「ヴァーミリオン皇国に話は通して頂けましたかぁ?」
「はい、滞りなく。その程度の試練も乗り越えられない男に娘はやれん、との事です」
「んっふっふ、それは実に結構ですぅ」
部下からの報告を受け、己の計画通りに事が進んでいる楽しさで赤座は笑う。
赤座たちもただの精神的リンチで一輝が折れるなどとは思っていない。こうして徹底的に弱らせたところで確実に
「あのコンディションでそれでも勝ち星を上げ続けていますからねぇ。実績としても実力としても、やはり《雷切》が確実───」
「あのAランクは使われないので?」
言われるまで忘れていたらしい。
赤座はしばしきょとんとした後、ああ、と頷いて顎を撫でる。
「……そういえばいましたねぇ。入学した去年から
「しかし今年は選抜戦に出場しているようで、その全てで圧倒的な勝利を収めています。
Bランクの《
「ふぅむ、それほどの実力者の話がなぜ今まで耳に届かなかったんでしょうねぇ……。……その生徒について調べて、時間もないので明日イチバンで報告をお願いしますぅ。ざっくりとで構いませんのでねぇ」
短時間ながら部下の仕事は正確だった。
要所要所を的確に押さえて纏められたプロファイルに目を通した赤座は口の端を粘っこく曲げた。
「ああ、あの時にいた彼でしたか。……んっふっふ、そういえば耳に覚えのある名字だとは思っていましたがぁ。なるほどぉ、そういう来歴を持っていたんですねぇ」
「新宮寺黒乃に
「結構。丸1年情報に空白があろうと、これだけわかれば充分ですぅ」
───この1件を
秘密警察なんて批判される暗部から、もっと表の明るい世界へ。
こんな汚れ役からおさらばする為にもより確実な手を打たねばならない。
そしておさらばした後に自分が保有する
「これなら焚き付ける材料としては充分ですが……これを期に、
己の行く末に打つ布石は多いほど良い。
樽のような身体をくつくつと揺らし、赤座は携帯電話に指をかけた。
◆
「喉を潤したいのであれば、そこの冷蔵庫にドリンクが各種揃えてあります」
「いらねえ」
「簡単な軽食などもご用意できますが……」
「黙ってろ」
エンジン音もなく走る巨大なリムジンの中は、車というよりホテルの一室のように豪華な内装をしている。
彼の巨体から放たれる静かだが刺々しい重圧に運転手は冷や汗を流しているが、一真だって不機嫌にもなるだろう。
なにせこのリムジンの行き先は『国際魔導騎士連盟・日本支部』なのだ。
『倫理委員会』から学園を通して一真に事情聴取の為の出頭命令が下され、そしてご丁寧な迎えの車を寄越されて今に至る。
運転手に罪はないのは承知だが、忌々しいあの男の遣いというだけで刺が出る位には彼の腹は煮えている。
───我慢できるだろうか。
それが彼の懸念だった。
質問に答えるだけならいいが、しかしこれがただの質疑応答であるはずがない。
向こうは言葉尻を捉え誘導尋問を繰り返し、自分の証言を一輝に不利な情報に置き換えようとするだろう。
(そんな奴らを前にして………
……長く。
長く、長く、一真は息を吐いた。
わかっている。今回ばかりは暴力で解決しようとしてはならない。
大切な友を助ける為には、相手の土俵で戦わねばならないのだ。
「……よしっ!」
パンッ!と乾いた音が鳴る。
自らの両頬を両手で叩き、鋭い痛みで一真は己の迷いを断ち切った。
自分がやるべき事は変わらない。むしろこれは黒鉄一輝の潔白を主張できる、後方支援の最大のチャンスとすら言えるじゃないか。
そう思い直し、冷蔵庫から水を取り出して一気に飲み干す。
自分の気遣いが受け入れられてホッとしている運転手を横目に、一真は窓の外を睨む。
その先には、自分を待ち受けている
一真が通されたのは『倫理委員会』の区画にある応接室。事情聴取をするのは、よりによって赤座守だった。
内容はおおかた一真が予想していた通り、誘導尋問と揚げ足取りの見本市だった。
一真は隙を見せないよう発言を「はい」と「いいえ」、そして事実の端的な列挙に
自らに危険な兆候を感じ始め、彼は元栓を僅かに弛めた。
「……いい加減にしろよ。イッキは真面目で誠実な奴だ。お前らが騒いでるようなクズじゃねえ。お前らがどれだけ
「んっふっふ、心中はお察しします。こんな場所にいたら、嫌な思い出も蘇るというものですよねぇ」
「………は?」
「もうあなたが、
その言葉に一真の思考が停止する。
赤座の恵比寿顔は、気遣わしげな形で一真を見つめていた。
「あなたのお話は知っていますぅ。本家のご令嬢に不条理な扱いを受け、そして家から勘当された『王峰』の家の長男……それがあなたですよねぇ」
優しく作られた声色で赤座は一真に顔を寄せる。
「怖がらなくてもいいんですよぉ。過程はどうあれあなたはもう『黒鉄』とは無関係、
そもそも一輝クンは本家の筋とはいえ、才能のない出来損ない。たとえあなたが勘当されていなくとも、最高峰の才能を持つあなたを排斥などしませんからねぇ」
そこで赤座はおもむろに立ち上がった。
こつこつと靴を鳴らして室内を歩き、一真の座るソファの横で止まる。
ここから先はオフレコで、と前置いて、赤座は腹の中で練った計画を始める。
「───復讐を、したくはないですかぁ?」
ぬるり、と滑り込むような声。
「私も分家の日陰者。あなたの鬱屈はよぉく理解できます。
試合の映像は見させていただきましたぁ。……あなたを陥れた引き金である彼女に対するあの戦い方が、あなたの憎悪そのものでしょう?
………私どもは一輝クンを確実に潰すために、彼の選抜戦の最後の相手を、こちらで指名させていただく手筈になっています」
もちろん各所に話は通してありますよぉ、とおどけたように笑う恵比寿顔。
「一輝クンと彼の適性に疑問を持つ者たちの
『倫理委員会』の中では七星剣武祭ベスト4という実績を持つ《雷切》がよいという空気がありますが───、私は、ぜひあなたに戦っていただきたい」
「………、」
「これは完全に私の個人的な希望です。しかしどうか頷いていただきたい。《七星剣武祭》出場という優秀さの看板を、黒鉄本家から引き剥がすんです。
そうすれば……その様子を見ることが出来れば………私も、長年の溜飲が少しは下るかもしれない……」
「見返りは」
赤座の語りを遮って一真が問う。
「お前みたいな人間が、自分への見返りもなく自分の意思で組織の意向を曲げさせようなんて気にはなんねえだろう。俺は復讐の機会を得て、お前は俺に何を求める?」
「求めるなんて滅相もありませんよぉ。ただあなたと似た境遇のよしみで、今後とも良好な関係を………
ふはっ、と一真は笑う。
間違っても仲良しこよしなんて意味ではない。
しばらく肩を揺らしていた一真は目尻の涙を拭い、軽く笑いながら赤座に手を差し出した。
「いいぜ、乗ってやる。……じゃ、そういう事だと挨拶はしとかなきゃな。1番上の奴はここにいんのか?」
「んふふっ、ありがとうございますぅ……! しかしそういう連絡でしたら私の方で済ませておきますよぉ?」
「いや、こういう筋は通してえんだ。……大丈夫、余計な
「なるほど、了解しましたぁ。信頼関係の第一歩という事ですねぇ」
赤座は差し出された手を握り返し、2人は密約の握手を結んだ。
万事が思うままに推移して見るからに浮き足だっている赤座と並んで一真は廊下を歩く。
「
「違いねえ。ところでイッキは今も査問されてんのか?」
「ですぅ。全く強情で困りますねぇ」
「支部長ってイッキの親父だよな。確か」
「その通り、そしてあなたの苦しみの大本でもありますぅ。親によって子供だったあなたが陥れられたのなら、その報いはきっちりその子供に返してあげませんとねぇ」
「言えてるな。……そうだ。お前が俺に言った事で、1つ訂正してえ事があるんだよ」
「訂正、ですかぁ?」
「ああ。『俺を10年間苦しめた全てを潰せる』ってとこだ。『全て』ってのは確かに間違っちゃいねえんだが、もう少し範囲は狭い」
「?」
「ゴミしかいねえと思ってた所にも、笑えるくらい真っ直ぐな奴がいた。
歪んで壊れた奴ばっかだと思ってた所にも、呆れるくらい優しい奴がいた。
最初は敵だと、他人だと思ってたそいつらに助けられたから、俺もそいつらの助けになりたいと心から思ってる。
だから、俺
──────テメェみたいな糞野郎だよ」
赤座の横腹に何かがぶつかった。
恵比寿に似た顔が戸惑いを浮かべる。この場には自分と一真しかおらず、ぶつかってくるような物も何もないからだ。
腹から伝わった衝撃でたたらを踏んだ赤座は、ぶつかられた所の状態を確認するために自分の腹を見た。
そこにあるはずの、腹が、無かった。
「え?」
剥き出しになった骨盤が見える。
千切られ残った僅かな腸がそこから垂れ下がっている。
樽のような己の腹部が吹っ飛んでいた。
呆然として首を回すと、近くにある壁が一面鉄臭い赤に染まっているのが見えた。その中心には皮膚だったり脂肪だったり腸だったり胃袋だったり、自分の胴体だったはずのあらゆる器官や構成物質の塊がまとめて潰れるようにへばりついている。
人間の脂肪の色が黄色いことを、赤座はこの時初めて知った。
「え?」
反対側を見ると、そこには両脚に漆黒の鎧を纏った王峰一真がいた。
彼の右脚は赤黒く濡れており、足先には黄色やピンクの欠片が付着している。
体積を大きく抉り取られた赤座を、彼は身長差の高みから平坦な眼差しで見下ろしていた。
果たして彼にそれらの情報を結びつける事は出来たのだろうか。
「え?」
それが
胸から上と下半身が剥き出しになった脊柱のみで繋がった奇怪なオブジェのような中年の死体が、ぱたりと膝から崩れ落ちる。
その亡骸は最期まで己の身に起きた事を理解できていない呆然とした表情で固まっていた。
武器を出す。
蹴る。
殺す。
────自分が原因でカズくんが人ば殺すんは、一輝くんは望んどらん────
頭の片隅でよく知る声が聞こえる。
一輝だけじゃない、自分を思う声だ。
全てを捨て置いて突っ走ろうとする自分を、それでも最後の一線を越えさせまいと引き止めてくれた彼女の声だ。
そんな彼女の優しさを鉄臭く塗り潰したのは、他ならぬ、自分だ。
「────────…………」
短い瞑目。
遠ざかっていく彼の硬質な靴音が、血塗られた足跡を刻み込むように後ろへと残していた。