支部長が居ようが居なかろうが、任務は存在する。事前に課されたものもあるし、遠い海の向こうからわざわざ届く特殊な指示もある。
次々とあらゆるアラガミが、まるで段階を踏むように討伐対象になり、複数体を相手取る事が日常になり、戦闘もより熾烈になっていく。血生臭い戦場が増えた。
いくつもの任務を連続で受けるのはワケないが、中型・大型の任務を十を超えると嫌になる。もちろんそんな数の任務を、ずっと同じパーティでは熟さない。いくつかの隊を梯子するのは大変だが、その分合流までには自由時間が幾らか許されている。
なので、こういうことも可能だ。
「久し振り、ユッキー」
「よっ。元気そーじゃん、ゴッドイーター」
「まあね」
携帯食料に満たない、栄養のみが凝縮された錠剤をバリボリと噛み砕く。その様を見て元気そう、とは皮肉を通り越していっそ笑い話だ。
朝霧ユキト。
かつてユウカが身を寄せていた集団のトップであった男。あの時逸れてそのままそれっきりになった男は、再会してみれば呆気ない程変わりがなかった。
白髪とか生えてたら一生からかったのに。清潔な身なりのユキトには髭の剃り忘れすらない。
「はい、頼まれてた物資」
「サンキュ。そんでこっちがお前のお求めのブツだ」
「バイヤーみたいな言い方やめて?ただの回復錠でしょ?」
「間違いなくバイヤーだろ。ゴッドイーター専用の物資なんざ外じゃゴミよりひでえ価値だぜ、それと物資を交換なんざ」
「しょーがないじゃん。個人的にはそこそこ差し迫った問題だもん」
溜息を吐きながら、貰ったばかりの回復錠を打ちこんだ。じわじわと熱を持って、患部が急速に癒えていく。詰めていた息を、ゆっくりと吐きだした。
大物を何度も何度も何体も何体も相手にしてれば、どんなに上手く立ち回っても怪我をするし、生傷の上に傷を重ねていく。ゴッドイーターの身体を以てしても、自然治癒が追っつかない傷跡。
これは流石に不味い。皆に無用な心配はかけたくないし、かと言って黙って隠し通せるほどの瑕疵ではなく。購買で回復用のアイテムを大量に買っていたらバレるのは時間の問題だ。
となれば外部でルートを確保するしかない。幸い、ユキトも言っていた通り、外ではゴッドイーター専用の物資は何の役にも立たない。どれもこれも、常人に使うには却って毒になってしまうからだ。
そしてどうせなら信用できる顔見知りから買いたい。そんなユウカにとって、偶然再会したユキトは正に僥倖だった。
「それで、本命のブツは?」
「呼び方お前もそこそこ気に入ってんじゃん……成果なし。悪いな」
「ん、そっか」
さして残念でもなさそうに頷くユウカに、ユキトの方こそが痛切そうな顔をする。
「良いのか?」
「見つかってないってことは、上手く隠れられてるって事でしょ。よく言うじゃん、便りが無いのが元気な証拠って」
「戦時かよ」
「似たようなもん似たようなもん」
「死体も残らないのが今の時代なのにか」
「残ってないなら、」
残ってないなら、それはそれでいいんだ。そう言おうとして、止めた。あまりに夢見がちな台詞だったからだ。
「……残ってないなら、仕方ないよ」
だから真逆の言葉を口にしたのだけれど、ユキトは年長者の性だろうか。そんなユウカの虚勢はお見通しで。
昔よくしたみたいにユウカの髪をくしゃくしゃーっと雑にかき回すように撫でた。ユウカはきゃーやめてーと黄色い声を上げてはしゃぐ。
ユキトが「悪いな」と何の脈絡もなくそう呟いた。ユウカは「なんのこと?」となんにも知らないフリして笑った。
二人の空気を、ユウカの着信音が切り裂く。
ノータイムで通話を開くと、連絡してきたのはコウタだった。ひどく切羽詰まっている様子である。
『ユウカっ!?今、どこ!』
「仕事帰り。鎮魂の廃寺付近だけど、何があったの?」
『博士のせいっつーか、女子二人のせいっつーか、シオに服を着せようとしたんだよ、流石にあのカッコのままじゃアレだからってさ。んでシオが元々なんかちくちくするって嫌がってたんだけど、そのまんまにするわけにはいかねーじゃん!?』
「ワケは後で聞くから、結局どうなったのかだけ教えて」
『シオが研究室の壁ぶち抜いて家出した!行方不明です!』
「行先に心当たりは?」
『わかんねー!』
「了解。すぐ捜索に入る。経緯はメールで送っといて」
『こっちもすぐ合流する!』
「慌ててたからって軽装備で来たら殴るって全員に言っといて。到着五分前に連絡。以上」
『了解!』
またぞろメンドクサイ事になってるみたいだ。ゴッドイーターってこんな大変な職業だったんだなぁ……。
ふふ、と現実逃避気味の掠れた笑い声を漏らして、ユウカは首をふりふり立ち上がった。ユウカの仲間たちはみんな優秀なので、ユウカがいなくとも勝手に解決できるだろう。
しかし悲しい哉ユウカはリーダーなので、誰より奔走しないといけないのだな。
「ありがとねユッキー。私もう行くね」
「おう、頑張れよ」
「うん。またよろしく」
ユウカがそう返すと、ユキトは何とも言えない表情のまま口角を上げて「応」と頷いた。
その微妙な表情の意味を問おうとして、また今度で良いかと思い直す。今最も優先すべきはシオとシオの安全確保であって、ユウカの感じた喉にひっかかるような些細な違和感ではない。
ゴッドイーターの健脚で雪を抉るほど速く駆け出して、ふと、ほんの微かに苦笑する。
「また、って」
そんないつかをふと口にするようになるなんて、自分は随分傲慢になったもんだ。
無意識に、先程クアドリガのミサイルにブチ抜かれた脇腹に手を這わす。回復錠のおかげですっかり治って、もう痕も無い。
無い筈だが、疼くような気がするのだ。
今日また傷ついて、そしてとっくの昔についた傷の場所。未だ癒えぬ痛みの宿る場所。生涯背負うべき瑕痕は今も、ユウカのそこできちんと生を主張し続けている。
*
いつまでも襤褸布を纏うだけの姿ではかわいそうだろう。というサカキによる余計な思い付きまでは良かった。
しかしそこに女性群が加わると奇妙な化学反応でも起こるのか、それとも第一部隊とシオの相性が悪いのか、どうも予想の斜め上を行く結末になりがちである。
どうにか普通の服を着て貰おうとあれこれ着せ替え人形になったシオは、サクヤとアリサの手から逃れる為部屋どころかアナグラに穴を開けて外へ飛び出した。
ソーマとしてはこのまま帰って来なくても良いぐらいだったが、他の面々、特にユウカはうるさいだろう。化物が化物らしく外で生きていて何が悪いのか、さして弱くもないのだし。
溜息を堪えながら、しかし呆れを隠しもせずに呼びかける。
「おい、居るんだろ」
朽ちかけといえど、本堂は広く、天井も高くて、ソーマの声を内へ大きく響かせた。金色の剥げた仏像の裏までしっかり届いた声に、神妙そうな、それでいて暢気そうな言葉が返ってくる。
「いないよー」
五歳児以下の返答に、ソーマは軽く天を仰いだ。何が、成人程の知能、か。
「遊びは終わりだ。とっとと帰るぞ」
「ちくちく、やだー!」
一つやりとりするごとに、ソーマの中でシオの精神年齢がどんどん引き下がっていく。シオに自我が芽生えたのは極めて最近なので、ある意味、間違ってはいないのだが、それにしたって、赤子っぽく過ぎはしないだろうか。成人なのはナリだけだ。
「所詮、バケモノはバケモノか」
「バケモノじゃないもん!」
仏像を罰当たりにも蹴っ飛ばして、かくれんぼは終いにしたこどもがソーマの目の前に着地する。
しかし勢いが良かったのは最初だけで、目には小さな怒りの火が灯ってはいるものの、全身からはしょげたオーラを放っていた。
「シオ、ユーカのトクベツだもん。バケモノちがうもん……」
ユウカの言葉がソーマの脳内で何度も思い起こされる。
シオは人間になりたいと願っているのだ。
だからこそ他の、それらしい服を着るのも最初は乗り気だったし、幾分かは我慢していた。文字を覚え、言葉を覚え、色々な感情を知った。
ソーマとしては、
「そうまでしてか」
と思った。
そうまでして、彼女は人間になりたいのだろうか。
それは犬が猫になりたいと望むような事ではないのか。
猫に育てられようと猫に焦がれようと猫を模倣しようと、犬は犬だろう。猫にはなれない。ずっと中途半端なまま、変わり者の爪弾き者のままだ。
「うんとな、シオね」
ソーマの心からの純粋な疑問に、シオは吊り上げた目をいつものようにころころとさせて首を傾げた。ウンウン考えながら話を続ける。
「ユーカが笑ってるのすきだな。イタダキマスよりすきだ。でもな、ユーカ、ときどき、オナカスイタみたいなかおをするんだ」
「それは、……どんな時に?」
「シオを見て、たまに、まれに?そーいうかおをする」
それは彼女の言葉通りそのまま空腹という意味ではなく、たぶん、切なさとか、かなしみとかいった意味だろう。
ユウカはシオを大切に想うくせに、大切に想い切れていないところがある。
明るくて無邪気で優しくて、ユウカに見えない世界を見せてくれる存在。彼方にあって、けれど今尚痛みを伴い、すぐ傍に存在するその傷を、嫌でも想起させるからか。
「それにな、ユーカ、いつも傷だらけだ」
「……ああ、そうだな」
ゴッドイーターをしている以上、無傷である時間は存在し得ない。戦っているのだから、当たり前のことだ。
ユウカは強くなった。脚が震えることはなくなって、アナグラでトップクラスの実力を持ち、支部の誰もが彼女を頼るようになった。軽口も鳴りを潜め、向こう見ずな行動や、問題行動を起こすこともなくなった。
なのに。
何故こんなにも不安に駆られるのだろう。
「ユーカがきずつくのヤダ。でも、……でも、シオも、ユーカをきずつけるアラガミのなかまなんだ。ユーカがこわいアラガミなんだ」
「アイツはそれのせいでお前を差別なんかしねえよ」
「うん。でも、シオがヤダ。ユーカがこわがるのもきずつくのも全部ヤダ。だから、人間になりたいな。ソーマはシオが人間になれると思うか?」
「知るか」
「うへへ、そっか。うん。だからな、ユーカのトクベツがいい。みんなのことだいすきだから。人間がいいな」
恥ずかしそうにそう言って笑う彼女は、とっくに人間の表情をしている。
そして同時に納得もした。
彼女は自分の為に人間になりたいんじゃない。ユウカの為に人間になりたかったのか。
シオは多分、本当の所は人間になるとかアラガミだとかどうでも良くて。ただ、ユウカとずっと手を繋いでいたいだけなんだ。
それだけなんだ。
「……俺も、お前みたいに素直になれたらな」
「ソーマ、スナオじゃないのか?」
「……………ああ、癪だけどな」
「ソーマ」
「今度はなんだ」
「シャクって……うまいのか?」
「……フハっ、お前はちょっとは真面目にユウカの授業を聞けよ」
「きいてるよー!ユーカのおはなし、大好きだもん!」
あまりに神妙な顔をして真剣に尋ねてきたものだから、ソーマは堪らず軽やかな笑い声をあげた。
今まで拒んできたが、今なら認められる。
ソーマとシオは、確かに似た者同士なのだ。確かに信じられる大切なひとを見つけて、叶わぬとも知れぬ願いを叶えようと藻掻いている。
自分と似ていて、だが正反対なこの小さな存在に、少しは、ユウカの近くに居ることを、確かに今は許すことが出来た。
*
走り続ける内に、そう遠くまで離れていなかった鎮魂の廃寺エリアへ入った。
事の経緯はメールにて既に確認している。知恵の実を食べていない彼女には、まだちょっと早かったかもしれない原因が並んでいた。愛らしい家出に思わず微笑む。
不意に奥の方より微かに、声らしきものが聞こえてきた。静かな雪の中で耳をそばだてる。
ソーマの声だ。それにシオも。
最奥の朽ちかけた本殿へ足を運べば、詰め寄るようなシオと、神機を肩に担ぐソーマが話をしているようだった。何の話をしているのだろ。
「――ハハっ、お前はちょっとは真面目にユウカの授業を聞けよ」
「きいてるよー!ユーカのおはなし、大好きだもん!」
いや本当に何の話をしてるの?
シオが着衣の件で飛び出したのではなかったのか。それがどうしてユウカの話になるのだ。
やや困惑しながらも、シオが無事であったことに安堵しつつ手を大きく振って呼びかける。
「ソーマさん!シオー!」
「っユーカ!」
「ぅわぷッ」
弾丸みたいに跳んできたシオが、ユウカの顔面に文字通り張り付く。後方に壁の無い蝉ドン的なハグをされた。首からしちゃいけない音がした気がする。
ユウカは実質キャメルクラッチをされつつも、シオの背中を優しくぽんぽんと撫でた。
「心配したよ、シオ」
「うー、でもでも、チクチクやだよー」
「嫌なら嫌ですってちゃんと言って断って。突然出て行かないで。危ないでしょ?」
「………ぉめんさい」
「うんうん。みんなにもごめんなさいしに行こうね」
「いっしょ?」
「ご要望とあらば、ね。お姫様」
シオを腕の中に抱え直してまるい頭に気取って口付けた。シオは「うははー」とにまにま笑って、猫みたいに身体をくねらせてユウカに擦りつく。
「ソーマさん、お疲れ様」
「お前もな。仕事中だったろ」
「終わってたから大丈夫」
「怪我は?」
「大丈夫、もう治ってるくらいのものばっかだよ」
「そうか」
パッと見でユウカに大怪我の痕がないとわかったのか、ソーマの目元が微かに和らぐ。同時に、ユウカも安堵の息をこっそりと吐いた。
装備品に替えの服を入れておいて良かった。怪我は回復錠で治せるが、服を元通りには出来ない。今度からは、怪我をする箇所にも気を付けなければ。
眼の良い恋人を持つと大変だわ。誤魔化すように笑うと、気付いたソーマに軽く小突かれた。
「本当に大丈夫なんだな?」
「大丈夫。それより早くいこう、もう皆そこまで来て、」
「シオーー!いるなら返事しろーーっ!」
「シオちゃーん!」
「……周辺にアラガミは」
「シオがいるのにヒバリちゃんに確認してもらえるわけないでしょ?」
「はぁぁぁ………」
「まあまあ。お説教はあとあと」
「あとあと、するんだなー」
「シオもだよ?」
「………ソーマー」
「来るな寄るな。断じて助けんぞ」
「うあぅー!」
涙目で身体を捩るシオを抱え直して、ユウカは夜空に軽やかな笑い声を響かせた。