さて、ここは小さな喫茶店である。
一先ず休憩しようと立ち並ぶ店の中から適当に入店した一真と刀華は、これまた小さなテーブルを挟んで座っていた。
語っている内容こそ映画の感想であるが、内容が内容なのでテンションが高まっている訳ではない。むしろ悲壮な空気に包まれている。
「……今まで辛い思いをし続けて、助かってからも楽になれなくて、最後の願いは………、……あの子は、幸せだったのかな……」
「……最期の笑顔を信じるしかねえよ。楽じゃなくても、向かう先も、支えてくれる奴らもあったんだ。あいつは、間違いなく幸せだったよ」
感情移入の果てだろうか。彼らはあの映画をフィクションの作品としてではなく、実際に存在した1人の人生を追ったものであるかのように語っていた。
作者冥利に尽きる話ではあるかもしれないが、そのせいで他の会話が聞こえるほど小さな店内の空気がどんどん冷え込み始めていることに彼らは気付いていない。泣き腫らした目で向かい合う男女に出歯亀根性で聞き耳を立てていた客の1人が今、気まずそうな顔で席を立った。
「ところでこれからどうする? ご飯食べた後のこと、そういえば何も決めてないなって」
「そういやそうだったな。カラオケ……は2人しかいねえし……あ、逆にお前の服でも買いに行こうか」
「ふふ、カズくんが選んでくれるの?」
「あー……その手のセンスは自信ねえからなァ……」
映画の感想を切り上げ、この後の予定について他愛のない会話を始めた2人。
その姿は共に(片方の身長以外は)年相応に若者らしく明るい雰囲気で、己の才覚を血と熱で鍛え抜いた名だたる戦士にはそう言われても見えないだろう。
だが、ここに来て2人はその側面を覗かせる事になる。
彼らの前をガラス張りの壁越しに、リュックサックを背負った2人組の男が通り過ぎた。
「「……………、」」
一真と刀華は示し合わせるでもなく席を立ち、代金を払って店を出る。そしてリュックサックの男たちと距離を開け、気配を消しながらその後ろを尾行した。
やがて男たちがトイレに入っていったのを見て、一真と刀華は役割を分担する。
刀華は入り口に立ちトイレに人が入ってくるのを防ぐ見張りを受け持ち、一真は男たちを追ってトイレの中に入った。
幸い、他に人はいない。
男子トイレの内部、並んだ個室のドアの前で、一真は内心で気怠げに舌打ちをした。
用を足しに来た訳ではない。
男たちがそれぞれ入った個室のドア越しに、ガチャガチャと金属が擦れる音が聞こえてくる。
パッと見で違和感があった。
外見的にはただの旅行者にも見えるその男たちだったが、彼らが見咎めたのは『歩き方』だ。
上半身や腰の傾き、膝の曲がり方、筋肉の緊張……リュックサックのサイズと旅行者が携帯するだろう荷物的に、予想される身体への荷重の掛かり方が明らかに大きすぎる。
布では、あるいは布だけではない。間違いなく何かずっと重い物が収納されている。
ある程度コンパクトなサイズでも大きな重量を持つものといえば、真っ先に金属が挙げられる。
そうだとすればただの金属ではあるまい。
そして銃火器というものは、種類によっては分解してコンパクトに持ち運べるものだってある。
そこに予備の弾倉や充分な弾薬が加われば相当な重さになるはずだ。
あのサイズの荷物であれだけの負荷をかけられる位には───。
……無論、ただの憶測。一真と刀華は、万が一のために予防線を張ったに過ぎない。
ただ、残念ながらそれが真実だったようで。
『終わったぞ。そっちは準備できたか?』
『ああ。へへ、ワクワクしてくるな。早くこいつをブッ放してえよ』
『おい、勝手な事するなよ。客は人質にするって言われてんだろ』
『ヒヒヒ、わかってるっての。ただよぉ、抵抗されたらこっちもそれなりの手段を取らなきゃなあ?』
下卑た欲望を孕んだ言葉を交えつつ、戦闘用の装備を纏った男たちは組み上げた銃火器を手に外に出た。
しかし少なくとも、彼らの手によって被害を被る民間人はいない。
ドアを開けて個室の外に出た、その時点で彼らの運命は決まっている。
バギャッッッ!!!と、一真の《プリンケプス》が2人の顔面をほぼ同時に蹴り抜いた。
悲鳴は上がらない。その場で半回転するように地面に叩き付けられた男2人はその場で意識を失った。その音で全てを理解した刀華が、その手に日本刀型の
普段つけている眼鏡は外している。
「《
「した。……《
「何であれどこかに
「よし、じゃあコイツ持ってけ。説得力は増すはずだ。俺はもう片方に色々と聞いてみる。抜かるなよ」
「当然。そっちもしっかりね」
軽く拳をぶつけ合った後、刀華は意識を失った男の襟首をひっ掴んで外に出た。
困惑の声と悲鳴、刀華が張り上げる声。混乱はあるだろうが、彼女ならしっかりと人々を統率して出口まで導くはずだ。
───自分は自分で、やるべき事をやる。
一真は床で倒れている男の腹を
「起きろ」
「げぶっっ!?」
途端、大量の粘っこい唾液を吐き出しながら苦悶する男。
普通ならこれで目覚めるはずもないが、《幻想形態》によるダメージは脳に対する強力な暗示によるものだ。脳がシャットダウンすれば、まさしく幻想のようにダメージは消える。
だから本当に寝ている所を叩き起こしただけだ。
しばし呻いていた男だが、一真の姿を見た瞬間に慌てて取り落とした銃に手を伸ばす。
そしてその前に一真が銃を踏み潰した。
精練された鋼鉄の凶器が、彼の足の下で紙のように薄っぺらな屑鉄に変わる。
「ひっ……」
「答えろ。色々と聞くべき事がある」
「……へ、へっ。誰が教えるって」
「1回」
一言と同時に、硬いものがいくつも砕ける音。
躊躇なく力を加えた一真の足が男の手を踏み砕いたのだ。
「ぎゃあああぁぁぁあああぁぁあああああぁぁああっっっ!!!!」
「いま決めた。俺に反抗的な態度を取る度に、お前の身体を一ヶ所ずつ磨り潰してくから。よろしくな」
「て、テメェふざけんじゃ」
「2回目な」
ベギッ、と耳を覆いたくなる音。
今度は脛だ。
別に
「~~~~~~~~~~ッッッ!?!?」
「3回目からはそうだな、もうちょっとじっくりいってみよう。骨と肉が潰れてく音、俺は立場柄よく聴くんだがよ。きっとお前なら好きになると思うぜ」
「……なにを、喋れ、ってんだ……っ!?」
「組織の名前、目的、計画、人員の数と内容あと装備。要するに全部だとっとと吐け。時間押してんだよ」
「っっ……俺たちは、《
(……ま、そんなとこだよな)
返ってきた答えは概ね予想通りのものだった。
となると気になるのが人員の方だ。それによってどう動くべきかが決まってくる。
幸い刀華とはお互い《特例召集》で場馴れしているし、気心知れた仲なので連携は楽だ。この利点を初動でどう生かすかは人命に直接関わってくる。
男の話を聞きながら脳内で思考を巡らせる一真の耳に、この状況からは思いも寄らない笑い声が聞こえてきた。
「ヒヒ、こんな事しても、無駄だぜ。無駄」
「あん?」
「ここには、ビショウさんだけじゃねえ。あの人も来てんだ。あの人に敵う奴なんている訳がねえ」
「あの人ってのは?」
「これからブッ殺される奴に教えて何になるんだよバァーカ!!」
痛みが高じて
「あの人はな、Aランク
わかったならとっとと俺を解放しやがれ! そしたら半殺し程度で済ませて貰えるように頼んでやっからよ! ……あの人がそれを聞いてくれたらなギャハハハハハハ!!!」
───《
そしてその思想に賛同して《使徒》の手足となって動くこの男のような普通の人間が《信奉者》と呼ばれている。
同じ組織の一員だろうが、しかし根幹にあるのは上記の思想だ。組織内での立場は知れているし、ここで上の人間の強さを脅しの材料に使った辺り
持って生まれた力で人々を虐げ、その力を背景に下の人間が己の幅を利かせようとする。
そういう組織だ。
その手の組織なのだ。
つまり、何が言いたいのかというと。
力を振り回して身勝手に人々を傷付ける《
ましてその金魚の糞になって強者の側に立った気になっている《信奉者》など─────
─────王峰一真にとっては、ゴキブリ程の価値もない人間であるという事だ。
「うるっせえなァ」
グヂャ、とか、ボギュ、とか。およそ人体が発してはならない類いの音がした。
その音源は、一真の足の下。男の胸板。
一真がその足で、男の胸郭の中に収まった内臓をその胸郭ごと踏み潰したのだ。
「グチャグチャ言ってねえで聞かれた事だけ答えてりゃいいんだよ。こっちはこれからの予定を蹴ってクソの始末しなきゃなんねえってのに、何でこの上テメェみてえなゴミクズに煩わされなきゃなんねえんだ? あ?
おい何とか言えよ。何か言うことあんだろ、なァ? 悪い事したらゴメンナサイだろ。ゴミクズが粋がってゴメンナサイだろ? 言えよおいコラ」
その罵倒が男に聞こえているかは怪しい。ぐりぐりと足を動かされ、砕けた肋骨や胸骨が肺や血管を貫き引き裂く感覚に絶叫しているからだ。
やがて暴れる動きが徐々に小さくなり、失禁して、ビクビクと痙攣しながら男の意識が闇に沈む。
男がまた気を失ったことに気付いた一真は、また男の腹を蹴った。
「げぼぁっっ!!」
内臓まで届く力に、また男の意識が強引に覚醒させられる。
《幻想形態》のダメージは脳への暗示。意識を失えば仮想のダメージも消え失せる。
つまりまた元通り。
どの部位もまた、同じように破壊できる。
「あひ、あっ、あ、ひぃぃいイイイッッ!!」
流石にもう虚勢を張る事もできないらしい。一真の姿を見た途端、掠れた悲鳴を上げながら、男はなんとかして逃げようと身体を暴れさせる。
だが逃げられるはずがない。一真が男を踏んで押さえ込んでいる足に少し力を入れると、男は大きく震えて動きを止めた。
「………あの人はAランク、だっけ?」
氷雨に打たれる子犬のようになった男の目の前にしゃがみこむ。ガチガチと恐怖に歯を鳴らす男に、一真は生徒手帳を取り出して突き付ける。
それが何を意味するのかはわからなかったが、とにかく男はそこに記されてある内容を読んで───そして、目を見開いた。
「俺もそうなんだよ。………ところで、
◆
「《使徒》は2人。《信奉者》全体の規模は20人近いらしい。ビショウって奴が率いてるんだと。装備は全員画一化されてる、つまりあいつらと同じ格好だな。たぶん支給品だ」
「確実に少なくない数の人質が取られてるはずだよね。集合場所とかは聞けた?」
「一階の吹き抜け部分。それなりの人数を抱えるには、まァあそこが妥当だわな」
理事長への戦闘許可は避難誘導のついでに刀華が取っておいてくれたらしい。今のところ死者はゼロ、逃げる際に転んだ軽傷者が数名。
怪我人の数は必ずやここで打ち止めにする。
「《使徒》2人の内、1人はそのビショウって人なんだね。どんな能力かは聞けた?」
「ビショウについてはな。ランクまではわからねえみたいだったが、要は『左手で受けた力をそのまま魔力に変えて右手で撃ち返す』能力らしい。もう1人は……」
言いにくそうに口ごもる一真だが、言わねばならない。苦々しい顔で彼は白状した。
「……Aランクだそうだ。不甲斐ない話だが、それ以外はわからねえ。
その内容に刀華の表情が強張る。
Aランクという最悪の事実に対する緊張と、それだけしか吐かなかった男に対してもだ。
尋問の腕こそ本職には遠く及ばないだろうが、それでも彼の容赦の無さを彼女は知っている。
つまり『あの人』は、男に今まさに己を尋問しているAランクよりも遥かに恐れられているという事になるのだから。
(……それ程の影響力。こんな騎士学校に近い場所でテロなんてと思ってたけど、その強さを
原作読み返してみたら、このショッピングモール本当に破軍学園に近い所にあったみたいでビックリしました。下手すればKOK元3位が出てくるんですが、ビショウさん自分ならどうにかできるって思ってたんですかね。