「えぇぇ~~~ッ!」
「あの、今…‥何て、」
「ふむ。何度でも言おう。これはアラガミだよ」
「ちょっ、まッ、あぶ!」
「えっ?あっ……」
「いやなんで驚いてんの?この人が興味を示すことなんてアラガミの事じゃん大抵」
「茶番だな」
「脅かし甲斐が無いねえ君たちは……。まあ彼等の言う通りだ、みんな落ち着いて。これは君たちを捕食したりはしない」
これ、と呼ばれた少女。厳密に言えば少アラガミは、脚を投げ出してぺたんと床に座り、暢気にゆらゆら身体を揺らしている。
「知っての通り、全てのアラガミはね、『偏食』という特性を有しているんだ」
「アラガミが、個体独自に持っている捕食の傾向……私たちの神機にも利用されている性質ですね」
「その通り。マ、君たち神機使いにとっては常識だね」
「……知ってた?」
「当たり前だ」
「ちゃんと講義聞きなよ」
「きッ、聞いてるしー!」
「そうだね訂正する。全部、聞きなよ」
「……へーイ」
「このアラガミの偏食は、より高次のアラガミに対して向けられているようだね。つまり、我々は既に食物の範疇に入っていないんだよ」
「オナカスイタ!」
「……ホントッスよね?」
「ハハ。大丈夫だよ。誤解されがちだが、アラガミは他の生物の特徴を持って誕生するのではない。あれは捕食を通して、凄まじいスピードで進化しているようなものなのだ。結果として、ごく短い期間に多種多様な可能性が凝縮される。それがアラガミという存在だ」
「世代交代の証拠はあるんですかー?でなければ進化じゃなくて成長ですけどー」
「はいそこうるさーい。ともかく、これは我々と同じ、『とりあえずの進化の袋小路』に迷い込んだもの。ヒトに近しい進化を辿ったアラガミだよ」
人間の進化を袋小路て。
ユウカは思わず苦笑を漏らしつつ、ヒトに限りなく近いアラガミを見やる。
基本、進化とは必要に迫られて遺伝子が発現させるものだ。原初の生命、熱水から押し出された場所でも生きていける形へ進化したメタン菌や、光合成で生きていけるようになったシアノバクテリアのように。
もしアラガミがしている事が成長ではなく、進化であるならば、この小さなアラガミは『必要に迫られて』人間に近い姿になったのだ。
「先ほど少し調べてみたのだが、頭部神経節に相当する部分が、まるで人間の脳のように機能しているみたいでね。学習能力もすこぶる高いと見える。実に興味深いね」
「人間に近い……アラガミだと?」
姿はともかく、中身まで。
ソーマが隣で目を瞠る。
人間を欺くために見目を真似るのは理解できる。だが、中身、つまり脳まで寄せていくとなると、これはかなり困難かつ、ほぼ天文学的な確率だ。何しろ、人間が生まれるまでに実際46億年かかっているのだし。
なのにこの子は人間になった。いくらアラガミが凄まじいスピードで多種多様な進化を辿っているのだとしても、あまりに作為的なものを感じる進化だ。
「一応聞いておきますが、人工じゃないですよね?」
「その可能性も勿論ある。けど、限りなく低いだろうね。アラガミを創る、というのは。案外、うん。案外、大変なんだよ。ちゃんとした設備や装具がないと、ほぼ不可能だ。それも、僕やヨハンレベルの天才が不可欠だね」
「なら、どうしてこの子は人間になったんでしょうね」
膝を曲げて腰を落とし、白いアラガミと目を合わせる。ガーネットの眼はユウカを捉え、ふわりと柔らかく歪められる。
絶対的強者であるアラガミが、わざわざ弱者の元まで降りてくる事は無いだろう。
それでも欲しいものがあったのだろうか。そうまでして。
「ユウカ」
「ん?」
「止めろ」
「う、わっ!」
首根っこを掴まれ、ソーマの背後に引きずって回される。
急に何。
長い腕に阻まれ前に出ることも叶わず、上半身を逸らしてソーマの表情を窺う。
「お前は寄るな」
「はあ?私リーダーなんですけど」
「そんなものが俺に効くとでも思ってるのか?」
「効くと思いたいわ。そんなサクッと命令無視しないで?」
「……………」
「ねえめんどくさくなったら黙るのホントどうかと思う!」
何をどうあってもユウカをこの子に近付けない心算らしい。鼻に皺寄せて睨むが、一向に効いている様子もない。
けれど伸びた腕がどんなに力を込めても動かないから、ユウカは諦めて大人しくその場所に甘んじる事にした。
というのも班員たちからも同様の視線を頂いていたからである。「そこから動くな!」と言わんばかりの目力に、流石のユウカも多少は怯む。
「はいはい。何ですか皆してー」
「ユウカは絆されやす過ぎそうですので、当然の判断かと」
「そーそ!油断したところをガブリ!ってそれホラー映画で何べんも見たから!」
「よっぽどの空腹じゃない限り、アラガミは同じような姿をした同胞を食べようとはしないと思うけれどね」
「それでもです。ユウカ、この子と接触するときは絶対誰かと同伴でね、できればソーマと」
「わあ手厚い対応。おかしいなあ私がリーダーだったような気がするんだけどなあ!」
「二度もリーダーを失う体力は第一部隊には残されてないの。貴女の人間のレンジ広そうなんだもの」
「はは……」
既にこの女の子を人間と同等に扱っても問題なさそうだなー、と考えていたことは言わぬが花だね!
ニコ!と笑う事で視線を逃したのを悟らせず、ユウカはきゅっとソーマの外套の端っこを握った。
「わはは。じゃあ講義はここら辺にしておこうか。ああそれと最後に、この件は私と君たち第一部隊だけの秘密にしておいて欲しい」
「はあ。まあそうなりますよね」
「えっ、いやでも教官と支部長には報告しないと……」
「いやー、ここに連れて来た時点でアウトでしょ。ですよね博士」
「だって天下に名立たる人類の守護者が秘密裏にアラガミを前線基地に連れ込んだなんて、ちょっと外聞が悪すぎるからね!」
「テメェでわかっててやっておいてぬけぬけと……」
「私の研究の、貴重なケースのサンプルなんだ。この部屋は他の地区のインフラや通信環境とは独立させてある。当然、対策は万全だとも!」
「ヮー……最低ですね、博士」
「ドン引きです」
「我々は既に共犯なのだ!それを覚えておいて欲しいね」
「戦争において自軍での死因ナンバーワンは部下からの謀反らしいですよ」
「覚えておいて!欲しいね!!」
圧がすごいな。
引き攣った笑顔を浮かべたユウカに、サカキが再び詰め寄る。
鼻と鼻がくっつきそうな至近距離。まったくドキドキしない急接近の内に、僅かに囁くように、唇を動かさずサカキが笑う。
「君だって、今している個人的な活動について、余計な横槍を入れられたくないだろう?」
「………まあ、そうですね。全員、このことは内密に」
ユウカは舌打ちとまではいかないが、ちぇっ、と唇を尖らした後、肩を竦めて隊員にそう告げる。四人も、渋々といった感じではあるが様々に頷きを返した。
「うんうん。頼むね!それから、この子の相手も頼むよ。ソーマ、君もね」
「ハッ、笑わせるな。化物と話してどうする。他を当たれ」
「ちょっと、ソーマさん」
「お前が何と言おうと事実は変わらねえんだよ。俺は」
「それもだけどそうじゃなくていい加減放してよーっ!」
「両方NOだ馬鹿が。良いから行くぞ」
「良くない!」
じたばた藻掻くが、拘束はなんならぐるりとユウカの腹当たりに回り、胃が出ちゃいそうなくらい絞められる。散歩終了を嫌がる犬を抱える飼い主を見るくらいの眼で見てくる隊員たちはそれを生温かい視線で見送るのみで、特に救出の兆しはない。
はなし聞いてーっ!という叫びが研究・医療関係用の廊下に空しく響いた。
「そりゃあ私はね、ソーマさんが化物だろうが人間だろうがゴッドイーターだろうがアラガミだろうが気にしないけども。他の人は違うわけですよ。自分で認めちゃったら他の人も「ああそう言う感じなんだ!」って思うのはモノの道理なわけで」
「その話長くなるか?」
「ねえホントに私の扱い雑過ぎじゃない?何?倦怠期?」
むしろその逆だ、とソーマは零しそうになって口を噤む。
大事だから、愛しているからだ。ソーマにとってユウカは、間違いなく生涯、何ものにも代えられない。
そうして視野が狭くなる。
本当はゴッドイーターになるのだって、やめてほしかったくらいなのに。
ユウカを一旦降ろして、ソーマは彼女に向き直る。そしてその両手を握った。小さい、温かく、白い手。ゴッドイーターの治癒力を以てしても、傷だらけの手だ。
「……なぜ」
「うん。どうかした?」
「何故、あのアラガミに手を差し出そうとした」
湖のようなブルーと混ざったエメラルドグリーン・アイ。その瞳がどんな形に歪むのか、それがどういう感情なのか。ソーマには、ソーマにだけはわかるのに。
「なんだ、そんなこと。あの子が無害だって事は、サカキ博士の態度を見ればわかったし、逃げられたらまた探し直しになっちゃうでしょ?なら捕まえておいた方が無難かなって思っただけだよ」
桜庭ユウカが強靭すぎるから。
彼女がゴッドイーターになる事をたった一つぽっちの約束で容認してしまったから。
「……教官への道に興味は?」
「なにそれ急に」
「ゴッドイーターを辞める気はないのかと聞いたんだ」
「えー?当面は無いよ」
「アラガミが恐いくせにか?」
ユウカはぱちぱちと瞬きを数回繰り返し、それから笑顔で言った。
「うん。だってみんながリーダーに推薦までしてくれたんだもの。誠心誠意、頑張るよ」
ユウカのその笑顔は嘘ではなかった。ただ、願うような笑顔だっただけだ。祈るように、誰かへ捧げる為の笑み。
――彼女の過去を聞いた時と同じ顔だ。
自分の痛いところをイチから全てここれこれこういうコトですと話して、これが全部の顛末です、と滅茶苦茶に傷ついた顔で微笑う。
だからこそ、ソーマは踏み込めない。
それは彼女の願いを踏みにじることだから。彼女の自由を取り上げる事だから。
ユウカの覚悟を、喪わせてしまうことだから。
ユウカの言葉はいつだって、正しくて、優しくて温かく、なのに、まるで彼女自身を苛んでいるように聞こえる。
嗚呼、なんて。
「面倒くさい……」
「聞いておいてそれぇ!?」