第37話
一輝のスキャンダルは収束した。
この選抜戦において一輝を取り巻いていたものの顛末を聞いたヴァーミリオン国王、つまりステラの父親が『倫理委員会』とその手先となった報道に強い不快感を明言したからだ。
その国の武力を取り締まる者と権力を監視すべき存在に対する不信、つまり日本という国とヴァーミリオン皇国との間に不和を生み出しかねない事案。
しかし『倫理委員会』含む連盟の日本支部がそのトップごと
そんな彼らにとって、ビルから生きて脱出した者の
我先にと保身に走った報道は『不遇の剣士』『前時代の悪習の被害者』『表に現れた黒鉄家の闇』などと手のひらを返した見出しをメディアに踊らせ、世論の矛先を『黒鉄家』そのものに向けようとした。
そんな
ただでさえ方々からバッシングを受けている中でその矢面に立たねばならない立場に収まろうという者は誰もいない。
結局残った本家と分家が身内の争いで宙ぶらりんになっている間に世論は黒鉄家の批判、一輝を同情・英雄視する方向に流れ、国王の『七星剣武祭が終わったらヴァーミリオンへ挨拶に来い。判断はそれまで保留にする』という一連のスキャンダルに対する判断の公言により、一輝の騎士としての倫理を追及する者は誰1人としていなくなった。
◆
7月下旬。
選抜戦で駆け抜けるように過ぎていった1学期が終わり破軍学園も夏休みに入っているが校内や寮の
なぜなら彼らは8月の半ばから開催される七星剣武祭に向けて行われている強化合宿に代表選手、あるいは手伝いとして参加しているからだ。
───しかし、場所は由比ヶ浜ではない。
例の『海竜騒動』が結局未解決のまま迷宮入りし、充分な安全性が確保されているとは言えないためだ。
そこで
「………ッッッ!!」
鍔迫り合う白刃と黒刃の間に火花が弾け、
筋肉が強制的に痙攣して一輝の腕が跳ね上がった隙を突いて、刀華は心臓へ向け最短距離を駆ける刺突を放つ。
しかし一輝は筋肉がどう痙攣するかを瞬時に把握、僅かな重心移動で痙攣による全身の筋収縮を後ろへ跳ぶ動きへと変換。緊急回避を成功させ状況をリカバリーする。
それを逃がすまいと刀華は追い縋り、まだ体勢が整っていない一瞬を狙い素早く《鳴神》を大上段に掲げて唐竹割りを繰り出した。
続けて回避するか、あるいは防御するか。
一輝が選んだのはカウンターだった。
地面に降ろした後ろの足をそのまま滑らせ、流れるように地面に這いつくばる。
「!?」
上から下へ振り下ろす攻撃を、下に
横に避けたのなら刃を切り返して追撃もできるが、振り下ろした刃をさらに振り下ろすなど不可能。致命の刃の風圧を背中に触れさせつつ、一輝は《陰鉄》を横薙ぎに振るう。
追撃の唐竹割りを繰り出すために踏み込んだ刀華の前の足が地面に着く、完璧な場所とタイミングで。
このままだと足を斬り落とされ戦闘の続行は難しくなる。しかし無理やり足を置く位置を変えても無理な体勢となり、次の動作に支障を
とはいえそれは通常の剣士に限った話、優れた能力を持つ
刀華は動きを中断せず、爆ぜる音と共に一輝へと放電した。
刀華のような自然干渉系『雷』の能力の最たる特徴は『速度』と言っても過言ではない。炎や水とは比較にもならない、放たれた瞬間に敵を貫く稲光のスピードは、一瞬の隙もない土壇場でも反撃や防御を成立させてしまう。
それが彼女の
───しかし、電光が穿った空間にはもう一輝の姿はない。
刀華が魔力を雷に変換する寸前に、這いつくばった姿勢のまま飛び退いていたのだ。
(私が放電で防御すると見切っていましたか。しかし今の動き、まるで猫………いや、蜘蛛のようですね)
実際に彼と刃を交えるのはこれが初めてだが、戦いにおける彼の引き出しの多さは既に実感している。
しかし試合の映像を見る限りでは、ここまで剣士として外連味のある動きを多様するタイプでは無かったはずだ。
まるで最適解を選ぶのではなく、今の自分に出来る動きの幅の最大限を意図的に選択しているかのような───
「ふッ─────」
鋭く息を吐き、一輝は地面を蹴る。
全力のダッシュで再び距離を詰めようとする一輝に対して、刀華は一輝が駆け出す瞬間を狙い《
走るために体重を前に預け身体を起こすタイミングで差し込まれた1発だ、一輝からすれば相当に
しかし一輝はそのまま駆け出した。
前へ進む力は緩めないまま1度起こした身体をまた沈め、《
全速力で走りながら重心を上下に激しく揺さぶってなお微動だにしない体幹。
そこから垣間見える積み上げられた基礎の重厚さに驚愕しつつも、一息に間合いまで踏み込んで斬り込んできた《陰鉄》を捌こうと刀を振るう。
振るった刀は、何にもぶつからず空振った。
「なっ!?」
───刀を振る直前に、刀から手を離したのだ。
徒手となった右腕によるフェイントのスイングで相手に迎撃を空振らせ、浮いた刀を左手で掴み直し時間差で斬りかかる。
一輝ほど練達していなければ成立しない難易度のフェイントだった。
しかし迎撃を流されても刀華にとってそれは隙とはなり得ない。なぜなら彼女には肉体の限界を超えた速度で太刀筋を返す
「………っっ!」
───発動されることはなかった。
この時、追撃に入ろうとしている彼に対して刀華はいくつかのパターンを想定していた。
電気を流される鍔迫り合いを嫌ってまた低空から足を狙いに来るか、それとも一息に踏み込んでの刺突で最短の距離と時間で開いた間合いを潰しに来るか。あるいは………?
次の手と返す手を無意識下で巡らせる刀華だが、彼女に向けて放たれたのは、あらゆる手の中でも最も愚かしいとすら言える手だった。
刀華の脇腹に迫る黒刃。
しかし一輝はその場から動いていない。
(虚を突くにしても浅はかでしょう!)
僅かな憤りすら感じつつ刀華は身体を半身にして飛来する《陰鉄》を回避し、同時に自分から大きく踏み込んだ。
───そこは彼女の必殺の領域。
その名前がそのまま彼女の2つ名となるまでに恐れられた《雷切》の間合い!
「《雷き─────、!!??」
刃の発射台となる鞘に納めようとした刀身が何かに絡められ、鞘に入ろうとしていた《鳴神》は見当違いの方向にズラされた。
納刀の失敗。すなわち、《雷切》の不発。
───いったい何が!?
混乱する刀華はその時、一輝の手元から伸びている小さな光の反射を見た。
同時に背後から聴こえてくる、重たいものが風を切る鋭い音。そして《鳴神》の刀身から腕に伝わってくる重さ。
これらから導き出される答えとは。
(解いた
一輝は《陰鉄》を投擲する直前、刀の柄紐を解いてその端を手の内に握り込んでいた。
易い選択と見せかけ刀華を釣り出して《雷切》を誘発し、柄紐を通じて刀華の横を通り過ぎた《陰鉄》を操作。柄紐で繋がった刀を分銅鎖のように扱って《鳴神》の納刀を刀の重さが乗った柄紐で妨害したのだ。
────決着は直後だった。
刀華の身体を支点として柄紐で繋がった《陰鉄》が弧を描いて一輝の元へと帰ってくる。
刀華を折り返し地点として絡み付く柄紐はそのまま彼女を拘束する鎖と化したが、しかし
しかしその拘束と想定の下から斜め上へと跳ね上がった展開への動揺が生み出した行動のラグは、一輝の攻撃を許すには充分すぎる時間で───
「かはっ………!!」
戻ってきた陰鉄をキャッチした一輝がそのまま刀華の喉笛を《幻想形態》の刃で掻っ捌く。
大会に向けての調整と追い込みを目的としたスパーリングは、黒鉄一輝に軍配が上がった。
「ありがとうございます。勉強させていただきました」
「いえ。こちらこそ」
ぺこりと頭を下げる刀華に一輝は短く返す。
社交辞令レベルの感謝の言葉もそこそこに一輝は普段通りの声色で、しかし尻を蹴飛ばすように問いかけた。
「それで刀華さん。
「………、……」
「ありがとうございました」
沈黙を肯定と受け取り、一輝はさっさとその場を立ち去る。
小さくなっていくその背中を眺めて息を吐く刀華の二の腕に、ひやりとした感覚が押し当てられた。
「刀華。はいこれ」
「……ありがとう、うたくん」
生徒会として選手をサポートするため合宿に参加している1人、御祓泡沫が持っているスポーツドリンクのペットボトルだった。
受け取った刀華がそれを口に含み、一息ついたところで泡沫はやれやれと息を吐く。
「荒れてんね、イッキくん。あんな戦い方して大丈夫なの?」
「うん。心配だけど、『問題はないです』って取り付く島もなくて……」
2人の懸念は今回の合宿の形態に起因する。
巨門学園との合同合宿である以上、情報の流出というリスクは常について回る。
まして今回は話題沸騰の超新星であるステラがいる上に、一輝もFランクながら並み居る猛者を倒して本戦出場を決めたダークホース、注目度も高い。
今のスパーリングも回りにいた選手だけでなく、ついてきた新聞部の生徒たちまで食い入るように見つめていたのだ。
「想像以上にとんでもないな……」
「これはいい記事が書けそう!」
「凄い。
………刀華が
本戦前の大切な訓練とはいえ、近く戦うかもしれない相手の前で
そんな中で一輝のあの戦い方だ。
試合の要所で繰り出して決まれば一気に流れを持っていけるだろう奇手の数々を見本市のように並べてしまっては、初見という大きなアドバンテージを失うだけでなく己に対する警戒心まで引き上げてしまう。
スパーリングで《雷切》に勝ったという大して意味のない結果は得られたかもしれないが、その他の駆け引きで言えば愚策も愚策なのだ。
「考え無しって訳じゃないとは思うの。けど、あれは怒ってるというより………
「
「え?」
「………動きがガタガタだ。絶不調どころじゃないだろ、今」
泡沫は武術についてはからっきしの素人だが、鍛え続ける刀華をずっと近くで見てきた。詳しい術理はわからずとも、動きの良し悪し位なら見ただけでわかる。
彼の指摘にしばし黙り込んだ刀華は、俯いて軽く首を振った。
「そうだね。……ごめん、ちょっと落ち着いてくる」
「ん。ペットボトル捨てとくよ」
「ありがとう」
空になったボトルを受け取りゴミ袋の中に入れると袋が満杯になったので、口を縛って集積所へと運ぶ。
重量はなくとも体躯が矮小な彼にはそれなりの労働だ。両手に抱えてえっちらおっちらと運んでいる時、頭上でがさりと音がした。
「……!」
思わず頭上を仰ぎ見る。
ただ鳥が木から飛び立っただけだ。
誰よりも高い所から見下ろしてきていた見知った顔は、そこにはない。
「…………」
視線を戻して泡沫はまた歩き出す。
荒れているのは一輝に限った話ではない。
刀華は絶不調に陥り、根がお茶目なはずのカナタは何も喋らなくなった。生徒会の他の面々も胸の淀みから目を逸らそうとするように仕事をしている。
───破軍が優勝を逃したらお前のせいだぜ?
ハハ、と冗談めかして独りごち、泡沫は目の前のゴミ集積所に向けて─────
「くそッッッ!!!」
思い切りゴミ袋を叩き付けた。
溜まった鬱憤を叩き付けられ、中に目一杯つめられた空のペットボトルがガランガランと大きな音を立てる。
気は晴れない。むしろ心に沈んでいた怒りが鎌首をもたげただけだ。
───ニュースを見た瞬間、泣くように崩れ落ちた彼女の気持ちがお前にわかるか。
───院の子供たちに『お兄ちゃん負けちゃったの?』と聞かれた時、自分たちがどんな気持ちで当たり障りのない嘘を吐いたと思う。
「………答えろよ。カズ」
言いたい事ならごまんとある。
叩き付けたい言葉はいくらでもある。
腹が立ってしょうがない。
今そこに彼の顔面があったなら、両手が砕けてもまだ殴り足りなかったと思う。
だけど。
それ以上に悲しくて、悔しかった。
尊敬する仲間だと思っていたのに。
大切な家族だと思っていたのに。
「ボクらは、お前を思い止まらせる未練にすらなれてなかったってのかよ」
答える者はどこにもいない。
真っ赤になるまで握り締められた小さな握り拳が、振り下ろす先もないまま静かに震えていた。