ポップなイラストが描かれているカードをぺらっと一枚一枚掲げた。
「これは?」
「りんご!」
「じゃあこれ」
「ばななー!」
「この問題の正解は?」
「えっと、にじゅーさん!」
「惜しい。24です。1+3は?」
「よん!……あ、そっか!」
「そうそう。じゃあ次はね」
「いつまで続ける気だ……」
苛立ちのような呆れのような感情が混じった表情で、溜息と共にソーマがそう吐き捨てる。相対する少女二人はきょとんとして、行儀悪く机に座る青年を見上げる。
床にはユウカが持っているカードが複数散らばっており、他にも知育用の玩具や絵本が散乱している。どれも対象年齢は5~7歳あたりのものばかりで、この部屋の主の知能指数がどれほどかを物語っている。その一方で、齧られた冷蔵庫やら机が存在しているのは、なんというかカオスだった。
「いつまでって……この子がフツーに喋れるようになるまで?」
「もう充分なように見えるが」
「そんなことないよー、この子もっと流暢に喋れるよ」
「りゅうち?」
「りゅうちょう」
「りゅーちょー」
「そう流暢。お喋りが上手ってことよ」
「ほへー」
「ソーマさんの対義語とも言うわ」
「たいぎご!はんたい!さかさま!」
「そうそうよく覚えていました。偉いね」
「うはは!えらい?いいこ?」
「うんうん。良い子良い子」
「テメェら……」
「やだーソーマさんこわーい」
「こわいこわーい」
ダブルでウザい。
言動がガキを通り越して乳臭い二人はきゃっきゃっと黄色い声を上げながら身を寄せ合っている。それを最早ソーマは止めていない。
この白いアラガミ少女がラボに来てから、実に一週間の日にちが経っていた。
その間中、ユウカは毎日毎日このアラガミ少女の元へソーマを引きずって突撃し、こうして彼女を半ば育てるように相手を自ら仕っていた。
当然最初は第一部隊総出でやめろばか近づくな不用意に抱きつくな仲良くし過ぎだろ相手アラガミだぞバカバカやめろ、とユウカを止めていたけども。
このリーダーはそんなことで留められるほどヤワじゃないし、流される性質でもない。
「私にはこの子が人間になろうとしているように見えるよ。アラガミなら討伐しなきゃだけど、人間になりたいなら私はそれを手伝いたいよ」
と言って微笑むユウカに、彼女に背中を押してもらった経験のある奴らはこぞって伸ばした手を引っ込めるしかなかった。
そういう優しくてめんどくさい貴女だから、自分たちは。
肩を落とした隊員たちはそうなったらもう方向性を変えて、ユウカに協力するようになった。だって彼女もそれを求めているから。
その結果どうなったかと言えば。
「ちーっす」
「ただいまです」
「こんばんは。様子どう?」
「お、かえり!」
「三人ともおかえりなさい。任務の首尾は?」
「オレむーきず!」
「私とアリサも擦り傷程度よ、もう治ったしね」
「予定より五分ほど早く討伐出来ました。こちら報告書です。よろしくお願いします」
「ありがと。今チェックしちゃうね」
「君たち」
「あ、サカキ博士こんばんわーッス」
「お邪魔してます」
「うん。うん。この子の面倒を見てくれとは確かに言ったけども。ここをたまり場にしてくれとは言ってないんだけどなァ!」
「隊員全員に世話を頼んだんだんですから言ったも同然では?」
「コイツらが交代交代に来るとでも思ったのか?」
「そんなバイトのシフトじゃないんですから……」
「私が悪いのかい!?」
「声デカ」
平時でも騒々しい第一部隊だが、この部屋の中ではより一層騒々しい。余人の眼もなければ教官もいないし、目を離せない少女も居る。当然の帰結だった。
「そんなことより博士、この子の学習能力的にもうこの教材じゃ不十分です」
「え?昨日まではこの絵本好きじゃなかったかな?」
「すきだけど、あきたー!」
「ヮァ……わかった。早めに用意しよう。だからその準備不足ですねみたいな顔をやめてくれないか!こんなに早いとは思わなかったんだよ!」
「被害妄想ですよ……」
やっと見つけた貴重なサンプルなのに目まぐるしく変化していって大変だなあとは思っているが。サカキの眼の下は隈で真っ黒である。データ採取と検証考察に何日寝ていないのだろう。
その割には元気に大声出してツッコんでいるのだから、研究者ってホントタフだ。もしくは研究対象に巡り合えたことでハイになっているのかもしれないが。
「こちらからも彼女について提案があるんだ。全員居てくれて丁度良かった」
「提案?」
今まで割と好き勝手やらせてくれてたので、ここにきて改まって言われてしまい、ユウカは思わずサカキの言葉を鸚鵡返ししてしまった。
驚いたのはユウカばかりでなかったらしく、四人も不思議そうに小首を傾げたりサカキの言葉の続きを待っている。
「この子に、名前をつけて欲しい!」
名前。
ギリシアにおいて、『言』という単語は特別な意味を持つ。単に言語を意味するだけのものではなく、物の本質、原理、理法、法則をも指す言葉だった。『ヨハネによる福音書』冒頭の一節には『初めに言があった。言は神と共に在った。言は神であった。この言は、始めに紙と共に在った。万物は言によって成った』とあるが、これは『言』を不可解な神の存在を補完する媒介としたのだ。
これが転じて、名前もまた本質や魂を象徴するものだとされ、その人間を支配するとまで言われている。
アニミズムとか、言霊信仰とかいうやつだ。しかし、精神医学的にも名前は自意識の形成に大いに関わるとされている。
名前をつければ魂が宿る。自意識が成立する。
それはおそらく、このアラガミにでさえも。
「名前、ですか」
「そういえばつけてませんでしたね」
「私たちが決めてしまって良いんですか?」
「勿論。むしろ是非君たちにつけて貰いたい」
「博士だといかにも神々しい名前になりそうですもんね。スーリヤとかイシュタルとかデメテルとか」
「流石にそこまで露骨なものはつけないよ!?」
「なんそれ」
「あちこちの地域での神の名前ですよ。少しは本を嗜まれたらどうですか?」
「承知しましたー、だ。ってか、名前、名前かー……あ、はいはーい!良いの思いついた!」
「はいコウタくん早かった」
「ノラミ!」
「アリサは何か良い案ある?」
「なかったことにされたーッ。いや良いじゃんノラミ!」
「尚も言い募ろうとするその根性は買うよ。けど却下。リーダー権限」
「そこまで!?」
「ドン引きです……でも、急に言われてもぱっとは思いつきませんね。やっぱり日本名の方が良いんですか?」
「あくまで個体を識別する為の名称だから、私としては呼びやすければなんでも良いよ」
「良いわけないでしょ博士は座ってて下さい」
かつてない程冷静に対処されたサカキが心なし気落ちした風な表情で部屋の隅っこに腰かける。
同情心は全く湧かなかった。急にサイコパスみを出して来ないで欲しい。
「そう言うユウカは何かいい案ないんですか?」
「やめろこいつにネーミングセンスを求めるな」
「ちょっと!ひどくない?そうだなあ、名前がないんだからナインちゃんとかどう?」
「ほら見ろ」
「こいつはひでぇや」
「ある意味コウタよりもひどいわね」
「え?俺コイツと同等なんスか?」
「似たり寄ったりでしょう」
「目クソ鼻クソだな」
「はい200fc」
「は?ク、……チッ」
チャリンチャリーンと虚しく機械音が端末から鳴り響く。
何にも一向に解決しない。ウンウン唸る四人に、ソーマが一つ深く溜息を吐いた。
「もうシロとかで良いだろ」
「いや犬じゃねーんだから」
「ならシオ」
「そんな変わってなくないですか……」
「まあでも、今までは一番マシかしらね」
まだ再考の余地ありかな~でも他に名前も思い浮かばないしな~という雰囲気が流れる。弛緩した会議室みたいな間延びした中、白い少女がぴょこんと頭を上げた。
「シオ!」
「うわびっくりした」
「シオ!いい!シオ!」
少女のきんいろの双眸が、星のようにきらきらと輝く。どうやら気に入ったみたいだ。
名付け親となったソーマを上目で窺いながら、くすくすと小さく笑う。
「だって」
「えー。ノラミは?」
「ヤダ」
「それはそう」
「シオちゃんね」
「シオ、チャン?」
「シオの事だよ。シオが可愛いなって意味」
「カワイイ?」
「また当たらずとも遠からずみたいなテキトーな説明を……」
「ちがうのかー?」
「違うわけじゃないが」
「じゃあシオ、カワイイのか!?」
「コウタ、パス」
「うおおい!そこは答えてやれよ!シオ可愛いだろ!めちゃカワだろ!な!?」
「ソーマさんはシャイガイだから……シャッガイだから……」
「星に帰れェ!」
「シオ、カワイイのかー、そっかー」
「こっちはこっちで納得してますし……まあソーマにとって可愛いのはユウ、ッッだ!!ちょっと!叩かないで下さいよ!」
「いらんとこばっかリーダーに似るんじゃねえよ」
「あら。じゃあ正解ってことね」
「私を褒める言葉が聞こえたような!」
「してねーよ座ってろ」
「はい……」
にょきっ、と暢気な効果音と共にソーマの横から生えるように飛び出してきたユウカの頭を、ガッと浅黒い手が音速で片手で掴んで抑えた。
あんまりな対応に、主に女性隊員からの視線が生温かいものになる。当然それに比例してソーマの視線も雰囲気もどんどん冷えていく。ユウカからしてみれば、なんかちょっと目を離した隙に状況が意味不明になったばかりか恋人の強情さも握力も強まっていく結構な恐怖である。精神的にも物理的にも頭が痛い。
「要件は済んだだろ。俺は帰る」
「主語と行動が一致してないんですけど!ずがいがずがいが!DVだよこれ!DVDだよ!」
「かえ、るー?」
「自分のお家に戻るって意味ですよ、シオちゃん」
「やだ!」
「うえっ」
全身をバネのように使って、白い少女がユウカに飛びつく。飛びついたばかりか、イヤイヤと言わんばかりにユウカの腹周りに抱き着いてぎゅうと腕を回した。
本来なら「あらお母さんと離れたくないのねうふふ」で済ませられる微笑ましい風景だが、事実としてシオはアラガミであり、その腕力はゴッドイーターに劣らない。
よって、ユウカの腹はギチギチと締め上げられ、物理的にオレンジ1個分くらいのウエストになった。
「シオはなして出ちゃう出ちゃうから」
「かえるやだー!」
「コレ殴って良いやつか?」
「良いワケないでしょう!?シオちゃん、ホラ、弛めないとユウカ苦しいですから。うわ力強っ」
「ぜんっぜ放さねー!シーオ!ユウカ死ぬからそれ!放せって!」
「シオちゃん、ユウカまだ帰らないって」
「そう!コイツまだ帰らないから!シオと一緒にいるし一緒に遊ぶから!」
「そうです!ほらシオちゃんみんなで一緒におままごとしましょ!?ね!?」
「ホントホント!」
三人がかりでシオの腕を引っ張り、本人の意志まるきり無視な提案を口を揃えて言えば、シオはようやっと腕を僅かばかり弛ませた。
お気に入りのテディベアを抱き締める強さ程度になった腕の中で、ユウカがやっとまともに息をし始める。顔色が青色から戻らなくなるかと思った。
「シオ。おままごとも良いけど……早めに力加減を覚えようか」
「かげん」
無垢な少女が金色の眼を瞬かせる。
普通の人間が息をするようにしている加減というものは、幼少期に同年代と喧嘩したり触れ合ったり、小さな生き物と交流したりして学ぶものだ。
だがシオを同年代の子に交えさせるには、彼女は少し特殊すぎる。しかも彼女はまだ、「誰かを傷つけてはいけない」という事すらわかっていない。絵本をどれほど読み聞かせても、どれだけ言葉を並べても、こればかりは実感しないとわからないものだ。
手っ取り早く目の前で腕とかナイフで刺して見せようかしら。いや絶対やらないけど。万一真似されたら困るし……。
「…………」
「ん、シオ。どうかした?」
「ゆーか」
「はっ?」
「おっ」
「あら」
「えっ」
「おやおや」
「………わあ」
個体名を理解するのはそんなに遠くないだろな、と分かってはいたけれども。成程凄まじい成長ぶりだ。
それはともかく。まさかとは思ったがよもや本当に。
「ユーカ!ソーマ!」
んへへ。とユウカとソーマへ真っすぐに向いて、シオがかわゆく笑う。
あからさまに嫌そうな顔をしたソーマの一方、ユウカは「そうそうユウカとソーマだよ。えらいえらい」とニコニコ。お姉ちゃんの手でシオをよしよしと撫でた。真白の少女の本質がアラガミであることを除けば、実に微笑ましい光景である。
だが一瞬だけユウカの顔に浮かんだ、何処か居心地悪そうな、「しまった」とでも言いたそうな気まずげな表情。正面に居て、今撫でられている少女だけはそれを見留めていた。