夜。
王峰一真がいない事に誰も気付かなかった。
唯一黒鉄一輝だけはその場にいたが、
大きな胸騒ぎを感じつつもどうする事もできず、彼は彼の準備を整えるしかなかった。
大事な戦いを控えているのは彼も同じだからだ。
翌朝。
王峰一真はどこにもおらず、それを不審に思う者もいなかった。
ギリギリまでコンディションを整えているのだと思っていたからだ。
事実彼は第二回戦、諸星雄大との戦いの前に試合開始直前までウォーミングアップをして関係各位を焦らせている。
それに今回の相手はあの《紅蓮の皇女》、使える時間は全て有効に使おうとするのは道理であると全員が考えていた。
昼。
王峰一真はどこにもおらず、数人ほど怪訝に思う者が現れ始めた。
大一番を前にした彼の様子を見に御祓泡沫が大会参加者に使用を許可されているいくつかの施設を訪れたがあの大男の姿は見えなかった。
不自然に思ったが、その時思い浮かべたのは昨日の原因不明の絶不調の姿だ。もしもあれを引き摺っているのなら、肉体ではなく精神面のコンディションを整えようとしているのかもしれない。
ならば激励の言葉でもくれてやろうと連絡を入れるも繋がらない。
何度コールしても繰り返される機械音声の応答を不審に感じた彼が周囲の人間に聞いて回ったところ、誰もが「知らない」と戸惑ったように答えた。
まあ時になれば戻ってくるだろう。
彼が戦いの場に姿を見せないなどありえない、という彼らの反応に、まあそうだよなと泡沫も納得しつつあった。
事態が急変したのはその直後。
「・・・・・・カズ君、戻ってないの・・・・・・?」
カズ知らない? という泡沫の問いに、東堂刀華が愕然とした瞬間からだった。
◆
「親からの手紙ぃ!?!?!?」
王峰一真が行方不明。
刀華の発言によって異常事態と発覚し、急遽集められた彼と関わりの深い者達。この事態の始まりの当事者である刀華から事情を聞いた泡沫が信じ難さと激情を衝動的に叫んだ。
「私、ぜんぶ間違えちゃった・・・・・・。カズくんがどれだけ繋がりを大事にする人か知ってたのに・・・・・・。裏切られた時にどれだけ傷付くか、そんな傷口に触られたらどれだけ痛いか、少し考えれば分かったはずなのに・・・・・・!!」
「〜〜〜〜〜〜・・・・・・ッッ!!」
涙声の刀華が顔を覆い、泡沫は声にならない感情の激流を喉元に詰まらせる。
───どうせあの男も刀華の地雷を踏んだのだ。
口論の末に言ってはならない事を言ったのだ。
彼女は語らなかったが自分も家族、彼が激昂の末に一線を越えたであろう事は想像に難くないが、しかしそれは彼女が繊細な場所に踏み込み過ぎてしまったからで・・・・・・
───
両親からの手紙は、それを破り捨てるということは! この二人にとって自分の
「カズマ・・・・・・あの時、君は・・・・・・ッッ!!」
そして黒鉄一輝は
昨日の夜、確かに感じた異変。
何かがおかしいと分かっていながら何も出来なかった、そして自分の言葉も間違いなく彼を傷付けた。
無論一真に何が起きたかなど知る由もなかった彼に責められるべき点などない。
しかしそれでも彼の性根は自分の発言が余りにも無神経だったと、何よりも大切な友を深く傷付けたのだと握り拳を震わせる。
「と、とにかくどーすんの!? 王峰くん戻って来なかったら不戦敗になっちゃうでしょ!?」
「探すしかあるまい、しかし手がかりが何も・・・・・・! 副会長が事前に巡った所にはいなかったのであろう!?」
「人を集めましょう。運営に報告すれば捜索の人員を出してくれるはずです。しかし今から間に合うかどうか・・・・・・」
「!! そうだイッキ君、次の試合できるだけ決着引き延ばしてくんない!? そうすれば多少時間が」
「駄目よ」
泡沫の必死の提案を、しかしステラ・ヴァーミリオンが強く遮った。
「カズマの事情は理解したわ。それがどれだけ重大な事なのか私には想像すら出来ないけど、あの男が折れたって事がどんなに有り得ない事かは理解できる。・・・・・・だけど、それとこれとは別の話。全身全霊で臨むべき戦いに余計な背景を持ち込むなんて無礼極まりないわ」
「けど、けどさ! ステラちゃんだってカズにリベンジしたいんだろ!? だったら少しでも手を尽くした方が───」
「それは私には関係ない」
食い下がる泡沫を今度は真っ向から斬り捨てる。
言葉を詰まらせた彼の口をステラは淡々と、しかし有無を言わせない語気で封じ込める。
「アタシは今日アイツと、イッキを倒す為に万全の状態に整えてきた。今まで培ったものと熱量、それだけを持ってリングに上がるわ。アイツが
「・・・・・・泡沫さん、こればかりは僕もステラと同意見です。全身全霊で向かってくる相手を片手間で向き合う姿勢を、騎士として自分に許す訳にはいかない」
正論。騎士として余りにも正論。
直に控え室に案内される時間が来るというのに口惜しそうに歯噛みしている一輝がお人好しなだけだ。
そしてこうしている間にも時間は血を流し続ける。
何の手がかりも無しにどこにいるかも分からない人ひとりを探し出そうというのならこれ以上ここに留まってはいられない。
眉を歪ませ歯を食い縛る泡沫は振り切るように思考を切り替える。
「っとにかく動けるやつ全員で動くしかない! イッキ君あの子に連絡入れといて絶対イヤとは言わせんな!! 刀華もメソメソしてんな!! 砕城と兎丸も全力で探して、絶対あのバカ野郎リングに引き摺り出すぞ!!」
「「り、了解!!」」
一斉に駆け出す破軍学園生徒会。
貴徳原の言う通り運営に捜索を依頼しても見つかるかどうかは絶望的だろう。
一向に繋がる気配のないコールを繰り返し、走る泡沫はひたすらに
───皆が彼に寄りかかった。
堂々たる巨躯に、道義を重んじる真っ直ぐな性根に、立ち塞がるものを薙ぎ倒すその力に。
あらゆる苦難に屈しないその背中に、誰もが打ちひしがれそうな心を託した。
彼自身が己の在り方を自虐することがあったとしても『若葉の家』の皆にとって、彼の背中を見ていた者達にとって、王峰一真は紛れもなく英雄だったのだ。
(ボクらは刀華から優しさを教わった。強さとは何かはカズを見て知った)
(好意も怒りも、向けた気持ちの全部を正面から受け止めてくれる
(誰よりも先に厄介事に踏み込む男であったな)
(頼もしかったな。この人がいれば大丈夫って)
(あの方が折れる時が来るなんて、考えた事もありませんでしたわね)
身勝手なのかもしれない。
無責任な要求なのかもしれない。
しかし誰が責められようか。
崩れ落ちそうな憧れのヒーローに目一杯の声援を張り上げる、誰より長く熱心な支持者たちを。
「頑張れ! 負けんな! お前の人生を捨てた奴らなんかに!! 負けてんじゃねえよ!!!」
叫ぶ衝動を脚に込めて走る。
倒れていく憧れをどうか支えさせてくれと、どうかこの手で立ち上がらせてくれと、祈りにも似た願いと共に。
少女は走っていた。
闇雲に探しているのではない。
自分の能力で大気中の水分に己の『意』を通し、広範囲を探知しながら凍らせた路面をアイススケートのように駆け抜ける。
緊急事態でもない街中で許可無く
───何も終わっていなかった。
けじめや
(全て、全てが私のせい)
自分はただの屑だ。
何の罪もない人に癒えない傷を刻み込み延々と人生の足を引っ張り続け、贖罪の資格すら待ち合わせない愚か者だ。
だけどせめて、せめてこれだけは。
『彼』を支え続けてきた人たちが彼の元に辿り着く、せめてその助けにすらなれないのなら、自分は二度と顔を上げて生きられない!!
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
《宵時雨》の鍔を額に叩きつけた。
罪悪感でも焦燥でもない、それは己が果たさねばならない義務。生え際の古傷が破れて流れ出した血で白い柔肌を染め、砕けんばかりに奥歯を噛み締めて黒鉄珠雫は疾走する。
『試合終了─────ッッ!! 《七星剣武祭》準決勝、黒鉄一輝選手が見事に勝利を飾りました!! 冴えに冴え渡る《比翼》の剣! 前代未聞の大偉業まであと一歩です!!!』
《
誰もが彼に夢を見ている。
持たざる者の下剋上、天地挽回の逆転劇。
それは正に黒鉄一輝という男が掲げ続けてきた先駆者の旗だ。
しかし。
だが、しかし。
自分が憧れ超えたいと願い雌雄を決すると誓い合った二人の最強、その片方が消えるなど。
黒鉄一輝にとって、『彼』が消えたこの大会で手に入れた頂点など。
「・・・・・・カズマ。立ってくれ」
誰にも聞こえない声でそう呟き、一輝は空に刀を掲げる。
自分はここにいるぞ。
自分はここまで来たぞ。
かつて這いつくばっていた自分を起こし、そして今は迷ってしまった親友に、今度は自らを道標とするかのように。
明かりを消されモニターの電源も切られた空間。
コンセントレーションの妨げになる外的要因を極力排除された控え室でステラ・ヴァーミリオンは静かに目を閉じていた。
言った通り自分のやる事は変わらない。
勝ちたい相手に勝てる自分、その理想の状態に最後の一秒まで使って近付く。自らの深奥に意識を没入させて心身の細部までを把握、
───この《七星剣武祭》に不純物はいらない。
その主張通り、ステラとて肝心の舞台に要らない茶々を入れた『外野』に憤っている。
心の底から倒したいと思った相手には、自分がそう思った時そのままに強いままでいてほしい。
「・・・・・・負けんじゃないわよ。カズマ」
届かない激励は祈りにも似る。
再び意識を没入させていく彼女の耳に、黒鉄一輝の勝利を示す歓声が遠く聞こえてきた。
皆が願った。
皆が祈った。
丈高き巨人がリングに降り立つ事を、彼のいないリングで主審が手を上に掲げるその時まで。
◆
《七星剣武祭》中、大阪の街は静まり返る。
あらゆる活気はスタジアムとその周辺に集まり、その限りではない人々も現地から届けられる熱気を求めて画面の前に齧り付くからだ。
そんな別世界のような静寂を遥か高空から見下ろす男がいた。
「ここにいたのかい」
「・・・・・・・・・・・・」
西京寧音の声に目線だけを向ける王峰一真。
怒っても焦ってもいない待ち合わせに少し迷った程度の調子で呼びかけられた事に疑問を持ちそうなものだが、今の彼はそこにすら興味が湧かないらしい。
再び目線を戻した彼に、姉弟子は変わらぬ調子で話しかけ続ける。
「随分とまあ食らってるねぇ。もうあっちこっち探し回っててんやわんやだ。ここまで運営の人員を自分に割かせた奴ぁ《七星剣武祭》の歴史でも初めてだろーよ」
「・・・・・・どうやって見付けたんだよ」
「刀華と黒鉄のお嬢ちゃんだよ。水の力で大気中の電位差を操作して云々・・・・・・まあ二人が協力して作った超広範囲のレーダーに、馬鹿みてえな場所に座ってる人間が引っかかったんさ」
はあ、と呆れたように息を吐く寧音。
「話は聞いたけども、中途半端なトコに留まってるねぇ。昨日の夜から消えたって聞いたからどこまで行ったのかと思えば通天閣の
激動が続いて忘れそうになっていたかもしれないが、そもそも一真は体制転換の尖兵たる《暁学園》の一員としてこの大会に参加している。そして《暁学園》のメンバーがもう彼しか勝ち残っていない以上、彼は国の未来のために優勝せねばならない。
それは彼のモチベーションとは何の関係もない、果たすべき義務だ。
全ての熱を失っても、自分に課された役割が彼を中途半端な場所に留めている。
全てを言い当てられまた無言になった彼の横によいしょと寧音が座り込む。
そして懐をごそごそと漁り取り出したものを一真の目の前に差し出し、それを見た一真が「は?」と怪訝な声を上げた。
「ほれ。手紙」
「いや何でだよ。それ昨日破り捨て・・・・・・、あー・・・・・・」
言いかけて理解した。
───《
自分の力や行動で可能な範囲の事象の結果を自在に操る因果干渉系の
彼自身の働きかけによって、王峰一真が両親からの手紙を破棄しなかった世界へと。
「こいつさ、渡された時になんか違和感無かったかい? まだ読んでないのに便箋の封が開けられてた、みてーな」
「・・・・・・どういう事だよ」
「刀華が検閲してんだよ。カズ坊に渡す前に」
ぎょっと目を向いた一真が初めて寧音の方を向く。
「権力関係で捨てた子供に優勝が見えてきたタイミングでの手紙なんざあからさま過ぎるからねぇ。フザけた内容なら渡す前に自分が破り捨てる気でいたんだと。おんなじくらい怒ってたんさ、刀華も」
「──────・・・・・・、」
「その上で刀華はお前に届けて、御祓の坊やも手紙を戻した。結論は変わらなかったとしても、その意味はちゃーんと考えるべきさね」
そう言って手紙をぽいと渡す寧音。
反射的に受け取ってしまった一真を尻目に用は済んだとばかりに立ち上がった彼女に、逆に一真が驚いたようだった。
「俺を引っ張り出しに来たんじゃねえのか?」
「うんにゃ、そいつを届けに来ただけ。刀華たちは来たがってたけどうちが止めたよ。あいつらの前だとお前変に意地張っちまうだろ」
うぐ、と喉に詰まったような声を漏らす一真。
散々自分をボコボコにしてきた姉弟子に心まで見透かされぐうの音も出なくなった彼を尻目に寧音は一本下駄をカツンと鳴らす。
彼女が最後に残した言葉は背中を押すのでも慰めるのでもない。ただ視界を遮る霧を払ってやるだけの、教え導く先達としてのものだった。
「行きたい所に歩きなよ。それが王峰一真ってもんだ」
振り返った先にもう寧音はいない。
彼女が消えた場所をしばし眺めていた一真は改めて目線を手に持った手紙に落とす。
最低な事を言った。
最悪な別れ方をした。
皆それを知っていて、その上でこれを届けた。
壊して捨てたものを直して走り回ってまで。
自分を捨てた奴らの、きっと身勝手な言葉を。
「・・・・・・・・・・・・、」
封がされた状態で蘇らされ、本当に中身を検められたのかも分からなくなった便箋。
その表面をなぞる指先には、細切れに破られていく重なった紙の感触がまだ鮮明に残っていた。
そして、時間は今に至る。
『どうした事でしょう、開始時間を過ぎてもなお王峰選手が現れる気配がありません・・・・・・! 一体何が起きているのでしょうか?』
『分かりません。しかしどのような事情があるにせよ、いま重要なのは彼がここに現れないという事だけです。このままでは・・・・・・』
『おいどうしたんだ? なんで出てこないんだ?』
『昨日の試合なんか変だったけど・・・・・・』
困惑と動揺に満たされたスタジアムの中央の開始線にステラは無言で立っている。
試合開始の時間はとっくに過ぎた。
Aランク二人の対戦というビッグカードを何とか成立させようと様々な人が八方手を尽くして時間を稼いでいるがそれもそろそろ限界だろう。観客席で固唾を飲んでいた一輝や刀華たちがいよいよその表情を諦めに染めつつある。
「・・・・・・駄目か・・・・・・」
「カズ・・・・・・!!」
「・・・・・・・・・・・・ッッ」
目を伏せる一輝と必死の形相で自分の膝を殴る御祓、俯いて布越しでも血が滲む強さでスカートを握り締める刀華。
彼をよく知っている他の者も一様に痛ましいものから目を背けるように目線を下に落とし、ここまで彼と戦ってきた者は抑えきれない程に強い苛立ちを感じていた。
「ッソがぁ・・・・・・どこほっつき歩いてんねん王峰ェ・・・・・・ッッ!!」
殊に諸星雄大の怒りは相当なものだった。
その圧倒的な力に、その堂々たる様に敗れ去った者がその相手の凋落を許せないのは戦士の性。その行く末がこんな自分達との戦いを全否定するような不誠実な終わり方をするのが許せないのは当然と言えよう。
───西京寧音は失敗したのか。
いや、きっと誰が悪いという話ではない。
皆が無敵と信じた彼は皆が信じるよりも普通の人間で、立ち上がれないようなショックに当たり前に膝を折った。
ただそれだけの、特別でもない普通の話。
赦された猶予が消える。
主審が手を挙げる。
そうか。
彼は勝てなかったのか。
ステラは黙って彼が現れるはずの場所から目線を切り、もうここに立つ意味は無いと背中を向けた。
「時間一杯! 王峰選手の試合放棄により、ステラ・ヴァーミリオン選手の不戦勝と─────