「まあ確かに不気味な男ではあるけれど、あまり意識しない方がいいわよ。何を考えてるか分からない奴の事なんて考えてると頭が変になっちゃうわ。それともぉ、あたしが何も考えられなくしてあげましょうか?」
「え、遠慮しておきます」
「冗談よぉ」
妖しい視線を股間に向けてくる有栖院に青ざめながら首を振る一輝。風呂に浸かっているのに肝まで冷えた。
ステラちゃんや珠雫に殺されたくないものと笑う有栖院の向こうから、形は違えど一真も彼に同意するように頷いた。
「今はアイツよりも次の相手について考えるべきじゃねえか。トーナメントの進行上、お前とアイツの試合は両方勝ち進んで第4試合の準決勝だろ? ご丁寧に能力の説明まで垂れてくれたんだし、腰を据えて考える時はまだあるさ」
「それもそうだね・・・・・・。けどカズマの立場的には、僕よりも彼が勝つことを望むべきなんじゃ?」
「俺が勝ち進めば問題ない話だろ。どうせ優勝するのは1人だけなんだ。それに正直、もうアイツにゃ大会にいて欲しくは無えからなァ・・・・・・」
友人や他の出場者たちの様子や戦いを見ていれば、全員がこの七星剣武祭にどれだけの想いを胸に出場しているのかはよく理解できる。
それに一真だって表向きこそ体制転換のための尖兵としてこの大会に出場しているが、彼の本義は刀華や一輝との約束を果たす事にあるのだ。
そんな決意や熱をもってこの戦いの祭典に身を投じている者として、天音のような悪意で掻き回そうとする異分子はとても歓迎できるものではなかった。
とはいえ、
今も一真はそう考えている。
見たことのあるあの瞳を、かつて感じたあの真っ黒を、その根源を理解できれば、あるいは自分がしてもらったように・・・・・・
「何や、もう勝ち進んだ後の話か?」
聞き覚えのある声がした。
声の方を見ると、大浴場の入り口に肉厚な身体の偉丈夫が立っていた。
「諸星さん!」
「おう黒鉄。ウチで食わして以来やな」
その男の顔を3人は知っている。
武曲学園3年・諸星雄大。
昨年度七星剣武祭の優勝者、つまるところ現《七星剣王》である。
「一回戦見とったで。イカつい事しよんなホンマ、なんであんな真似が出来んねん。
「そうでもありませんよ。あの時はあのやり方を通せましたが、
諸星の婉曲な牽制に、同じように迂遠な言い回しで応じる一輝。パーティや『一番星』で話した時の印象とはかなり違う対応だったからか、諸星は面白そうに眉を上げた。
一真の記憶では一輝はこういう腹芸じみた真似は不得手な男だったのだが、随分と肝が太くなった・・・・・・いや、性格が悪くなったと言うべきか。
これは俺のせいなのかなァ、と何となく悪い気がしてきた一真だが、とりあえず一輝に乗っかってちょっかいを出す事にした。
あまり積極的には人と関わらない一真だが、『一番星』でのやり取りを経て彼の中で諸星という男の存在はそれだけ大きくなっていたのである。
「よう、あの時はご馳走さん。蟹工船の乗り心地はどうだった?」
「いや発想が反社やないか。そん位の懐ならあるわい。・・・・・・王峰、お前にもエラいもん見してもろたわ。何でアレで死なへんねん。生き物の自覚持たんかい」
「こっちだって鍛えてんだよ、あの程度で死んでたまるか。俺を貫きたきゃ戦艦の主砲でも引っ張ってこい」
「そら大した自信やな。まあ安心しいや。戦艦の主砲はちょい荷が重いけども、貫く程度なら明日ワイが叶えたるさかい」
「お?」
空気に静電気が走った。
大浴場の湯気に緩んだ空気が俄に張り詰め、諸星と一真の目の色が変わる。
巨体を持ち上げるように浴槽から出た一真が諸星の至近距離まで接近。不敵な表情で見下ろしてくる諸星を、ほぼ真上から見下ろすように睨め付けた。
「吹くじゃねえかクソチビ。たかだか2メートル程度の間合いで俺をつつけるか? 何ならこっちから近付いてやろうか」
「デカくてええ的やで。まして敵を侮って手傷を負う輩、どこを刺したろか迷ってまうなあ」
「よーし表出ろ。『殺して下さい』の言質取ったぞ。その棒っきれごとへし折ってやる」
「そうサカんなや余裕が知れるで。じっくり相手したるから明日まで待たんかい」
どんどん良くない方向に傾き始めた。
なんならこの大浴場で事が始まってしまいそうな緊迫感に、一輝はじわりと汗をかき始めた。
吹っ掛けたのは諸星からとはいえ、ああも交戦的に突っかかっていく一真を見るのは初めて・・・・・・いや、そうでもない。
七星剣武祭が開催される前夜、東堂刀華に対していつまでも煮え切らない事を指摘した際にああなった。
(結局のところ、一真がムキになるのって刀華さんに関わる事なんだよね)
諸星雄大と王峰一真が激突する明日の2回戦。東堂刀華も勝ち抜けば、勝った方が明後日の3回戦で彼女と戦う事になる。
己にリベンジする為に力を付けた彼女と戦いたがっている諸星と、彼女との約束を果たすためここにいる一真。
一番星でご馳走になった時もそうだったけど刀華さんとことん肝心な場面に居合わせないな、と考えていた一輝だが、そろそろ現場の空気が不味い。
付き合いの長さで凡そ察するが、一真が
諸星も流石に意地の他に慕情までプラスされている事は計算外だったのだろう。対戦相手の手前平然と振る舞っているが、明らかに『アカン煽り過ぎた』と目が泳いでいる。
少しばかり仲裁が必要なようだ。
自分としても、自分と戦うまで負けるなと約束した相手が試合外の私闘で失格という憂き目に遭うのは本意ではない。
「カズマ」
そう呼びかけた。
名前を呼ばれて振り向いた一真に、一輝は人差し指で自分の隣をちょんちょんと指差してみせる。
そこにいるのは有栖院凪である。
嘘が真か心は女と公言する有栖院凪である。
タオルを頭に乗せたまま湯から出た一真の下半身にネットリとした視線を注いでいる有栖院凪である。
一真の動きが止まる。
有栖院の視線の先にあるものを理解した彼はそっと頭に置きっぱなしだったタオルを腰に巻き、静かな動きで大浴場から出ていった。
そして有栖院の視線はすぐ側にいた諸星にシフト。
鍛え上げられた肉体を上から下まで目で舐め回された諸星も盛大に狼狽えた後、まだ入浴前にも関わらず一真の後を追うように大浴場から逃走。
これで一件落着と一仕事終えた気分でいた一輝は、そこで薄ら寒い注目を注がれている気配を感じた。
恐る恐る隣を見れば、有栖院の視線が今度は自分にロックオンされている。
背筋を走るストレートな寒気。
曖昧な笑みを浮かべつつ先に逃げた2人に続くように湯船から上がろうとした一輝の腕を─────、有栖院はがっしりと捕まえた。
何なら一回戦の時より必死だったかもしれない。
後に黒鉄一輝は、辛くも逃げ延びたその窮地をそう語っている。
◆
七星剣武祭の会場になっている湾岸ドームには、赤と青の2つの入場ゲートが向かい合うように存在する。
大会に参加している選手たちはその2つのゲートに半々で分けられ、その奥にある控え室で待機して入場のアナウンスを待つのだ。
そして自分がどちら側のゲートに割り当てられるかは当日の早朝に委員会からメールで通知される。
選手側としては毎回待機場所が変わるのは少々不便だが、試合形式がトーナメントである以上、毎回部屋が変わったり、一緒に待機する人間が変わったりするのは仕方のない事だ。
何で急にこんな話をするかと言うと、その控え室に一真が一向に姿を現さないからである。
同じ部屋で待機する事になっていた選手がいつまでも控え室に来ないことを不審に思い、お節介で係員に報告したのが始まり。
最初こそ係員が注意に留めておく程度のものだったのが、いよいよ試合が始まるという時になっても彼が見つからない。
職員があちこちを探し回り呼び出しのアナウンスまでかかり、そしてとうとう選手入場の時間。
そして彼はどこで何をやってるんだと職員たちが頭を抱えた時、ようやく彼は姿を現した。
控え室へは入らない。
時間ピッタリになって戻ってきた一真は、そのまま入場ゲートへと進んでいく。
『続いて! 青ゲートから入場してきたのは暁学園1年・王峰一真選手!!
先の戦いで桐原選手の策略を堂々たる横綱相撲で
奇しくもその解を求める対決となりましたCブロック第2回戦!
どちらが真の
大歓声が上がった。
前年度王者と優勝候補筆頭の戦い、トーナメントの性質とはいえ2回戦とは思えないような好カードに全員のボルテージが上がる。
ホームであるお陰か諸星を応援する割合が大きい叫び声の集合体を全身に浴びながら、一真は呆れたように息を吐く。
「ズレた煽り方するなァ。そんなもんこの大会で優勝した奴に決まってるだろうよ」
「せやな。それ即ちワイや」
「おっ? 脳ミソ通天閣か?」
「多分お前が世界で初めて言うたでそのフレーズ」
何も意味が汲み取れへん、と諸星。
「そもそも黒鉄王馬もおらん、化け物と噂されとったお前もおらんような大会で手に入れた頂点の称号なんぞ何の価値も無いわい。
全部そろったこの舞台が初めての本チャンや。
まずは1人目──────食い破ったろかい」
低く放たれた言葉と共に、諸星雄大から静かなプレッシャーが放たれる。
《八方睨み》と呼ばれる、威圧や重圧とは質の違う感覚。
まるで密林の木陰のどこかに隠れた強大な肉食獣の視界に収められているような、どこへ進んでも爪牙の餌食にされてしまうという静かな危機感。
これに対してただ踏み込めと言われれば、用意できる回答は『無茶を言うな』の1つきりだ。
どこからどう仕掛けても確実に迎撃される、その未来がハッキリと手に取るように分かるのだから。
しかし目の前に立つのは怪物。
踏み込む死角が存在しない程度では、王峰一真は止まらない。
「やってみろ。顎カチ割って
威圧。重圧。そのままだった。
鋭さも弁えもなく、ただただ巨大。
天を摩する怪獣の前に棒切れだけ持って立たされるようなどうしようもなさを、彼はどれだけの対戦相手に感じさせてきたのだろう。
踏み込む隙や死角の話ではなく、そもそも踏み込む選択肢さえ浮かばないような絶対感だった。
だが無論、諸星も怯まない。
目の前に何が立っていようが、相手を前にして進まない者はこの祭典には1人もいない。
「行くで。《
「踏み均せ。《プリンケプス》」
『では! これより七星剣武祭2回戦、Cブロック!
諸星雄大選手 対 王峰一真選手の試合を開始いたしますッ!
消し飛んだ。
始まりの合図と同時に上がりかけた歓声が、それ以上の轟音によって潰される。
何が起きたのかよく分からない。
ただ雪崩のような紫白が諸星を襲ったと思ったら、次の瞬間にはその紫白が食い破られた。
食らったのは諸星が前に突き出した槍。
色づく残滓を残して消えた自分の
「おお凄え。俺の魔力でも消えるのか」
「当たり前やろ。強引に相手の上をいく能力だろうが関係あらへん」
《
その力に確立される対
諸星は虎の模様を模した房飾りを着けた黄槍を前傾に構え、そして吶喊。
攻撃も防御も食い破れるからこそのストレートな突撃だった。
迎え撃つにも防ぐにも魔力には頼れない。魔力で対応しようとすればそれは決定的な隙になり得る。
つまるところ、一真に残された選択肢は魔力に依らない対抗策である訳だが。
「っとぉ!?」
諸星が慌てて進路を変え強引に横っ飛び。
直後、すぐ横を無数の質量が突き抜けていった。
正体は瓦礫だ。より正確には砕かれたリング。
大小様々な石の礫が、大砲サイズのショットガンになって諸星を襲ったのだ。
『砕いたぁあ! 王峰選手、なんと足元のリングを破壊して諸星選手にぶつけようとしています!! 堅固な足場をまるで砂を蹴るように吹き飛ばしていく!!』
『《
己の能力を全力で振るって倒す。
武術を使うよりも能力を使った方が強い、武術を身に付けるより能力を磨いた方が強い。例え高ランクだろうと、そういった考えの
だが真の強者は自分自身の地力の強さ、そして大規模で高度な戦いにおける小技の重要性を理解しているものだ。
ましてこの王峰一真という男。
考え方や小技の重要性を、友人との戦いを通して1年間みっちりと学習しているのだから。
「うん。まずはこいつで様子見かな」
油断はない。これで戦えるとは思わない。
智を持つ怪物は戦った事のないタイプの敵を前にしてまずは情報を集める事にした。
続けざまに2回、3回。
砕き蹴り出された大小無数の瓦礫たちが、弾幕となって諸星に襲いかかる。