壊尽のプリンシパル ─落第騎士の英雄譚─   作:嵐牛

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第26話

 「……ねえ、一輝」

 

 「わかってるよ。ちゃんと見てたから」

 

 有栖院の声にそう返し、一輝はリング場の一点を見つめる。

 彼が見つめる先にあるのは、倒れ伏した珠雫の右手。

 意識を失い宵時雨(よいしぐれ)が消えたその手は、未だ力強く握り締められていた。

 確かに完敗だっただろう。

 誰より絶望したのも彼女だっただろう。

 それでも彼女は、最後まで抗い続けたのだ。

 

 「立派だった。……強くなったね、シズク」

 

 目覚めた彼女はきっとこの本心を受け取ってはくれないだろう。

 だから、今だけは万感を込めて賛辞を贈る。

 いつも自分の後ろをとことこと着いてきた小さな女の子は、こんなにも気高く開花したのだと。

 

 

 

 

 「────────っっっ!!」

 

 立たなければ。

 意識の回復を自覚した珠雫が即座に身体を起こしたのは、途切れる最後まで戦意を燃やし続けた証左だろう。

 しかし目を覚ました彼女の目に映ったものは彼の姿ではなく、清潔なベッドと自分を囲んで見守っている兄達の姿だった。

 

 「ここは……」

 

 「医務室だよ。あの後すぐに運び込まれたんだ」

 

 言われて見てみれば自分は薄緑色の病院着を着ており、鈍い痛みを感じる場所には包帯が巻かれている。

 そして、脳裏に過る最後の記憶────全てが光に飲み込まれたあの光景。

 状況と記憶を何度か反芻し、ようやく胸の内からじわりと実感が沸いてくる。

 

 「……負けたんですね。私は」

 

 ぽつり、と。

 噛み締めるような一言に、誰もかける言葉を見つける事が出来なかった。

 

 「お兄様。彼の最後のあの技は何だったんですか?」

 

 「……いや、あれは僕にもわからない。多分最近になって新しく生み出したんだと思う。ただ、間違いなく全霊の一撃だったはずだ」

 

 「はい。私も、あの攻撃は彼の全力だったと思います」

 

 あるいは一輝のその言葉は一真に全力で来いと挑んだ珠雫に対する、ある意味においては励ましのようなものだったのかもしれない。

 しかし珠雫はもう、あの戦いにおける一真の真意を読み取ってしまっていた。

 

 「────だけど、本気ではなかった」

 

 「…………、………」

 

 そう。珠雫でなくとも、全員が察している。

 あの試合内容から考えて一真が本当の本気で戦っていたらそれこそ珠雫は1分も経たない内に負けていただろう。

 無論それはただの推察でしかないが、そう確信に近く思わせる程に隔絶した差が2人にはあった。───そうでなくとも最後のあの攻撃は、彼が直前で《幻想形態》に切り替えていなければ珠雫の身体を易々と蒸発させただろうから。

 ならば。

 彼がわざわざ大技を連発して、ゆっくりと思い知らせるような戦い方をした理由とは。

 

 「シズク、あのっ、あのねっ」

 

 「ごめんなさい」

 

 痛いくらいの沈黙の中で何かを言いかけたステラの言葉を珠雫は寸断する。

 

 「少しだけ、独りにしてもらえませんか? ……今日は、疲れてしまったので」

 

 珠雫は顔を伏せて皆に頼む。

 ───彼女らが身を置くこの勝負の世界で、勝者と敗者の間に横たわる断絶はこれ程までに深く、暗い。それをわかっているから、一輝たちは何も言わずに医務室を去った。

 ただ1人、有栖院凪を除いて。

 

 「……独りにしてって言ったはずよ」

 

 「うん。聞いたわ」

 

 「だったら─────!」

 

 暴力的な言葉をぶつけようとした瞬間、珠雫は有栖院に抱き締められた。

 

 「……あなたのお兄さん、最後まであなたの事を見てたわよ。立派だった。強くなった、って」

 

 「あり、す───」

 

 「あたしは珠雫が守りたい人でも、負けたくない人でもない。……だから、もう、強がらなくていいのよ」

 

 

 それが限界だった。

 優しい言葉と包容に、喉元までせり上がっていた嗚咽が溢れ出る。

 悔しかった。ただひたすらに悔しかった。

 堰を切って流れ出た感情は、全ての意地を押し流していく。

 譲れなかった願い。叶えたかった夢。

 大切なものたちが手をすり抜けた感覚と、思い知らされた己の非力さが珠雫を苛む。

 ────彼女は聡い。

 だから彼女は、一真の真意を理解していた。

 彼は最初に駆け引きの巧みさを見せつけて以降、特別な技術を必要とする技を一度も使っていない。

 ただ出力を全開にして振り回す、火の着いた松明を振り回すだけのような原始的な暴力で自分を圧倒した。

 

 自分の努力や抵抗を、生まれ持った力だけで踏み倒したのだ。

 そう。かつて自分が、彼にやったように。

 

 言葉に出来ない程の悔しさを悲鳴として吐き出しながら、珠雫は有栖院の胸にしがみつく。服が軋んで爪が食い込むような力だったが、有栖院は抱擁を緩めなかった。

 この誇り高い少女が悔しさを吐き出せる相手が、自分だけだと知っているから。

 

 2人以外は誰もいない、夕暮れの明かりが差し込む医務室の中。

 夢破れた少女の慟哭が、いつまでも響き続けていた。

 

 

 

 「………強かったわね、カズマ。直前に聞いてたバレエと武術についての解説は何だったんだって思わなくもないけれど」

 

 「まあ確かに……。けど、改めて思い知らされた気がするよ。ステラや刀華さんか……僕に当たらないと、カズマに負けの目を作れる可能性はまずないんじゃないかな」

 

 廊下を歩きながら一輝とステラは静かに語る。

 本戦への出場枠は恐らくは無敗の5人が埋めることになる。

 つまり実質、珠雫の夢は絶たれたに等しい。

 どれだけ残酷でも現実は冷然だ。

 どちらかがどちらかより強かった。

 それが全てだ。

 

 「何か言いたい事はないの?」

 

 「僕がかけられる言葉なんて無いさ。シズクの悔しさはアリスが受け止めてくれる。シズクの奮起を信じるだけだよ」

 

 「そうじゃないわ。カズマによ」

 

 ぴたり、と一輝の歩みが止まる。

 

 「カズマとシズク、どっちも大切だからアンタはどっちを応援する事も出来なかった。だけど、だからこそ言いたい事だってあるはずよ。

 アタシだってシズクが……その、た、大切だって思ったから、あの時背中を押したくて叫んだんだから」

 

 言ってステラは少しだけ顔を赤らめるが、すぐに顔色を元に戻した。

 彼女の言葉は、本当に一輝の心を理解していたのだろう。俯く彼の背中に、ステラは労るように手のひらを置いた。

 

 「運良くここには誰もいないし、アタシもカズマやシズクに伝えたりしない。だから───今だけは、お兄ちゃんになってもいいのよ」

 

 少しの沈黙が流れた。

 

 「………カズマが苦しんでたのは知ってる。仕返しをされるのも仕方ない。この戦いだってカズマの方がずっと強かったし、どう勝つかを選ぶのもカズマの自由だ。……だけど………」

 

 彼の正当性を何度も裏付けるのは物の道理と、一輝自身の優しさだろう。

 優しいからこそ、彼は縛られていて。

 そして妹と同じように誰かの優しさで、彼もまた、ようやく吐き出す事ができた。

 

 

 「………それでも、シズクの覚悟には、真摯に向き合って欲しかった」

 

 

 震える握り拳をステラの両手が包む。

 妹の決意が演出めいた形で破られたのが悔しくて、だけどそれは身勝手な感情でしかなくて。

 そんな誰に吐き出す訳にもいかない思いを、今だけは2人で分かち合う。

 

 次に彼の顔を見た時に、友として心から拍手を贈れるようになるために。

 

 

 

 日が傾き始めた空を茫洋とした眼差しが泳ぐ。

 試合を終え会場を後にした一真は観客席に上がることも自室に戻ることもなく、中庭のベンチに腰掛けてぼんやりと空を眺めていた。

 燃え尽きたようにも不完全燃焼にも見えるその姿は、長きに渡る因縁に区切りを付けた後にしては感情が宙ぶらりんになっているようだった。

 そんな彼に近付いてくる足音が3つ。

 そちらに目を向けた彼の目に映ったのは、よく馴染みのある姿だった。

 

 「ウタ。カナタ。………刀華」

 

 「ここにいたの。上がってもこないし部屋にもいないし、もううたくんに頼んで見付けてもらっちゃったよ」

 

 「そんで見付けてみたらベンチで黄昏てんだもんな。アハハ、似合わねー」

 

 「……もしかして、お疲れでしたか?」

 

 「実はちょっとな。雑に戦い過ぎた」

 

 カナタの心配に一真は苦笑いをして首肯する。

 

 「カズ。最後のアレ何だったの? 室内なのにマジでカミナリ落っこちたのかと思ったんだけど」

 

 「あァ、アレな。刀華はたぶん察してるとは思うが……」

 

 「……落雷、だよね? 名前の通りに」

 

 「あー、当たらずとも遠からずだな。要するにプラズマってヤツだよ」

 

 ────空気というものは、圧縮されていくにつれ高温になっていく性質を持つ。

 空気中には原子や分子がバラバラになって好き勝手に空中を飛び回っているが、空気を圧縮して温度を上げて行くと、電子の運動エネルギーが原子との結合力を振り切ってしまうという現象が起こる。

 こうして陽イオンと自由電子に分かれてしまった気体をプラズマと言い、それを能力を使って引き起こすのが一真の《轟く雷霆(ケラウノス)》だ。

 フルスロットルで出力した《踏破》の力で、力の及ぶ周囲一帯の空気や()()()()()を踏み潰し、限界まで圧縮、圧縮、圧縮して、そして爆熱の光は作られる。

 黒雲から放たれる稲妻を凌ぐ厄災を、彼はその足で顕現してのけたのだ。

 

 (流石に考え無し過ぎたか……?)

 

 それら『神話再演(ミュートロギア)』シリーズは一真の伐刀絶技(ノウブルアーツ)の中でも抜きん出て凶悪な性能を誇るが、その分Aランク基準でも莫大な魔力を消費する。

 故に軽々(けいけい)には切れない手札であり、魔力の回復速度やその他の戦闘行為を考えれば、使って1日に1回がコストパフォーマンスの限界なのだ。

 それを、立て続けに2回。

 疲労するに決まっていた。

 

 「……ま、とりあえずさ。積年の恨みは晴らした事になったと思うけど、少しはスカッとした?」

 

 「…………、分かんねえや」

 

 積年の、恨み。

 それは今の感情には到底当てはまらない言葉の響きで、泡沫の問いかけに一真はすぐに答えることが出来なかった。

 

 「何て言えばいいのか……『こんなモンか』っつーか、思ってた程のものでもなかったっつーか。

 確かにやられた時の怒りは甦ってきたし、やられた事はキッチリやり返してみたけど……終わってみると、正直そこまで待ち望むようなモンでもなかったなって気がしてきてな……」

 

 期待外れのような拍子抜けのような、どう言い表せばわからない胸の内。

 応援してくれていただけにこんな状態になっているのが後ろめたいのだろう。ばつの悪そうな顔で、一真はやりきれなさそうに頭を掻く。

 

 「何つーか……パーッと雲が消えて、晴れ間が見えるような感覚を期待してたんだけどなァ……」

 

 

 「うん。正直ボクらも、主義じゃない事してんなーって思ってたしね」

 

 

 あっさりと。

 自分がもて余していた心の靄の形をいとも容易く断定してしまった泡沫に、一真が僅かに目を見開いた。

 

 「カズって基本的に歯には歯で返すけどさ、こういう何かを懸けて本気で戦ってくる奴相手に魅せプする性格じゃないし。後味がスッキリしないならそれじゃない?」

 

 「そうですね。私もてっきり本気の舞を見れるものと思っていましたので、少しだけ驚きました。私としてはそれも一興かと思いましたが、自分を曲げてまでするものではなかったという事だったのでしょう」

 

 自分でも整理できていなかった自分を次々に分析されて少しだけ圧倒されつつあった一真だが、続く刀華の言葉には凄まじい衝撃を受けた。

 何ら特別な意味を持たないような普通の調子で、事も無げに刀華は言ってのけた。

 

「もしもカズくんが黒鉄さんを恨んでたのなら、あれでスッキリできたのかもしれないね」

 

 自分の中の前提条件を覆すような言葉だ。

 今まで自分を鍛えてきた原初の理由を否定され、流石に一真も反論した。

 

 「……いや。俺はアイツを恨んでたはずだ。言ったろ、久々の対面が最悪だったって。今朝だって大分キレたんだぞ」

 

 「うん、凄く怒ってたのは知ってる。でも、試合中の顔を見ればわかったよ。ひどい目に遭わされた怒りは残ってても、もう黒鉄さんへの恨みそのものは残ってないんだって」

 

 孤児院に入ってから色んな不条理や理不尽を見てきたし、奮起してからも色んな恨みや辛みを肌で感じてきた。

 人間の暗くて汚いところは、同年代の大体の者たちよりかは多く体験してきたと思う。

 だけど。

 どうしても辛くなった時に、それでもまた暗い淵へと落っこちずに済んだのは、すぐ側にいてくれた彼女が人間の美しさを思い出させてくれたからだ。

 

 日の傾いた空を背に微笑む刀華に、一真は雲の晴れ間を見た。

 

 

 「私たちに逢えたから自分の人生はこれでよかったんだ、って。カズくんが言ったんだよ?」

 

 

 復讐を遂げて溜飲が下がるのはその相手に今も苛まれているからだ、と。

 ははは、と思わず笑みが溢れた。

 主義じゃない。恨みじゃない。不透明だった感情も、気付いてしまえば簡単な話。

 10年越しの怨恨を晴らしたつもりでいた彼は今、ようやく根本の答えに行き着いた。

 

 

 「そうだよ。俺、とっくに幸せなんだった」

 

 

 とん、と泡沫が刀華の背中を押す。

 前によろめいて振り返ってみれば、彼はイタズラっぽく頬を曲げて笑っていた。

 それで刀華は意図を察した。

 顔を赤らめて抗議の目線を送り、顔を前に向けて見る。彼女が何か大切なことを言うのだと察したのだろう、ベンチから立ち上がった一真がすぐ目の前にいた。

 

 近付いても抱き締めるのは恥ずかしくて、刀華は彼の服を掴んで額を当てる。

 一真は少し驚いたように身体を震わせたが、やがて彼も彼女の肩に抱き締めるように手をかけた。

 

 抱擁と労い。

 大きなものを終わらせた家族を迎える温もりにおいて、これに勝るものはきっとない。

 かつて失われ、そしていつの間にか取り戻していたものは、確かにここにあった。

 

 

 

 「お疲れ、カズくん。お帰りなさい」

 

 「ああ。ただいま、刀華。みんな」

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