「ごめん」
「……悪かった」
胸の内でああだこうだ言っても、そんな姿を実際に目の当たりにすると自然と謝罪が口をついて出た。たとえ自分に非がなくとも、男は女の子を泣かせるものじゃない───男に生まれたなら必ず教わるその矜持が、少女の涙に頭を下げさせた。
「あれは不幸な事故で、僕らも別にステラさんの着替えを覗こうとしたわけじゃない。ただ、見てしまったことに変わりはない。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
「……俺も思い返せば馬鹿な突っ走り方をした。悪意はなかったとはいえ、恐ろしい思いをさせた分は男としてケジメを付ける」
「……そう、潔いのね。サムライの心意気って奴かしら。」
一輝と一真のつむじを見ながら、ステラは目元を腫らした顔で小さく微笑む。
「まずそこの大きい人は……いや本当に大きいわね……、いいわ。許します。アンタはアタシの悲鳴を聞いて非常事態に対応しようとしただけ。悪意が無かったのはわかってるわ。ただ今後似たようなことがあったら、その時はもう少し冷静でいるべきだと思うわ」
「……本当に悪かった」
聞き心地のよい澄んだ声に、一真はもう1度深く頭を下げた。あるいはその姿勢が彼女にも伝わってくれたのだろうか、ステラは強張っていた表情を幾分か和らげてくれたようだ。
部屋に入ってきた時の敵意が薄れていくのを見て、一真は認識を改めた。皇女というから偉ぶった高飛車が来るのかと思っていたが、きちんとこちらに理解を示してくれる人だ………
「隣のアンタは、────ハラキリで許してあげる」
………矛先が片方に集中していただけだった。
ギョッとした顔で顔を上げた一輝を横目に、一真は噴き出しそうになるのを全力で堪える。
「いや、ちょっと待って。そりゃ流れで許してもらえるなんて思ってはいなかったけど! 恐らくは譲歩してくれた上で命を差し出せと!?」
「正直なところね、もう来日していきなり痴漢に遭うなんて心底この国を嫌いになりかけたし、国際問題にしてやろうかとも思ってたわ。そこを煮るなり焼くなりって心意気に免じて命1つで済ませてあげようっていうのよ?
本来なら市中引き回しの末に国民全員で石打ちにするところだけど、それに比べたらずっと尊厳の残る逝き様だと思うわ」
「ふむ、こうなっては最早仕方無いな。黒鉄、日本とヴァーミリオン皇国の恒久的な平和のために散れ」
「教職者と
ニタニタと笑う黒乃の顔からそれが冗談であることはわかっているが、それでも一輝からすればたまったものではない。しかもいつの間にかそっと後ろに退ざり完全に見物を決め込むつもりのポジションに移行していた一真を見たときの衝撃たるや。
その目から『介錯は任せろ』という無言のメッセージを受け取った一輝の目はもはや人間を見るそれではない。もしかしたら彼は今、世界で1番ひとりぼっちかもしれなかった。
「と、ともかく! たかが下着姿を見ただけで命まで支払えないよ!!」
「たっ、たかが!? 嫁入り前の姫の肌を汚しておいて何よその言い方は!! アタシの裸を、い、いいいいいいやらしい目で、じーっと見てたくせに!!」
「いや、違わないけど……そ、それは違くて! スケベ心じゃなくて、
「ふぇ………っっ!?」
(何の話してんだこいつら……)
みるみるうちに気勢を落としていくステラ。
なぜか犬も食わない様相を呈し始めたやり取りを白い目で眺めていた一真だが、安全圏に入り冷静になった彼の頭は、1つの重大な問題点を発見した。
「なァ、そもそもよ。何でイッキの部屋に皇女様がいたんだよ?
イッキが施錠でもし忘れてたってのか? そうでもなきゃ入れねえと思うんだが……」
「はぁ!? アタシはちゃんと理事長先生から貰った鍵であの部屋に───」
「ああ。それなんだが、どちらが間違えたという話ではない。簡単な話、
「「「 …………っ!?!? 」」」
流石に全員が絶句した。
確かにこの学園の学生寮は2人1部屋だが、そもそも男女が1部屋に入るなど聞いた事がない。恐らくは当人しか面白くないであろうネタでくつくつと笑いながら、黒乃は実に面白そうに2人に告げる。
「いや、改革の一環として、競争を生じさせて切磋琢磨を促すために
ヴァーミリオンほど優れた者も黒鉄ほど劣った者もいなかったもので、必然的に余り者同士でペアにさせるしかなかったという訳だ。
……最も、実力的にも妥当とは考えてもいるがな」
「……クロガネ、ってこいつですよね? ……劣った者?」
「ああそうだ。
それを聞いて、ステラはぽかんと口を開けた。
しばし呆然とその前後の言葉の意味を脳内で反芻し、そして理解が追い付いたようだ。
部屋の温度がみるみる上昇し、彼女の身体が燐光を纏う。
───溢れ出る激情に、彼女の能力が漏れ出していた。
「どっ……どういう事ですか!! Fランクと私が実力の近い者同士!?
そうでなくとも年頃の男女がお、同じ部屋なんて……何か間違いがあったらどうするんですかっっ!! 断固として納得できるわけないでしょう!!」
「やれやれ、これは茶化せる空気でもないな。
君たち以外にも男女になってもらう者はいるし、その全員に便宜を図っては本末転倒だ。一切の特別待遇はない。嫌なら退学してくれても構わんぞ?」
「………!!」
日本に来た目的はわからないが、流石にそれは不本意なのか押し黙るステラ。とにかくそこは受け入れるしかないと腹を括ったようだが、今度はその勢いのまま一輝に同室になるにあたっての3つの条件を提示し始めた。曰く“話しかけず“ “目を開けず“ “息をしない“、というかぐや姫もドン引く無理難題を吹っ掛けている。
流石に承服しかねる内容に反対した一輝にさらに火を噴く勢い(物理)で畳み掛けるステラを横目に、一真は暑そうに顔をぱたぱたと手で扇いでいる黒乃にぼそりと話しかける。
「(お姫様ってのは淑やかなもんじゃないんですか?)」
「魔力とは魂のエネルギーだ。ほら、軽く漏れ出るだけでもう砂漠にいる気分だぞ。これだけの『炎』の持ち主、活力の塊に決まっているだろう」
「それだと鶏が先か卵が先かの話になりそうですが、まァ道理だ。……でもまァ、何だ。随分と好戦的な性格をしていなさる」
「理事長に就任するにあたって過去のあれこれは一通り頭に入れたが、お前にだけは言われたくないだろうな」
「別にケンカが好きって訳じゃねえんですがねぇ……」
不本意とばかりにぼやく一真だが、しかしその眉間には段々と皺が刻まれつつあった。
不機嫌そうにやる視線の前には、髪の色に負けないくらい顔を赤くして口角泡を飛ばすステラがいる。
そして彼が見物席を離れ、逃れたはずの糾弾の場に戻ったのは、言い合いの末にステラの口から飛び出したこの言葉がきっかけだった。
「いやなら退学しなさいよ! そうすればアタシは1人部屋になれるわ!」
「……その辺にしとけよ」
静かに、しかし強い声色で一真は争いを遮った。
「何のつもり?」
「今朝の事故もルームメイトの事も、何1つこっちの悪意は混ざっちゃいねえ。さっきから変態変態と貶め続けてんのは流石におかしいんじゃねえか?」
「なによそれ、ここにきて自分たちは悪くないとでも言う気!?」
「そうじゃねえよ。加害者がこっち側なのは承知だし、憤懣やるかた無えのもわかる。ただそろそろ落とし所を見付けてやっちゃあくれねえかって話だ。仰天しちまってんのはこっちも同じなんだよ」
一輝に向けていた舌鋒の勢いそのままに一真に食らいつくステラ。恐らくは熱しやすいタイプなのだろう。最初こそ諭すような論調だった一真の言葉も、それにあてられるように徐々に鋭さを増していく。
そろそろまずいか、と黒乃は判断した。
一輝も慌てた様子で一真を制そうとしているようだが、しかし一真が退く様子は一切ない。こうなってくると話が終わることはないだろうし、そろそろ一国の姫を相手に越えてはならないラインが見えてきそうだった。
「やれやれ、ならこうしろ。これからヴァーミリオンと黒鉄で模擬戦を────」
「んぅもぉぉおぉ~~~~! アッタマに来た~~~ッッ!
なんて最低の国なのかしらここはッッ!!」
もはや殺気さえ宿した灼眼を見て、まずい、と一輝は背筋を凍らせる。
しかしその危機感の発信先はステラではない。
その物言いとその態度は、
「皇女だってんなら、その口から出てくる言葉の重みにも気を遣えよ。
─────
空気が、凍った。
皮肉にしても狙いどころが悪辣すぎるその一言に一輝は顔を引き攣らせ、さしもの黒乃の目を剥いた。
ぴたりと口を閉じたステラだが、それは一真の一言で我が言動を省みたわけではない。
沸点を振り切れて逆に冷静になっただけだ。
「その言葉、どういう意味を持ってるかわかってるのかしら?」
「わかってるつもりなんですけどねえ。俺は皇族みたいな教育は受けてないんで、もしかしたら解釈違いがあるかもしれませんねえ。
念のためその口からご教授いただいてよろしいですか?」
およそここまで喧嘩腰の丁寧語もないだろう。
謝罪でも弁護でもなく完全に戦闘態勢に入った一真は、60cmを越える身長差の高みからステラを睥睨する。
突沸しかかっているステラの心は、あと少し触れてしまえば憤怒という形で爆裂してしまうだろう。バックドラフト寸前の彼女は、感情のない平坦な声で黒乃に問うた。
「理事長先生。今さっき、模擬戦と言ってましたよね。これはどちらの意見を通すかを戦って決めろ、ということでいいんですか?」
「………ああ。それで正しい。使うなら第3訓練場を使え」
「わかりました。じゃあ、アタシはその案に賛成します。アンタは?」
「来るなら受けよう。俺が勝ったら──」
「ああ、いい。別にいいわ。アンタのそれは言うだけ無駄よ」
一真の口にしようとした要求を、ステラはかぶりを振って遮った。
それが意味するところとは、つまり勝利宣言。
そして彼女がこの決闘で要求するものは、汚された祖国の名誉そのものだった。
「アタシが勝ったら、アンタ腹を切りなさい。
負けたその場で、アタシが見てる目の前で」
一輝がなんとか仲裁しようとするも時既に遅し。ステラは静かな足取りで理事長から出ていった。
逆鱗に触れたとは思えない静かな挙措だが、しかし彼女の怒りは刻まれている。カーペットや床が、彼女の靴跡の形に焦げ、溶解していた。
青褪める一輝と頭を抱える黒乃に、一真は何1つ悪びれることなくのたまった。
「悪い。やらかした」
「……本当にな。これで本当に国際問題に発展したら、この学園の処遇はまず地の底に落ちるぞ」
「大丈夫でしょう。俺が腹ァ切んのが条件ってことは、逆に俺1人で事が収まるってことだ。最低な国とか平民どもとか言ってたが範囲はきっちり1人に絞ってた辺り、あれでちゃんと物を考えてたのかも知れませんね」
「カズマ。僕を庇ってくれたことには礼を言うけど、いくら何でも今のはマズすぎる。模擬戦の結果がどうなっても、改めて謝るべきだ」
「いや、庇うとかそんなんじゃねえよ。……意見ってのは強い奴のものほど通りやすいもんだ。俺にも曲げたくねえモノを貫くだけの力はあるさ」
じゃあ行ってくる、とひらひら手を振りながら一真も部屋を出ていった。
この場における最高責任者である黒乃は重苦しい沈黙にのし掛かられながら深い溜め息を吐く。
「……理事長を就任するにあたって過去の情報には目を通してはいたが、あの男、まさかここまでやらかすとはな」
「雑に言ってしまうと、凄く身内贔屓なんですよね。仲間や友達と認めた人には情に厚いけど、
「ヤンキーの気質だな。噛みつく相手や噛みつき方は考えてもらわねば本気でまずいことになるぞ」
「そうですね。やり過ぎるきらいは大いにあるし、間違いなく改めなければならない部分は確かにあります。だけど、僕は彼の人となりが好きだし、全面的に肯定していますよ。
………去年の僕は、確かに彼の暴力に救われていましたから」
……知っている。
自分から情報を集めた黒乃でなくても、今年から新しく入学してくる1年生以外は全員がその大事件を知っている。
学園内での
この学園の一部を除いた全ての人間を、
(聞こえは正しい主義主張があるとはいえ、その力の振るい方を間違えれば、待っているのは破滅だぞ。……王峰一真)