『しめじ』
「神機」
『きー、金目鯛』
「イカダ」
『だ?だ……だまこもち!』
「……なんだそれ」
『知らない?こう、わりと粒が残ったおもちなんだけど、あっ、ちょっときりたんぽに似てる……焼かないきりたんぽみたいな……』
「……なんで食べ物ばっかなんだ」
『飢えてるのじゃよ』
「飢える腹ないだろ」
『脳が!脳が飢えてるの!』
「脳もないだろ」
『あるもん!!思考できてるから脳はあるもん!!!』
「煩い」
声のした方に雑誌を投げるが、当たるはずもなく地面に落ちた。『ぷぷ~!大外れ~~!!』とさらに煩いそれにこめかみを抑えて、渋々雑誌を拾い上げる。スニーカーの替えが必要になったので探していた。のだが、どうも静かにできない幽霊が退屈を極めたらしく泣き喚いた故に、致し方なく、渋々、しりとりを始めた結果がこれだ。ちなみに今日は非番である。
幽霊と出会ってゆうに三週間が経過し、その間、手掛かりと言う手掛かりは一切掴めないでいた。一人任務ではないときは大人しく部屋にいる幽霊が、『おかえりなさい!』と帰ってきたソーマを労わるのが半ば日常化してきた今日この頃、流石に危機感が芽生えないでもないソーマの一方、のほほんと日々を過ごすこの幽霊に思うところはないのだろうか。しりとりで食材ばっか挙げる残念さを露見されたソーマにしてみれば、暢気と言う他ない。
『ち、だよ。お兄さんの番』
「………致命傷」
『うなぎ!』
「疑心暗鬼」
『……もっと穏便なワードないの?』
「ほっとけ」
溜息を吐いて雑誌を閉じた。これで真面目な資料を読むときは静かにしているので、彼女の眼はそう悪いものでもないにせよ面倒である。確かにこんなものはポーズで、スニーカーなんぞ前のものと同じもので構わないし、こんなものを眺めているよりは彼女の記憶を取り戻すのを優先した方が生産的だ。
『えっどこか行くの?』
「……記憶を探しに行くんじゃないのか」
『あー……いや今日はいいよ。お兄さんお休みの日でしょ、だらだらしよ』
「は?」
『うわ顔こっわ。私にだって労わるこころくらいあるんですけど』
「……………まさか本当に只暇だっただけか?」
『……………そうですけど!!??』
訂正。暢気なんてものじゃない、こいつは真性のノロマだ。ナマケモノを見習った方が良いレベル。
『それにお兄さん昨日怪我してたじゃん……安静にしておこうよ』
「もう治ってるが」
『えっ嘘でしょほんとに?……うわゴッドイーターやばいな……どんだけだよ……』
自分で聞いて自分で引くな。
『やばすぎ……私も生前ゴッドイーターになっておけば、今頃こんなことには……』
「この職業の殉職率知りたいか?」
『ごめんなさい嘘ですやっぱいいですアラガミと戦うとか肝の小さい私には一生無理です』
「ハァ……いいから行くぞ」
『えっ何処に?言っとくけど私がピンときた場所なんてこのハイヴ内にほぼないよ?』
「行くのはハイヴ内じゃないから違うな」
『………休日にまで仕事するとか……』
盛大に舌打ちしてやれば、流石にふざけるのを止めた幽霊が『はいはい着いてきまーーすってば!幽霊うれしーーー!』と雑に喜ぶ素振りをしながら近づいてくるのを声量で感じとる。フードを深く被り直して、部屋の出入り口を潜った。
『あれ、だったら何処へ行くの?』
昼間なので、廊下には人がちらほら見える。だから返事をすることはできず、彼女もそれがわかっているので特に騒ぎもせず、困惑してから小さく鼻歌を歌い始めた。
非番の日に、任務でもないのに外に出る物好きはいない。しかし、できないわけではない。移動用のヘリやらは出せないが、徒歩で行くなら特別な申請が必要な訳でもない。神機を担いで、ひとり壁の外へ出るソーマを怪訝に思う人間は居れども、ソーマなので声をかけられることもなく、一人と幽霊はあっさり荒廃した地面を踏んだ。
『ある朝目覚めてそして知ったさ~この世に辛い悲しい事があるってことを~!あれ、着いた?』
「まだだ。歩くぞ」
『わ~いお散歩だ~!』
犬か。もし彼女の姿が見えて、その臀部に尻尾があったのならはち切れんばかりに振られていただろうとばかりに嬉しそうな声を出す彼女に内心でツッコミを入れる。
『ねえねえどこ行くの?』
「すぐ着く」
『え~。お兄さんすぐすぐ言って全然歩くじゃん……近くだとか言って3キロ歩くじゃん……』
「よくわかったな」
『ほんとに結構歩くじゃんか……まあ人間は一日三十キロまでは歩けるらしいけどさ。私はぜえぇぇったい無理だけどね』
「外で生きてたんだからそれくらい余裕だろ」
『人間より重いもの持ったことない脆弱な人間だったから無理』
「人間持てるなら三十キロくらいいけるだろ」
『いやいや持った相手が良かったんだって覚えてないけどたぶん赤子とかだったんじゃない?』
「また微妙な情報を小出しにするのやめろ」
外で生きるなら怪我人の運搬やらで人をはこぶくらいよくあることだろう。それを女子にやらせるかはさておき、外の人間にいちいち『人間を持ったことがある馬鹿で騒々しい女の子』を知らないかと聞きまわるのは心底バカらしい。
「何をすればお前の記憶は戻るんだ……」
『うんお兄さんが常日頃から私のマシンガントークに魘されてるのは知ってるけども。そんな深刻に悩むほど?』
「反省しろ」
『はい。ごめんなさい』
真顔で言ってやると即座に真面目そうな声で謝罪が返ってくる。零した言葉の真意とは違うところに話が着地したが、その方がソーマの心が平穏を保たれるのでそのまま誤魔化した。
太陽は真上より少し傾いて、このまま歩けば目的地に着く頃には夕暮れになるだろう。少し足を早めたソーマに気づきもせず、そして凝いもせず話しかけて来る幽霊が、ほんの少しだけ悲しかった。彼女に足はない、重力もない。そう思うくらいには、ソーマはこの幽霊を気にしていた。
『ゆうやーけ小焼けの赤とんぼ~おわれてみたのはーいつのー日か~』
「着いたぞ」
縦長の建造物ばかりが立ち並ぶ通りを幾度か曲がった場所。少し開けたそこは四方をビルで囲まれながらも、僅かな陽の光を頼りに、一本の大樹が立っていた。
四角い空を覆いつくさんばかりの淡い色。
小雪のように散る花びらが視界端へ流れて、足跡のない地面に落ちた。どこもかしこも退廃した文明の痕が残るその中で、一本ながらもどしりと聳えるその大木は、誇らしげに花を風に散らしている。
「さくら、という木らしい」
任務中に不意に見つけたこの一角は、誰にも何処にも報告しなかった。騒々しい連中に見つかっても面倒だし、研究者連中に刈り取られるのは面倒事になりそうだと思ったからだ。それ以外に理由はない。
おそらくすぐ隣を浮遊していただろう幽霊の反応がないので、訝しんで首を傾げる。
『…………あ、ごめん。見惚れてた』
「……………意外に反応薄いな」
ソーマは男女のあれやこれやは知らぬが、女が花を好きなものということくらいはわかる。てっきりこの幽霊のことだからはしゃぎまわって一人で騒々しくなりそうなものなのに、つい零した言葉の通り、意外だった。
『もう少し近づいてみても良いかな?』
「好きにしろ」
その時ソーマは、ありえないことだとわかってはいるが、腕を小さく引かれたような気がして、その感覚に逆らわず桜の木に近付いた。大木に手を伸ばせば触れる程度の距離で足が止まる。見上げれば傘のように枝は広がり、たわわに芽吹いた薄紅色の数多の花弁の隙間に薄い青が見えた。
『とってもきれい。………綺麗なのに、どうして』
すぐ隣から聞こえた声に、ソーマは驚いて咄嗟にそちらを見やった。あまりにも凍てついた声だった。永遠に融けない絶対零度、永久凍土の南極の海に浮かんだ巨大な氷、まるでそれだった。
『どうして、こんなに苦しいんだろう』
―――その時。
ふと、雲が太陽を覆ったその瞬間、周囲が影に落とされた一瞬にも満たないひと刹那。舞い散る淡い花びらが視界を遮るそのまにまに、―――少女、が。
みどりの長い黒髪。長い睫毛に縁取られ伏せられた昏い碧の瞳。身に纏った黒衣は所々レースになっていて少女らしく、そして、喪服のようでもあった。
知らず詰めていた息が、瞬きの直後に解かれる。少女の姿は跡形もなく消えていた。まるで最初から何もなかったかのように。花びらが一枚、ひらり、と何もない宙に揺蕩う。温かな春の陽だまりだけがそこにあった。
少女がソーマの視線に気づいた様子はない。それでよかった、とソーマは思う。きっと彼女は、誰も見ていないからあんな表情をしたのだ。
あんな何もかも失ったような。願って願って、強く強くとても強く願ったのに、叶わなかったような。その眼に涙は無かった。潤いの一つもない、乾ききって疲れ果てていた。
この時、ほんの少しだけようやく、ソーマは彼女のこころの一端を見た。
そして同時に思う。今まで数多の幽霊を視界に映してきたのに。どうして、彼女の姿は見えないのだろう。
伏線回