夏休みに入った。
Roseliaのライブも正式に場所と日程が決まり、普段よりも長い時間、たくさんスタジオで練習することが話し合いで決定した今日この頃。
気合が入るのと同時にアタシは彼のことが気になってしまう。
終業式が終わって、夏休みに入ってから一週間が経つが彼から連絡が来ることは一度もなかった。毎朝の「おはよう」の挨拶以降が続かない。
夏休みというのは普段よりも遊べる時間が増えるものだと毎年思っていたけどそんなことはないらしい。
気まずさはアタシたちが一緒にいる時間すら奪ってしまうようだった。
Roseliaの練習はどうにかできている。
紗夜は調子が悪くてもアタシに何も言わない。それはきっとアタシの事情を知っているから。ただの私情だって言うのに紗夜はただ見守っていてくれる。
友希那もアタシに何も言わない。それは何故だかわからない。前ならこんな中途半端な演奏に小言一つ言ったっておかしくない。なのに友希那はアタシを見て目が合うと視線を逸らす。その事実が少しだけ怖かった。
今だにRoseliaを脱退させられる可能性があるのは技術の劣るアタシだけ。
だからこそ練習には誰よりも一番集中していないといけないのに。
初めての恋心はアタシの邪魔をする。
スマホを握る力が強くなる。
彼とのトーク画面は何度眺めてもおはようから変わることはない。
何してるの?とか今日暇?だとか。送ろうと思えばいくらでも言葉はかけられたはずだ。
声を掛けられないのはきっと、あの日の芹沢くんと友希那を見てしまったから。自覚してしまったから。
紗夜に言われて自覚しなければそんなことを思わなかったのだろうか。
友希那との関係が少しだけぎこちなくなることもなかったのだろうか。
あこや燐子にも最近不調気味と心配されることもなかったのだろうか。
わからない。だって全部初めての経験。
誰かを好きになることも、その誰かとずっと一緒にいたいと思うことも、その誰かに片想いすることを。
全部全部初めて。
いつか見た少女漫画に片想いは楽しいって書かれていたのに噓っぱちじゃん。
片思いなんて辛いだけ。涙が零れそうになるのを必死に抑える。
この想いが届くことはないなんて悲しいだけだ。
軽率に彼氏が欲しいと嘆いていた過去の自分を殴りたい。
kakeru:今井さん。今日時間ある?
「え……芹沢くん……?」
ピコンとトーク画面に増える文字。そこにはそう書かれてあった。内容を認識するのと同時に秒で既読をつけてしまったという事実に動揺する。これじゃあまるでアタシがずっと連絡を待ってたみたいだ。
「ど、どうしよう!と、とりあえず返信しなきゃ!!」
慌てふためいてスマホを落としそうになったところをギリギリでキャッチして画面と向き合う。
おはようの後に続く文章は幻ではなかった。
Lisa:空いてるよ~☆
Lisa:何か用事?
kakeru:話したいことがあるんだけど
心臓がドクッと音を立てた。
流れた汗は暑さのせいじゃない。
kakeru:会えないかな
彼と会いたくないと思ったのは初めてだった。
指定された場所である公園に呼び出されたのは夕方。暮れかけの夕日は今日最後の力を振り絞って遊具を照らす。その光は温かくて眩しい。生暖かい風は夏を感じるのに十分だった。
「来てくれてありがとう今井さん」
「ううん。全然大丈夫だよ」
アタシを呼び出した張本人はベンチに座っていた。足音を聞いて顔を上げる。
浮かなそうな表情。それに笑顔が重なる。ハッキリ言って似合っていなかった。
ベンチの隣に座るよう手招かれる。首を振って遠慮すれば彼は少し残念そうな顔をした。
断る理由は特にない。だけどなんとなくダメな気がした。
対面した彼は目を合わせてくれない。
座ったままただ地面を見つめていた。
「……それで、話って何?」
黙っていたって時間が過ぎてしまうだけ。埒が明かない。そう思って疑問を彼に投げた。
議題はなんとなく察していた。だけどそれをそのまま彼にぶつけなかったのはできるだけ知らないフリをしていたかったからかもしれない。
「__恋人のフリをしてもらう期間を短くしたいんだ」
胸がメシッときしむ。今にも壊れてしまいそうだと他人事のように思う。
わかりきっていた言葉なのに、心構えもちゃんとしていたのに。
彼から直接言われただけで弱ってしまうとは思いたくなかった。
「……理由、聞いてもいい?」
アタシの問いに彼は顔を上げる。申し訳なさそうに眉を顰める姿を見るのは水族館デートの時以来だった。
「ずっと今井さんにわがままを押し付けていた。告白されてしつこかったからって今井さんの優しさに付け込んでしたくもなかった恋人のフリを押し付けて君の時間を拘束した。本当にごめん」
なんで彼は今更そんなことを言うんだろう。
アタシは君がその提案をしてくれたから君のことをもっと知れたのに。
君がいたから楽しい思い出がもっと増えたのに。
「約束していた期間は三か月だったでしょ。それを夏休み中までにしてほしいんだ。そうすれば君は必要以上に僕と会うこともないでしょ?」
「なんでアタシが芹沢くんに会いたくないって言うと思ったの?」
「え……?」
困惑顔と目が合った。
こんなこと言ってるんだから少しくらい気づいてほしいよ。
「アタシ、芹沢くんのこと会いたくないくらい嫌いだなんて思ったことないよ。例えニセモノの恋人としての扱いであっても楽しかったのは本当だもん。誰かとの予行練習だったとしてもこれは揺らぐことのない事実だよ」
「っ……」
たとえ彼の想い人がアタシじゃなかったとしても、君がいたからアタシは初めての感情を知れたんだ。
満足だとは言わない。だって彼の想いはアタシには向いていないから。それでも嫌いになれるはずなかった。
「芹沢くんは、アタシと一緒にいるの、嫌?」
静かに首を振る彼。また下を向いた。
「嫌じゃないよ。僕も今井さんと一緒に何かするの楽しいから」
「それなら、芹沢くんがアタシの時間を拘束したことをアタシは怒れないよ?だってアタシも芹沢くんの時間を拘束してるんだし。もし芹沢くんがアタシの時間を悪さすることに使っていたんなら話は別だけどね」
そう言ってウィンクをすれば彼は驚いたように顔を上げて「ははっ」と笑った。
「……本当、今井さんは優しいね」
「アタシは思ったこと言っただけだよ」
「それでも、その言葉は僕にとっては優しすぎるくらいだから」
カバンを持って彼は立ち上がる。「ありがとう」なんて言って笑顔をくれた。
「だけどこれは決めたことなんだ。これ以上君に甘えていてはいけない。自分勝手だってことはわかってる。バカなことを言っている自覚もあるよ。何を言っているんだって呆れられても仕方ないと思っている。
僕のわがままを聞いてくれるのはこの夏の間だけでいいから」
それが永続すればいいのに。
芹沢くんが罪悪感を感じてニセモノの恋人である期間を早めようとしてくれているのにアタシはそんなことを思った。
これじゃあどっちがわがままかわからない。
ねえ芹沢くん。アタシがわがままを言うことは許されますか?
「……わかった」
この関係はいつか終わってしまう。それは今にわかったことじゃないし覚悟はしていた。それでも終わりに近づくにつれて寂しいという感情が増していく。
「今井さん。今日はわざわざ来てくれてありがとう。また遊びに誘うね」
君は手を振って、アタシに背を向けた。歩いてその距離が遠く、君の背が小さくなっていく。
悲しかった。寂しかった。もっと一緒にいてほしい。そんなわがままを言うのはダメだろうか。
言ってはいけない。彼を困らせてしまう。アタシが甘えてしまうから。
叶わないと知っていても彼を好きであることに変わりはなくて。
だからこそ辛くて。
こんなことなら恋なんて知りたくなかった。
けど最後に一つ、許されるのなら。
「っ……芹沢くんの好きな人って友希那なの!?」
確信がほしかった。もしそうでもいいからただ彼の口から真実が聞きたかった。
だけど芹沢くんは肯定も否定もしない。止めていた足はまたアタシから遠ざかるために使われた。