天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

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少女、氷の女王と相対す

 

 数多の触腕が地表を削り、立ち上る光線によって見晴らしがよくなっていく。まさに地形を変えんばかりだ。ただ生きているだけで災禍を体現しているその化物は、おそらく顔に該当する箇所についている無数の複眼で、ギョロギョロと周囲を探っている。その顔面には、一筋の大きく深い裂傷が刻まれている。

 大いなる存在は、その一刀を繰り出してきた害虫を怒り狂って捜索中という次第である。たかだか羽虫のような存在相手に体を振り乱す様は駄々をこねる幼児のようで滑稽で笑えるが、その攻撃力は全然笑えない。

 事実、追われる虫・ユウカはもう結構満身創痍だ。

 

「しんど……」

 

 口の中だけでか細く呟く。

 早速の単独任務を渡されて。その内容がコレである。この世はクソ。ゴッドイーターはクソ。つーかあの支部長はマジでクソ煮込み。下水の方がまだマシだろう……。

 ちらと遮蔽物に隠れて後方を伺う。其処には、未だ猛り狂う超大型アラガミ・ウロヴォロスの姿。

 もうなんかアラガミというか山が飛び跳ねてるレベルの巨体だ。アレを入隊半年以下のペーペーに単独討伐させるとか正気を疑う。何がキミならできると期待してるよだアテンション。それ期待とか信頼じゃなくて丸投げって言うんだよ。

 けれども哀れな一兵士に過ぎないユウカは、上官の命令には従わなければならない。どれほど無理難題であろうとも、文字通り死ぬ気でやるしかないのだ。そういう仕事なのだ。この道を、自分は選んだのだから。

 深く深く息を吐いて、あーあ、と胸中でのみ天を仰いだ。嫌だな、ほんと。でも、もうなんか、ほんと。ここまでくるとさ。あーあ、ってだけなんだよね。

 

「あーあ、……嫌だな」

 

 こわいな。弱気な言葉を飲み込んで、いかにもそれっぽい強がりを代わりに外に出す。

 

 やっぱり受けるんじゃなかった。単独任務なんか受けるんじゃなかった!

 だから私はひとりは無理なんだって。

 ひとりになると、私は―――

 

 ブン、と空気を押し出すように切り裂く音。思わず笑ってしまう。

 腕を軽く振り回すだけで、木々もろとも地面も建築物も岩も吹き飛ばしている。冗談みたいな光景。

 痛くない場所がない体に鞭打って、笑う膝に力を込めた。

 

 

 よく晴れて気温もよろしく目覚めの良い朝に限って、最悪なニュースというものは訪れる。

 体を起こして、部屋の奥に窓代わりにはめ込まれた巨大なモニターを何とはなしに見つめた。

 人によって環境映像を流したり、好ましい画像や写真を流したりできるのだが、ユウカの画面はずっと真っ黒のままだ。心の闇とかそういうのでなく、単に気が散るからである。

 でも、今日の目覚めが良いのは、多分、この胸騒ぎのせいだった。

 

「動揺のないようにお前にはあらかじめ伝えておく。現時点で確定ではないが、おそらく前リーダー……リンドウの腕輪の反応を確認したらしい」

 

 朝、エントランスホールで待ち伏せられて開口一番そう告げられ、動揺しないやつがいたら見てみたい。ユウカも例に漏れず、目をまあるくして、口を半開きにした阿呆面になった。

 嘘ですよね、って聞こうとした。したけども。

 ツバキの顔は真剣で、冷淡な顔をしていた。それはあんまりに叶わないわがままを言うような顔だったから。ユウカは口を噤むしかなかった。

 『腕輪』とツバキは言った。雨宮リンドウを確認した、とは、言わなかった。それがどういうことか、わからないままが良かったな。

 その腕輪はきっと、人の身ではありえない速度で移動しているのだろうな。他のアラガミをものともせずに疾駆して、悠々と体を休めているのだろう。その巨躯の腹の中で。

 つまり雨宮リンドウはあの日敗北していた。よしんば敗北していなかったとしても、そう時もない内に喰われていた。ユウカの捜索は無駄だったのだ。

 無意味だった。

 

「……そうですか」

「わかっているな」

「勿論です」

 

 隊員達を取り乱させるな。取り乱したとして抑え込め。

 リーダーに先んじて話を通したというのは、そういうことだ。

 伝えに来たツバキも気の毒だし、ユウカなんかこれから隊員全員に伝えなくちゃなんないし、その上、腕輪反応を見つけたからには捜索もしなくちゃなんない。

 それは、リンドウの死亡を証明せよと言ってるようなもんだ。なんだこの誰も幸せにならない負のインフレスパイラルは。

 さも平気ですといった風に振る舞うユウカの強がりでさえ、ツバキの負担になる。

 だからもう、ユウカには力無く微笑むくらいしか、彼女にしてやれることはなかった。

 

 あの日接敵したアラガミと同種。どころか、リンドウの腕輪反応を捉えた故の会敵。つまり、雨宮リンドウの仇を見つけたと同義。

 にも拘わらず、隊員たちの反応は一様に鈍く、平然としていた。

 あまりに反応が薄いから、ユウカは「え?もしかして私の話聞こえてなかった?」とまで思ったし、もう一回繰り返し説明した方が良いかな……とも思ったが、流石に見えてる不発地雷を念入りに踏みつけようとは思えなかったのでやめた。

 心の中で滝のような汗を流しながらも、ユウカも涼しい顔して任務内容の説明と隊員の装備確認を済ます。隊員が取り乱していないのにリーダーが重ねて言及する意味はない。

 でもやっぱ怖いよ?この反応で合ってるの!?お願い合ってて!

 なんか痛くなってきたお腹を無視して、なんとか、ユウカはミーティングを終わらせて、隊員たちを引き連れて出撃と相成った。

 

『任務開始時刻です。皆さん、ご武運を!』

「了解。……お、良い感じに分散してるみたいだね」

「だな。これなら各個総叩きでいんじゃね」

「うん、そうしようか。私が誘い込むから、合図したら皆一斉射お願いね」

 

 了解。返答が三方から低く地面を伝って足に振動が伝わる。聞き分けが良すぎるのも考えものだ。

 微笑むように頷いて、ユウカは一人先行してマップ上の青い点を目指した。

 鎮魂の廃寺エリアは高低差も広さも然程ではない。それ故に分断をしてもアラガミ同士で音を聞きつけて合流されやすい。

 ブブ、と通信機がユウカの胸元でバイブ音を訴える。足を止めぬまま通話機能をオンにする。

 

『ユウカ、聞こえる?』

「はいはーい」

『ごめんなさい、こっちにアラガミ乱入してきちゃった。討伐対象のヴァジュラの一体よ』

「Oh……オッケーです。ならそっちはよろしくお願いしても?」

『ええ、問題ないわッ!……ふぅ、そっちこそ一人で平気?』

「大丈夫です。合流させないよう、ソッコーで仕留めます」

 

 トッ、と衝撃を地面に逃がして軽い足音のみが雪に落ちた。はらはらと雪が風の流れに沿って吹き荒ぶ。

 いつになく降り注ぐ雪の随に、見慣れた黒い巨体が暢気に休んでいるのが見えた。

 地獄の釜の色をした悪魔。

 しかし今は、心のどこかが鈍ったかのように、さして動かされなかった。

 

「アレに比べれば、ね」

 

 通話機能を一時遮断する。ブツと低いノイズがイヤホンの内側で響いた。

 喉の浅いところで呼吸をして、気付かれるのを厭わず真っすぐ斬りかかる。恐怖は感じなかった。

 もうヴァジュラ程度の速さより、ユウカ自身のほうがよっぽど速い事を知っているからだろうか。

 いや、きっと守るべき誰かが近くにいるからだな。早くあちらへ合流しなければ。その義務感がユウカの心を亡霊みたいに凍てつかせる。

 故にこそ、ユウカはどこまでも冷徹な眼で戦況を把握できるのだ。だって自分の判断で他の人が死ぬから。そこに感情が介入していたら指示なんざ立ち行かない。

 幽霊のときに戻ったみたいだ。どこか身体が遠くにあって、俯瞰して見ているようだった。

 こう動けば、あちらはそっちへ逃れようとし、体勢をこう整えて攻撃してこようとするから、自分はそこを狙えば良い。もしアレをしてきたら、自分はすかさずああやって……と。アラガミの爪先の向きや呼吸、筋肉の収縮具合から、次の行動を予測して判断する。

 ユウカはそうして着地狩りと起き攻めとかいう格ゲープレイヤーから歯茎剥き出しにしてキレられるような事をしてダメージを積み重ねているのだ。

 爪先だけで軽やかに地を蹴り、飛来する火球を置き去りにするかのように避ける。全くユウカに命中させられない苛立ちからか、大きく開けた口を天へ向ける。咆哮。絶好の攻撃チャンスだ。

 

「やあああーーーッ」

 

 衝撃を伴う遠吠えに肌を泡立たせながら、気力をかき集めて剣を構え、今自分の出せる最速で突き立てた。

 ユウカの持つショートブレードでは、ソーマのバスターブレードのように、一撃でアラガミを仕留めるなんて出来ない。だから、何度も、何度もその銀色を巨体に突き立てる。

 蘇るな。蘇るな。蘇るな。これで頼むから死んでくれ。

 そう祈りを込めるように、あるいは血に酔ったかのように。

 幾度目かの一突きを切欠に、巨体がぐらりと重心を喪失させる。粉雪を纏って一陣の風が吹き荒ぶ。

 神機を一振りして、そこについていた体液やらを振り払う。ユウカは一つの染みもない姿で腕時計を見やった。

 三分十二秒。

 

「ちょっとかかったな……」

『お疲れ様です!流石、お早いですね!』

「そう?前よりタイム伸びた気がする」

『一人だけ違う働き方しないでくださーい。今このエリアは前回よりも難易度上がってるんですから当然です!』

「ああそうだった、出現アラガミによって他のアラガミも底上げされるんだっけ?どういうシステムなんだか」

『ボスが強ければ取り巻きも強いでしょうよ。逆にボスを倒してしまえば……』

「しばらく弱体化して貰えるって事ね……はいはい、頑張りマース。皆は今どう?」

『あちらもそろそろ決着が……あ!今!今会敵アラガミの反応消失を確認しました!』

「オッケーありがと。本丸の出現予測地点は?」

『廃寺本堂前です!』

「了解」

 

 口ではヒバリと話しつつ、ユウカの手は澱みなく倒れたヴァジュラからコアや素材を回収して全員集合信号弾を空に放った。

 雑魚を切り伏せつつ、予測ポイントへ移動する。途中目立った傷もなさそうな皆と合流しつつ、本堂内の雑魚も殺そうかと足を向けたその時。

 

『大型種、作戦エリアに侵入を確認!侵入地点、送ります!』

 

 緊迫したヒバリの声に、全員が身体ごと首を一方向へ向けた。

 侵入地点を確認するまでもない、その殺気は冷気を帯び、氷柱が長い手を伸ばしてきたかのような不気味さを孕んでいる。

 その感覚に全員覚えがあった。どころか、今尚焼き付いて離れない、痛みを伴う悔恨にそれは直結している。

 鈍色の空を背に、巨大な影が高台に立っていた。

 それはヴァジュラと同等のサイズに、よく似た体形をしている。しかし、例えばヴァジュラを炎とするなら、その影は氷のような容貌をしていた。

 肌は真白いが雪や氷の美しい白ではない。凍死した死人のような肌色をしている。双肩には青白い花弁にも見える、翼のようなたてがみ。そしてその顔面は、人間の女の顔に程近い。ギリシャ彫刻のように彫りの深いハッキリとした顔立ちだが、その作り物めいた美しさと人間の顔に非ざる白目が黒く染まった双眸は、存在自体をより人外せしめている有様だった。

 氷雪を纏うその姿は、正しく邪悪な氷の女王。

 プリティヴィ・マータ。

 インドの旧い神。地母神の名を冠したアラガミは、整い過ぎて不気味な風貌を獣のように歪め、高く高く吠える。

 殺し合いの火口は切られた。

 噛みつくように跳躍したプリティヴィ・マータが飛び掛かったのは、隊列の先頭にいたユウカだった。

 本能に従って反射的に飛び退き、盾を展開させる。

 すると、プリティヴィ・マータが着地した地面一帯から、突如天を劈く氷山程の氷が突き立ち、ユウカの盾を弾いた。一瞬の顕現しか許されていなかったのように、氷は直ぐに脆く崩れる。

 

「は?……いや、は?」

「ユウカ、考え事してる場合じゃないでしょ!」

「いやサクヤさん、いやいやいや……おかしいおかしい。ヴァジュラの雷も私だいぶ許せなかったですけど、おかしいですってやっぱり」

「滅茶苦茶わかりますけどしっかりしてくださいリーダー!」

 

 物理や世の理など知らぬと言わんばかりの暴行に、ユウカは驚嘆と憤慨が半々くらいの表情でプリティヴィ・マータを眺めた。

 魔法使いだってもっと自然の法則に従おうとするだろうってくらい超常的だ。こいつが協力してくれれば地球温暖化とか色々防げそうだな。

 まあ人類の天敵がそんなことしてくれるはずもないのだが。

 

「いや人類の天敵であっても地球の天敵じゃないなら貢献してくれても良くない!?」

「わかったから!あとで!いくらでも聞くから!集中しろバカ!」

 

 飛んでくる氷柱のような氷塊を避けつつ、隊員全員にツッコミを入れられてユウカは頬を膨らませた。

 あの日と同じアラガミにかつての傷が主張するよりも前に、慣れない攻撃とぶー垂れるユウカの叱咤に忙しい三人は、比較的冷静にアラガミと対峙できている。

 だが吠えれば氷の礫が吹雪のように舞い、たかが着地で氷の山を出現させ、身を鎧で守る隙の無さ。どれをとっても攻撃し辛いことこの上ない。決定打を誰も持たないまま、身を削るような攻防は続いた。

 アラガミは大抵がそうだが、全身が凶器のようなプリティヴィ・マータは、その両翼の先が少し掠るだけでもゴッドイーターらの身体へ赤い線を作る。

 予備動作なしで突進してきた巨体を、薄っぺらい盾一枚で防ぐのは至難の技だ。勢いを殺し切れず吹っ飛んだアリサの身体が廃屋に叩きつけられる前に受け止め、直ぐに横へ転がる。一瞬前までいた場所へ突き刺さる氷柱に顔を引き攣らせながら、神機を銃形態にさせバレッドを撃ちまくる。

 

「す、みません」

「怪我は?」

「平気です!」

「ならヨシ。怯ませるよ、合図で走って」

「はい!」

 

 足止めに地面付近へ着弾させていた射線を動かす。「今!」と声を上げると同時に、プリティヴィ・マータの右眼を撃ち抜く。流石に仰け反ったその顎へ続けて撃ち続ける弾幕を潜って、駆け抜けたアリサが緋色を振り上げる。

 アリサの神機は彼女の意志を体現したかのように、鋭く張り詰め、プリティヴィ・マータの腹を深く切り裂いた。赤く噴き出した液体すらを二つへ分かち、反撃の爪を背後へステップする事で逃れる。

 鉄にも似たプリティヴィ・マータの装甲の破片が雪の反射で宙に光る。

 

『プリティヴィ・マータの胴体が結合破壊しました!』

「アリサナーイスっ」

「流石ね!」

「いいね、一気に畳みかけよう!」

 

 了解、と三方向から弾んだ声があがる。

 プリティヴィ・マータはこちらの士気を挫くかのように、空中で回転後口から勢いをつけた氷塊を全方位へ解き放った。次いで、着地後連続して6発ほど氷塊を撃ちだす。

 当たれば瀕死も有り得るそれらをそれぞれ盾で弾いたり地を転がる事で負傷を避け、すぐに砲撃を再開した。

 大ダメージを喰らわせたアリサを厄介な敵と捕捉したようだ。身を焼くバレッドを鬱陶しそうに鬣で振り払うと、ひとっ飛びにアリサへ跳躍する。

 サメのように鋭くギザギザの、最早棘と形容する方が相応しい歯牙が限界まで開かれ、一瞬でアリサの目前にまで迫った。無論アリサも、そのまま座して死を待つわけがない。すぐさま飛び退き、ガチン、と空を噛んだその強靭な顎から逃れた。

 安堵の息を吐く間もなく、プリティヴィ・マータは空振りを自覚してすぐアリサへまたも飛び掛かった。タゲられている事を自覚したアリサは、より仲間より遠い地点へと転がるように跳躍する。

 しかし、まるでアリサの逃れる地点がわかっていたかのように、プリティヴィ・マータはアリサの跳んだその場所へと口を広げ襲い掛かった。ひ、と喉を引き攣らせ脚に力を籠めてすぐさま飛び退く。

 ネズミを狩る猫のように軽やかなプリティヴィ・マータの一方、アリサは絶死の歯列からひたすらに逃れた。死、死ぬ、のでは。ちらちらと脳裏を過ぎるイメージに神経へ鑢をかけられながらも、アリサの脚は止まる事も、震える事すらもなかった。

 だって。

 

「アリサ!」

 

 声にせずアリサは彼女を呼び返す。そう、彼女。

 リーダー。ユウカ。

 貴女が居るから。私を、呼ぶのだから。

 思考という思考をせず、まるで天啓が降りたかのように。アリサは声に呼ばれるがままに身体を思いっきり投げ出した。

 大口径を構えたユウカを横目に見て、アリサは足跡で茶色くなった雪へ膝をついた。背後で耳を劈くような銃声が鳴り響いたかと思えば、獣と人と機械音の叫び声をまとめたような不快で歪な絶叫がビリビリと空気を震わせた。

 

『アラガミ、活性化です!』

 

 ヒバリの焦った通信が耳を打つが、スタミナが底をついたアリサは短く息を吐く事しかできない。

 胃から内容物がせり上がってきそうな中、ぜひゅ、ぜひゅ、と短く呼吸をする。くの字に曲がった背中が戻らない。早く、早く息を整えなくては。戦闘に戻らなくてはならないのに!

 睨みつける地面が黒く染まる。巨大な影が、飛び掛かって来たかのよう―――。

 ガキン、と鈍い金属音。そしてギチギチと鉄を捩じ切る時のような音に目を向けると、巨大な影の前に立ちはだかる細い体躯があった。

 

「ゆ、うか」

「アリサ、よく逃げたね。良い動きだったよ」

 

 プリティヴィ・マータに盾ごと神機に噛みつかれ、前足に掴みかかられながら、ユウカは顔だけでアリサを振り返って勝気に微笑んだ。鋭い爪がユウカの腕にまで及び、深く抉られているというのに、その顔色に一切の変化はない。裂かれた袖がじわじわと赤色に侵食を始め、たっぷりと水気を帯びすぎて地面に滴った。

 ユウカはニッと歯を見せ、神機を、しがみつくプリティヴィ・マータごと思いっきり横凪ぐ。鬼のような腕力に任せ、振り回されたプリティヴィ・マータは勢いに耐え切れず、廃屋へ思いきり叩きつけられた。

 ガフ、と内臓から空気を追い出されたかのような息を吐き、ずる、とそのまま壁から頽れる。

 その隙を逃さず、ユウカは血で滑らないようにシッカリと握りしめた神機を、地面に平行に構え。フッ、と短い息を吐いた後今自分が出せる一番の速度と膂力でその無防備に晒された腹に突き刺した。僅かに残った装甲が砕け、ユウカの神機はアラガミの身体を貫通し、腕までぶっすりと生温かい肉に埋まる。

 プリティヴィ・マータは両目を零れ落とさんばかりに見開き、僅かに手足をばたつかせた後、くたりと脱力した。

 

「……死んだよな?」

「流石に死んだでしょ」

『はい!目標のアラガミ反応、消失しました』

 

 一同フーーッとめいめい息を吐く。

 いちばんに我に返ったアリサが、飛び掛かるようにユウカの腕を取った。

 

「ギャーーーッ!」

「うわ、いたた」

 

 アリサが尻尾踏まれた猫みたいに叫んで、ユウカはびっくりして神機を落とした。

 

「いや反応逆じゃね?」

「もう。アリサどいて、ユウカは腕出しなさい」

「はーい」

 

 眉を顔の中央へ寄せて、痛みに耐えつつユウカが両腕を持ち上げる。

 すっぽりと手首まで覆っていた袖は無惨に切り裂かれ、すっかりユウカの生白い肌を空気に晒している。ほっそりとして、しかし少しだけ筋肉質な腕は、幾か所も爪に抉られて花開くようにピンクの肉が見えていた。だらだらと流れる血液は止まる事を知らず、放っておけば大量出血で死にますよ、とご丁寧に説明するが如くだ。百人中百人が顔を顰める大怪我である。

 サクヤは怪我の具合を検分するより先にポーチから包帯を光速で取り出し脳直できつく巻き締めた。

 痛みで目元に皺を寄せるユウカを気にする余裕もなく巻き終わらせる。じんわり包帯に滲む赤黒い染みに、サクヤは圧迫止血すべく布を当ててユウカの腕を握りしめる。

 しかし血液は布すらも赤く染め上げ、サクヤの両の掌をぬるつかせた。

 え?止ま、止まらない。なんで?

 目をぐるぐるさせたサクヤはわかりやすく焦って、引き攣る舌をもつれさせた。

 

「ア待ッ、て、ほ、ほほ縫合した方が良かったかしら!?」

「サクヤさん落ち着いて下さい。コウタ、ごめんだけど回復錠打ってくれる?」

「おおおおおう、改、改の方な」

「どこ打とうとしてンのそこほっぺた。腕、腕に打って」

「そうだなそうだよな!?」

「コウタ、手震え過ぎです針折れますよ!」

「じゃあお前打てよ!いや無理だなすまん。全身バイブレーションしてるやつには無理だわ」

「はあああー!?」

 

 アリサの動揺っぷりを見て返って冷静になったらしい。喚き声をスルーしてコウタはやっと落ち着いた手でユウカの腕の内へと注射器の中の液体を流し込んだ。

 どくりどくりと脈打っていた患部が徐々に静かになり、次第に熱を持ち始める。

 

「サクヤさん、もう離して大丈夫ですよ」

「……………あ、え?ええ。そうね、そうだわ……」

「あ、そうだアリサは怪我ない?」

「無いですが???」

「キレないでよ……仕方ないじゃんあのままじゃアリサ死んでたし」

「そうですけどぉ!」

「いやお前人の心ォ!」

「わかってる、自分でもあの受け止め方は無かったなって思うよ。……ごめんね、アリサ。怖かったよね」

 

 コウタに全力でツッコミを入れられ、ユウカは眉を下げてすまなそうにアリサへ向き直り見やった。

 ユウカに両腕広げられ、アリサは一も二もなくそこへ飛び込んだ。辛うじてまだ出血が少なく、包帯の白さの方がやや広い右腕で震える背中をやわく宥めるように叩く。

 ユウカの胸に顔を埋め、アリサはめしょめしょに泣いてぺっとりと張り付いた。名状しがたい鳴き声を上げるアリサをひっつかせたまま、ユウカは困り果てて無様なプリティヴィ・マータへ視線を向ける。

 本来の目的である腕輪の確認をしなければならないのだが、この調子では死骸が地に還る方が早そうだ。それでは任務失敗である。

 そんなユウカの思考を察したコウタがハイハイ、と神機を持ち上げる。

 

「こっちは俺やっとくよ」

「ありがとコウタ」

「いいからアリサに構ってやんなよ。俺でもそーなるわ」

 

 マントヒヒでももうちょっと綺麗に泣くんじゃないかなってくらい濁音のついた呻き声を上げるアリサを気の毒そうに見て、コウタは肩を回しながらプリティヴィ・マータへ駆け寄って行った。

 

「ユウカ……もう絶対ああいうのやめて。良いわね?」

「はは、わかってますってば」

「ほん、ほんっと、やめて。お願い」

「はいはい」

「大罪よあれ」

「……え?そんなに?」

「私がリーダーだったら、リーダー権限で貴女を一年出撃停止にしているところね」

 

 そんな大袈裟な。笑おうとしたユウカだったけれども、ふと見たサクヤの眼が思ったより゛マジ″だったのでキュッと口を噤んだ。

 もしかしたら自分は新たな地雷を埋めてしまったかもしれないという予感を全力で見ないフリする。ウロヴォロスに脇腹へデカめの穴を開けられた事は生涯言わない事に決めた。

 

「おーいユウカー、腕輪無さそうだぞー!」

「そっか。じゃあ違う個体だったのかもしれないね。到着前に逃げたのかも」

 

 プリティヴィ・マータをアジの開きみたいに解体したコウタがしゃがんだまま神機をブンブン振る。ひとが地雷案件にビビってる内にしっかりめに調べてくれていたらしい。

 

「仕方ない、帰ろうか」

「そうね。ユウカの腕も医療班に見せなきゃ、」

 

 肌が粟立つ。

 大気が怯える威圧感に、アリサも含めた全員が首を素早く動かした。その先は全員同じ場所、廃寺を囲う丘の上、巨大な満月の手前だ。

 

 其処に居たのは、ヴァジュラに似ていて、しかし最早次元が違うと確信できるアラガミだった。

 

 ヴァジュラが炎、プリティヴィ・マータが氷なら、それは巌だった。

 厳として不動、砕くどころか動かす事さえ不可能と思わせるほどの偉大さ。

 どのような刃であっても身を斬るどころか傷をつけることすら叶わなさそうな頑健な装甲。

 どんな動きですら可能にできそうな筋骨隆々の巨躯。

 荘厳さ、畏怖さえ抱かせる、髭にも見える体毛を蓄えた貌。

 そして、血のように赤い、真紅の眼。

 まるで神話の主神のような姿のそれは。そいつは。

 嘲笑うように、あるいは地を這う虫を見ているかのように表情を歪め、何をするでもなく、走ることすらせず、静かに去っていった。

 

「……あいつを倒さないとダメって事ね」

 

 呟いたサクヤの声が静寂に響く。

 雪が止み、星々が輝く夜に似つかわしくない、寂れた声音だった。

 

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