その日はRoseliaの練習を終えて、お母さんに頼まれた夕飯の食材を買って帰るところだった。
「あっ……」
「今井さん……」
いつも通っている道。曲がり角を曲がった先には芹沢くんがいた。
Roseliaの曲を口ずさんでるんるんな気分だったのに一瞬で空気が気まずいものに変わった。
アタシは何を言えばいいのかわからずに佇んで、芹沢くんはその瞳でアタシを捉えたまま何も言わない。何を言わずにアタシの隣をすり抜ける。
「ま、待って芹沢くん!」
気づけば呼び止めていた。困惑顔の彼と目が合う。
「……何か、用だった?」
「え、えっと……その……」
ライブに誘う。ただそれだけ。前も簡単にできたじゃん。そうは思ってもアタシの口からライブに関する言葉は出てこない。
「せ、芹沢くんは、こんなところで何してたの?」
「散歩だよ。ちゃんと、見ておきたくて」
「へ、へぇー。そうだったんだ」
「……今井さんは買い物帰り?」
「そ、そうなんだ!練習帰りにお母さんに頼まれて」
なんでもない会話は簡単にできてしまうのに。
結局のところ、芹沢くんに断られるかもしれない未来を見て怖気づいているだけにすぎない。だからアタシは答えを先延ばしにしている。
気づいているのに、どうしてアタシには大切な場面で勇気が足りないんだろう。
意気地ない自分に笑えてきた。
「持つよ」
「へ?ちょ、芹沢くん!?」
なぜか芹沢くんは突然アタシの買い物袋を奪い取った。動揺しているアタシに対してそのまま歩き出した。置き去りにされかけたアタシは慌てて彼のことを追いかける。
隣に並んだ彼は横目でアタシを見ていつも見せてくれる笑みを見せた。
「今の僕は今井さんの彼氏でしょ。家まで送るよ」
「っ!?……うん」
そういうことサラッと言っちゃうからアタシの心臓は心底穏やかじゃない。
例え関係がニセモノでも、一緒に過ごしている時間は本物だ。
「……芹沢くんは散歩とか、よくするの?」
「いや。滅多にしないよ」
じゃあ今日の芹沢くんはレアってことだ。アタシはいいタイミングで会ったのかもしれない。
「今井さんは、いつもこの時間に帰ってるの?」
「そうだね。Roseliaの練習自体はいつもより早く終わったんだけど買い物に行ってたから結局遅くなっちゃった」
「変出者出るらしいから気をつけてね」
「えぇ!?そうなの!?」
「知らなかったんだ。ニュースでやってたのに」
クスクス笑う芹沢くん。
最近はベースの練習ばかりしていたからニュースとか全然見てなかった。そう言えばお母さんがそれっぽいこと言ってたっけ。
「気をつけるって言っても、いざそういう人が出てきたらどうすればいいんだろう」
「それは僕に聞かれても……まあ、全速力で逃げてコンビニとかに入るのが安全じゃない?」
「確かに。遭遇したらそうしよう」
「なんで遭遇する前提なの?」
「絶対に遭遇しないって言い切るよりはいいでしよ?」
「まあね」
一度話してしまえば不思議なことに気まずさは消えていた。前みたいに仲良く話せている。その事実がただ嬉しかった。
ふと、視線を落とす。アタシがいる方と反対側にはアタシの買い物袋があった。近い方の手には、何もない。
その手を握りたかった。
触れたいけど触れられない。それがもどかしいものであることをアタシは知らなかった。
隣にいるのに。その手はあと15センチ伸ばせば掴めるのに。
熱い。熱が集まって熱い。キミへの情熱が溢れて熱い。こんなにもキミを思っているのに。
想いを早く、伝えてしまいたいと思う。
「「あのさ」」
その声はぴったり重なってお互いに顔を見合わせた。
驚いた顔。きっとアタシも同じ顔。笑いあって始まるのは譲り合い。
「今井さんからどうぞ」
芹沢くんが譲ってくれたこともあってアタシから話すことになった。
一気に緊張がアタシに迫る。だけどもう逃げられない。だからアタシは芹沢くんと向き合う。
「こ、今度の金曜空いてる?」
「金曜って二十三日?」
「そ、そう!二十三日」
「……今のところ予定はないけど」
「そっか。よかった」
ふぅーと息を吐いて、カバンの中から封筒を取り出した。開封する前に芹沢くんに手渡す。
「これ、ライブのチケット」
「チケット?」
芹沢くんは中身を取り出してそのチケットをまじまじと見ていた。
「これ、僕に?」
「うん。関係者席だからステージからは少し遠いけど……」
「……僕に渡していいの?」
「当たり前じゃん。じゃなきゃ渡してないし。それに……今はアタシの彼氏なんでしょ?なら、ライブ見に来てもおかしくないし」
顔が熱い。自分で言って恥ずかしくなってつい視線を逸らした。
そんなアタシの行動を見て芹沢くんは笑う。何がおかしいのかわからないくらい笑っていた。
「せ、芹沢くん……?」
「あははっ!ごめんごめん。自分で彼氏なんて言っておいてすごく照れてたから。ほんと、今井さんって照れ屋だよね。初めて話したときはそんなこと全く思ってなかったよ」
「そ、それにしても笑いすぎだって!」
「ごめん」なんて言いつつも彼は笑っていた。恥ずかしくてアタシの顔はもっと赤くなる。
「けど、うん。ありがとう。ライブ、見させてもらうね」
「ほ、ほんと!?」
「もちろん本当だよ。楽しみにしてるね」
「任せて!最高の演奏を見せてあげるから!」
彼が見に来る。それだけで気合いの入り方は何倍も変わっていた。
なんてアタシは単純なんだろう。自分のことなのに笑えた。
「あっ」
「今井さん?」
「そう言えばさっき芹沢くんも何か言おうとしてたよね。何?」
そう問えば芹沢くんは「んー」と殻返事。星の出ている空を見上げて、立ち止まった。
「星って、綺麗だよね。雲に隠れたら見えなくなっちゃうけどそれはそれでいい」
「芹沢くん……?」
彼をミステリアスだと思ったのは初めてだった。
「どこにいても星は同じように見えるんだ。だから僕は星が好きなんだよ」
「そ、そうなんだ」
どうして急にこんな話をしてきたんだろう。彼の意図が読めない。
「今井さんは、星とか好き?」
「え?ま、まあ嫌いではないかな」
彼は横目でアタシを見た。細めで口角を上げる。
「よかった」と呟かれ、首を傾げることしかできない。
「あの、芹沢くん」
「ん?どうかしたの?」
「なんで急に星の話?」
「……なんでだろ。したくなったから?」
「着いたよ」と彼の足が止まる。ふと彼の視線の先を見ればそこにはアタシの家があった。
楽しい時間というのはあっという間だ。
こうやって、ずっと話していたいと思うアタシの意思を無視して過ぎていく。
時間とはなぜ有限なのだろう。
こんな哲学的なこと、アタシが考えたってわかりやしないのに。
当たり前になっていることを、考えたって仕方ないのに。
「またね今井さん」
買い物袋をアタシに渡し彼は言う。
手を振り来た道を引き返す彼のことをアタシは目で追った。
その姿が見えなくなるまで、ずっと追っていた。