壊尽のプリンシパル ─落第騎士の英雄譚─   作:嵐牛

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第48話

 他の生徒と違って彼らが備える事ができたのは一輝の第六感と警告のお陰だ。

 糸に絡め取られる直前で一輝は乏しい魔力を《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》でブースト、刀華とステラ同様に最大出力の魔力防御と精神力で糸による支配を拒絶。

 更にステラと刀華に至っては魔力防御の他に自らの能力で己の筋肉を焼き付かせ、身体の動きそのものを強引に止めていた。

 

 「ぎいいィィ……っ」

 

 「あ゛っ……ぐ、ぅぅう゛……っっ!!!」

 

 皮膚が破れ筋肉が裂ける。

 抗い続ける度に精神と身体に耐え難い苦痛が泥のように絡み付く。

 汚物を塗りたくられた刃に刻まれているような感覚。

 脳内を無数の線虫が這いずり回るような、頭蓋の中を刃で掻き毟りたくなる嫌悪感。

 糸を通じて流れ込んでくるそんな悪意に恐怖に近い戦慄が走る。これだけの悪意を撒き散らせる者に操られてしまっては、自分はこの手でどれだけの惨劇を生んでしまう事になるのか!

 

 (どうする……!?)

 

 焦燥を圧し殺して一輝は必死で思考を回す。

 魔力のブーストによる防御が通用するのは《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》が持続する限り、つまり1分が限界……いや、それよりも短いかもしれない。

 まるで魂そのものを削られているようだ。

 自我そのものをズルズルした何かで塗り潰されていく時間はきっと自分が自分のもので無くなるまでのカウントダウンに違いない。

 だが、かといって何ができる?倒すべき敵はここにはいない。

 その先に待っているものが奈落の底だったとしてもただ耐えるしか道がないのだ。

 

 (僕らだけじゃどうしようもない。誰かが助けに来るのを待つしかない)

 

 もはや暁学園のメンバーだけで解決できる問題ではない。

 あるいは異変を察知してもう誰かが動いているかもしれないが、だとしても来るのか?首謀者を倒さなければ終わらないこの人形劇を解決できる人間が都合よくこの場に。

 まして決定的な惨劇の幕が上がるまでもう幾ばくの時間もないというのに─────

 

 「驚きました。耐えている者もいたんですね」

 

 ふわり、と唐突に現れた気配があった。

 ギリギリの精神状態で目線だけを動かしそこに立っていた純白の装束を纏った女性を見た時、3人は一瞬、己の身を苛む悪意と苦痛を忘れた。

 ───暁学園、と仮にも学園を名乗るのだから『教師役』が居るとは思っていた。

 あのレベルの生徒を揃えているのだからAランクはほぼ間違いないだろうとも。

 しかし────しかし、しかし。

 

 「まさか……貴女が、来る、とは……っ!」

 

 「ええ。様子がおかしいので来てみたのですが、流石に見過ごせない事態になっていますので」

 

 未だ現実と受け止めきれない視線がその女性に注がれる。そして満身創痍の3人の中、彼女は一輝に目をやった。

 するとこの狂乱の中にあっても湖のような静けさを(たた)えた彼女の空気に、明確な水紋が表れる。

 

 (これは……。彼は既に……)

 

 否。それはまた今度だ。

 この事態の収集をつけるべく、彼女はまず最も重傷を負っている箇所にメスを入れんとする。

 

 「抵抗を止めてください。それ以上抗い続ければ、貴方たちは精神に取り返しのつかない傷を負うでしょう。後の事は私が請け負います」

 

 「!?どう、やって……」

 

 「私が全員の『糸』を斬ります。ただし申し訳ありませんが……」

 

 そう前置きして、彼女は僅かに言葉を切る。そしてこれから自らが彼らに強いる事を静かに諭すように、しかし有無を言わせぬ強さで言い切った。

 

 「貴方たちに限っては()()()()他ありません。この悪意の主に抗い続けたせいでしょう、『糸』が心身のより深いところまで侵入しています。可能な限り痛みと傷は小さくなるよう努力しますが、覚悟は決めてください」

 

 「だけど、抵抗を止めたら……貴女が……!」

 

 「ご安心を」

 

 操られた時の矛先は間違いなく最も手近にいる女性に向かうだろう。そんなステラの気遣いは、実の所このシチュエーションに限っては無礼もいいところだ。

 しかし純白の女性は柔らかく微笑む。

 奈落の崖際にいながら他者を案じたステラの優しさに答えるように。不安に震える重傷の患者を、自信を表して安心させるように。

 

 

 「この程度で傷を付けられる程、私は弱くありませんので」

 

 

 「ステラさん……。この方なら、大丈夫です。ここは素直に、っ甘えさせていただきましょう……」

 

 目の端から血を流して刀華はステラを促す。

 

 「例え、操られた状態でっ、なくとも……彼女が私たち3人がかり程度で、傷付けられる、とは、到底思えませんから……っ」

 

 刀華の言葉に一輝も黙って頷いたのを見てステラは黙り、それを了承と受け取った純白の女性は二振りの剣を両の手に顕現する。

 彼女の装いと色彩を同じくする純白の剣。

 敵意も害意もないただそれだけで周囲の空気が冷たく凍ったのを感じて、ステラもようやく己の発言がいかに愚かだったのかを自覚した。

 ………敵わない。どう足掻いても絶対的に。

 同時に安堵した。

 そんな相手が、この場を任されてくれるのだと。

 

 「……最後に1つ、いいですか」

 

 「何でしょう?」

 

 「伝えて下さい。……王峰一真に、『覚悟しておけ』と」

 

 伝えましょう、と。

 彼女が頷いたのを見て、一輝は小さく笑った。

 

 「ではどうぞ」

 

 そして3人は抵抗を止めた。

 その途端に彼らの意識は完全に乗っ取られ、主の意のままに他者を害する人形と化す。

 《陰鉄(いんてつ)》を、《鳴神(なるかみ)》を、《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を握り締めて彼らは一斉に持ちうる破壊の全てを解き放った。

 比類なき鋭さの斬撃。全てを焼いて溶かす炎。爆ぜて閃く雷光。学園の並み居る猛者たちを薙ぎ払い続けた圧倒的な力を前に─────

 ────彼女は、大きく一歩を踏み込んだ。

 

 

 

 「ちぇ。つまんない終わり方だよね」

 

 

 

 遠く遠く離れた地で、誰かが唇を尖らせた。

 人形を支配し操っていた糸すべてが瞬きの内に断ち切られ、暴走していた生徒たちが一斉にその場に崩れ落ちる。

 全員を無傷で制圧するべく人の海に飛び込んだばかりだった一真が凍りついたのはその現象に対してではない。

 これを行ったであろう者から発せられた、もはや質量すら伴うかという切り裂くような剣気だ。

 

 (……誰、だよ。このバケモノは……)

 

 久しく味わう感情。

 己が圧倒的弱者であると嫌でも理解させられる、見ずとも分かる力の差。

 ───無傷での制圧。

 呆気なく訪れた理想的な結末の喜びは、それを遠く上回る脅威の出現の前にはあまりにも弱々しい。爪先から心臓へと這い上がってくる震えは緊張かそれとも恐怖なのか、すぐには判別がつかなかった。

 一瞬の内に静寂に支配されたコロシアム。

 心と人をただただ弄んだ人形劇は、巨大な怪物に消し飛ばされてその幕を下ろしたのだった。

 

 

     ◆

 

 

 「王馬。無事だったか」

 

 ぶつりと切り落とされるように事件は終幕を迎えた。操られていなかった者たちが立場無さげに佇んでいた時、和服を切り刻まれボロボロにされた王馬が憮然とした顔で戻ってきた。

 

 「糸が切られて助かったな。俺も少しぶつかったが、アレは下手打てば殺られてたろ」

 

 「違う、戦い以前の問題だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ふん、と王馬は面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 

 「操っていた人間は明らかに戦いの素人だ。技の使い方も武術的な駆け引きも稚拙、そもそも()()()()を把握していないなど問題外。

 どれだけ優れた手札を持っていようが、『経験則』を丸ごと奪われた剣士に遅れをとる訳がなかろう」

 

 そう言う王馬だが切られた和服の何ヵ所かは赤く染まり、隙間から覗く肌には新鮮な赤色の滲む線が引かれていた。

 明確に刀傷だ。傷口は気圧のギプスで圧着しているらしい。

 王馬の言う事は間違っていない。

 例えば黒鉄一輝………彼の真の恐ろしさは膨大な実戦経験と観察の累積による引き出しの多さだ。どれだけ技や体捌きが冴え渡っていようが、もしそれを失ったとあれば、彼の脅威は地に落ちるレベルで失墜するだろう。

 つまりあの二刀使いは、手札だけで王馬に傷を付けるスペックを誇っていたのだ。

 自分とてあの時王馬の横槍が無ければどうなっていたか………あのまま続ければ少なくとも無傷とはいかなかっただろう。

 

 (この七星剣武祭、ダークホースは禄存なのかもしれねえな……。あそこまでの野郎が出場できねえって何が起きてんだよ)

 

 「災難でしたね。私がもう少し早く来れていればよかったのですが」

 

 「……やっぱ糸を切ってくれたのはアンタなんだな。ありがとう、本当に助かった」

 

 「出来る事をしたまでです。しかしここまで彼らの負傷を抑えたのは、紛れもなく貴方がたの尽力のおかげでしょう」

 

 ふわり、と歌うように典雅な声。

 それがこちらを労る言葉であるにも関わらず、一真の背筋が氷のように硬直した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 内心の祈りはもう懇願のレベルに近い。

 

 「貴方とは初めて会いますね。私は───」

 

 「知ってる。っつーか、察したよ」

 

 ───『剣の道を志す者ならば、彼女を知らない者はいない』───お伽噺のようなその話を、一輝から何度か聞いた事がある。

 目の前にいる女性はまさに聞いた通りの姿をしていた。

 神聖さすら感じさせる純白の装いに一対の剣。

 強すぎるあまり『捕らえる』ことを放棄された『世界最悪の犯罪者』にして、全ての剣の道の果てに立つ『世界最強の剣士』────

 

 

 「────《比翼(ひよく)》のエーデルワイス。この目で拝めるとは驚きだ」

 

 「いえ。違いますが」

 

 

 …………………、…………。

 

 「ふふ、冗談です。その通り、私が《比翼》ですよ」

 

 「やめてくれスゲェ変な汗かいたわ!!!」

 

 思わず腹から声が出た。

 あれだけの剣気を放てる女性が楽しそうにクスクス笑っているが、そのギャップに萌えている余裕は一真にはない。

 何せ遥か上の実力を持ち最大限に警戒している相手からの予期せぬイジりである。全身を熱した虫が這い回るようなこの沈黙は当分トラウマになりそうだ。

 

 「それで……そんなビッグネームがどうしてこんな所に?」

 

 「暁学園の教師、という役回りですね。今回の作戦に携わっている訳ではありませんが、一宿一飯の恩には報いねばなりませんので」

 

 「なるほどなァ、それでか……。月影さんの人脈どうなってんだ……」

 

 納得したように頷いてみせる一真だが、ハッキリ言って上の空。彼は今、ただただエーデルワイスの完成された自然体に息を呑んでいた。

 すらりと伸びた四肢は僅かな強張りもなくどこまでも自然体で、あらゆる角度と瞬間からの有事に対応できるよう備えられている。

 何よりその佇まいから重心の位置を一切読み取れないのだ。

 ユーモアを交えられてもただ立っているだけの彼女の完全無欠さが緊張の弛緩を許さない。

 ここまで美しい立ち姿を見たのは、師や姉弟子を含めても初めてだった。

 

 「ところで。月影先生から話は聞いていますが、タカミネカズマとは貴方の事ですよね? 伝言を預かっているのですが」

 

 「あァそういや名乗ってなかったか。確かに俺が王峰一真だけど、伝言?誰から」

 

 「………名前を聞き損ねてしまいました……」

 

 何となくイメージが崩れてきたな……、と姿を見せ始めた人間味と慣れで若干ほぐれてきた。

 とりあえず知り合いには違い無さそうなのでどんな奴からか聞こうとした一真だが、問いかける前にエーデルワイスの口からその伝言が届けられた。

 

 「ただ一言だけ、『覚悟しておけ』、と」

 

 「!?」

 

 それだけで全てを察した。

 その伝言が誰から頼まれたものなのか、そしてそいつがどこにいたのか。そしてそいつが、間違いなくこの事件の被害を被っている事も。

 

 「やっぱアイツら来てたのかよ!?どこにも見かけなかったからいねえんだとばかり………、そいつどこにいる!?」

 

 「あそこです。目立つのですぐわかるかと」

 

 エーデルワイスが指差す方向に一気に飛び出す一真。そして彼女の言うとおり、確かに彼らはよく目立つ風体をしていた。

 全身ズタズタの血塗れ。

 ステラと刀華の皮膚は恐らく自身の能力によるものか酷く焼け爛れており、火傷は深く筋肉にまで至っていることが分かる。

 3人が糸による支配に抗い続けた結果なのだろう。ここまではいい。

 

 問題はこれだ。

 一輝と刀華にステラ、3人に刻み込まれた鋭利極まる刀傷。

 刃を武器とする者の中で、傷口からしてチェーンソーの多々良は除外。あの二刀使いと戦っていた王馬も除外。

 つまり、これを生み出せる人間はこの場には1人しかいない。

 

 何百人という操られた人間の、恐らくはAランクは固いだろう敵の操る糸だけを切るという並外れた技と力を持つ人間が。

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 「悪い。誰かカプセルまで運んでやってくれねえか」

 

 その頼みに答えたのは凛奈だった。

 凶悪なプレッシャーにビビり倒している黒いライオンを宥めすかし、巨大な背中に意識のない刀華たちを乗せて一目散に医療室へと疾駆していった。

 

 そして背後に気配がする。

 ついさっきまでなら敵意なくとも震えていた相手だが今は違う。……否、同じだ。今だって本能が背中を晒すなとけ消魂(けたたま)しく叫んでいるのだ。

 しかし、それでも。

 畏怖より、萎縮より、恐怖よりも優先すべき感情(もの)がある。

 間違いなく己を容易く斬り伏せる者に対して、一真は低く、重く問いかけた。

 

 「納得のいく説明をしてもらおうか────

 ……………()()()()()()()

 

 

 ……彼の愚行を止めるのは簡単だ。

 真実をありのまま話せばいい。

 糸が心身の奥深くまで侵入していた為に身体ごと直接斬る他なかったのだと説明すれば彼は冷静に返る。

 そして疑いをかけた事を彼女に謝罪し、己の短慮に恥じ入っただろう。

 エーデルワイスが()()()()()()()のはひとえに強者の余裕と、形だけとはいえ『教師』の役割を担っていたからだ。

 月影から彼の話は聞いていた。

 だから試す事にした。

 王峰一真という人間の、内なる自我(エゴ)と危うさを。

 

 「私がそうしようと思ったからです。それが何か?」

 

 長く。

 長く長く、一真は息を吐いた。

 腹を押し下げて丹田に力を込める。呼吸で己の精神に鎮静を強要し、怯えと恐怖に蓋をした。

 止めろ。

 頼むから止めろ。 

 いい加減に学習してくれ。

 

 じゃないと

 

 ここで

 

 こんどこそ  シヌぞ  ─────。

 

 

 弱音の一切が封じ込められるその瞬間、自分の理性がそんな金切り声の断末魔を上げるのを聞いた。

 

 

 

 ドッッッ!!!と衝撃が爆ぜた。

 その刺激で目を覚ました月影が見たものは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 一真の放った蹴りと衝撃を片手の一太刀で易々と弾き飛ばし、純白の彼女は平時と変わらぬ声色で一真に告げる。

 

 「足を滑らせたと。今ならそれで納得しますが」

 

 「気遣いありがとう。完全にわざとだ」

 

 「そうですか。ならばこちらも降りかかる火の粉は払いましょう」

 

 彼女から与えられた引き返すチャンスを、一真は理解していながら足蹴にした。

 本気の蹴り込みがまるで埃を払うような軽い動作で吹っ飛ばされた。刃を受けた脚は電気を受けたように痺れ、この脚鎧(ブーツ)は本当に役割を果たしているのかすら疑わしくなってくる。

 ───お前のやっている事は自殺でしかない。

 頭で理解しているそれを身体にもわからせるような、地の底と太陽ほども離れた次元の違い。

 

 「我、遥かなる頂にして終焉。一対の剣にて天地を分かつ者。

 我が名は《比翼》のエーデルワイス。

 大きく幼い少年よ。己の弱さを知りなさい」

 

 死神が両の翼を広げ、その鎌は1人の青年を直後の必然へと追い立てる。

 それでも尚、一真は叫んだ。

 こうあるべしと己に掲げた信念を、血と熱で刻んだ魂の名前を。

 

 「踏み均せ!!《プリンケプス》ッッ!!!」

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