「今井さん、遊びに行こう」
そう言った彼が家に訪れたのはあの告白から二週間後だった。インターホンのカメラ越しに見た彼は私服姿で手を振っている。
今日はRoseliaの練習がない日で元々は友希那と買い物に行こうと話していた。だけど予定の二時間前に急遽他に用事ができたからとキャンセルされて、予定のなくなったアタシは家でゴロゴロしようとしていた。だからこのアポなし訪問は想定外で、とても動揺して。
「ちょ、ちょっと待ってて!!」
慌ててインターホンを切って部屋に走る。
アタシは家でダラダラしようと決めていたのだからパジャマのままだった。だがさすがに想いを寄せている人の前に出るのにパジャマ姿で髪がボサボサの状態で出迎えできるだろうか。
答えは否である。
仮に彼が許しても乙女心は許してくれなかった。
オシャレとは言えないが最低限見せられる服に着替えて髪を整える。部屋を軽く片して階段を下り勢いよく玄関を開いた。
外で驚いた彼と目が合う。同時にアタシを襲う灼熱地獄。
「おはよう今井さん。意外と早かったね」
そう彼は笑っていたけど首筋から汗が流れていることは見逃せなかった。
蒸し暑い中外にいたのだから当然だろう。すごく申し訳なくなる。
「と、とりあえず中入って!」
アタシの部屋は脱いだ服が散らかっているから案内することができず、玄関から一番近いリビングに案内することにした。
友希那と朝から買い物に行くと昨日のうちに話していたこともあって両親は両親でデートに行って家にいない。結婚して二十年以上経つのにその仲の良さは羨ましい限りだ。
「麦茶でいい?」
「あ、お構いなく」
そんなわけにはいかない。想い人に何もしないなんてできるはずがない。コップ二つに麦茶をついで座ってもらっていた食卓に置けば「ありがとう」と笑顔でお礼の言葉を言われる。
それにどうやってもときめいてしまうのはどうしようもないほど彼に惚れ込んでいるからだろうか。
「それで、今日は突然どうしたの?」
「前に僕は今井さんにこの夏の間まで恋人のフリをしてほしいって頼んだでしょ?夏が終わるのもあと少しだから一緒に遊びたいなーって」
「……そっか」
芹沢くんは善意でそう言ってくれているのだろう。けどアタシにとってその言葉はタイムリミットのように感じていた。
夏が終わる。それに明確な時間など存在しない。だがもしも仮にそれが夏休みまでの話なら。
あと、二十日も残されていないのだ。アタシが彼と恋人でいられる時間は。
「けど時間とか別に気にしなくてもいいのに。だってアタシたち『友達』なんだから恋人のフリしてなくても普通に学校で会えるじゃん?」
友達、という単語を使って胸が痛むのは後にも先にも今日だけだろう。
「そう、だね。だけど夏にしかできないこともきっとたくさんあるよ。だから僕は君を誘ってるんだ」
ねえそれ、どういう意味。
恋人だから誘うってこと?それともアタシだから誘うってこと?
どっちなのか教えてよ。
「それで今日なんだけどね。僕タピオカが飲みたくて」
「へ?タピオカ?」
「うん。今すごく流行ってるでしょ?飲んだことないなら飲んでみたくてさ」
芹沢くんがなんか生き生きしている。これ人気なんだよね僕知ってるよ褒めて褒めてって尻尾を振る愛犬に言われているみたいだ。犬、飼ったことないけど。
タピオカという単語にこんなにもワクワクしている人間をアタシは初めて見たかもしれない。
クスッと笑みがこぼれる。
こんな表情をされて、行かないという選択肢はアタシにはなかった。
「とびっきり美味しいところ教えてあげるよ!」
アタシの空白だった時間は彩る。
芹沢くんをリビングで待たせてアタシは自分の部屋に戻った。
洋服を可愛いものに着替えピアスをする。軽くメイクもして、時計を見たら三十分経過していた。
また階段を下りてリビングに行けばスマホを触っていた彼と目が合った。
「かわいいね」
開口一番がそのセリフなのはずるいと思う。
えへへとだらしない声が漏れる。言って欲しかった言葉がもらえることがこんなにも嬉しいだなんて知らなかった。
「それじゃあ行こうか」
家を出て向かったのはショッピングモールの一階、入り口から入ってすぐのところだった。
新しくできた店だけど飲み物全体的にいいくらいの甘さで、甘いものがあまり得意ではない人たちも絶賛の人気上昇中のお店。前に行ったけど噂通りで個人的にとても満足だった。
タピオカを初めて飲むのならぜひ芹沢くんにも飲んでもらいたい。
灼熱地獄に飛び込んで歩く。けど隣で彼が笑ってくれるからそれだけで暑さも忘れてしまう。
「今から行くお店はね、甘さも調節できるんだよ」
「へぇ。そうなんだ」
「そうそう。タピオカって基本甘いんだよね。けど今から行くところは甘さ控えめにできるから甘いのが苦手な人も安心して楽しめるんだよ」
「そうなの?よかった。僕、甘すぎる飲み物って得意じゃないから」
芹沢くん、その辺の心配をしていたのだろうか。それが聞けて心底安心した様子だった。
「あんまりタピオカ飲むのに適してない人だね」
「それは自覚してるよ」
芹沢くんは少し不貞腐れていた。
その表情がかわいいと思ってしまうなんて、アタシはこの暑さにやられたのかもしれない。
「あ、見えて来たよ」
アタシが指差す方を彼の瞳が捉える。すぐ横を同い年くらいの女生徒たちが通り過ぎた。
店はいつも人で溢れているのに今日は比較的少ない。ラッキーだと思った。
列で待っている間に店員さんに渡されたメニュー表を広げ二人で目を通していく。
「芹沢くん何にする?」
「僕は最初ってこともあるし王道なのがいいんだけど……」
「そうなるとタピオカミルクティーかな~。甘さ控えめでいい?」
「うん」
アタシたちの番に回ってきたところでアタシは店員さんに注文をお願いする。
数分で出来上がったそれに専用のストローを挿してもらえば芹沢くんの望んでいたものの出来上がりだ。
「おおっ……タピオカだ……」
当たり前のことを興味深そうに言うもんだからつい吹いてしまった。
「どうしたの?」なんて真顔で問われても困る。
「ふふっ。そんな真剣な顔で『タピオカだ』って、笑わない方が無理だって」
「なっ、別におかしなことなんてないじゃないか!」
「おかしいって」
クスクス笑うアタシに彼は納得いかない様子だったけどタピオカを飲んで落ち着いたみたい。
「芹沢くん、初タピオカの感想は?」
「美味しいね。甘さ控えめにして正解だったよ」
「そっか。ならよかった。オススメしてドキドキだったんだから」
「そこまで緊張するようなことでもないでしょ?美味しくないお店なんてほとんどないんだし……」
「たまにあるんだよハズレ」
この前行ったところは本当に砂糖だけ使って甘くしました感あって失敗したなーと思ったよね。まああれがいいって人もいるんだろうけどさ。
「そういえば今井さんは何頼んだの?」
「アタシ?アタシはね、抹茶ミルクだよ」
「抹茶って……また渋いの選んだね」
「そんなに渋くないよ。こういうところで売られてるのって甘いし」
「そうなの?」
「そうだよ。よかったら飲んでみる?」
そう言ってハッとした。
飲み物に挿してあるストローは一本だけ。新たにストローを挿すようなことはしない。つまり芹沢くんはアタシが口をつけたものに口をつけるってことになる。
これ、間接キスってやつになるんじゃない?
「ほんと?ありがとう」
そう考えてしまえば顔に熱が集まるのを感じた。
けど一度提案して芹沢くんがのっかってしまえば今更アタシに拒否できるわけもない。
というか間接キス自体は嬉しいし?現時点での役得かもしれないし?けど恥ずかしいことに変わりはない。
彼にプラスチックの容器を差し出す。しかし彼は何を思ったのかアタシが持っている容器を受け取らずアタシの手首を取った。そのまま顔を近づけてストローに口をつける。
透明なそれは中からタピオカとジュースがなくなっていくのを目の前で見せつけてくる。
嬉しいが、アタシの顔に熱が集まるのは避けられない事実だった。
「あ、これも美味しいね。次は僕も抹茶ミルクにしようかな」
「そ、っか……よかった……」
「今井さん顔真っ赤だけど……」
「な、なんでもないよ……!」
芹沢くん、無自覚でやらないでほしい。
そんな思いで彼を見れば彼も何故か顔を染めていた。
「……自分でやっておいて、それはダメだろ」
どうやらアタシのせいで変に意識させてしまったらしい。
ただ申し訳なくなるが、芹沢くんって意外とピュアだなーと思っていた。
確かにアタシも関節キスで真っ赤になったけど、それは相手が芹沢くんだからで。芹沢くんは他に想っている人がいるのだからアタシの行動で揺らぐ必要はないのに。
そんな反応されたら、勘違いしちゃうじゃん。
「移動しよう」
芹沢くんはアタシの手首を掴んでいた手を離し逆の手を握る。それは微かに震えていて最初の水族館デートを思い出した。
あの時も彼の手は震えていた。それでも自然と慣れていて、最近までずっと、こんなことなかったのに。
関節キスって、そんなに動揺するようなことだったの?
ああもう。芹沢くんが何考えてるのかわかんないや。
けどいつだってその笑顔で許してしまうから。
アタシは芹沢くんに甘いんだろう。