◆
「初戦から面白い組み合わせじゃない」
前試合の熱覚めやらぬ喧騒の中、ステラが興味深そうに身を乗り出した。
「確かアイツ、
「能力というか手札の相性がかなり悪いから、桐原くんにとってはかなり厳しい戦いになるね。相性差と実力差をどうやって埋めるにしても相当なリスクを背負わなきゃならない。精神論になっちゃうけど彼に最も問われるのは技術や才能じゃなくて、リスクを越える『覚悟』だと思う」
一真と桐原の過去の仔細を詳しくは聞かされていないステラは、壮絶なトラウマを乗り越えてここに来たらしい桐原の姿勢を素直に評価した。加えて桐原の変化を直に思い知っている一輝の注目度も高い。かつて己を嬲りものにした男を、彼はもう敬意ある1人の戦士として認識していた。
そしてもうじき力を交える2人が現れる石のリングを、刀華は観客席から静かに見下ろしている。
(いきなり因縁のある相手が来たね)
因縁、とはいっても一真からすればそんな大袈裟な認識はあるまい。踏み潰した虫の死骸がまだ靴の裏にくっついていた程度の嫌悪感が精々といったところだろう。
だが、桐原にとってそうではない。
しかしその事を口で説明されても一真はきっと理解を示さないだろう。彼にとって桐原静矢は、唾棄すべき愚物の代表格として未だ偶像に近いレベルの地位にある。
事情を知っている刀華にしても、桐原はまず好意に値する人物とは言い難い。しかし彼が黒鉄一輝との戦いで明確な変化を見せたことだけは認めている。
「
───『えー、先程のBブロック1回戦第4組の試合では、城ヶ崎白夜選手がその実力を見せつけ、見事相手を場外10カウントKOに追い込み勝利しました。流石は去年の準優勝者でしたね。
『ええ。ですがやはり魔導騎士の身としては場外カウントアウトはどうにも収まりが悪いですね。選手たちの安全を守るためのルールとは理解していますが、やはり決着はリングの上でつけて欲しいと思ってしまいますよ。はは』
『なるほど。同じように思っている観客は多いかもしれませんね。その決着は次の試合に期待しましょう!
さあ皆様、お待たせしました。これよりCブロック第1回戦第1組の選手に入場してもらいましょう!!』───
実況の
そして、そこからCブロック第1組の選手が入場してきた。
『まず赤ゲートから姿を見せたのは、前大会から続けて代表生徒の座を勝ち取りました! 破軍学園2年、桐原静矢選手だァ!
相手に一切気取らせない脅威の
《
だが────彼は再び立ち上がった! 挫折を乗り越え、新たな力を手にもう1度この舞台に挑んだ!!
《
前に見た時と変わらないはずのリング。かつて己のフィールドとすら言えた100メートル四方のこの空間は、今は随分と狭く感じる。
去年なら存分に悦に入っていた歓声が湧き上がる中、桐原はただ静かに対面のゲートを睨んでいた。
『おっと!? 桐原選手、この歓声の中でも一切表情を崩しません! 自信の笑みを浮かべていた去年とは明確な変化が見られます!! これも乗り越えた挫折がもたらしたものなのか!?』
『それも大きいでしょうが、1番の理由は対戦相手でしょうね』
『と、言いますと!?』
『飯田さんの言う凄惨な敗北。それを与えたのが他ならない、桐原選手の対戦相手なんですよ。つまりこの一戦は桐原選手にとって、あるいは七星剣王に至る第一歩以上の意味を持っているのではないでしょうか。
しかし己を完膚なきまでに打ちのめした相手に対するこの姿勢は、今までの「勝てる相手から無理せず勝つ」という彼のスタンスとは明確に異なります。
学内で行われた選抜戦で新たな力に目覚めた事といい、桐原選手の中で何か大きな転換があったと考えられるでしょう』
『なるほど。これは桐原選手の戦いぶりに大きな期待がかかります!
そして、───そんな彼の初戦の相手が、今入場してきました!』
実況の言葉に、大観衆の視線が青ゲートに集まる。
その注目の中を悠然と彼は歩いてきた。
天を摩するような体躯で、まるでリングが縮んだかのような存在感と共に。
『その
攻めれば爆撃、守れば要塞! 無慈悲なまでの《踏破》の力は彼を《
並み居る強敵何するものぞ、王の御前だ頭が高い!!
暁学園1年・王峰一真選手!! 堂々のリングインだァァっ!!!』
どおっ!!と観客のボルテージが跳ね上がる。
突如として表舞台に浮上してきた無名の強者がどれだけこの大会で暴れてくれるのか全員が期待しているのだ。
一真はそんな熱狂などどこ吹く風で、実況の言った言葉に舌打ちをしていた。
「決闘ねえ。随分といいように改編されてんなァ。前時代のクソ共の涙ぐましい努力の賜物ってか?」
彼の目には闘志も何もない。
完全に萎えきっている。皆が血と肉を沸き立たせている中でどうして自分だけゴミ掃除をせねばならないのかと、一真は対象に何の価値も認めていない失意すら滲む眼差しで桐原を見下ろしていた。
「───葉暮さんが気の毒でならねえよ。自分から辞退しちまったとはいえ、その枠に収まったのがテメェみてえなカスなんてよぉ」
『では! これより七星剣武祭、Cブロック第1組! 桐原静矢選手 対 王峰一真選手の試合を開始いたしますッ!
物理的な破壊はない。ただ『相手に劣を押し付け強引に相手の上をいく』という能力の本質のみが一真を中心に爆発する。
《
お前とは戦う気すら無いという断崖絶壁のような拒絶が、暴風のように吹き荒んだ。
周囲に控えていた幾人もの
並の
果たして桐原の末路はどちらか。
結論としては、どちらでもなかった。
一真はその場から微動だにしていない。
しかし桐原は明確に行動を起こしていた。
放たれた矢は傷一つ付けられずに終わった。しかし確かに頬に感じる衝撃の名残に、一真がやや驚いたように目を少しだけ見開いた。
「・・・・・・諦めた奴と、並べて語るなよ」
心が竦む。膝が笑う。
叩き付けられた圧力に開かれた心の傷が、その時の恐怖と絶望を血液のように吐き出していく。
折れそうな膝で必死に支える身体は脂汗に
涼しい顔して宣戦布告なんてスマートな願望などとうに捨てている。
情けなくとも泥臭くとも、ただ一歩でも前へ、前へ。
己の誇りはその先にしかない事を、彼は理解しているから。
「ボクはここで、────お前を乗り越えるためにここに来たんだ!!!」
叫び、もう1度《
引き絞られた魂の鏃は、確かに越えるべき壁に鋒を向ける。
かつて彼が持っていたもの全てを粉々に踏み砕いた男は、ただ面倒臭そうに目を細めた。
◆
ゴッッッ!!!と前方が爆砕した。
その正体はローキック。振るわれた脚が目の前の空間を破壊し、撒き散らされた衝撃波がリングを削る。余波で発生した爆風はリングを中央から端まで舐め上げ、爪先の延長線上の地面はスプーンで抉られたような三日月型に深々と捲り上げられていた。
探り合いなどの積み重ね全てをすっ飛ばして叩きつけられた凄まじい破壊力に、実況も思わず目を向いた。
『か、開幕から強烈なインパクト! 初手で終わらせようという意思がこれでもかと伝わってきます! 桐原選手は大丈夫なのか!?』
『この問答無用の制圧力こそ彼の強みですね。生半可な力量ではそもそも前に立つ事すら許されない、牽制も含む全ての攻撃が必殺となり得ます。そして初手からの範囲攻撃は桐原選手にとってほぼ対処のしようがない鬼札なのですが、─────上を見てください。
どうやら今年はその限りではないようです』
解説に促され上を見上げて、観客があっと声を上げる。
ダメージを負う危険な範囲から全力で跳び逃げると同時に、発生した爆風に乗って浮かび上がったのだろう。大きなタンポポの種に捕まった彼はふわふわと空中を漂っている。
直後、ボッッ!!!と空にいる桐原が消し飛んだ。
無言のままに放たれた《
一真の周囲からうねるように樹木が飛び出し、石のリングを土が覆う。
『出たぁぁああっ!! 存在を秘匿する能力の予想外の開花!その場一帯を自分の支配する
『相性の悪いAランク騎士を相手にする以上、まず最低限達成しなければならない段階かと。これを維持できてやっと状況は不利程度、後は桐原選手自身の引き出しにかかっているでしょう』
プロの視点からの解説は厳しい。
しかし能力の相性さえ良ければ充分にジャイアントキリングを実現してみせるのが彼だ。
対人戦において最強───《夜叉姫》西京寧音にすらそう断言せしめるその能力の、さらに次の段階。
森の中に呑まれた一真の耳に、能力の効果で聞こえてくる距離も方向もぐちゃぐちゃになった桐原の声が届く。
その森は戦うための舞台ではない。狩人が獲物を一方的に屠るだけの狩場。
新たに手中に収めた刃の名前を、桐原は突きつけるように口にした。
「《
ズダダダダダダ!!!!と猛烈な勢いで地面が穿たれる。
幾人にも分身した桐原やあちこちに開いた木の
本体はどこにいるのかは誰にもわからない。分身の中に紛れているのか透明になって攻撃しているのか、あるいは自分は攻撃せずどこかに身を潜めているのか。
何も分からず予測を絞ることも出来ず、少しでも思考を挟めばその隙に蜂の巣にされる。見えざる敵を捕らえる方法を考える時間を貰えないという問題を、
「どうせあの辺だろ面倒臭え」
砲撃のような爆音と共に、鬱蒼とした枝葉の天蓋に巨大な風穴が空いた。
一真が天を蹴ったのだ。
火山のように打ち上がった破壊力が大気を鳴動させ、範囲内にいた樹木や桐原たちを消し飛ばす。当然のように全て偽物だった。枝葉が伸び空いた風穴は即座に塞がれ、矢の豪雨は絶えず降り注ぐ。
それに構わずもう1発、もう2発、3発。
その度に桐原の森は大きな破壊と再生を繰り返す。
ごろごろっ、とバレーボールサイズの木の実が5・6個ほど一真の足元に転がってきた。そして爆発。派手な炸裂音を上げて木の実の数ぶんの衝撃が彼を呑み込んだ。
『桐原選手の攻撃が止まない! 掠るだけでも致命的と理解させられる衝撃波の活火山の只中にあって、
この猛攻を掻い潜る隠密性能、まさに
《
『とはいえあの規模の攻撃を連発されるとただ隠れているのは不可能です。居場所を特定されないのは大きいとはいえ、回避にはかなり神経を削られているでしょう。
そして何より────王峰選手を見てみて下さい』
『? こっ、これは・・・・・・・・・!!』
一方的に攻撃を受け続けていた一真を見た観客たちが息を呑む。
夥しい数の矢と爆弾を一身に受けて、
『さっき飯田さんが言った攻めれば爆撃、守れば要塞という表現。1つ付け加えるならば王峰選手は、
守りに気を割かず好き放題に攻めっ気を出せるし、ただ立っているだけでも相手が勝手に消耗する。そして
偏った物言いになってしまいますが、・・・・・・桐原選手の勝利への道は、恐ろしく険しいかと』
(当たんねえな)
遠くの方にあった1番背の高い樹を破壊しつつ一真は思案する。
完璧に姿を隠す能力があるとはいえあの怯え様なら離れた所に陣取っていると思っていたが、どうやら自分は見当違いをしているようだ。
それにさっきから森を破壊しまくっているのだが、破壊した樹木は4割ほどが幻影。
しかし攻撃の密度は一輝と戦った時に見せたそれ以上。自分の手足であり砲台でもあるそれを生み出す魔力を削減し、その分を攻撃に厚く用いているようだ。
桐原自身がどこに潜んでいるかは知らないが、勢い任せの捨て鉢ではない。彼の一連の行動には、明確な意図がある。
─────戦う気だってのはマジらしい。
それだけは察した一真は、薄く目を研いだ。
「潰してやんよ。
それは明確な殺意のトリガー。
《プリンケプス》が、紫白の炎を噴き上げた。