壊尽のプリンシパル ─落第騎士の英雄譚─   作:嵐牛

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第22話

 「………ねえイッキ。シズク、一体どうしちゃったの?」

 

 珠雫に送られてきたメールの要件なら見当はつく。

 だが彼女はその文面を見て明らかに動揺していた。

 短い付き合いだがステラは知っている。人形のような見た目でもやはり一輝の兄妹なのか、彼女は血の気が多い気質だ。格下を相手に手加減しつつ勝ち星を重ねる作業に内心フラストレーションを感じているのは察していた。

 例え対戦相手が格上だとしても、ようやく全力で戦える、とむしろ彼女は喜んだだろう。

 そんな彼女がああまで心の均衡を崩される相手なんて、考えられるのは1人しか───

 

 「………………」

 

 一輝は何も答えない。

 彼は迷うような眼差しで、珠雫の背中が消えた方向をただ見つめることしかできなかった。

 

 

 有栖院凪(アリス)は黒鉄珠雫にとって姉のような存在だ。

 言いたいことを言わせてくれて、聞いてほしいことを聞いてくれて、嬉しかったことを一緒に喜んでくれる。しかし踏み込んでほしくない所には絶対に立ち入らない。

 人見知りを人間嫌いに悪化させた珠雫が兄に恋心を抱いているという極めてプライベートな事まで打ち明けてしまっているのだから、どれだけアリスが人との付き合い方を熟知しているかが窺い知れる。

 だが一輝の惚気やステラの愚痴、珠雫の様々な話や表情を見てきたアリスでも、こんな彼女を見るのは始業式以来だっただろう。

 ここまで思い詰め、追い詰められた彼女は。

 

 「どうしたの、シズク……?」

 

 自室のドアを開けた珠雫を迎えたのは同居人の困惑の問い掛けだった。

 彼(彼女?)は踏み込んでほしくない所には踏み込まない。だからアリスは、自分と()の因縁を知らない。

 説明も無しにこんなことを言われてもきっと困るだけだろう。

 だけど吐き出したかった。聞いてほしかった。

 何の形にもなってくれない、何でこうなってるのか自分にもわからない位ぐちゃぐちゃになってしまった心の叫びを。

 

 「アリス────────」

 

 

 

 

 「………そう。何かがあるとはわかっていたけれど、そんな事があったのね」

 

 ベッドに並んで腰掛けたアリスが静かに珠雫の頭を撫でる。

 結局、珠雫は自分と一真の過去を打ち明けた。

 1度口を開いてしまうともう止まらなかった。頭で整理せず溢れるままに吐き出した言葉はきっと支離滅裂なものばかりだっただろうが、それでもアリスは黙って聞いていた。

 誰にも言えず溜まったものを全て出し切って落ち着いたのか、珠雫は何も言わずに小さく頷く。

 

 「それなら……テロの後、カズマがあんな事を言ったのも納得できてしまうわね。シズクが想像してるよりも、彼はずっと辛い思いをしてきたんでしょう」

 

 「……アリス。私は、償えると思う? 私は……赦されると思う……?」

 

 「赦されるかどうかはわからないわ。けど、償えるかどうかはシズクが1番わかってるはずよ」

 

 今まで珠雫が甘えてきたアリスの言葉は変わらず優しいトーンで、しかししっかりと厳しい。

 

 「シズクが直接陥れた状況ではないにせよ、彼の環境はもう取り返しがつかないところまで歪められてしまった。

 彼が生きるはずだった10数年はどうやっても修正なんてできないわ。

 そうでなくても赦しというのは、償えばいつか得られるものじゃなくて───被害者から『私の気は収まりました』と言ってもらって、初めて得られるものだから」

 

 ……そうだ。我ながら馬鹿な事を聞いた。

 珠雫はスカートの裾をぎゅっと握り締める。

 償うことなど出来ないなど最初からわかっていた筈だ。

 まさか期待していたとでも言うのか?

 卑怯にも自分が陥れた彼からではなく、信頼している人からの優しい言葉を───

 

 「だけどシズク。今あなたをそんなに追い詰めているのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「え……」

 

 「思えばシズクは、教室でもずっと彼に近付こうとはしなかったわよね。それはどうして?」

 

 「……それは……彼とどう向き合っていいのか、わからないからで……」

 

 「それよ」

 

 珠雫はハッと目を見開いた。

 アリスは珠雫自身に自覚させるように彼女の心の底、目を逸らしていた核心を抉り出したのだ。

 

 「彼はきっと容赦なくシズクを倒しに来る。だけどシズクには彼の前に立つ覚悟がない。だから怖いのよ。正直、それで彼と戦うなんて無理な話だと思うわ」

 

 「っ、だって……そんなの……!」

 

 

 「じゃあ、シズク。あなたはこの戦いに負けてもいいって思ってるのかしら?」

 

 

 息が、詰まった。

 

 「イッキもステラちゃんも、本気でこの戦いを勝ち抜けようとしてる。そんな2人と、そんなお兄さんと同じステージに立ちたくてここまで努力してきたんでしょう。ここでまた彼を避けるようなら、きっとあなたはここで脱落してしまうわ。それでいいの?」

 

 「いい訳ないじゃない!!」

 

 「そうよね。……なら、覚悟を決めるしかないわ」

 

 カッとなって叫んだ珠雫の目をアリスは正面から見据える。

 

 「シズクの目標に辿り着くには倒すしかない、向き合うしかない。

 いつまでも避けてばかりじゃいられない───ここで彼がまたシズクの前に現れたのも、そういう巡り合わせなんじゃないかと、あたしは思うの」

 

 逃げては駄目だと訴えかける眼差しの暖かさは、きっと珠雫にしかわかるまい。

 掴んだ肩から、見据える目から、アリスは精一杯のエールを送る。

 

 

 「怖くても大丈夫。勇気が出ないなら言えばいい。あたしだけは、絶対にシズクを応援するから」

 

 

 誰にも話せなかった。誰に甘える訳にもいかなかった。償えもしない、1人で抱えるしかなかった過去の過ち。

 それを知って、それでも自分の側に立ってくれる人がいる事が、彼女にとってどれだけ救いになることか。

 僅かに瞳を震わせた珠雫は少しだけ目を伏せ、ベッドから立ち上がる。

 向かう先は部屋のドアだ。

 扉を開けて外へと出ていく寸前、珠雫はアリスを振り替える。

 目元を拭う珠雫の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。

 

 「ありがと、アリス。……勇気、出た」

 

 ───いってらっしゃい。

 友達の見送りの言葉を背に、ぱたんと部屋のドアが閉じる。

 気配と音が1人分失われた部屋の中で、アリスはぽつりと呟いた。

 珠雫に向けたメッセージではなく、まるで自分に向けて言うかのような静かさで。

 

 「そう、向き合わなきゃいけないのよ。……それがどんなに残酷で、取り返しのつかないものだったとしても」

 

 

 

 

 もう外も暗くなり始めている。

 話をさせてほしいという嘆願を受け、許可を取って特別に開けてもらっている生徒会室に東堂刀華と御祓泡沫の2人はいた。

 日頃仲のいい彼女らだが、嘆願してきた人物を待っている今に限っては会話はない。

 それだけ真剣で繊細な話なのだ。

 それから間もなく入口のドアがノックされ、その人物は姿を現す。

 

 「急なお願いを聞いていただきありがとうございます。副会長もご一緒なのですね」

 

 「私からお願いして来てもらいました。貴女のお願いに応えるのであれば、彼もまた深い関わりを持っているので」

 

 さて、と刀華は挨拶を切り上げる。

 

 「では、改めて聞かせてください。私たちに聞きたい事というのは何ですか?」

 

 少し前までなら敵意すら感じただろう真っ直ぐな眼差しに、しかし()()はもう怯まない。

 心に決めた覚悟を胸に、黒鉄珠雫は、深々と頭を下げた。

 

 

 「どうか教えてくださいませんか。私が王峰さんを陥れたあの日から……彼が今まで、どんな風に生きてきたのかを」

 

 

 

     ◆

 

 

 「まあ先に言わせてもらうならさ。そもそも何で本人から聞こうとしないのって話だよね」

 

 まず応えたのは泡沫だった。

 

 「逃げたの? ボクが言ってもしょうがないけど、その態度10年近く遅くない? だいいち兄のイッキ君はとっくの昔に詫びを入れに来たってのに───当の本人が今さら何? って感じなんだよね。こっちとしてはさ」

 

 「………っ!!」

 

 うたくん、と窘める声。

 唇を噛み締めた珠雫に、刀華は静かに語りかけた。

 

 「顔を上げてください。私たちに聞こうとしたのは正しかったと思います。彼に直接聞いたところでどうせ、『お前にゃ関わりの無え事だ』と門前払いされるのが落ちですから」

 

 「………、…………はい」

 

 「私たちが彼の痛みを代弁しようなんて気はありませんし、彼に無断で私たちが話していいのかという葛藤もあります。……ですが、それでも向き合おうとするのなら、私はそれを支持します。

 わかりました、教えましょう。彼のこれまでを」

 

 「……!!」

 

 

 「心して聞いてくださいね。貴女が彼を落っことした道は、生半なものではないですから」

 

 

 そして。

 10数年分の空白が、紐解かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 親を亡くしたか、捨てられたか。

 彼らがいた『若葉の家』でなくとも孤児院とはそんな真っ当とは言い難い事情を抱えた子供が集まる場であり、気丈に振る舞う子もいれば心が罅割れ歪んだ子もいる。当然ながら王峰一真は荒くれ者の部類に入った。

 全てが気に喰わないとばかりに暴れ、自棄になったように暴言を吐き、かと思えば院の入口で朝から晩までずっと座り込んでいる彼は相当気難しい性格だった。

 特に当時()()()筆頭だった御祓泡沫とは鏡のようにお互いを傷付けあっており、東堂刀華ですら収められる事は少なかったという。

 しかし数ヶ月が経った頃、()()()()()()()()()()()

 精神の燃料を使い果たしたのか、あるいは大きな何かを諦めたか。食事すらもまともに摂ろうとしない無気力さは、見ていると本当に彼の死を意識するような有り様だった。

 

 そんな脱け殻のような彼が、再び動き出す出来事があった。

 まだ幼かった黒鉄一輝が、1人で『若葉の家』を訪ねてきたのだ。

 

 「……お、お兄様、が?」

 

 「王峰くんが孤児院に入れられたという話を漏れ聞いて、家を抜け出して手当たり次第に孤児院を回っていたらしいです。

 本当に誰の力も借りれなかったし、借りなかったんでしょう。服も身体も、驚くほどボロボロでしたよ」

 

 当然ながら、一真は暴れた。

 まともに食事もせず痩せ衰えた身体でよくもというような暴れ方だった。

 暴力にだけは訴えないよう全員から必死で抑え込まれ、それでも一真は一輝に罵声を浴びせた。

 しかし。

 ────ごめんなさい。……ごめんなさい……。

 立つ力すら使い果たした一輝が掠れた声で謝り続けているのを聞いて、一真は思わず、叫ぶのを止めた。

 

 ボロボロだった身体に食事と寝床が提供され何とか息を吹き替えした一輝は、ぽつぽつと一真に語り始めた。

 自分の家の体質のこと。

 一真がこんな目に遭った理由。

 自分も同じような目に遭っていること。

 そうしてその話は謝罪で結ばれるのだ。

 ───ぼくの家のせいで、ごめんなさい、と。

 

 一真は怒った。

 恐らく彼が己の魂の形を強く自覚したのはこの時だったのだろう。

 だけど。

 怒りの矛先はもう、一輝には向いていなかった。

 

 

 『おまえは、あやまるな!!!』

 

 

 「カズが固有霊装(デバイス)に目覚めたのはこの時だよ。アイツは伐刀者(ブレイザー)として高い素質を持ってたけど、それが目覚めるのが遅かったんだ。

 そうでなかったらもしかすると、アイツはちゃんと親元で暮らせてたかもしんないね」

 

 「そしてその日を境に王峰くんが変わりました。他の子と関わり、話して、理解しようとするように。

 境遇の似た黒鉄くんの真っ直ぐさが響いたんでしょう。そうしていく内に、いつしか皆から頼られるようになっていましたよ。

 ……ついでに言えば、彼と私が南郷先生の目に留まり、能力と武術の鍛練を始めたのはこの頃からです。

 程無くして修行の旅に出た黒鉄くんも、その縁で時折一緒に鍛練をしたりしていました」

 

 刀華は皆の希望となるために。

 一真は屈しない力を付けるために。

 戦いが手段でしかない一真は公式戦に興味を示さず無名のままでこそあったが、2人は成長して力を付け、そして一真は刀華に1年遅れて、一輝と共に『破軍学園』に入学した。

 

 「王峰くんはAランクを買われて生徒会長に就任して、私は当時副会長でした。そうして編成された当時の生徒会が、まず解決しようとした問題は何だと思いますか?」

 

 「……お兄様への迫害、でしょうか」

 

 「正解です。授業からの締め出しは先生にも何度となく本気で直談判したし、直接的な嫌がらせに対しては生徒会室に匿うか()()()()()止めさせたりと、王峰くんは本気で黒鉄くんを守ろうとしていました。……この時はまだ、穏当な手段で」

 

 「……何があったんですか?」

 

 「我々生徒会が《七星剣武祭》合宿地の下見に行っていた隙に、黒鉄家から命令された学園がある生徒にイッキくんを襲撃させたんです。イッキくんを退学させるため、不当な戦闘行為を行ったという口実を作るために」

 

 下見から帰って来た生徒会は全てを察し、そして激怒した。

 肉親にこんな仕打ちを命じる家に対しても、それを実行した学園に対しても、そして……少なからず、襲撃した犯人に対しても。

 怒っていたのは全員同じだった。

 ただし。

 最も激情に駆られたのは王峰一真で、そして最も直情的な手段に出たのもまた───王峰一真だった。

 

 「私たちが穏便に彼を拘束した後、王峰くんは先生たちを脅しました。『次また俺達に関わってみろ、お前らを全員踏み殺す』と。

 ……校内トップの実力で実例を示されては向こうはもう何も言えなかったようです。

 ただそれでも黒鉄くんの留年は回避できませんでしたし、王峰くんも生徒会から除名され留年しました。

 とはいえ震え上がって何も出来なくなった先生たちを尻目に2人で延々と鍛練に明け暮れていたので、それはそれで充実した時間だったようですが……」

 

 刀華は一拍間を開けて、珠雫に問う。

 

 「気に入らない者を脅して、意のままにする。やった事は自分と同じだと、そう思いますか?」

 

 ……思わない。思う資格もない。

 もし自分がそこにいて、それが出来る力を持っていたのなら、自分も間違いなく同じことをするだろうから。

 

 「誰かがそれを家に密告したらヤバかっただろうけど、アイツ現実に人ひとりグチャグチャにした上に教師を脅す時も結局職員室を全壊させたからね。そりゃチクる勇気なんて出ないよね。学園もこの醜聞を隠すことに必死だったっぽいし。

 思えばアイツの異名が決まったのもその時期だったかな……」

 

 「それからは特に大きな出来事はありません。やることが無くなった王峰くんと()()()()()()()()黒鉄くんは開き直って全ての時間を鍛練に費やし……そうして、今に至ります」

 

 言葉など出ようはずもなかった。

 自分が歪めて陥れた彼の生き様と味わってきた艱難辛苦はこの場で咀嚼するには余りにも大きい。

 ただ押し黙り受け止める珠雫に、刀華は挑むように突き付ける。

 

 「私たちから話せることは以上です。貴女が何を感じ、何を思ったかは聞きません。その代わり、明日の戦いでその答えを示してください。

 もしも貴女が生半可な気持ちで彼の前に立とうものなら────

 

 ────私がこの手で、斬って捨てますから」

 

 

 

 

 兄は孤独なんかじゃなかった。

 陥れてしまった彼は苦難を舐め、怒りを呑み込み、それでも強く生きていた。

 だけど、自分は足を止めていた。

 自分の愚かさが招いた結末と自覚しながら周囲の人間を愚物と切り捨て、自分は変わったのだと内心で嘯き───自分だけがそのままだった。

 笑いすら起きない。

 だけど。

 それでも、今からでも歩きだそうと思うのならば。

 それでも譲れないものがあるならば、自分はどうするべきなのだろうか。

 

 答えは決まっている。

 泥濘の中で足踏みをしていた少女は今、ようやくその一歩を踏み出した。

 

 

     ◆

 

 

 そして翌朝。

 試合を控えた一真と一輝は疲れを残さないよう朝の鍛練は軽めに切り上げた。

 部屋のある階が違う一輝とは階段の途中で別れ、そして今日の対戦相手について少し思いを巡らせる。

 刀華の言う通りに、その時は来た。

 だが心のどこかに(もや)がある気がして、どうにも意欲が上がりにくい。

 一体何故だと考え込むように目線を下げてみると。

 

 すぐ目の前に、黒鉄珠雫がいた。

 

 「……ぶつかられるかと思いました」

 

 「……見えませんでしたねえ。小さ過ぎて」

 

 何やら琴線に触れたらしく、ぴくりと小さな身体が震える。お前が大きすぎるんだとでも言いたいのかもしれないが、言わないのであればそれよりも重要な用事があるのだろう。

 

 「で、()()()が何の用ですかね。こんな朝っぱらから」

 

 「はい。遅くなりましたが、3つ程要件があります」

 

 そう言って珠雫は、また深々と頭を下げる。

 

 「ありがとうございました。あなたがお兄様を守ってくれていなければ、お兄様はずっと孤独の中でした。あなたがお兄様の友となってくれた事、感謝してもし切れません」

 

 「……それで?」

 

 「あの時は、本当に申し訳ありませんでした」

 

 一真の顳顬(こめかみ)が僅かに動いた。

 

 「身勝手な横暴と癇癪であなたの人生を捩じ曲げた事とその重さ、忘れた時はありません。謝罪で済む話でも償う手段などない事も承知しています。ただ、こうして頭を下げさせて頂く事だけは、どうかお許し下さい」

 

 少しの沈黙が流れ。そして。

 

 「……それで? それだけ言って、自分の気は済みましたとでも?」

 

 ゆらり、と一真の身体から重圧が滲む。

 赦しが本人の気持ちが鎮まることで得られるものならば、彼女の行為は火に油を注ぐようなものだった。

 返答を誤れば脚が飛ぶかもしれない。

 だが、ここで珠雫は頭を上げた。

 

 

 「いいえ。3つ目は、私からの宣戦布告です」

 

 

 芯の通った声。

 足から這い昇るような殺意を受けてなお、彼女は己を見下ろす一真の顔を真っ向から見上げた。

 

 「私は、お兄様と同じ場所に並び立つためにここに来ました。どれだけ私に負い目があろうと、これだけは絶対に譲れません。

 あなたへの謝意も懺悔も、今日ばかりは全てを二の次にさせていただきます。有り得ない事ではあるでしょうが、手心を期待しているのなら即刻諦めて下さい」

 

 そこにはもう、小さくなって震えていた彼女はいない。

 全てを無視して己を第一とする傲慢さ。

 あの日一真に唾を吐きかけた少女が、少なくとも今、再び一真の前に現れた。

 

 

 「全力で、あなたを倒します。───なので、どうかあなたも、全力で倒しに来て下さい」

 

 

 心の靄の正体がわかった。

 黒鉄珠雫が自分に対してどんなスタンスでいるのかわからない、それが引っ掛かっていたのだ。

 敵の姿がわからないから敵を実感できない。

 だから、気持ちが上がらない。

 

 「………腹は括ってきたみてえだな」

 

 だけどもう問題ない。

 無理矢理鎮めて呑み込んだあの時の怒りは、今も変わらずに燃え上がってくれた。

 心の靄が晴れ、澄み渡った一真の顔に浮かんだものは───

 

 

 「───もう泣いて縋り付ける背中は無えぞ、クソアマ」

 

 

 ───あの時と同じ、激情の相だった。 

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