忘れてた。現場からは以上です
ソーマの行動は実に迅速だった。包帯を患部に巻き付け直し締め直して、怪我の治療もそこそこに病室を抜け出した。人間としては誠実だが、社会的にはクソだ。治療班は泣いて良い。けれど仕方ない事だった、だってソーマはもう一秒だって彼女の事を後回しにしたくなかったから。五日もソーマの目覚めをわざわざ待った彼女。今まで受け身に甘んじていた分を取り返すように、ソーマは探し回った。
しかし、その探索は難航を極めに極めた。ああまったく、どうして彼女の姿が見えないのだか。
彼女と行ったことがある場所はどこだって行った。何度も声を張り上げた。それでも、あの下手くそな鼻歌は一度だって聞こえることは、なかった。
「よぅ、ソーマ」
ゲッ。ソーマは嫌そうな顔を隠すでもなく顕わにした。確かな腕と高い生還率を持つ癖して軽薄そうな言葉遣いをする男。不本意ながらソーマが幾度も世話になっている部隊長、雨宮リンドウが立っていた。今日はそう、これとの任務である。嫌に鋭い男なので、ソーマは無言を貫いた。彼女の事がバレでもしたら面倒ごとになるに決まっている。
「お前さん、最近何か良い事でもあったか」
「は?」
むしろ最悪な部類だが。
かなり低めに口から出た声音に、リンドウはクツクツと堪えるように笑い声を漏らす。
「いや、だいぶ人間らしくなったと思ってな」
それは今までが化物染みていたという皮肉かと思ったが、ソーマはそれを口にする事は無かった。彼の思うつぼだからだ。それに、そんなことは当たり前すぎて今更である。
「マ、何にせよイイ顔つきになったんじゃねぇの。仲良くな」
「嫌味か」
「応援してんのさ。そんで、お前さんを射止めた健気なお嬢さんはどちらさんだ?」
「誰が言うか」
大体、アレが健気とかいうタマか。ソーマを射止めたわけでもなし。彼の言葉は何もかも見当違いだった。ソーマは彼女に何もしなかった。何一つだってくれやしなかった。ソーマも、彼女に何も与えなかった。
しかしそれで良かったのだ。あのくだらない、何物にも代えがたい時間が、良かった。今も意識せずとも蘇る彼女の声が耳を打つ。
――『あっ、おかえり!お兄さん』
そのことばが聞こえないことを、寂しいなんて思えないままでなくて良かった。
*
行く宛てもない幽霊は、ふよふよとその空域を漂っていた。たまに、自分と同じような状態の者を見かける。毎日どこかで人が死ぬのは世の常だが、ここ数十年の死傷者はその言葉を優に超える死亡者数を誇っているのだから、まあ、当たり前だった。
彼らはぼんやりとただ佇み、その場で郷愁の念に浸るだけだった。彼らの口が僅かに動く。
『どうしたんですか』
声をかけるが、彼らが私に気づく事はあまり無い。殆どが、死人のまま滑稽な夢のまま、残滓のひとつも残さずに泡となって消える。お伽噺の人魚姫のようだなと思った。彼らは分かっているのだ、納得しているのだ。死人はこの世に不要だと、先もないし願いもないから、浅き夢に消滅することに。この世の理に抗う、私こそが異端だった。
彼らの口が動く。
かえりたい。
かえりたいね。反芻するように口遊んだ。この身体で目覚めてから、ずっと心の奥底で思っていたこと。かえりたい。そう、幽霊はみんな、かえり道を探している。かえろう、かえろう―――でも、どこに?どこに還れば。
『わ、珍しい。意識のあるひとがいる』
最初、それが自分に向けられた言葉なんてマッタク分からなかった。それもそうだ、ここ何日かで幽霊はすっかり、声をかけられないことに慣れ切っていた。自分の存在が誰にもわからないことに、馴染み過ぎていた。
『え無視?キミだよキミ。そこの膝抱えてふよふよ浮いてるキミ』
はあ。それはなんとも確かに珍しい。人間って宙に浮きながら膝を抱えることができたのか。まああの人間離れしたお兄さんならワンチャンありそ……ん?とここで初めて疑問を浮かべた。声のしたほうをゆっくりと振り返る。
『もしかして死んだことにも気づいてないタイプ?』
『いや記憶はないけど死んだ感覚は覚えてる……あの、もしかして』
『うん。キミとおんなじ、新米幽霊だよ』
にかりと笑うその顔は太陽のように晴れ晴れしく、冬のように静かだった。
『へぇ。ゴッドイーターさんのところに』
『ウン。拾われて』
『そんな犬猫みたいな……』
呆れたように笑うその姿は、年齢よりも少し大人びて見える。少年は己をサクラバフユキ、と名乗った。『冬に暁でフユキ、中々カッケー名前でしょ』誇らしげなその表情は決して私にはできない顔だった。私は記憶がない、名前もわからない。だから彼のように誇るものは何一つなかった。
私は特にやる事も行くところもないので、それは同じらしい彼と漂いながら様々な話をした。好きな物とか嫌いな物とか、そう、私の今までの事とか。
『それでその人は、どんなひとなの?』
『………陰気?』
『それはそれは。キミと正反対そうだね』
『でも、優しいよ』
『それはキミにピッタリだ』
『音楽が好きでね、よく部屋にいろいろ流れてる。いっつも怖そうな雰囲気してるくせに、そういうとこだけ妙に繊細なの』
私が童謡とか洋楽とかを歌っていると、彼は本当に時々、小さくハミングをした。その顔がとても穏やかで、年頃の少年らしくて。気付けば鼻歌大好き芸人になっていたというわけだ。その上音痴などと酷評されるのだから解せない。
『部屋にいるときのお兄さんはね、結構こうるさい』
『へぇ、そうなんだ』
『私が急にドラとか鳴らそうとすると怒る』
『誰でも怒るねそれはね』
『あと結構、ノリが良いよ。しりとりとか口プロレスとか怖い話とか熱唱とか思考実験とかサイコパス診断とかよくする』
『えすごい楽しそうじゃん』
『……うん、お兄さんってば、意外にひとと話すの嫌いじゃないんだから』
いつもむつかしそうな顔して、朴念仁のような振る舞いで、不機嫌そうな雰囲気を醸し出してるくせ、ふとした瞬間とても寂しそうなのだ。彼は孤高なんかじゃなく、ただ孤独なだけだった。
『興味ない振りしてるのは、ほんとは繋がっていたいからなんだよ。ひとりでいたいなんて、きっと嘘だと思うんだ。だって誰だって、不安な時ほど、誰かに傍にいてほしいものでしょ?』
それは幽霊が彼に出会ってからずっと、つまり自身を知覚できたときすでに持っていた愛の形だった。生前で培ってきた優しさの一部が、それだった。私が、確かにいつかどこかで生きてきた証。
知らず微笑んでいた私に、少年は苦しそうに笑った。
『どうかした?』
『いいや、その彼が羨ましくなっただけさ。そんなに想われて、果報者だ』
『そう?私のただの自己満足だと思うけど』
『時にはその自己満足が、誰かを救う事だってあるよ』
ホラ。少年の指さす先を見れば、そこには深海の色をしたフードを目深に被るひとが立っていた。いつの間に、少年を振り返る。
『まあまあ、少し様子を見てみなよ』
問い詰めようとして咄嗟に口を押えた。だってお兄さんってば地獄耳もいいところな耳の良さで、きっと一言一呼吸だって零したら気が付くに違いなかったから。非難を視線に乗せて彼に突き刺すが、しかしけろりとしたまま目を細めただけだった。
逃げようとしない足は正直で、立ち尽くして彼の挙動をじっと見つめる。あの日から何日経ったのか、もう幽霊にはわからない。お兄さんが戦線に復帰できるくらいの時間が経ったということくらいしか。
お兄さんはフードを掴んで僅かに脱いで、きょろきょろと不自然なまでに辺りを見渡していた。資材でも探してるのかな、と顔を顰める。そっちじゃなくて、こっち!こっち!と声を張り上げたいくらいだった。
やがて同じチームらしい年上の男に一言二言告げ、本格的に単独行動を始めた。えっちょっと危ないよ帰ろうよ。ハラハラしながら、十分な距離を測って見守る。気分は完全にストーカーだ。
「………おい」
見覚えのある通りに出た時、彼は唐突に声を上げた。いや声を上げたというよりも、声をかけたというのが正しい。まるきり幽霊を呼ぶときとおなじ、静かでハッキリとした声。誰か、潜んでいるのだろうかと私なりに周囲を見回すが、悲しいかな、私の索敵能力は彼以下だった。誰かが出てくるのをまんじりと待つが、待てども待てども人っ子一人出てこない。首を傾げていると、ふっ、とお兄さんが溜息とも嘆息ともつかない息を吐いた。
「ハズレか」
―――その時浮かべられた表情は、筆舌に尽くしがたいものだった。
笑おうとして失敗して、泣こうとして失敗して、無表情を装おうとしてそれも失敗したような有様だった。こんなヘタクソな感情を浮かべるひとを、私は彼の他に知らない。
探しているのだ。
決して探さないで。見限って。縁を切って。届かないで。見つけ出さないで。あらゆる感情が脳裏を駆け、やがてなすすべもなくだらりと項垂れた。
『行かないの?』
『その資格が、ないんだもの』
遠ざかって行くその群青の背中を見つめる。囁くように少年が言うのに、私はただ事実だけを突きつけた。
私は幽霊。あのひとには見えない。声だけの存在に縋りついてはならない。完璧な神さまなんかじゃないし、相棒のような妖精にもなれないし、守護霊にもなれないし彼の勝利の女神にもなれない。私は何者にもなれない。この先変わることもできないし、永遠も約束できない。
私は彼に何も与えられない。
『与えられるからいっしょにいたいわけじゃないと思うけど』
『うん。でも与えられないよりは、与えられるほうがいいにきまってる』
遠くで、お兄さんが同い年くらいの青年と合流したのが見えた。あの日背に庇った青年だ。ファンキーなカンジの、さすがの幽霊でも話しかけることを躊躇うような容貌の。
青年はお兄さんを晴れやかな笑顔で迎え入れ、その肩をバシバシと遠慮なく叩いている。
ああ、嗚呼。おともだち、出来たんだね。そう、良かった。
良かった、本当に。
鉄で覆われた人の身をもつたいせつなひと。私は貴方にともだちになってあげるなどと嘯いた。それを求めていたのはきっと私の方だったのに。
『それを決めるのは彼でしょ?』
『そうだね、そうかもしれない。でもそれでも幽霊なんかに、心を明け渡してはだめだよ』
お伽噺でもいつもそう。狡猾なおばけにだまくらかされて子どもはいつも泣きを見るのだ。悲しむのがわかっている未来なんか、ない方が良い。彼に友人が出来たことを心から喜べる私のまま、彼の前から消えてしまいたい。
ほんの僅かばかりの希望を見てしまった気がして、たまらなく逃げ出したかった。
遅れて本当に申し訳ございませんでしたぁ!!!!!!!!!!!!