取り繕う。

 

「あーっ、やっと見つけた」

「おま、マジ、こんな奥まったとこいんなよ!」

 

 息を切らしてやってきた二人はソーマを探しに方々走っていた事が一目でわかる姿であった。寒さで赤らんだ顔は上気して、コウタなんぞ鼻水まで垂らしている。

 

「帰投時間過ぎてるよ」

「……悪い」

 

 ユウカはソーマをじっと見つめた後、そんなごく普通の言葉をかけたので、ソーマもやや思案した後平然と返した。

 それが彼女の強がりなのか、意趣返しなのか、建前なのか、ソーマには生憎見当がつかなかった。どれにしたって、心配をかけているという自覚はあった。捻くれ者のソーマには、驚くべき事に。

 なので、平然とした表情ではあったものの、その自覚はソーマの胸をこそばゆさせ、彼は知らず空いてる方の手でフードを少し目深にまで引っ張った。

 

「一緒に戻ろう」

「ああ」

 

 彼女の提案に反発する理由もなくすんなりと頷く。

 別に。嘘を吐きたいわけでも、誤魔化したいわけでも、増してや心配させたいわけでもない。ただソーマは焦っているだけだ。その自覚があった。

 ユウカはリーダーになった。強くなったのだ。

 ならば当然、リンドウ同様、そう遅くもない内に特務を任される事になるのだろう。

 それ自体は良い。今更彼女が並みのアラガミなぞに後れを取るなぞ早々ないだろう。

 問題はそれ以外の特務だ。

 『特異点の捜索』等と言う、意味の分からぬ、陽炎を追うような任務を課されては万が一があるかもしれない。ソーマは億が一でもユウカに死なれるわけにはいかないのだ。

 故にこそ、ソーマは焦燥を積もらせるのであった。

 ユウカに生きていてほしいのだ。ならせめて、不慮の危険を振り払うのはソーマの役目だろう。

 

「そんな顔するな」

「どんな顔?」

「死ぬ気も置いて行く趣味もない。証拠に傷一つ負ってねぇだろ」

「心配なくても心配しちゃうんだよ。身体があるって不便だよね」

「なくても不便だろ」

「確かに」

 

 ようやくちょっと笑ったユウカの、取った手を握り直す。

 死ぬのなんざ真っ平御免だ。この手を二度と離しはしないと決めているのだから。

 なんでか上機嫌そうなソーマの一方、ユウカはブス暮れている。「この自己完結野郎」とでも思っているのだろう。構うものか、手放さないのも死なないのも守りたいのも所詮全てソーマのエゴでしかないのだ。だが自覚していながらもそれをやめようとも思わないのだ。なんという傲慢さか。

 

「いいよ」

 

 けれどユウカはそう笑うのだな。それは何もかも許すというよりも、何だか少々呆れてるような、肩を竦めて困ったような色が強い。

 柳を揺らすそよ風のような涼やかで擽ったいかおだ。無茶も無謀も強情もよろし。と。

 

「だけどよそ見は許さないから」

「するかアホ」

 

 あまりに見当違いな心配をするのでソーマこそ呆れると、ユウカは「ンへへ」とかわゆくはにかみ笑った。

 ソーマを発見して早々背を向けてったコウタが、境内手前で二人を呼んでいるのに気づいて手を放す。

 

「おーい!いちゃいちゃしてねーで帰ンぞーッ」

「はーあーいーっ。いこ、ソーマさん」

「……そうだな。帰るか」

 

 神機を肩に担いで歩き出す。ソーマにしてみればゆっくりゆっくり、ユウカはいつも通りの速さで、ソーマがやや前を歩く。

 時折ユウカを振り返るその後ろ姿を、ユウカは合流するまでずっとずっと見つめ続けた。

 帰還後支部長室に呼ばれているのだという事は、溜息と一緒に呑み込んだ。

 

 

 

 役員区画の最奥、支部長室で男と少女が相対している。

 一人は言うまでもなく部屋の主、シックザール支部長。それと任務終了後、帰還次第支部長室へ出頭せよ。と命じられてのこのこやってきたユウカであった。

 偉い人からの呼び出しなど説教一択と相場が決まっている(決まってない。ユウカが問題児なだけである)。しかしながら、話の流れから察するにどうもそうではないらしい。

 何しろ支部長室に入って話し始めがまず「最近の君の活躍は目覚ましいものがある」というお褒めの言葉である。上げて落とす戦法かと身構えたユウカをいざ知らず、支部長はそれからも「これほど早く隊員達を纏め上げ、統率し、生還率に優れて指揮能力に特化し戦闘力も申し分ないリーダーは初めてだ」とか「第一部隊以外でも防衛班や偵察班の仕事を手伝っているみたいじゃないか。勤労で大変よろしい」とか「困った事やわからないことはないか」とか、なんかもうなんなんだこの人という感じであった。

 どうにでもしてくれ。そんな投げ遣りな感想が顔にでも出ていたのか、支部長はやや苦笑しながら「では本題に入ろう」と話題を改めた。

 

「さて。知っているかもしれないが、エイジス計画が最終段階に入りつつある。アラガミの脅威から我々を守り、人類を新たな未来に導く箱舟……それがやがて完成を迎える。実に喜ばしい事だ」

「おめでとうございます」

「ありがとう。あと少しだ……、もうしばらく、君たちの力を貸してくれ」

「畏まりました。必ずや成果を上げて御覧に入れます」

 

 恭しく一礼したユウカに、続けてシックザール支部長が口を開こうとしたその時、彼の手元のパソコンがアラーム音を発する。

 

「来客のようだ。すまないが話はここまでにしよう。君の増々の活躍を期待しているよ」

 

 ニコッと音を立てて笑うシックザール支部長に、ユウカはもう一度礼儀正しく一礼して退出した。

 偉い人に呼び出された時に今までの自分の所業の全てが脳内を駆け巡るのは全人類共通だろう。なのに叱責のひとつもなかったので、ユウカは拍子抜けして扉越しに首を傾げた。ぶっとい釘は刺されたが、その程度だ。

 身構えて損した。

 そう息を短く吐いたとき、廊下奥のエレベーターから男が一人降りてくるのが見えた。

 技術顧問、ペイラー・サカキである。

 続けざまにトップレベルの重鎮に遭遇とあってユウカは内心ゲンナリしたが、表には出さず涼しい顔で会釈した。

 その脇を通り過ぎて、不意に思いついたような声音を「君は」とかけられて振り向く。

 

「好奇心旺盛な方かな?」

 

 悪戯を思いついた子どものような、しかし老獪さを思わせる賢者のような。あるいは能面のような胸中の見えない笑みを、サカキはユウカへと一瞬だけ向けて呟くように言った。

 ユウカは単純に「は?」と思った。勿論声には出さなかった。

 サカキはそんなユウカを置き去りにして支部長室へ姿を消した。

 不穏な風が過ぎ去った廊下にはユウカと、鉄色の床の上に一枚のディスクのみが取り残された。

 

「なにそれ……」

 

 つまりこれを見るなり聞くなりしろって事だろう。

 嫌だが?????

 絶対ロクなもんじゃない。全財産賭けても良い。

 しちメンドクサイことに巻き込まれる予感しかない。けれども知らなければ知らないで遥かに面倒な事になるのは目に見えていた。

 正直波風立てないでいられるならそれに越した事は無いが、悲しい哉、ユウカは命を預かる側として立ち位置はハッキリしていなければならないのだった。

 ワンチャンエロ本の類とかだったりしないかな……しないだろうな……。

 ユウカは肩を落とし、のろのろとした足取りで自室へと向かった。

 斯くして、大人たちの在りし日の過ちは少女の眼前に晒される事になったのであった。

 

 

 

 ――ふざけた画像を最後に、ディスクの再生は終了したらしい。

 アーカイブが『取り出しますか?』と親切にも伺いを立ててきているが、どうにも動くのが億劫で、腕が上がりそうになかった。

 だが、ユウカは奥歯を噛み締めて重たい指先を動かし、ディスクを取り出してカバーに元通り戻す。

 

 なんてことを。

 

 目元を隠すように手の甲を置いて、数度深呼吸をする。逸る気持ちをおさえるため、湧き上がる憤怒を宥めるため、冷静であらんとするために――

 

 ――冷静。そんなものクソくらえだ。

 

 だからディスクを片手に握りしめ、部屋を飛び出した。

 サカキの研究室はよく行くわけでもないが忘れるほどでもない。迷わず一直線に廊下を駆け抜け、研究室にノックもせずに押し入る。

 見知らぬ人が居たら確実に説教を受ける体たらくであろうが、幸か不幸か部屋にはサカキのみであった。

 

「おや、桜庭くん」

 

 白々しい表情を浮かべる男の机に、ディスクを叩きつける。割れろ、と思ったが、ヒビの一つも入らなかった。

 

「………こんなことで、ポーカーフェイスが崩れるようでは。この先大変だよ」

 

 それは多分、労りの言葉だった。気遣いであり、忠告であった。優しさからくる、言葉であったのだろう。

 でも。でもユウカは。

 

「クソくらえ」

 

 瞳にギラギラ不愉快の火を灯して、サカキを睨んだ。

 子供の癇癪である自覚は、実のところあった。

こんな揶揄うみたいなレベルの揺さぶりで、これほど神経を昂らせてしまうなど愚の骨頂であることも。

 これで怒れないようなら人間なんてやめてしまえ、という言い訳さえ子供の駄々であることも。

 ソーマさんはきっと怒らないだろうということも。

 全部、全部全部わかっていて。それでも。

 

「サカキ博士は、私に何を望んでいるんですか」

「ただ知っておいて欲しかっただけだよ」

「ふざけないで」

 

 なんだって。なんだって、言うのだろう。

 こんなものを見せて。

 私をどうしたいんだよ。

 同情すれば良かった?

 憤れば良かった?

 悲しめば良かった?

 哀れに思えば良かった?

 

「わかンないですよ、こんなの」

 

 ――あの二人は、どうすれば良かったのだろう。

 

 子供は親の所有物じゃない。

 ソーマさんの意思が無視されている。

 子供を実験動物同然に扱うなんてひどい。

 

 そんな、―――そんな単純に罵倒できたら、どんなにか幸せだろう。

 

 世界はアラガミの危機に瀕していてもう一刻の猶予もない。

 あの時点では間違いなく、受精卵での因子注入が最も安全で。

 他の誰かの親子で実験すれば良かったのか?そんなわけがない。アラガミを孕む覚悟がなければならず。そしてその第一人者の腹が使えるのなら、使うべきだ。

 サカキ博士のお守りを奥さんが持っているべきだった?

 いいや、他の全員を血の海にするのに変わりはなかっただろう。なんなら、お守りの中に入っている反アラガミ因子に負けて、産まれる事すらしなかったかもしれない。産まれるべきときに産まれなければ、母子共に危険なのは明白だ。

 だから、もうどうしようもなかったことで。そして、全てはもう終わってしまった事なのだ。

 全ては過去だ。

 誰の手も届きようがないもの。

 

「君はソーマの事を救いたいとか思わないのかな?」

「あの人は勝手に自分を救えますよ。強いですから」

「では、どうして君はいま、泣いているの?」

 

 泣いてなんかない、と言おうとしたけれども。喉がつまって言えそうになかった。サカキの言う通り、泣いていたから。

 涙をぽろぽろ落とすユウカを、サカキは興味深そうに見て、首をかしげている。

 なんだこの人、こわいでしょ。ユウカはサカキの人間離れしたところにちょっと笑って、目尻を拭った。

 

 ソーマさんって、捻くれてて、ちっとも笑わなくて、おっかなくて、無口で、口が悪くて。でもユウカが好きなのは。

 

 そんなソーマなのだ。彼だけなんだ。

 

 ソーマの過去に、同情なんて出来ない。怒りなんて抱けない。だってそういう今までがあって、今のソーマがいるのだもの。

 沢山悩んで苦しんで辛い目にあって、それでも人間が好きなあの人が好き。

 だからソーマの境遇に、哀れむことなんかしない。同情なんか一ミリだってしたことない。友達が少ないとかで一瞬したことある気がするけど、それはそれ。ソーマが生まれたとき大変な目に遭ってただとか、人より力が強いだとか、アラガミが寄り付きやすいとか、そういった事で憐れんだ事なんかない。

 けど。けれどね。

 望まれて産まれてきて、希望を託されて、本当に愛されていたんだろうに。

 ソーマがそれを受けとれなかったことが。

 どうしてだろう。

 たったそれだけの事なのに、こんなにも悲しくて、やるせないのは。

 

 ――もしかしたら。

 ユウカが一声かければ、ひとつ背中をトンと押せば。このお話はハッピーエンドになるのかもしれない。

 猫も杓子も幸せで、世界中の誰も彼もが望む完璧な幸福な未来を描くことができるのかも。

 そんな結末を思い描けないユウカは果たしてなんなんだろうか。現実主義者でも気取ってるつもりか、悲観論者のフリをしているつもりか。

 そうじゃない。そうじゃないのだ。

 だってユウカは知っている。車輪は溝にはまれば抜け出し難いし、人は道を逸れれば戻り難い。間違えたなら間違えたまま、突き進んでゆくしかないのだ。過去を変えられない以上、ひとはそれしかできないのだから。そしてユウカは今のソーマを愛している以上、過去を変えたいとも思わなかった。なんという浅ましさなのか。

 そんなユウカに言える事など。

 

「余計な入れ知恵は無用です。それで、私にどうしてほしいんですか」

「いや、まあ。別に何も?」

「……そうですか。なら部屋に戻りますね」

「おや」

「なんです」

「いや、少し意外だと思って。意図的ではなかったが、君の感情を踏みにじってしまったのだろうと思ったからね」

「……それとこれとは話が別ですから」

 

 ソーマの事をより理解する為だとしたなら、成程このディスクは近道だっただろう。

 けれど古来より、近道などしない方がマシだと相場が決まっている。正にこのディスクはそれであった。

 ソーマのことを理解したいと思う。でも勝手に過去を暴いて、傷口を抉りたかった訳ではない。

 しかし、それらはユウカの考えや気持ちであって、万人に共通するものとは豪語できるもでもない。故に、思惑がいくつかあったとしてもあくまで善意でディスクをリークしてきたサカキを、憎みたいわけでも、また同様にないのだ。

 極論してしまえば、ユウカは自分のこころなど今回の件に関してはどうでもよいのだから。

 要はどの首輪を選ぶかという話だ。

 それならば、多少なりとも自分たちの関係を慮る気持ちを持つ方に肩入れしようというもの。

 

「何かあったら、お声がけください。応えられるかは状況に寄りますが」

「それで良いとも。近々、仕事を頼むことになると思うから、その時はよろしくね」

「承知しました」

 

 表明すべきことはした。ユウカは身を翻し、ペイラーの研究室の出入り口に手をかけた。

 その背に男の声がかけられる。今まで人間の心がわからないと言った風な、傍観者を気取った感情の薄弱なものではない。

 

「すまなかったね。君を傷つけるつもりはなかったんだ」

 

 苦笑を滲ませたその声音はとても真摯には聞こえない。だがおそらく、これが彼の精一杯の誠意なのだろうということは察しがついた。

 なので、ユウカも顔だけを振り向かせて小さく、困ったように笑んだ。

 

「いいですよ、そんなことはわかっていますから。私こそ、」

 

 ユウカは人間だ。どうしようもなく利己的で、どうしようもなく自分本位で、どうしても手に入らないものばかりを欲しがる、どこにでもいる普通の少女。自分の弟一人救う事叶わなかった、無力な人間。

 きっと自分にはソーマを、一生。彼を救うことなんて出来ない。そんな女神のような聖女のような存在には、決してなれない。

 ――そんな期待には応えられない。応えられなくて、

 

「……ごめんなさい」

 

 扉が閉まる音が、嫌に空虚に響いた。

 

 

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