リズミカルな靴音が通路に響く。
歩いている時のような規則的なものではない。時に速く時に遅く、その間隔も一定ではない。端的に言えば靴音の主である王峰一真はステップを踏みながら歩いていた。
全身を刺されて頭蓋骨に食い込む程の傷を負っていたが内臓に届いていないならiP S
何かを振り払うように。
何かから目を逸らすように。
楽しい時間を、少しでも長引かせるかのように。
「カズくん」
床を鳴らす踵が止まった。
後ろに自分を追いかけてきたらしい東堂刀華がいる。しかし呼びかけてきたその声はどうしてだか硬く喉に引っかかっているようだった。理由もなく張り詰めている彼女を
「よお刀華、どうよさっきの戦いは。面白かったろ? ハイキックなんてマジで何年かぶりに使ったわ、俺と目線合う奴なんていねえんだもん」
「うん」
「けどアレだな、力士とやんのは初めてだったけどやっぱ爆発力凄えわ、見るのと受けるのじゃ全然違え。見て分かったと思うけど防御固めてあそこまで押されたからな。マジで素の破壊力だと今まででトップクラスだったわ」
「うん」
「もちろん一番ブチ上がったのはお前と戦った時なんだけどな。どうすっかな、決勝込みの残り三戦であそこまでギア上げられるか若干怪しいんだよなァ。けどまァ大丈夫大丈夫、あの時の刀華に勝てたんならもう無敵ってなもんで」
要件も聞かない内からよく回る口。
テンションが上がっているからではない。彼は明確に
踏み込んだのは自分だ。もう後には退けない。
二の足を踏む足を覚悟で進めて刀華は切り込んだ。
「カズくん」
「うん?」
「その、・・・・・・どう、だった?」
「何が」
「その・・・・・・手紙、読んだんだよね・・・・・・?」
「あー。あー、うん。知らね」
「知らない、って、大切な事が書いて───」
「読んでねえよ」
「え」
「冷めるタイミングで寄越してくるよなァ、しかもわざわざ月影さんと刀華を挟みやがって。読まれるとでも思ってんのかよ、こっちはもう顔もまともに覚えてねえっての」
はー、と頭を掻きながら溜息をつく一真。
「まァ何だ、面倒かけちまったな。月影さんには俺の方から強めに言っとく。お前もこういうのはキッパリ突っぱねて───」
「・・・・・・だめ」
一真の言葉が止まる。小さくはあるが確かな否定。
心の死角を突かれ一瞬瞳を震わせた一真に、刀華は震えそうになる喉を叱咤してもう一度声を上げる。
「カズくん、読まなきゃダメ。ここで向き合わないと今日の事をきっとずっと抱え続けることになる」
「いや別に引き摺らねえけど。どうでもいいし」
「どうでもいいなんて」
「何なんだよさっきからしつけえな」
「っ・・・・・・」
幼い頃の喧嘩を除けば初めてかもしれない。彼が自分に明確な害意を向けてくるのも、彼を傷付けると分かった上で自分がそういった言葉を使うのも。覚悟を決めてもここまで辛いのか。彼にとってはいらぬ世話だという負い目が刀華を竦ませそうになる。
───決めたなら貫け。
大きなお世話でもありがた迷惑でも見過ごせないだけの理由がある。
あるいはそれを行動で示し続けた彼に倣うように刀華は振り払おうとする彼に食い下がろうとするが。
「読むもクソもねえよ。
出そうとした声がつっかえた。
締め付けられた心臓から巡った氷のような血液が刀華の総身を凍て付かせ、強張った声帯からは隙間風のような吐息が抜ける。捨てるには大きく重いだろうものを余りにも軽く放り捨てた一真は、一緒に真摯さも投げ捨てたような調子で苛立つように吐き散らす。
「俺にとっちゃあの人らは死んだも同じだし、向こうにとっての俺もそんなもんだろ。関わってくる意味がわかんねえよ」
「な、なんでそんなこと、」
「忌々しいからだよ。つーかいつまでこの話続けるんだ?やたら噛みついてくるけどお前どうした? 俺の何が気に食わねえ?」
「そうじゃない、そうじゃないよ! 複雑な気持ちなのは分かる、でもそれってそんなにあっさり切り捨てていいものじゃなかったはずだよ!」
「何でお前がそれを言うんだよ・・・・・・」
「私だからだよ!」
刀華がまだ幼い頃、彼女の両親は病に倒れてこの世を去った。しかし父親と母親が最期まで自分に注いでくれた温もりは今も彼女の中に息づき支えている。一度喪ったそれがまた戻ってくるのなら、また取り戻すことができるならどれだけの救いになるだろう。
彼女にはもう想像する事しか出来ないが───あの暖かな愛をもう一度心に注いでもらえるのならば。
「カズくんはまだ間に合う、間に合ったはずなのに! 一生の別れじゃなくなったのに! 私とは違って───、カズくんはまたやり直せたかもしれな
「お前は愛されてただろうがッッ!!!!!」
怒声が空気を叩き割る。
彼は刀華に手を上げてなどいない。しかし胸ぐらを掴んで思い切り壁に叩き付けられたような物理的衝撃に等しい感情の空震が刀華を圧倒した。
見誤っていたのだ。
彼が余りにも強過ぎて。多くを共に乗り越えて。
彼は
誰より近くにいたはずの刀華にすら、その傷口の深さが見えなくなる程に。
「最後まで愛されてたテメェに何が分かんだよ!? 俺だって好きだった、大好きだったよ!! けど向こうはそうじゃなかった!! ご機嫌伺いで捨てる程度でしかなかった、何が家族だ、その程度の関係だ! それを切り捨てて何が悪い!!」
「カズくん待っ
「関わろうって気があんなら何でもっと早く渡さなかった!? 何で一度も会いに来なかった!? 関わりがあったら不都合だからだろ!? 一生の別れぇ!? 上等だよ! 名前が売れ出した途端に擦り寄ってくるなんざ冗談じゃねえ!!」
「違
「そもそもテメェは何なんだよ!! お前言ったじゃねえか俺の傷の深さは俺だけのものだってよぉ!! 何でここに来て全部ひっくり返すんだよ全部台無しじゃねえかよ今までの全部よお!! お前だけはどうあっても味方だって信じてたわ!!」
「私その手g
「あーあー萎えたわもう完っ全に!! せっかく楽しくなってたのによぉ!! 結局一人か、結局一人っきりじゃねえか俺!! 正しいの俺なのに、許せねえ奴を許してねえだけなのに!! この期に及んで間違えてんのは俺でしたってか!!」
あらん限りの剣幕で浴びせられる遮ることすら出来ない声量の罵声に刀華の言葉は踏み潰されていく。いや、彼女は言葉を失っていたのかもしれない。掲げた武器も纏った鎧も重ねてきた主義も、全てを剥ぎ取った最奥にあったのは子供のような地団駄で、それは『王峰一真』という偶像が丸ごと壊れる瞬間でもあったかもしれない。
四肢の末端の感覚が消えて足元の地面が崩れていく感覚に怯える彼女の震えにも気付かず、─────とうとう彼は一線を超えた。
「いっそ俺の親も病死してくれてりゃァ良かったよ!! そしたら俺もお前みてえに綺麗な思い出のままでいられたかもなァ!!」
言葉が消えた。
沈黙の帷が降りた通路の一角、一息に全ての怒りを吐き出した彼の荒い息遣いだけが響いている。
叫び続けた疲労に上下する肩の動きが次第に落ち着き、茹だっていた頭の熱が抜けるにつれて一真は思考能力を取り戻していった。
「ぁ」
必然、自分が何を口走ったかに気付く。
信管を叩かれた不発弾の如く大爆発していたが今度は彼が凍りつく番だった。
何も言わず俯いて背中を向けた刀華に、一真は血の気が失せた手を伸ばす。
「そうだよね、ごめん。私なんにも分かってなかった。余計なお世話だったよね」
「あ、ちょ、刀華、俺、」
「ごめんね」
思わず彼女の肩を掴んだ一真の手を刀華は退かすように剥がす。払い除けるような強さではなく、伝わってくる感触はとても硬く冷たい。声の震えを必死に抑えて搾り出したような弱々しい言葉は、しかしそれでも明確な拒絶だった。
「本当にごめん。・・・・・・私、今は話せない」
一歩二歩とふらつきながら歩き出し、そして駆け足になって刀華は通路の先へ消えていく。引き留める術など持たない一真はただ茫然と彼女が走り去った方向を見て剥がされた手を中途半端にそちらに伸ばす。
当然、その手が何かを掴めるはずもない。
彷徨わせていた手が力を失いだらりと肩からぶら下がり、そして。
通路が縦に揺れた。
感情のままに踏み鳴らされた床に巨大なヒビが入り、建材の欠片が小石やチリとなって天井からパラパラと降り注ぐ。
「〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・ッッ!!!」
震える程に拳を握り、血が滲むくらい歯を食い縛る。それ以上の暴挙に耐えるように。制しきれなかった自分を今になって縛り付けるように。
─────どうして。どうしてあんなことを。
あんな事を言いたかった訳じゃない。
こんな風になりたかった訳じゃない。
こんな事になってしまうなら、自分の今までに意味はあったのか。これでよかったと思えたあの日は何だったのか。自分は一歩も進めていないのか。
「なんで・・・・・・」
こぼれた言葉は続かない。
何かに投げかけた問いかけは蝋の尽きた蝋燭の火のように具体的な輪郭を持たないまま消える。
己で巨大な
そして五日目。
《七星剣武祭》第五回戦が始まる。
◆
サラ・ブラッドリリーは混乱していた。
己の
しかし彼は言った。
『それはスペックだけを整えた空っぽの贋作だ』と。
そしてそれは証明されてしまった。
剣とは性能のみではなくあらゆる思考と駆け引きを培ってきた経験、そして己を鍛え上げてきた魂によって振るうものであると。
横一閃。
純白の刃が頭蓋を断ち割らんと骨を削った瞬間、漆黒の刃が世界最強を模した贋作の胴を薙ぎ払い、その幻想を紙屑に変えた。
『た、た、叩き斬ったぁぁあああ!! 黒鉄選手、偽物とはいえあの《比翼》を一刀両断! 絶望的かと思われていた戦力差を一撃でひっくり返したァァッ!!』
「う、そ・・・・・・っ」
「たとえ世界最強といえど、所詮は剣を握ったこともない画家の空っぽな幻想だ。だけど僕の《
逆転劇に観衆の興奮した声援が地鳴りのように響く中、サラは茫然と言葉を漏らす。
対する一輝には一つの揺らぎもない。
仮にも世界最強を打破した高揚も切り札を破った優越感すらもなく、ただそれを当然の事として認識している。何故なら『本物』である彼にとっては。
「心技体の二つも欠けてる偽物になんて───負けてられないのさ!!」
決着をつける為に、最強の手札を失ったサラに向けて黒鉄一輝は一直線に駆け出した。
一方のサラは狼狽えるばかり。《
つまるところ、打つ手がないのだ。彼女には。
(出来ることが、なにもない・・・・・・!)
『次の五回戦、サラさんが勝ったら君の言う通りモデルになるよ。だけど僕が勝ったらそれっきりで完全に諦めてもらう』
このままでは負ける。だけど負けたらもう二度と一輝をモデルにする事は出来なくなる。それはつまり、
稚拙な画力、独学と思しきいい加減な画法、センスを疑う色使い。三拍子揃った無名画家の遺した悪魔を焼き払うメシアの絵、そこに残された未完成の空白。
画力もセンスも名声も何もかもを父を遠く置き去りにした今も自分にはその空白に筆を入れる事が出来なかった。死してなお燃え立つ埋火のような情熱にどうしても勝てなくて。
───いつかこの絵の中心を飾っても見劣りしない絵を描きたい。
そんな憧れを抱くようになった。
故に父の遺作を完成させるというのはただの弔いではなく、サラ・ブラッドリリーという画家のプライドを賭けた挑戦なのだ。
だから負けられない。
彼が騎士の道に命を賭けているのなら、自分もまた画家の道に命を賭けている。
───ならば描き出そう。
己の魂を震わせた全て。
己の奮う魂の全て。
私自身の『本物』を!!
「私の剣は・・・・・・っ、この筆だッッ!!!」
叫び、最後の魔力を込める。さあ描き出そう。
性別は男がいい。けど優男はダメだ、手向かう相手を叩き伏せてでも自分の願いを優先する粗野な情熱を表すならば巌のような大男が相応しい。
障害も道理も容易く蹴散らすくらい太い四肢に、立ち塞がる全てを両断する金剛石の大剣。肉は鍛えた鋼よりも硬く、流れる血潮はマグマのように熱く、返り血に濡れた装いは
止めどなく溢れるイメージ、インスピレーションと情熱。吐き出さねば己が破裂するとばかりに無我夢中にそれらを叩き付け、最後にその化身の顔を想像しようとして・・・・・・声を失った。
考えるよりも先に自分の筆は、自身の情熱の化身ともいうべき男の顔を描き上げていたからだ。
そしてその化身の人相を見て、苦笑する。
───なんだ。ちゃんと覚えてたんだ。
なるほど、自分の情熱を描写するのにこれ以上の人相はない。
今なら確信を持って言える。
これこそが自分の魂の形だと!!
「《
・・・・・・
まだ読んでくれてる人いるのかな。
仕事がえらい事になってヘバってる内にとんでもない間が空いてしまいました。ジークアクスでエグザベ×ニャアンのカップリングにどハマりしてXでSSを書き散らしてる内に気力が戻ったので久々の更新です。
絶対に完結はさせますがペースがカスなのは変わりそうにないので思い出した時に読んでいただければ・・・・・・。