「シズク。落ち着いたかい」
「はい。今は、なんとか」
日が沈み、珠雫の心はともかく頭だけは冷静に返った頃。教室で
深刻な空気を察した彼女のルームメイトは席を外してくれている。珠雫があれほど願って止まなかった2人きりのシチュエーションだが、まずそんな雰囲気になることは有り得ないだろう。
「……彼は、この学園に在籍していたんですね」
「……ごめん。珠雫がここに来るって聞いたときに伝えるべきか迷ってたけど、最後まで言い出せなかった」
「お兄様が謝る事ではありません。全て私が蒔いた種ですので」
一輝の謝罪に珠雫は静かに首を振る。
そもそも、聞いていなくても考えてみればわかることだったのだ。
まだ未発達とはいえ
つくづく自分の浅慮が嫌になる。
兄との再会に浮かれていた、なんて言い訳にもならない───自分は出会い頭に殺される位の覚悟でこの学園に来るべきだったのに。
「ここでまた
「いいや、彼が入学したのは僕と同時期だ。彼が僕の事情を知っているのはそれが理由だよ。……彼も僕と同じ、留年生なんだ」
「え?」
つかの間、珠雫の心の重圧が疑問に変わった。
兄が留年させられたのは落ちこぼれを排出しないための実家からの圧力だったはず。今はともかく、能力絶対主義だった去年の学園ならば彼を留年させるなどまず有り得ない措置であるはずだ。
兄と同じように実家から圧力をかけられているのかとも思ったがそれは無いだろう。
聞くところによれば王峰一真はAランク。圧力をかける口実が無いし、記憶によれば『王峰』の家は黒鉄の血縁の中でも末席に近い。たとえ口実があったとしても、学園を従わせるような力はないはずだ。
となれば────
「彼は……一体、何を仕出かしたんですか?」
最悪の予想が頭を支配して、珠雫は思わず一輝の手に己の手を重ねた。
だってそうだろう。黒鉄一輝は自分の人生を取り返しのつかないレベルで歪めた人間の兄だ、大きな悪感情を抱いても当然というもの。本家と分家の規模まで広がったそのいざこざを学園側が本家とのやり取りで知っていてもおかしくない。
兄を締め出そうとしていた去年の学園ならば、それを利用して彼を兄にけしかけたのではという悪意的な想像も充分に現実味を帯びてしまう。
そう、対外的なポーズとして留年という措置を取らなければならない位になってしまう位に王峰がやり過ぎてしまったのだとしたら───
私のせいで、兄は───
「シズク。何に思い至ったのか大体想像がつくから言うけれど、それは違うよ。直接的にも間接的にも、珠雫のせいで被ったものなんて何一つ無い」
「本当、ですか……?」
「嘘なんてつかないよ。それにカズマについてもそうだ」
珠雫の想像を否定する声は優しい。
しかしそこに含まれた強い厳しさもまた知っている。あの時と同じ、自分の間違いを諫める声だ。
「確かに僕は去年、学園からは散々な目に合わされた。だけどカズマは……彼とその友達だけは、変わらず僕の味方であり続けてくれたんだ。
……ただ、そう。僕よりも先に、彼の方が
口ごもり言葉を濁したそれこそが彼が留年した理由なのだろう。
しかしそこは問題ではない。
「そう、だったんですか……」
───兄には何より心強い味方がいた。
何よりも喜ぶべきその事実に、しかし珠雫は喜ぶことが出来なかった。
「シズク」
俯くように丸まった珠雫の背中に一輝は手を置いた。
「たとえ許されなかったとしても、目を背ける訳にはいかない。だから、これから一緒に向き合っていこう。……彼に何回詫びても足りないのは、僕も同じだから」
一輝の言葉に珠雫は「はい」と小さく頷いた。だがその声色には芯が無く、まるで怯える子供のように弱々しい。
かつて自分は傍若無人に『力』を振り回し他人を傷付け続けた。そんな自分に人生を引っ掻き回された彼は、同じ『力』で怨敵であるはずの自分の兄を守っていた。
そして今、自分はそんな彼に対してあらぬ疑いをかけてしまって───。
無力感と劣等感。罪悪感の上から更に重なった、今まで感じた事も無かったそれらが彼女から力を奪っていく。
向き合わねばならないのはわかっている。だけどこんな自分の行動に、どれだけの誠意が篭るだろう。
これから先の学園での生活を。
どの面を下げて。
自分は。
◆
初日こそ考えうる限り最悪に近い滑り出しではあったが、一真の学園生活は比較的スムーズに進行していた。
1つはよく気心の知れた一輝が同じクラスであった事と、もう1つは回りが全員新入生であるため、彼が去年起こした大事件を知らない事。
規格外の体格に気圧され遠巻きになっていたクラスメートと一真との間を完成された社交性で繋げてくれた
とはいえ。
1番の理由は、黒鉄珠雫(とステラ)が1週間の停学処分を受けて教室にいなかったからだろうが。
(……2人とも今日で謹慎が終わるんだったか)
今日、一輝は妹とお互いのルームメイト合わせて4人で遊びに行っているらしい。どうやら沈みっぱなしの珠雫を見かねたルームメイトの提案だと一輝から聞いた。
良いことだと思うし、それで持ち直せばいいとも思う。気遣っている訳ではない。向こうがどんな心境でいるのかは知らないが、同じ教室内で延々とビクビクされている方が苛立つに違いないからだ。
『カズくーん、どう? 入りそう?』
「いやァ、駄目だ。丈が短けえ」
布1枚を隔てた向こう側から問いかけてくる刀華の声に一真は窮屈極まりない試着室のカーテンを開きながら答える。その手に持っているのは残念ながらハンガーに戻さざるを得ないことが判明した服一式。
「残念だね。せっかく似合いそうだったのに」
「お力になれず申し訳ありません、1番大きなサイズだったのですが……」
「あァ、気にせんで下さい。あなたが悪い訳じゃないし、最早いつものことなんで」
頭を下げる店員に笑いかける一真に他の店員や客が一様に注目している。人目を引くのにも慣れている彼は別段それに不快感を覚えたりはしないが、それ故にその視線の
その事に思い至ったのは刀華の方らしい。仄かに頬を染めながら目線を背け、故郷の言葉でややぶっきらぼうに一真に指摘した。
「……
服を増やそうか、とぼやいたのは一真。
じゃあ買いに行こう、と連れ出したのは刀華。
同じような服ばかりが並ぶクローゼットを見た彼女の形容しがたい顔に一真が珍しく購買意欲を見せたのが、2人がいま学園の近くにある大型のショッピングモールにいる理由だった。
「真面目に探しても無いもんだな……」
「そうだね……探せばあるだろうって思ってた私の見立てが甘かったかもしれない……」
何件目かの撃沈を果たし、肩を落としながら2人は歩く。
わかる人にしかわからない悩みではあるが、身体が大きいと服を選ぶのに苦労する。身体に合うサイズがないのだ。まして一真の体躯だともはや日本国内のブランドでは着れる服がない。
ロングスカートにカーディガン、淡い色合いで大人びた落ち着きを感じさせる服装の刀華に対して一真はシャツにジーンズというラフな……言ってしまえばお洒落も何もない格好だ。
正直並んで歩くには見劣りしている感じが拭えないため、一真としても早いところこれぞという服を見つけたいのだ。さっきから自分に注がれている通行人たちの視線はあくまでも身長のせいなのだと信じたい。
「そういえばカズくんの服、外国ブランドばっかりだったよね。普段は通販で買ってたりするの?」
「まァな。俺の身長で着れる服だとどうしてもそうなるんだよ。服なんてその国の人間のサイズに合わせて作るもんだからな……」
「確かに……、ああ、なんか今更ながら繋がってきちゃったな。店に買いに行くのを見たことがなかったのはそういう事で、同じような服が並んでたのは届いた現物の実際の着心地やデザインで失敗したくなかったからで……」
言いながらどんどんしょぼくれていく刀華。
どうせ余計な事をしてしまったとでも考えているんだろう。彼女ほど鋭いわけではないが、付き合いが長いからこの位わかる。
───これでお開きにでもなったら、
いらない心配ばかりしている幼馴染を横目で見つつ、やれやれと一真は首を振った。
例え不漁続きでも、彼女と共に過ごすこの時間を手間だとか面倒だなんて、自分は発想すらしていなかったというのに。
「……それと、どんな服が似合うかわかんなかったから、だ。誰かと一緒に買いに行って見てもらえるならそれが1番いい」
刀華がパッと顔を上げる。
やや遠回しな言い方だがそれでも伝わってくれたようだ。
我ながら似合わないことを言おうとしている自覚はある。こっ恥ずかしさが先回りしてくる前に、一真は勢いに乗せてその先を続けた。
「飯食って映画でも見よう。せっかくの休みにここまで来てんだ、服だけ選んで終わりなんて勿体ねえだろ?」
少しだけ時間が止まった。
予想もしていなかった一真の誘いに、うん、と花が綻ぶように刀華は笑う。
じゃあどこに行こうか、と目的地を探す振りをして一真は彼女から目線を逸らす。
赤くなった顔を見られないのはいいことだ、と彼は久方振りに己の身長に感謝した。
適当な店で早めの食事を済ませ、2人はいくつかある映画館の内の1つに足を運んだ。
とはいえ規模の小さな映画館だ、上映されている作品の数もそう多くない。なのにラインナップがどれもこれも癖が強すぎたのだ。
『「僕は妹に恋をした」「男たちの失楽園」……なんで5つしかない枠の中に2つもRー15指定が入ってんだよ……』
『「砂漠の王女カルナ」は普通そうだね。「ガンジー 怒りの解脱」は……気にはなるけど……』
Rー15指定と
異性と2人で見る作品を消去法で選ぶという哀しすぎる過程を経てはいるが、結果としてそれは大成功だった。
一真と刀華は今ポップコーンを食べる事も忘れ、スクリーンの前で必死に嗚咽を堪えている。
『4月は君の膵臓が叫びたがってるんだ』。
各方面から殺されそうなタイトルとは裏腹に、その内容はどこまでも胸に訴えかけてくるものだった。
臓器の問題で幼い頃から糖尿病を患っている男の子が主役の物語。
劣悪な家庭環境で治療を受けることが出来ず、視力を失くして足を切断しなければならない程に病が進行し、それでも自分を助けてくれた人たちに支えられながら学校の入学式を迎えるために闘病する───
ふざけたタイトルは客の興味を惹くための戦略だったのだろうか?
ここが公共の場でなければ声を上げて号泣していたに違いない。両親を病気で亡くした刀華と親に捨てられ孤児院の皆に救われた一真には、このストーリーはいっそ致命的なまでに突き刺さった。
(もういい、もう休んでもいいんだよ……! だからもう、そんな顔で笑わないで……!!)
(ふざけんなよ、なんでコイツがこんな目に遭わなきゃなんねえんだよ……! 全部周りのせいじゃねえか、コイツに何の落ち度があるってんだよ畜生ぉっ……!!)
物語の終盤、何年分とも知れない量の涙を流す2人は果たしてまともにスクリーンを見れていたのだろうか。
やがて啜り泣きに満ちた暗闇の中エンドロールが終わり、館内に明かりが灯る。
口々に涙声の感想が飛び交う中、一真と刀華はお互いに無言のまま、泣き腫らし真っ赤になった目で映画館を後にした。
色々考えましたが、主人公の名前の漢字は「一真」のまま変更無しでいこうと思います。