『私も行く』
「来るな鬱陶しい」
ソーマの生業、ゴッドイーターのその内容を幽霊に伝えた後の、約束された問答である。ソーマは齢17ながらここ極東支部の第一部隊に所属している。それだけソーマが強いからでもあるし、それだけソーマが特殊な証でもある。どちらにせよ、ソーマのすることが変わることはない。アラガミを殺す。それ以外に、ソーマがすることなどない。
『だってだって、もしお兄さんが死んじゃったら、私は一体誰に助けを求めればいいの!?』
清々しいほど自分のことしか考えてないなこいつ。
「それなりに広いんだ、俺の他に一人くらいいるだろ」
『やだやだやだそんな面倒なことしたくないーっ』
「第一、着いて来て何ができると言うんだ」
『ウッ』
この幽霊は姿も見えず、何かに触れることも、ソーマ以外に言葉を届けることすらできない。彼女には何もできない、――誰かの悲鳴を聞くだけ聞いて、わざわざ無力感をつきつけられることもないだろう。
『ほ、ほら、背後からアラガミがお兄さんに襲い掛かる前に、私がお知らせするとか』
「生憎、背後を取られるほど未熟じゃない」
『えっつよい……もしかして物凄ーく強かったりする?』
「どうでもいい」
ソーマは心底からそう吐き出した。他人の評価など大抵が宛てになるものではなく、時に低俗なものを含むことを知っているからだ。
『でも逆に言えば着いていっても私に危険なことはない!お兄さんの手を煩わせることも然り!』
「騒々しくしない、精神的に煩わしくしない、耳障りな事をほざかない、以上が前提だ」
『言語コミュニケーションが死ぬよ!!』
「くたばれ」
『もうくたばってますぅ~~!』
べろべろば~!ばーかば~~か!と喚く発声源あたりを神機で素振りするが、当然見えていないので当たらない。見えていたとしても幽霊に打撃が効くかどうかは微妙なところだ。
『いいよ勝手に着いてくから!アラガミぶっ倒されるところとか一目見てみたかったし!』
神機使いではない全人類が一度は抱く夢だろう。アラガミにさんざ辛酸を飲まされ苦汁を舐めさせられてきた人間など掃いて捨てるほどいる。ただ直感だが、彼女はアナグラの外から来た人間だろうと推測した。壁の外の人間と内側の人間とでは、例え前者の頭に元が着こうとも温度差のようなものが感じ取れる。違和感のような些細なそれが彼女の言葉の端に聞き取れた。ソーマは諦めたように勝手にしろと溜息を共に吐き捨てた。
「数が多くて嫌になるぞ」
*
ゴッドイーターは通常、最大四人編成で任務に赴き、対象のアラガミをボコボコにするものだと、頭に残された僅かな知識で判断していたが、どうもそれは少し間違っていたらしい。基本的にどの支部でもその認識で問題ないが、ここ極東支部ではアラガミの数が半端じゃないので、ふたりどころか一人で任務に出ることも珍しくないらしい。もちろん二人以上が推奨されてはいるし、そちらのほうが生還率も高ければ負傷も少ない。けれど安全面を重視したままでは、守れないものもあると言うだけの話だった。
そういうわけで今日の任務はそんな珍しくもない日常の中のひとつ、単独での任務らしい。ボルグ・カムランという大型一体と、小型アラガミを数体。私からすれば大仕事を通り越して死にに行きたいのかなこの人としか思えないが、任務内容を流し読みする彼の横顔は淡々としていて特別目立った変化もなかったので、おそらく彼らにとってはなんてことはない仕事なのだろう。恐るべしゴッドイーター。もう全人類ゴッドイーターに成れば良いんじゃないかな。
「神機に適合できない。戦う前に死にたいなら無理に止めはしないな」
『なるほどね。この先絶対神機には触らないで生きていくわ』
「もう死んでるだろ」
『あははうまーい。山田くーんこの人の座布団全部持ってってー!』
理不尽だと言いたげな彼の顔面へ効かぬと分かっていてパンチを繰り出した。当然、私の拳は彼に着弾しないまますり抜ける。温度も感触もない、二度としまいと心に決めつつぱっと二歩離れた。
ここは通称『贖罪の街』と呼ばれるエリアらしい。どうしたの核でも撃ち込まれたりでもしたの?と言う感じの名前と見た目だが、気付いたらそう呼ばれていたらしく彼も由来は知らないらしい。お兄さん職場でしょもう少し興味くらい持ってよ。さては自宅が都内駅近2LDK月三万でも気にしないタイプと見た。
『場所開けすぎてない。アラガミにどうぞ襲ってくださいって言ってるようなもんじゃん』
「あっちから来てくれるなら手間がはぶける」
『うわ脳筋。普通隠れながら少しずつ近づいて背後から奇襲とかじゃないの?頭使わない男の人って……』
「お前本当いい加減にしろよ」
『はーいごめんなさい黙りまーーす』
鋭い眼光を向けられて身を引く。怒りっぽいんだからまったく。語弊を感じられるかもしれないが、彼は怒りっぽいし気が長い方ではないが、多分、本気でキレることはないだろう。端々から生来の穏やかさが滲み出ているというか、ああこの人はたぶん、人にあまり恵まれずに生きてきたんだろうなというのがわかる。
ほら、今だって。別に黙らなくてもいい、と顔に書いてある。会話は面倒だが、私がどこにいるかは把握しておきたい。そんな顔をしている。もちろん私は良い幽霊なのでそんなことは口に出さない。
生暖かい視線を送る私の一方、彼の通信機に入電が来たらしく、インカムを指で押さえて了解と短く答える。
『お仕事?』
「ああ。下がって……いや離れ………今お前どこだ」
『貴方のすぐ右隣です☆』
「そこから動くな」
『はーい』
鈍色と鉄色で殆どを占められた彼の武器は、ゴテゴテとしていかにもな武器で、持っているだけで威圧感に苛まれそうなものだった。神機、というらしい。
彼はゆっくりと一歩踏み出し、二歩目から速度を速め、教会の入り口に差し掛かったその場所で―――現れたアラガミを神機でフルスイングして打ち上げた。
『アラガミって、あんなゴム毬みたいに飛ぶんだ……』
吹っ飛ばされたアラガミは何度か地面でバウンドして、ズザザサーッと土煙をあげて滑っていく。しかし、流石人々を恐怖のどん底に貶めたうちの一角と言うべきか、四本ある細い脚ですぐに立ち上がり態勢を整えた。大きな盾のようなものを構え、振り下ろされた神機を弾く。弾かれた反動で大きな隙が出来たその身体を、すかさず薙ぎ払う尻尾が襲った。
告白しよう。私は自分が何かできると思っていた。危険を彼に伝えたり、近場にいる誰かに救援を求めたり、例えばふしぎな力が使えたりして。この不愛想な青年を何か一つでも助けられたらと思っていた。
笑うがいい、私はこの期に及んで、自分が何かを為せると思いこんでいた。もしくはそうすることで自分の心を守っていたのかもしれない。
彼は尋常あらざる跳躍でその攻撃を回避し、着地と同時に盾の脇をすり抜けるように疾駆して懐に潜り込み、サソリのような硬質の甲羅ごとその身をぶった切った。鮮血が噴き出し、彼の右頬とフードにかかる。力を失ってころりと地面を仰向けに転がるその巨体は嘘みたいに現実味に薄れ、よくできた模型のようにしか見えない。頬を袖で拭った彼はいつものすまし顔でかるくこちらの辺りを見て、ちょうど私がいるところに向かって視線を投げた。視線は私をすりぬけて、少し後方の虚空を捉えている。当たり前のことだ、どうしようもなく。
『び、びびび、っくりした~~~!!超強いじゃんお兄さん!パな~~~い!アッお兄さんお召し物素敵ッスね!いやすごいな~~憧れちゃうな~~~!!』
「………………………」
『えっジョークだよ。やめて、そんな『うわ……』みたいな眼で見ないで……でも驚いたのはほんとだよ!お兄さんつっよ!強すぎて引いてる!』
「………………………」
『なんで反応変わんないの?意味わかんないんですけど』
「お前の方が意味が分からん。喜ぶところじゃないのかここは」
『や、なんか……なんだろ、あんまそうでもなかったや!お兄さんの手練手管が早業すぎたせいかなー』
心臓が無くてよかったと、そんな不謹慎なことを思った。きっと心臓が打ちすぎて胸を飛び出ていただろうから。
何もできなかった。しようとすることすら禁じられたかのようなスピードで事は終わり、いっそ笑い声が出た。幽霊でよかったなー心臓がないからかな、動揺という感覚もない。冷えた理性だけが空を浮いている。ああでもだからこそかな、生者相手に出しゃばれる訳がなかった。だって幽霊は死人だ、死人には先も未来もない。これは気づきたくなかったな。
『あとは小型アラガミをええっと、五体倒せばいいんだよね』
「オウガテイル。名前を知らないのか」
『んー、多分必要なかったんじゃない?だってどの種類に遭遇したって、お兄さんと違ってか弱い私は逃げるか死ぬかの二択だし』
「その生活、生きてる意味あるのか?」
『さあ。じゃあお兄さんには生きてる意味なんてあるの?』
「………そうだな。忘れろ」
『えっそこはアラガミを倒すのが生きる理由とか愛する人を守るためとか言ってよ。お兄さんそれでも青少年?枯れた老人か』
「移動する」
『あいあい。今はお兄さんのすぐ後ろにいますよーちゃんとついていきますって』
嘘ですはい。ほんとはお兄さんの目の前にいます。前も後ろも変わらない。声がどこから響いてくるかなど、乾いた風の吹く広々としたこの場所では、誰にも、誰にも。彼は一瞬眉根を寄せて後方にちらと目線だけ向けてから疑いもせず歩き出す。
私の体をすり抜けて、それを知覚することすらせずに。
*
神機が振り下ろされ、赤い飛沫が地面に散らされる。周辺に立っている者はソーマ以外になく、朽ちかけのビルは長い影をつくり沈む陽の光を遮っている。結局あの後アラガミの来襲が周辺で頻発し、こんな時間になってしまった。その間幽霊がどうしていたかと言うと。
『いやーお兄さん無敵スなぁーー!もうなんかそうやって立ってるだけで危機感とかなくなりそう!』
終始このテンションだった。もうすでになくなってるだろ、とは口に出さない。そもそも備わっていたかすら謎だ。
「帰投する」
『はーい!』
本当に死んでいるのかと思うほど元気な良い子の返事に、反射で溜息を吐きたくなるのを堪えた。彼女といるだけで溜息が癖になりそうだ。ついでに眉間の皺も。インカムに僅かにノイズが走り、その眉間の皺を一層深めた。通信が入る前兆だ。ソーマの仕事は機密性の高いものから低いものまで様々故に、基本的に無線を入れないようオペレーターに言ってある。分かり切ったことをいちいち言われるのが面倒だからという理由の方が大きいが。仕方なくマイクのスイッチを入れて相手方に呼び掛ける。
「こちらソーマ・シックザールだ。要件は」
『あっハイ!付近で戦闘中の際予定外のアラガミ、クアドリガが来襲し、討伐どころじゃなくなってしまったとのことです!負傷者は二名!救援を願います!』
「なんだと!?……チッ、了解。場所は!」
『北東五キロ!今ヘリを』
「走った方が早い!切るぞ」
『あっちょっ――』
「おい!」
『着いてくからだいじょーぶ!ってか五キロなら走った方が早いって正気!?数字の割にけっこうあるよー!?』
彼女の言葉に答えることなく走り出す。ゴッドイーターは強靭な肉体と飛びぬけた五感を持つ。ソーマは理由あって特にそれが顕著で、普通のゴッドイーターよりも、そして普通の人間よりもずっと強いし、速く走れる。
けれどそれが実を結んだことは、あまりない。
結果から言えば、ソーマは救援には間に合った。そして、一人のゴッドイーターが命を落とした。
『あの、ほら、えっと、お兄さんのせいじゃないよ』
先ほどのソーマの任務中とは大違いに、意気消沈した様子でしおらしく言葉を選んでいる。まあ人が死ねば幽霊でも狼狽えるくらいするだろう。
『着いた時にはあのひと息をしてなかったし、むしろ他三人の命を救ったんだよ!胸を張ったって良いくらいだよ!』
流石にこの状況でそれができる人間はいない、とソーマは心中で否定した。帰還ゲートが開くまでの僅かな、しかし一瞬とは言い難い、時間にして十五分の間。ソーマは目に見えない幽霊女と、少し離れた場所に居る三人のゴッドイーターは同じ場所に押し込められた。渡した神機の収容だとか、出撃中終わらせた任務の確認だとか、諸々の手続きをされるだけの時間。一日の中でほぼ毎日差し込まれるこの時間が、ソーマにとっては苦痛なだけのものだ。
歯を食いしばり、沈痛な面持ちをしている三人は、同じ任務に出ているだけあってそれなりに深い交流があったようで、死んだゴッドイーターを悼み、それ以上にアラガミに憎しみを抱いているようだ。あの顔をした輩を、今までに何度、何度も見たことか。重い空気が立ちこめる室内を、ソーマは何するでもなく腕を組み壁に背を預けて甘受した。彼らを慰める言葉など知らないし、死んだゴッドイーターをよく知りもしないソーマでは口が裂けても言えなかった。
ようやっと、帰還ゲートが機械音を響かせて開かれた。通常ではここでオペレーターの帰還を祝福する言葉や労わりの言葉がアナウンスされるところだが、流石に人死にが出た日は流れることはない。例えそれが日常茶飯事であったとしても。
動かない三人を他所に、開いたゲートから出て行こうとするソーマの耳に、届く声があった。
「クソッ……死神が近くにいたとか、ついてねぇ」
足が一瞬止まる。聞きなれた言葉だ、今更。特に思う事もない。
『死神?そんな物騒な名前のアラガミなんだあれ』
違うに決まってるだろう馬鹿か。なるほどね~!じゃない。無邪気に感心する彼女に訂正する気力もなくまた歩き出す。
「みたかよあの顔。仲間が一人死んだってのに何とも思ってねぇ」
鋭敏な耳が無意味に働き、拾わなくてもいい言葉を拾う。ゴッドイーターなんてこのふざけた幽霊が言うほど良いもんじゃない。可もなく不可ばっかりな日々に苦労と重責を詰め込んだだけのクソッタレだ。
だからそうじゃないこの少女に、この言葉が届いていなくて良いと思った。ソーマの近くにいればいずれわかることだろうけども、今は。
「幽霊のくせに聴覚は一般人並みなんだな」
『えっ何急に……聴覚どころか視覚も一般人並みだしなんなら感覚は一般人以下だよ……ついでに言えば味覚もないよ……』
「そうか。なら今日は食堂で食べる」
『お兄さんのそういうところ私直した方が良いと思う!ひどい!!』
今回はここまで