「……はい。こちらに準備整いましてございます」
「ありがとうございます。助かりました」
ぴしっ、と。
赤く燃える炭に網を乗せたバーベキューセットを、一真が直立で御辞儀をしつつ手のひらで示す。
普段の彼女なら「何してるんですか!」で済ませそうな所だがよもやの一本背負い。
何というか、その人について悩んでいた直後にその人にやらかされたかのような衝動を感じた。もう怒ってはいなさそうだが普段と変わらないありがとうございますが逆に怖い。
一輝や泡沫が完全に縮こまっている大男を笑いたくとも、自分達も同罪なので笑えないのが辛いところだった。
「その、すいませんでした……。ちょっとその、僕も遊んでしまって」
「いえいえ、先に仕掛けたのは王峰くんなので」
「そ、そうそう。それに2人がああなったらボクもちょっと止められないし、ボクも無罪放免って事で」
「うたくーん。あなただけ今回お肉禁止にしますねー」
「何で!?!?!?」
バーベキューにおける死刑宣告を喰らった泡沫が断末魔を上げる。
すると砂浜の向こうからバタバタと走ってくる人物がいた。タンキニ姿の兎丸恋々だ。彼女は走る勢いのまま刀華にぶつかるように抱き着いた。なぜかちょっぴり涙目である。
「うわーん、助けてかいちょー!! ステラちゃんにぶたれたー!!」
「ぶたれるまで止めなかったんですか!? それならもう自業自得ですよ!!」
ステラにぶたれたというワードに若干反応した一真だが、事情を知っているらしい刀華が自業自得とまで言っているのでそのままにしておく。
というか向こうも向こうでケンカになっていたらしい。今のところ結束の「け」の字にも掠らない有り様だが、こんなのでこれからの調査は大丈夫なのかとやや不安にならないでもない。
慰めの期待を裏切られ刀華に寄りかかったままぶーたれる兎丸だが、そこでふと何かに気付いたようだ。
「あれ、会長まだ見せてないの?」
ぴた、と刀華の動きが止まった。
「な、何をですか?」
「水着だよ水着。新しいの買ったの知ってるぞー。お店で1人悩んでたの見てたぞー」
「ちょっ、いたなら声をかけて下さいよ!」
「王峰くーんこっち向いてー、そりゃっ!!」
問答無用とばかりに兎丸が刀華のラッシュガードのチャックに手をかけ、思い切り服ごとずり下ろした。
そして今まで覆い隠されていた刀華の身体が白日の下に晒された。
冒険してみたのかもしれない。
刀華の水着は、花柄を描かれた桃色のビキニだった。
同じ種類のそれと比べると布面積が少なく、同年代の中でも恵まれたサイズの柔らかそうな胸がより強調されている。
目映い肌色の腰回りもそれに匹敵する程に目を惹く。日本人は下半身太りだと言われるものだが、彼女のそれはそんな悪評を魅力として昇華しているようだ。
ふっくらと丸くしっとりしていて、しかし贅肉の気配はまるで感じられない。そこから伸びる美しい脚線もまた然り。
下世話な擬音を敢えて使うなら「むっちり」とでも表現すべき、仄かな官能を匂わせる美しさ。
さらに。さらに、だ。
揺れたのである。
急に脱がされて驚き硬直した勢いで、そのふくよかな果実が、ぽよよんと縦に。
心臓が一瞬、握り潰されたように激しく拍動した。力及ばずを悟った賛美の言葉が、怖じ気づいたように喉に詰まる。
「あ……そ、その……ど、どう、でしょう、か……」
「えっ、あ、あー……その……凄え可愛いと………キレイだと、思う。うん、マジで」
一瞬エロいと思った事は伏せただけ一真は判断能力を残していた方だろう。
赤らめた顔を伏せる刀華と見続けていいのか葛藤する一真。一輝と泡沫は直感の配慮として顔を逸らして存在感を消しており、夏のビーチはまるでそこだけが切り取られたようで────
「全く、全くもうっ! 悪ふざけにしても限度があるってのよ! 髪がくしゃくしゃになっちゃったわ!」
───その後ろから上位互換が現れた。
刀華のそれよりも更に面積が少ない紐ビキニ。歩く度にたゆんたゆんと揺れる白桃のような胸は今にも零れ落ちそうだ。
ほっそりとした腰にツンと跳ね上がったヒップと、そこから伸びる脚線美。これを抱き締める事が出来たらそれはどんな悦びだろう、柔らかく甘いボディラインは本能の全てを惹き付けてやまない。
彼女が歩くと、周りが一瞬静寂に包まれる。
あらゆる視線を釘付けに、ステラ・ヴァーミリオンが砂浜の舞台に上がった。
「おぉ………、」
更衣室で目が慣れていた女性陣はともかく、男共が無反応でいられるはずがない。一輝や泡沫も周囲の例に漏れず、一真ですらも息を呑んで絶句した。
感嘆の溜め息すら吐いてしまう、1つの芸術品がそこにあった。
───すぅ、と気配も音も無く、刀華が一真の横をすれ違う。
女に見蕩れた男の意識の隙を突くなど呼吸をするよりも容易い。
認識の資格に潜り込まれたことにすら気付かない一真の尻の肉を、掴むような強さで指に挟む。
かつて泡沫や貴徳原を苦しめた
その破壊力の源である手首のスナップ(泡沫談)を存分に活かし、摘まんだ肉を水着の上から引き千切るように
「ア゛ーーーーーーーッッッ!?!?!?」
「王峰くんはご飯と後片付けが終わり次第調査に移って下さい。私は先に聞き込みに行ってきますので」
「い゛、痛っつぅ……!? って、へ? じゃあお前はメシどうすんの?」
「適当に何か買って食べますのでお構い無く」
「……怒ってる? 怒ってんな?」
「怒ってません」
「ちょっ、怒ってねえなら止まれ! まず話を聞いてくれ! 違うから!!」
「来ないで下さい」
ラッシュガードを着直して大股の早足で去っていく刀華とそれを追う一真。一輝たちはその様子を呆然とながめており、遠因ではあるステラは「え、私何かした?」とおろおろしている。
引率2人が、極めて私的な理由で消えた。
「……ご飯、先にしちゃおっか」
「ですね。……力持ちですよね、女の子って」
「ホントだよ。あの大男を思い切り振り回しちゃうんだからさ」
「信っじらんねえ……《抜き足》まで使うか普通……!?」
追跡も空しく丁寧に撒かれた一真はあちこちを見回して刀華を探していた。
いや、確かに怒るのはわかる。褒めた側から別の女に目を奪われた自分に非があるのはわかる。だがもう少しこちらの話を聞いてくれてもいいのではないか? こうまでつっけんどんにされては謝る隙もありはしない。
好奇の視線やいつもなら《抜き足》で逃げるカメラのレンズも今は放置した。
この海岸にいる誰よりも頭が高いところにある視点から一真は俯瞰するように注意を走らせ、そして少し遠い所にようやく彼女の姿を見付けた。
「──────………」
おおよそ察した。
双眸を研ぐように細め、一真は大股で彼女の元へと歩いていく。
「ねーねー、どしたのそんなコワイ顔して」
不機嫌な刀華を呼び止めたのはそんな声だった。
日焼けした肌に髪を染めた2人組の男。軽薄そうな声色と言葉遣いの、俗に言うナンパだ。ひと夏の思い出でも作りに来たのだろう、声をかける取っ掛かりのある彼女に狙いを着けたらしい。
「いえ、一緒に来ている人たちがいるので……」
「えっ、そんな顔させる奴らよりオレらと遊んだ方がぜってー楽しいってマジで」
「……それに用事もあるんです。ごめんなさい」
「どんなのどんなの? 教えてよ手伝うからさ」
こんな風に刀華もさっきから断っているのだが、いかんせんしつこい。
よほど刀華を上玉と見たのか、逃がすまいと口を回し続けている。
少し必死さが透けているあたり玄人でもないようだ。遊びを覚えたてで粋がっている時期なのかもしれない。
───やっぱり、
頭に浮かんだ幼馴染の顔を意識から押しやり、刀華は男たちに踵を返す。
「では、失礼しますね」
「ちょ、待ってって」
何がどうでも靡かない刀華に苛立ったのか、少し強めに腕を掴まれた。
ようやく落ち着いてきた不機嫌が少し甦ってくるのを感じた。
もういいや、《抜き足》でも何でも使って逃げよう。
少し投げやりにそう決めて掴まれた腕を振り払おうとした時────
「よう兄弟」
どかっ、と。
その声の主は身体を男たちの間に入り込ませ、叩くような勢いで2人の肩に手を置いた。
「お盛んじゃねえか。ナンパってやつか? いやァやるじゃねえか。ここにいる中でも1番イイ女に目ぇ着けたんだもんなァ。見る目あるぜ本当」
肩を掴む手が大きすぎる。
声が聞こえてくる位置が高すぎる。
全身を硬直させた2人が恐々と振り向いて上を見上げた。
───巨大な男だった。
自分の身長に50センチ足してもまだ目線が合わない。
「え、あ、その……」
「でもなァ、残念だったな。その子な、もう先約いるんだよ。そんでお前らに順番が回ってくるなんて有り得ねえんだわ。その先約がずーっと先まで買い占めてっから。
………まァあれだ。何が言いてえかっつーと」
危機感が警鐘を鳴らす。
太陽の逆行で影になった顔で、獣のような目が怒りを宿して光っている。
2人の肩に男の五指が獣の顎のような力で食い込むと同時、唸るような命令が男の歯の隙間から漏れ出した。
「今すぐ失せろ。俺の連れだ」
2人は逃げた。
下手くそな敬語で謝りつつ小走りで去っていく背中から目線を切り、一真は刀華に向き直る。
「大丈夫か? 何かされてねえ?」
「うん。大丈夫だよ、ありがとう。何かされそうになっても自力でどうにかできたとは思うけど」
「そういう問題じゃねえだろ。それこそああいう手合いに絡まれる前に本気で逃げろってんだ、俺からは《抜き足》使ってでも逃げた癖に───」
お説教が始まった。
何だか怒られる側が逆転してしまっているが、彼女はもうそんな事はどうでもよくなってきていた。
少し俯き被っていた帽子のつばで目を隠し、遮るように刀華は聞く。
「……それよりカズくん。さっき自分が何言うたか分かっとー?」
? と一真は首を傾げる。
さっきの自分が言った事。あの2人の男に言った事。ほとんど感情に任せて言い放った言葉たちを思い出し、反芻して、その意味を理解して───
「………っあー、いや、そうじゃなくてな!? その、アレだ、ついその場の勢いっつーか、いや腹が立ってたのもあるけど決して本気じゃ、いや全部出任せって訳じゃねえけど……!」
一真は面白いくらい狼狽え始めた。
情報を整理できないままわたわたしている大男の図が面白くて、刀華はくすりと笑みを浮かべた。
「あーあとそうだ、最初の! 確かに一瞬目移りしちまったけどな、俺は嘘は言ってねえし、お前が1番───」
「いいよ。もう本当に怒ってないから」
「……本当にか?」
「本当だよ。……お腹空いちゃった。ご飯食べよう」
そうして一真と刀華は並んで歩き出す。
目立つ巨体を遠くから見付けたらしい。火に焼かれいい塩梅に煙を上げている食材を囲んでいた泡沫たちがこちらに向けて手を振ってきた。
それに応えて手を振り返す一真の顔を、刀華は横からちらりと見上げる。
───1番イイ女に目ぇ着けたんだもんなァ。
───お前らに順番が回ってくるなんて有り得ねえんだわ。その先約がずーっと先まで買い占めてるから。
───俺は嘘は言ってねえし、お前が1番………
「………ばか」
ぽつりと呟いて帽子を深く被り直す。
自分の中でこれがいつまで反響し続けるのか分かったものじゃない。
だけどこれらの言葉は多分もう、彼の中では有耶無耶なまま終わったことになっているのだろう。
彼は全て解決したと思っていて、自分だけがこんな思いをしているのが妙に悔しくて。
「ア゛ーーーーーーーッッッ!?!?!?」
刀華はもう1度、一真の尻を抓った。
◆
「ほら焼けたぞー。どんどん食え」
「あ、カズくんごめんなさい。うたくんは今日お肉禁止なんですよ」
「トーカ!? あれ冗談じゃなかったの!?」
「もちろん。だけどちゃんと理由はあるんですよ。なんでこんな事になったのか、しっかり考えて下さいね」
「うわーん、そんなのないよ! トーカの鬼! 悪魔!! カズ!!」
「オイ何で俺をそこに並べた」
「……という訳でして」
「はっはっは、我々がいない間にそのような事があったのか」
「仲直り出来て良かったですわ。喧嘩するほど仲が良いとは言いますが、あの2人が喧嘩している所はあまり見たくはありませんもの」
一真たち孤児院出身組がじゃれ合っている横で、一輝は管理者への聞き取りから戻ってきた砕城とカナタにここまでの出来事を報告していた。
終わったから微笑ましいで済んでいるものの、あの時残された者たちの「これどうすんの」感といったらなかった。
何とか調査前にグループのコンディションを立て直せてよかったと心から思う。
(調査といえば………)
一輝はぐるりと海岸全体を見回す。
砂浜に突き刺さるいくつものパラソルや、大勢連れ立って楽しそうに遊ぶ人々。
それにサーフボードや浮き輪で海と戯れる一般人らを見て、一輝は難しい声で呟いた。
「……多いですね。人が」
「これが『鮫が現れた』なら海岸の封鎖もしやすいし事実そうした実例もあるのですが、『ネッシーがいるかも』という荒唐無稽な理由で人払いをする訳にもいきませんからね。
それに話題性という意味では充分ですし、むしろ人を呼び込んでしまっているようです」