「それじゃあ五分休憩にしましょう」
「リサ姉!クッキーあるー?」
「あるよ~。食べる?」
「食べる!」
「リサ、私も欲しいのだけど」
「っ、う、うん、もちろん!」
最近、友希那との距離感がわからなくなっていた。
あの壁ドンを見たからだろうか。わからない。
演奏にも支障が出てきていて紗夜にも心配されてしまっている。
Roseliaの練習に私情を持ってはいけない。だから気合を入れなおさなきゃ。
「それからリサ、さっきのところだけど」
「ご、ごめん!先にお手洗い行ってくるね〜!」
アタシは友希那から逃げるようにスタジオを飛び出した。
自販機の横に置かれているベンチに腰をかけて天井を見上げる。
どうしよう。咄嗟に友希那から逃げちゃった。
やっぱりあのことに関してはバンド練習中でも私情挟んじゃうよ。
「……あー。どうしよう」
「何か悩み事ですか?」
聞こえてきた声に顔を天井から正面に戻す。そこには片腕を腰に当てている紗夜がいた。
心配そうにアタシのことを見ていた。
「紗夜……」
「今日の今井さんはいつもの今井さんではありませんでした。湊さんと話している時は特に取り乱していたように感じます。ですが湊さんが気まずそうにしている雰囲気はありませんでした」
「あはは……やっぱりわかっちゃうよね」
「当たり前でしょう。一年以上バンドを組んでいるんですから。
それで、何があったんですか?」
まあさすがにあんなあからさまに避けてたらバレちゃうよね。
多分燐子やあこから聞かれてたらはぐらかしてたかも。けど紗夜とアタシは同じ竿隊で、練習も一緒にやってきた。バンド内でも友希那の次に一緒にいる時間が長いメンバー。そのうえ真面目で冷静だしいいアイディアを出してくれる気がした。
だからアタシは話した。
芹沢くんと友希那が名前で呼びあっていたこと。
芹沢くんと友希那のお父さんが知り合いだったこと。
おそらく二人の間には何かしらの溝があること。
体育の授業中に芹沢くんが友希那をお姫様抱っこしていたこと。
垣間見えた嬉しそうな友希那の表情。
優しい芹沢くんの声。
保健室で見た壁ドン。
それを見て逃げ出したこと。
全部全部、紗夜に話した。
紗夜はアタシの話を聞いて何かを考えたあと、アタシに言った。
「今井さんと芹沢さんは今でもニセモノの恋人ですか?」
「え?うん。そうだね」
あの日の告白からアタシたちの関係性は何も変わっていない。
そうだとアタシは思っている。
変わることもないと思っていた。
「今の話を聞いて、正直私には今井さんが湊さんに嫉妬しているようにしか感じませんでした」
「……え!?アタシが友希那に嫉妬!?なんで!?」
「それは今井さん本人にしかわからないと思いますが……」
そりゃあそうだけど。友希那に嫉妬する理由が見つからない。
芹沢くんが友希那に壁ドンしていたからと言ってアタシが嫉妬する理由って一体……。
「今井さんは芹沢さんのこと、好きなんじゃないですか」
「え……?」
まっすぐ向けられた視線にアタシは目を丸くした。
「もし違うのならすみません。ですが気づいていないだけなら自覚した方がいいと思いますよ」
「時間ですから戻りましょう」なんて言って紗夜の背中は遠くなっていく。
アタシはその背中を見つめ動けなかった。
アタシが、芹沢くんを好き……?
そんなこと今の今まで考えたことがなかった。
だって芹沢くんとは三ヶ月だけのニセの恋人ってだけだしそれ以上の感情なんてアタシにはなかったはず。
それ以上の関係になることをアタシは望んでいたって言うの?
結局答えが出ないままアタシはスタジオに戻った。
中途半端な演奏になって、友希那からも紗夜からも怒られてしまった。
「今井さん、迎えに来たよ」
アタシが悩んで必死に考えている時に彼はいつもの笑顔を引っ提げて目の前に現れた。
Roseliaのみんなは何度も見た光景だと割り切っているのかさっさと解散する。
友希那も紗夜も、あこも燐子も、何かを言う様子はなかった。
スタジオからの帰り道。アタシと芹沢くん、二人きり。
何度も体験してきたことなのに芹沢くんの顔が見れなかった。
なんでだろう。
芹沢くんが友希那に壁ドンしてる姿を見たから?
それとも紗夜があんなこと言っていたから?
「今井さん、今度のライブっていつあるの?」
「え?こ、今度のライブ?」
「うん。ほらこの前のライブの時に近いうちにライブするって告知してたでしょ?日程とか決まった?」
そう言えばライブの後にそんな告知をしたんだった。
今はそのライブの準備をしてる段階だったのにすっかり忘れていた。
「まだ詳しいことは決まってないよ。けど八月末、夏休みの最後辺りってことは決まってるかな」
「そうなんだ。ライブ、楽しみにしてるね」
夏休みの最後の週。
アタシにとっては一大イベントがあるんだけど芹沢くんは知ってるのかな。
「そう言えば友希那、大丈夫だった?」
「へ?」
「ほらこの間の体育の授業で足捻ってたでしょ。練習の時、無理とかしてなかった?」
「う、うん。少し歩きにくそうにしてたけど大丈夫だと思うよ」
彼は、タイミングが悪い。
どうして今その話をしてしまうんだろう。
思い出したくなかったのに。
「あの日はありがとう友希那のこと保健室に連れて行ってくれて」
「別に構わないよ。それに僕、保健委員長だし」
「あははっ。そう言えばそうだったね。忘れてたよ」
「まあ特に活動することもないから仕方ないね」
普段だったらお礼の言葉だけで済んだ。きっとあれを見なかったらアタシはそれで終わらせてた。だけど、あれは衝撃的だったから。
だから追求せずにはいられなかったんだと思う。
「ねえ芹沢くん」
「何?」
「保健室で、何かあった?」
今日初めてちゃんと芹沢くんの顔を見た。
驚いたような表情がアタシに向けられる。
「どうして、そんなこと……」
「保健室、友希那と二人きりだったんでしょ」
「見てたの?」
「偶然だよ。友希那の荷物を届けようと思った時に偶然、見ただけ」
「そっか」
「芹沢くん、友希那に壁ドンしてたよね」
芹沢くんはそっと顔を逸らす。
そんな芹沢くんを見るのは初めてで、その目の逸らし方はまるで悪いことをしているかのように思えた。
「……それは肯定として捉えていいの?」
「違うって言って、今井さんは納得してくれる?」
その言葉だけならしないだろう。それなりの理由がない限り、納得なんてできない。
だけど芹沢くんはそれ以上の言葉を続けようとはしなかった。
「……芹沢くんは前にアタシの家に来た日のこと覚えてる?」
「覚えてるよ」
「アタシは、好きな人いないって言ったけどさ。芹沢くんはいるんでしょ?」
芹沢くんは何も言わない。
目を逸らしたまま何も言わない。
「それってさ、友希那?」
それならそうだと言ってほしかった。
最初から恋人のフリなんかさせないで相談に来てほしかった。
そうすればただ話を聞くだけで済んだのに。
幼なじみの応援をするだけで済んだのに。
キミへの想いなんて、自覚せずに済んだのに。