リングに現れるは、身の丈三メートルはあろう血に塗れた壮年の剣闘士。
サラが張り上げた声には僅かほどの不安もなく、最高峰の贋作を討ち取った一輝は口唇を吊り上げる。
一目で分かった。
肌がヒリつく程の熱量───この幻想は
自分の《
ならば自分も切り札を切ろう。
ここまで使うまでもなく、そしてこの時のために温存していた《
「望むところだ・・・・・・!」
蒼い光を身に纏い、ぐんっ、と重心を沈み込ませ突撃体勢を取る一輝。
だが一輝が蹴り足に力を込めるより早く、エーデルワイスにも見劣りしない速度でマリオ=ロッソが間合いを詰め、巨大な剣を一輝の脳天に打ち下ろす。
それに対して一輝は後退を選択しなかった。
彼は斬撃に対して全力で飛び込み、皮一枚の見切りでギリギリを交差。マリオ=ロッソの圧倒的膂力による剣撃は敵ではなくリングを真っ二つにした。
そして、
「《
全推力を切先の一点に集中させた秘剣を一輝は剣闘士の眉間に叩き込んだ。
文句なしのクリーンヒット───なのに巌のようなマリオ=ロッソの身体はビクともしない。
《
「ッッ!!」
マリオ=ロッソは首を払って《
巨剣を空中で受けた一輝が、廻った。
吹き飛ばされるはずの身体をそこに留めたまま。
一輝はただ刀を盾にしたのではない。
リングを断ち割る力を見て防御は不可能と見た彼は剣を受ける角度と姿勢の制御による重心移動により身体に伝わる衝撃の方向を操作。相手の斬撃に干渉するのではなく、斬撃を受けた自分の身体をコントロールすることで剛撃に対応したのだ。
だがそれは同時に、マリオ=ロッソにも何の影響も与えていないことを意味する。
残光すら残さない速度の一撃必殺の斬撃が、瀑布のような密度で一輝に叩き込まれた。
瞬きの間に人間を肉片も残さず消滅させる巨剣のラッシュを回転によりいなし続ける一輝。
無数の乱撃を流すために一方向ではない乱回転、しかも時に空中に跳んで廻り続ける彼の動きはもはや剣士のそれからも逸脱していく。
加速していく剣闘士の攻撃。
加速していく一輝の回転。
側から見たら防戦一方。
しかし彼は今まさに刃を鍛えていた。
己の力では刃を通せない敵を真正面から叩き斬るための、比類なき刃を。
KOFランキング三位、西京寧音には《
舞いの動きで相手の攻撃を受け流しつつ『力』に極めて強力に干渉する《重力》の能力により相手の力を蓄積、上乗せして反撃する技だが、一輝がやっているのはそれの改造版だ。
受けた力を回転運動に変換して保存、激突の反動で加速して蓄積。身体を捩じ切る運動量は《
圧倒的な硬さと強さ、そして速度を持つ相手を斃すために彼が生み出した、七つの秘剣のさらに外。
「番外秘剣─────《
一閃。
極限まで蓄積した力を狂いのない剣筋に通し音すら消えた一閃が、マリオ=ロッソの巨木のような胴体を真っ二つに両断した。
溶岩のような血を溢れさせながら消えていく血塗れの剣闘士。
魂の具現たる『本物』は断ち切られ、後に残るは魔力を使い切った虚弱な画家ただ一人。
上下に分かたれたマリオ=ロッソ、切り払われたその壁の向こう。《
筆の代わりに指を用いて未だ空中に色彩を踊らせるサラ・ブラッドリリー。
そこから生み出された、もう一つの『本物』を。
せっかくの最高潮、今でなくては
でもこれを描くには
そうだ、
いや、魔力だけでも駄目そう。
指とか噛み切ってみようかな。
これを描くには自分を
自分が魂を震わせた三つの本物。
一つは父の絵。
一つは
そしてもう一つは─────
一輝には分からない。
なぜ『それ』が完全な状態で描かれなかったのか。
なぜ『それ』は今にも斃れそうなほど重傷なのか。
しかしそれらはどうでもいい。
肝心なのは生み出された『それ』が自分にとって、何よりも強く恐ろしい存在であった事だ。
「《
眼前に現れた血みどろの王。
赤黒い色彩の中で白く光るその眼差しに一切の不純物はなく、ただ眼前の敵を打破せんとする覚悟によって見開かれている。
一輝は直感で理解する。
これに《
これから来るのは極大の一撃。
受けることも流すことも出来ない、かといってまさに剣を振り切ったこのタイミングでは避ける事も不可能。真っ向から迎え撃つしかないのだ。あの巨人が今際の際に繰り出す天災、厄災に等しいあの攻撃を──────
「──────上等ぉッッ!!!」
凶暴に歯を剥き出して一輝は笑う。
不転と必倒の意思に身体が呼応、自身を形成するタンパク質を分解。命を削るのを代償に一振り分の魔力を調達。全ての力を擲つ身体強化に一振りで全てを使い切る身体強化を重ねるかつての暴挙はここに鬼札として結実した。
しかし彼はこれでもまだ不足と判断。
身体を斜に構えて背骨ごと腰を捻り、右腕一本で握る刀を背中に回すように持ち、《
形こそ変則的だが、これは居合抜きだ。
振り抜かれようとする刃とそれを押さえ付ける鞘の関係を再現し、相反する二つのベクトルの間に大きな力を蓄積する理合。それをより強くするために握力より更に強い力を発揮する腕の筋肉を利用したのだ。
最高の前哨戦だ。
ここで勝てないでどうする。
単なるトーナメントの話ではない。彼の死力と己の死力。圧倒的に才で劣る自分がここで負けては、自分が彼を超えられる日など永劫に来ない。
───さあ目にも見ろ我が友よ。
立ち塞がった苦難と絶望、全てを呑んでここに来た。
首を洗って上で待て。自分の刃はお前に届く。
数十倍かける数百倍、もう一つかけて十数倍。
それに加えて《七星剣武祭》予選、その最終戦で怒りに任せて引き千切った鎖。解き放たれた力による《
そして。
『彼』の蹴りは全てを砕いた。
全身全霊、本当なら出るはずのない力まで注ぎ込んだ一閃、その刀身を砕き、その向こうにある肉と骨を消し飛ばす。頂点に座す器が死の淵で猛らせる執念は、虫が燃やす五分の魂など当然のように踏み潰す。
しかしその一閃は全てを断ち切った。
格上を喰らい続けた黒鉄一輝という人間の歴史、その全てが宿った一太刀は砕かれてなお使命を完遂。
勝負を決する致命傷だ。今度こそ魔力を使い果たした上、元より虚弱の彼女に立ち上がる力などあろうはずもない。
・・・・・・そしてそれは、黒鉄一輝も同様のはずで。
「・・・・・・ふふ。ひどいね」
一輝は半身を
彼はただ愚直に正面突破をしようとした訳じゃない。自分の斬撃の威力を損なわない範囲で『彼』の蹴りによる被害を最も抑えられるポジションに突っ込み、その上でこの様だ。
本当に対抗心だけで突っ込んだら膝から下しか残っていなかっただろう。燃えながらも冷たさを失わない彼の思考力もまた勝因の一つだが、こうして二本足で立っているのは完全に意地だ。
「
「・・・・・・・・・うん」
血溜まりの中、一輝の言葉にサラはしばしの沈黙のあと小さな声でその現実を肯定する。
自分の技、心、全てのあらん限りを尽くして・・・・・・それでも、勝てなかったという現実を。
そして、それを受け止めてから────
「でも、・・・・・・あのやくそくは、
そんな身勝手な言葉を吐いた。
思わず目を丸くした一輝。
だがサラは構わなかった。
卑怯者と言われてもいい、嘘吐きと罵られてもいい、ろくでなしと蔑まれても構わない。
だって。
「私はキャンバスに突っ伏して死ぬようなろくでなしの娘だから。・・・・・・この情熱は、諦めない」
「・・・・・・しょうがない人だね、君は」
『完全決着───ッ! 《
サラの意識が暗闇に落ちると同時に主審が試合終了を宣言、一輝の名が勝者として告げられた。
そこで一輝にも限界が訪れる。
大量の血肉を失い、辛うじて残った心臓から氷水のような冷たさが広がっていくのを消えつつある五感で感じながらリングに膝をついた。
・・・・・・彼は彼女を腕に抱いたまま、最期まで立っていたけれど。
(・・・・・・やれやれ、まだまだ遠いな)
とはいえ、ここまで来た。
《七星剣武祭》準々決勝、勝利。
獲るべき星はあと二つ。
確実に目の前に近付いている栄冠に一輝は笑みを浮かべ、そしてふと思う。
───今の技に、名前を付けるべきだろうか。
予選で怒りのままに重ねた力に、今回は明確に理合を通した。再現性があるなら技として成立する。加えてこの破壊力、三度目でさらにブラッシュアップすれば十二分に切り札として完成するだろう。
名前は───・・・・・・いや、やめておこう。
この技に名前を付けるのは自分が優勝した時だ。
強敵の中を勝ち抜いて、憧れ続けた好敵手を倒した誇りと共に。
知らず知らずのうちに皮算用を行なっている自分に苦笑しながら一輝もまた意識を手放し───、そしてその戦いぶりを一人の純白が見届けていた。
「・・・・・・まったく、恐ろしい成長速度です。あの時の少年が、既に私達の領域に至っているとは」
耳が痛いほどの拍手と歓声の中、担架に乗せられ退場していく一輝を見つめてエーデルワイスは感嘆の声を零した。
「しかし、この事は彼に教えないのですか?」
「教えますとも、エーデ。この大会が終わった後でね。今はただ己の夢に向かって全力で走る時です。私の話をするのは、全てが終わった後でいい」
「ふふ。それもそうですね」
絶望の未来を知りながらそれでも差した希望の光に穏やかに笑う月影獏牙にエーデルワイスは同様に微笑み、そして黒鉄一輝を思う。
自分と彼のコンタクトは《前夜祭》の時、悪意の糸に操られた彼を斬り伏せた時のみ。その僅かな間で彼は自分の剣の根幹を掴み、今や自分のスタイルに
世界最強をして舌を巻く成長速度だった。
一つを掴めば飛躍する、それを可能とした土台の大きさと頑健さ。それを築くために流した血と汗を思えば、自ずと敬意が湧いてくる。
(あの日私の前に立ち、そして傷を付けたのはあの少年でしたが)
脚を失い武器を失い、血を失ってなお双眸に赫怒と執念を燃やし続けていた彼とその時の彼と相対して同等の力を示してみせた一輝。
能力によって作られたものとはいえ、一輝が彼に向けた表情を見れば二人がどのような関係であるかはよく分かる。
であれば二人の実力を間近で見た彼女がこう考えるのはごく自然な事だろう。
(立ち塞がったのが彼であったなら、どうなっていたでしょうか)
そしてこれから彼の戦いを見れば目を疑うだろう。
あれは本当に、私に傷を入れた少年なのか、と。
同じく準々決勝。
《
いや、困惑というと語弊がある。日々の些細な仕草や癖からも相手の理を根底から暴き出して試合開始の瞬間から試合を支配する《天眼》、そのための観察によって彼の状態は常に把握していたのだから。
ただ、まさかこの状態のまま試合に出てくると思っていなかったのだ。
歩き方も目に見えて拙く、立ち姿も滅茶苦茶。
彼と関わりのない白夜でさえ目を疑うのだ、彼をよく知る者からすればいっそのこと悪い夢と考えた方がまだ納得がいくだろう。
───こうまで不調でフラフラな、頼れるところなど何も感じない王峰一真など。