壊尽のプリンシパル ─落第騎士の英雄譚─   作:嵐牛

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第70話

 突如、血溜まりの中から天音の身体が持ち上がる。

 四肢どころか頭蓋までも氷柱に貫通されながらも、その口元に笑みを浮かべていた。

 一輝に対して見せたものと同じ、凶笑と形容すべき歪な笑みを。

 

 「うそ、・・・・・・っ」

 

 「なんでその傷で立ち上がれるのよ・・・・・・」

 

 「さあ? そんなの僕にもわからないよ。まあ世界には頭に包丁や銃弾が刺さっても生還したなんて話が割とあったりするから、有り得ない事でもないんじゃない? ほらぁ、───()()()()()()()()()()()()

 

 その瞬間、有栖院が動いた。

 相手の影を縫い付けて行動を封じる伐刀絶技(ノウブルアーツ)影縫い(シャドウバインド)》を発動。天音の動きを封じ、目の前の現実に愕然とする珠雫の手を掴んで逃げを打つ。

 元暗殺者として数多の現場を潜り抜けてきた彼だからこそ先程の奇襲が完璧だった事と、それを捻じ曲げられた以上もはや何をしても徒労である事を悟ったのだ。

 暗殺者としてのこの確信は正しかった。

 だがこの時にはもう、彼らには逃げるという選択肢も許されていない。

 瞬きほどの刹那の間に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (不味いッ!)

 

 光が消え去り、影が消失する。

 《影縫い(シャドウバインド)》の効力が失われる。

 危機感を覚えた瞬間にはもう、放たれた無数の十字架のような細身の剣が、有栖院の総身を的確に穿ってきた。

 

 「ぐ、あ・・・・・・ッ!」

 

 「アリス!」

 

 「せっかく来たんだし、そう忙しなく帰る事ないじゃないか」

 

 有栖院を沈めた天音は、再び両手の指の間に無数の剣の霊装(デバイス)《アズール》を顕現させ、残った珠雫に話しかける。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()。自分から反則負けになる行動を取れば、確かに僕の《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》の力は働かない。アリス君が代表選手だからこそ使えた手段だね! 友達を失格させてまで協力させるなんてイッキ君と血の繋がった妹とは思えないよ!」

 

 「貴方が望んだこと・・・・・・!?」

 

 「別に僕はそれを責める気はないよ。それどころか感動に打ち震えているくらいさ。ここまで1人の人間を愛せるなんてシズクちゃんはすごいね。・・・・・・だから、そんなシズクちゃんに特別チャンスをあげるよ。

 これから僕は『()()()()()()()()()()事が済むまでこの騒動が誰にも悟られないことを望もう』。

 ─────わかるかい? 制限時間ナシ、僕を仕留めたら君の望みは叶うってことさ!」

 

 「いい気に、ならないで!」

 

 どの道今さら逃げるつもりはない。餌をちらつかされるまでもなく珠雫は天音に襲い掛かる。

 近接戦で、自らの手で今度こそ天音の意識を断ち切らんと霊装(デバイス)宵時雨(よいしぐれ)》に水圧の刃《緋水刃(ひすいじん)》を纏わせ、床を蹴り踵を浮かせた刹那それは起こった。

 

 「え!?」

 

 視界が傾く。原因は珠雫の足元。

 有栖院の血に足を取られて滑ったのだ。

 すぐに手を着いて転倒を回避、体勢を立て直して再度突進するも今度は足がもつれて倒れてしまう。

 

 「ふふ、あはは。こんな時に転ぶなんてツイてないね。それとも僕がツイてるのかな?」

 

 クスクス笑いながら嬲るように間合いを詰めてくる天音に対して珠雫はバックステップ。そして脳裏に浮かぶ最悪の可能性を否定すべく遠距離から《水牢弾(すいろうだん)》を見舞う。

 だが、珠雫の得意技であるそれはいずれも無防備に近付いてくる天音の脇をすり抜けて壁に衝突し砕け散った。

 

 「この距離で外すなんてシズクちゃん程の騎士が珍しいミスだね」

 

 ニタニタと昏い瞳に嘲りを浮かべる天音。

 もはや間違いない。《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は相手のミスすら誘発するのだ。

 知れば知るほどとんでもない能力。

 こうなるともうあの技は、《青色輪廻(あおいろりんね)》は使えない。『彼』に敗北してから死ぬ思いで編み出した、こういう時の為の切り札だというのに!

 

 「隙アリ!」

 

 「っ!? ぁ、ぐ・・・・・・!」

 

 珠雫が畏怖に囚われた瞬間、距離を詰めた天音が振り下ろした《アズール》に額を深く斬り裂かれた。

 視界に血のカーテンが降りる。こんな状態では追撃を満足に防げない。すぐさま距離を取ろうとするも背中に何かがぶつかった。

 コンクリートの壁に追い詰められたのだ。

 痛みと焦り、攻略の糸口の見当すらつかない絶望と無力に珠雫の心臓が早鐘を打つ。

 しかしどう戦えばいいかは分からなくても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ─────紫乃宮天音。

 あらゆる負の感情で濁り切った瞳を自分の最愛の人に向けているこの男を、これ以上兄に近付ける訳にはいかない。

 それに自分もこの大会に臨む兄やステラ、そして他の代表選手達の情熱に触れてきた。

 だからこそ許せない。

 公然と反則を使い対戦相手を蹴落として、この《七星剣武祭》の全てを冒涜するこの男が!!

 

 「《血風惨雨(けっぷうざんう)》ッッ!!」

 

 「残念。タイムオーバーだね」

 

 当たらないなら狙わなければいい。

 そんな狙いで迸った高水圧の銃弾による面制圧の弾幕は魔力制御のエラーによってただのスプリンクラーと化し、そして珠雫は投擲されたアズールによって肢体ごと彼女を後ろの壁に縫い付けた。

 

 (ぅ、そ・・・・・・、ここまで、何でもありだというの・・・・・・?)

 

 「なるほど、色々考えつくものだね。おかげで制服がずぶ濡れだ。でも冷たくて気持ちよかったからラッキーかな? ・・・・・・フフ、アハハ。アハハハッハハハ!」

 

 悪夢のような光景の中でケタケタ笑う天音。

 こんな力に勝てるわけがない。

 ついに絶望が珠雫の心を捕らえ呑み込んだ時に、天音が更に信じ難いことを言った。

 

 「あ、そうそう。さっき言った僕が『望んだこと』と『こちらの事情』についてなんだけどね。実を言うと君達がここで奇襲してきたのって、たぶん僕が望んだ結果なんだ」

 

 「!? 」

 

 「『念のため不穏分子を炙り出してくれ』って()()の頼みでさ、『裏切り者がいるならボロを出すように』って望んだんだ。それで釣れたのがアリス君だったってわけ。だからほら、来たよ」

 

 控え室のドアが切り刻まれた。

 有栖院にとってはよく知る壮年の顔。

 激情の皺を顔に刻んだ《解放軍(リベリオン)》幹部、《隻腕の剣聖》ヴァレンシュタインだ。

 

 「この屑がッ!!」

 

 「ぐふっ!」

 

 有栖院の鳩尾にブーツの爪先がめり込んだ。

 1発ではない。怒りに任せて何度も何度も、控え室の床に横たわる有栖院を蹴りつける。

 

 「何故、何故だ!! 何故私の期待を裏切ったッ!! お前には偽りだらけの世界の全てを教えたはずだ! 何故同じ過ちを繰り返した、真実に気付いたんじゃないのかァッ!」

 

 「ゲホ、か、はっ!」

 

 『紫乃宮選手! 珠雫選手! 一体何をやっているのですかッ!?』

 

 「ああ、大丈夫だよ! この状況で言うのも何だけど、シズクちゃんはイッキ君の為にこんな事をしたんだから!」

 

 「─────ッ!?」

 

 「イッキ君、シズクちゃんは君のことを異性として愛しているんだよ。イッキ君がステラちゃんと付き合いだしてずっと辛かったんだと思う。イッキ君に振り向いて欲しい・・・・・・気持ちが彼女を凶行に走らせたんだ」

 

 「・・・・・・やめ、て・・・・・・」

 

 「見るがいい、これが結末だ! あれがお前が情を移した末路だ! 力こそ唯一の現実だと教え強者の側に引き入れてやったというのに、つくづく救えぬ男よ!!」

 

 「ごふぅッッ!!」

 

 「確かにシズクちゃんのした事は間違った事だけど、好きな人に愛されたいと思う気持ちって当然のことだと思う! だからどうか彼女の気持ちも汲んであげて欲しいんだ!それでどうだろう、イッキ君さえよければ彼女の気持ちを受け取って、シズクちゃんを女として愛してあげたら───」

 

 「ターゲットに情を移すような暗殺者など使い物にならん。───ここで死ね!!」

 

 ああ、地獄だ。

 不条理な力を持つものに全てを弄ばれる感覚に、有栖院はどこか郷愁にも似た思いを抱いた。

 年下のストリートチルドレン達を共に養っていた友をマフィアに殺され、そのマフィアを自分が殺し、そしてヴァレンシュタインが自分達ストリートチルドレンの掃除を指示した市長を殺した、欺瞞に満ちたあの世界。

 結局ここもあそこと地続きだったのだろうか。

 自分がその橋渡しをしてしまったのだろうか。

 心が押し潰されそうになりながら、それでも有栖院は手を伸ばす。

 自分の想いを脚色され、解釈され、心と尊厳を踏み躙られて嗚咽する親友の手を握るために。

 偽りだらけと信じていた世界に灯った光を、最期の時まで守りたいが為に。

 

 強者が全てを奪い、弱者が全てを奪われる。

 それは確かにある側面における真実だ。

 しかしそれが絶対であると掲げるのなら、彼らは受け入れなければならない。

 圧倒的な力で他者から奪う彼らを圧倒的な力で粉砕する、とびっきりの正義の味方(デウス・エクス・マキナ)の存在を。

 

 控え室の壁が吹き飛んだ。

 強烈な爆発と衝撃、()()()()()()から撒き散らされた爆風に天音は悲鳴を上げて顔を守り、ヴァレンシュタインも振り下ろそうとしていた剣を構えて後ろに退いて構え直す。

 熱風と閃光、そして爆音。思わず目をつむった珠雫と有栖院は一体何事だと目を開け─────それを見た。

 壁に開いた大穴に立つ赤い髪の騎士と、見るからに重傷の丈高き騎士。

 《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンと、《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》王峰一真の姿を。

 

 「よかった。どうやら息はあるようね、シズク」

 

 一言珠雫に声をかけてからステラはぶち抜いた穴から控え室に降り立つ。そんなステラの乱暴すぎる入室に天音は抗議した。

 

 「び、びっくりしたぁ! あ、あのねぇ、イッキ君の恋人として無視できないのはわかるけど、壁をぶっ壊して入ってくるのは流石に非常識ってものじゃ─────」

 

 「だまれ。これ以上シズクの気持ちに泥を塗ってみなさい。もう大会なんて知った事じゃない、この場でお前を消し炭にしてやる」

 

 決して拒絶を許さない声音にその言葉は阻まれる。

 天音の顔を視界に入れてしまえば食い縛っている怒りが抑えられなくなるのだろう。彼女が怯んだ彼の方を振り向かないまま珠雫を拘束から解放している間に、一真は倒れ伏す有栖院に近付いた。

 

 「そっか。やっぱお前《解放軍(リベリオン)》だったんだな」

 

 「・・・・・・ええ、そうよ・・・・・・」

 

 「けどここでこうなってるって(こた)ぁ、そこを裏切ってアイツの味方になったんだろ?」

 

 大きな手のひらが有栖院の頭に触れる。

 撫でるというよりは髪を掻き回すように雑な手付きだが、伝わる力には何より心を落ち着かせてくれた。

 彼がいればもう大丈夫。張りのある声音か落ち着いた態度か、言葉ではない何かが伝える安心感。

 

 「カズマ。()()()()()()()()()()()()()

 

 「勿論」

 

 珠雫を優しく抱えるステラの部屋の(てい)を為さなくなった控え室から出る直前の言葉に、そう答えて彼は立ち上がる。

 有栖院の身体から緊張が解ける。

 大きな背中に珠雫と有栖院を隠すように前に出た彼は、2人に向けて力強く親指を立てた。

 

 

 「2人ともよく戦った。後は俺に任せとけ」

 

 

 (ああ・・・・・・)

 

 霞む視界の中で珠雫は思う。

 天音の言ったように自分の欲望のまま愛する人を愛し、愛する人を奪った女を妬んで憎めたら。そんな自分の快不快だけで他者を蔑ろにできる人間のままであれたらどれだけ楽だっただろうかと。

 もし彼女がもう少しでも嫌な女だったなら、兄に愛してほしい感情と兄に彼女と幸せになってほしい感情の板挟みになることもなかったろうに。

 もしあの時彼と出会わなければ、何も守れなかった自分の無力をここまで呪うこともなかったろうに──────

 

 「・・・・・・あり、が、・・・・・・とう・・・・・・」

 

 意識が無明の闇に落ちる前、珠雫は最後の力を振り絞って礼を言う。

 それが2人に届いたのか、それよりもきちんと声になったのか、もう彼女にはわからない。

 ただステラの腕に抱かれて肩越しに見えた最後の景色で、確かに彼はこちらに向けて笑っていた。

 

 

     ◆

 

 

 「後は任せろか。身の程知らずの若造が」

 

 侮蔑を込めてヴァレンシュタインは吐き捨てる。

 

 「腹に穴を開けて大口を叩く度胸は大したものだ。立場が違えば勧誘も考えたかもしれんが、まあコレも巡り合わせ」

 

 彼はゆっくりと巨大な剣を肩に担ぐように構える。

 倒れた有栖院の総身に震えが走った。あれを彼は知っている。こと戦闘において攻守共に並ぶ者のない《隻腕の剣聖》の伐刀絶技(ノウブルアーツ)を。

 ダメージの抜けない腹に力を込め、有栖院は一真に精一杯の声を張り上げる。

 

 「ダメよ、カズマ! 逃げて! ()()()()()()()()()()()!!」

 

 その必死の叫びを聞いていたのかいなかったのか。

 後で考えればあれは聞いていなかったのではなく、聞いた上で問題ないと判断したんだろうなと有栖院は思う。

 まさに己を殺めんとしている《解放軍(リベリオン)》幹部を指差して、一真は面白そうに有栖院に笑った。

 

 

 「なァ面白くね? 俺を殺せる気でいるぞこの片端(かたわ)のボケ老人」

 

 有栖院が心胆を凍らせ、ヴァレンシュタインの怒りが頂点に達した。

 度を超えた激情が表情を失わせ、無意識下の行動の制限が取り払われる。

 周囲の状況を度外視。建造物と観客達を巻き込むことを良しとする。まるでお前の言葉が招いた惨劇だと突きつけるように、ヴァレンシュタインは一真に向けて必殺の剣を振り下ろした。

 

 「地獄で(おご)りを悔いるがいい。──《山斬り(ベルクシュナイデン)》」

 

 

 ヴァレンシュタインの能力は《摩擦》。

 打撃、斬撃、銃撃。この世界に存在するあらゆる力の作用には摩擦が大きく関係している。

 どれほどの威力を持つ弾丸も着弾点に摩擦が一切生じなければ貫通力は働かず、対象の上を滑るのみ。そしてその力を攻撃に転ずれば、あらゆる物質の分子間を抵抗なくすり抜ける無双の剣と化す。

 攻めれば名剣。守れば神の盾。

 全ての力の基点である『摩擦』を操作する力、それこそが《隻腕の剣聖》の能力だ。

 

 ただし惜しむらくは、その能力は当然ながら魔力によって付与される恩恵であり。

 そして王峰一真の能力は、己を『優』、敵を『劣』と置いて相手を魔力ごと叩き潰す。

 

 

 天音と有栖院は唖然と見上げていた。

 控え室の天井を真っ赤に塗り潰して、ヴァレンシュタインが天井にへばりついている。

 《山斬り(ベルクシュナイデン)》を正面から受け止めた一真に股間から蹴り上げられたのだ。

 股下から頭頂部までを一気に蹴り潰されて蹄鉄のような愉快な形に変形したヴァレンシュタインが、天井にくっついたまま血と内容物を垂れ流している。

 

 「これで5人、いや6人目か・・・・・・。いや、流石に相手がクズだからではあるんだが・・・・・・」

 

 諸星から受けた全身の切創と腹部の穴。

 そしてたった今《山斬り(ベルクシュナイデン)》を受け止め肩から切断された左腕。

 天井から雨漏りのように降ってくる血の滴を浴び、自分と他人の赤色で身体を染め上げた彼は、解いた計算式を検算しているような調子で(ひと)()ちた。

 

 「うん。思いの外なにも感じねえな」

 

 

 (・・・・・・あれ)

 

 天音はふと気が付いた。

 ここまでのインパクトで頭から抜けていたが、この状況はおかしい。

 自分はこの騒動に邪魔が入らない事を望んだ。

 途中こそ嗜虐趣味でカメラに晒したものの、第三者の介入など諸々の不運で発生しないはずだった。

 だと、いうのに。

 

 

 (なんで、2人がここに来れたんだ・・・・・・?)

 


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