『おつかれー! ようやったよ、アンタはようやった!』
『引退前からずっとお前を応援しとったけど・・・・・・、今日のお前が1番最高やったでッ!』
内臓を潰され血液を搾り出し、駆けつけた医療班が自分の脚でリングを降りる事も出来ない諸星を担架に乗せて運んでいく。
何なら腹に洞窟を作られた自分も乗せてくれないかと少しだけ思うが、自分の勝ち姿を黒鉄一輝が、師匠や姉弟子が、そして東堂刀華が見ているのだ。ならば自分が見せるのはただ傲然と立つ姿のみで良い。
しかし最後の『任せとけ』は何に向けた言葉だ?
そんな事を考えていると、ふと観客席に中学生くらいの和服の少女を見付けた。
覚えがある。
《一番星》に招かれた際に筆談で接客してくれた、口のきけない諸星の妹だ。
それで全てを理解した一真は、優しく笑って退場していく諸星から視線を切って背中を向けた。
「分かるぜ。家族に『頑張れ』って言われちゃあ死ぬ気でやるしか無えよなァ」
『再起不能と言われた怪我から立ち直り、今日までただの一敗も無く頂点に立ち続けた不屈の男、《浪速の星》諸星雄大。敗れたとはいえ最後に見せたあの意地は、《七星剣王》の称号に何ら恥じる事のない素晴らしい姿でした!
そして─────そして!
前年度の王者を倒し、堂々の三回戦進出を決めた《
強大な武に絶大の力、相手の土俵においても動じない強さ! 噂に違わぬ実力を遺憾無く示して第3回戦に進出!!
この強豪ひしめく第62回七星剣武祭の優勝候補たる存在感を全ての人間に知らしめてくれました!!』
『凄かったで東京の兄ちゃん!』
『シビれたぞカズマーっ!!』
『優勝まで突っ走っちゃってーッ!』
生まれも育ちも東京じゃあないけどな、と思いつつ、降り注ぐ拍手と声援の雨に後ろ手に手を振って応えて一真は自分の脚でリングを降りる。
『踏破』の性質で血管の破断面を潰して止血する南郷寅次郎のしごきで覚えた応急処置で出血を抑えつつゲートを潜り、血液が不足して霞みつつある意識で難しい顔で思案する。
───2回戦目にして厳しい勝負だった。
負傷の具合よりも勝負の内容が問題だった。
技術体系としての蹴り技の種類、投げ技の存在、呼吸を読んで動きをリードする技─────そして友から盗んだ《
それらは同門で共に鍛えてきた刀華にはともかく、自分との対戦経験の少ないステラ・ヴァーミリオンや自分の手の内を知り尽くしたと思っている黒鉄一輝に対して大きな隠し球となっただろう。
しかし、それら全てをここで晒してしまった。
そうしなければ、自分はあの男に勝てなかった。
・・・・・・厄介なの揃ってんなァ、七星剣武祭。
ぼやきながらもその顔は気力に満ち満ちている。
それでも自分は勝ち取った。何より欲した3回戦。
彼女と約束した舞台に、自分はこうして先んじた。
「かは、ははっ、はははははっ」
思わず笑いが溢れてしまう。
収縮する腹筋に大穴が開いた腹に激痛を訴えるが、そんな事よりこの高揚を楽しむことが先決だった。
強引だが出血は止めている、直ちに意識を失うことはない。ならばこのまま観客席に戻って次の刀華の試合を見よう。医務室に行くのはその後でいい。
その時の一真の顔を過去の自分が見たとしたら、これは本当に俺なのかと目を疑った事だろう。
諸星をiP S
靴底にへばりついた血液が、にちゃりにちゃりと音を立てて鉄臭い轍を彼の後ろに刻み込んでいた。
そして。
『試合終了ぉぉおおおッッッ!! 凄まじい気迫でした東堂選手! 対戦相手を全く寄せ付けなかったぞ! 昨年に逃した王座に向けて怒涛の攻勢だぁぁっ!!』
過激な試合だった。
開始の合図から低く身を屈めた刀華が突っ走って抜刀、初手の《雷切》から一気にペースを奪ってそのまま押し流したのだ。
遠距離攻撃も搦め手も全てに手が届く能力を持ちながらその目と剣技のみで瞬く間に敵を制圧するその様は、冷静沈着に勝負を進める普段の彼女を知る者にとっては異様に映った事だろう。
泡を食った攻撃や迎撃、危険な反撃すらも《
何故ならそれは彼女もまた自分との約束を渇望していることに他ならないからだ。
彼女の強さを讃える声をバックにリングから睨み上げてくる刀華に双眸で弧を描いている一真の隣にいた者たちは皆一様に彼から距離を取った。
腹に穴を開けたまま観客席に座る彼に怯えたからではない。
重傷を放置してほっつき歩いている患者に完全にブチギレている医療班の面々が、彼の背後で鬼の形相で仁王立ちしていたからだ。
「・・・・・・引き摺られていったよ」
「お医者様も大変ですわね・・・・・・」
泡沫とカナタが一真ではなく医療班に気の毒そうな目を向ける前で、本気のトーンで怒られて小さくなった彼が医務室へと引っ立てられていく。
そしてさっさとiP S
カプセルといえば、薬師キリコは天音の能力によって一斉に危篤状態に陥った病院の患者達を救うべく今も死神と死闘を繰り広げているはずだ。
1回戦目は対戦相手が急患に陥り不戦勝、2回戦目はどうなるか分からないが、天音にまともに戦う気がない以上何かしらの理由で相手が棄権するものと思われる。
背景の事情を知らないとはいえ、思えば彼とはまともに話も出来ていないままだ。
『・・・・・・どうしたのでしょう。両選手がなかなか入場して来ませんね』
ああやっぱり。一真は嘆息した。
何が起きたのかは分からないが、何かしらの因果が捻じ曲げられて天音の相手が試合に出られない状態に陥っているらしい。
せめて
(ん。待て。・・・・・・
眉を顰める一真。
天音もいないとはどういう事だ?
『アナウンスは入っているのですよね?』
『そのはずですが・・・・・・、一度控え室を移してみましょう』
胸騒ぎがする。
何かろくでもない事になっている予感が。
言葉と共に映像が切り替わり一真は顔を上げた。
『フフ・・・・・・アハハ・・・・・・・・・・・・』
会場の大型液晶モニターに映し出されるのは、血に染まった控え室。
そして鮮血を全身から滴らせて嗤う蒼い瞳の少女のような顔立ちの少年と。
『アハハッハハッハハッハハッハハハ─────ッッッ!!!』
無数の剣でさながらキリストのように壁に磔にされた、黒鉄珠雫の姿だった。
◆
鳥と動物の争いの中で「毛があるから自分は動物」「翼があるから自分は鳥」と両方の陣営を寝返り続け、最終的に和平した鳥と動物から「2度と姿を見せるな」と追いやられて居場所を失う話だ。
『何度も人に背く者はやがて誰にも信用されなくなる』というのがこの話の教訓だが、翻訳によっては『状況に合わせて豹変する者は絶体絶命の危機からも逃げ
味方はいらない。誰にもつかない。
それに似た立場といえば暁学園のスパイとして破軍学園に潜り込んでいる有栖院凪だが、彼女の場合は賢く立ち回る後者の方の蝙蝠であるはずだった。
「・・・・・・貴女、《
「自分が潜入している目的を話すのは、
「そうね。つまりあたしは台無しにしたいのよ。この目的も、組織の狙いも」
それは紛れもない本心だ。
珠雫はそう断言できる。
彼女の至極もっともな疑問に、有栖院はある種の決意すら感じさせる迷いのない口調でそう言い切った。
「上からあたしに命令が下ったわ。暁学園のメンバーが多く残るよう他の出場者を間引けって。どうして今になってそんな命令が来たのかは分からないけれど、あたしはそれを絶対にしたくない」
「どうして? 貴女は組織の為にこの学園に入って私に近付いたんでしょう?」
「・・・・・・そのはずだったのだけどね」
なぜ裏切るのかを彼女に問われ、彼は困ったような笑みを浮かべた。
「でもあたし、自分でもどうしようもないほど珠雫のことが気に入っちゃったのよ」
目の前の銀髪の少女を見つめながら思う。
歪んだ家族に切れない血縁、幾多の不条理。そんな中で痛みの全てを受け入れて、それでもなおたった1人の兄を愛し続ける女の子。
珠雫の在り方は世の不条理に耐えきれず、愛することを投げ出した有栖院の目にはとても貴く、眩しく映った。
だからこそ彼は強く思うようになったのだ。
強者が全てを奪い、弱者が全てを奪われる。
あのとき自分を買った男の言葉がこの
「どうしてと聞かれれば、それが理由の全てよ。あたしにはもう珠雫の願いを、珠雫の大切な人達の夢を壊せない。・・・・・・だからあたしは珠雫の決心に頷いたの。この大会を、七星剣武祭を守るために」
珠雫がやろうとしている事は大きなリスクを伴う。
他校の出場者を盤外からの闇討ちで排除するという
さらに天音の反則は偶然に偶然が重なった結果だと言い逃れが出来るが、珠雫にはそれが出来ない。
上手くいっても・・・・・・最悪、『退学』。
殆ど刺し違えに等しい決断を、それでも彼女は躊躇わなかった。
あのドス黒い悪意から兄を守る為に。
兄や友達が夢に見た舞台を守る為に。
「所詮は薄汚れた人殺しの言葉よ、信じてもらえなくても構わないわ。この一件が終わったらあたしは棄権してこの学園からも消える。だからこのカミングアウトは、あたしを道連れにしようとしてくれた珠雫の信頼への精一杯の誠意。
──────やりましょう、珠雫。あたしもそろそろ、胸糞悪いあれこれの横っ面を引っ叩いてやりたかったのよ」
ここで拒絶したところで、珠雫は1人でも奇襲を実行に移すだろう。その気持ちは痛いほど理解できる。
ならば彼女を1人にはしない。
諭すことも止めることも出来ないのなら、せめて寄り添おう。
有栖院が珠雫を信じているように、珠雫もまた有栖院を信じた。
そうして、2人は奇襲を実行に移した。
時刻は2回戦第4試合開始直前。
方法は簡単。有栖院の影の中を通る
外へ飛び出すや否や、無数の氷の槍を射出し───、何もしなくとも自分が不戦勝すると信じ込んでいる無防備な天音を穿つだけ。
『何もせずに勝ちたい』とだけ考えている意識の横合いから無関係の者が殴りかかるという珠雫考案の攻略法は、あっさりと、何の障害もなく、かつ完璧に遂行された。
どう、という重い音と共に、無数の氷槍に貫かれた天音の身体が勢いよくコンクリート打ちっぱなしの壁に叩きつけられ、そのまま声もなく地面に崩れ落ちる。
同時に冷たい床に広がる血溜まり。
それらは穿たれた四肢と頭蓋から零れるものだ。
「申し訳ないとは言わないわ。いたずらをする相手を間違えた自分の愚かさを恨みなさい」
そう吐き捨てた。
これで終わり。─────そのはずだった。
最愛の人に近付こうとする災厄は、これで摘み取られたはずだった。
「あ、ははは・・・・・・っ! そっか、
紫乃宮天音という災厄が、星を動かすほどの《