スレイン法国神都の外れをひとりの男が走っている。
彼の名はイアン・アルス・ハイム。法国六色聖典がひとつ、陽光聖典第一班の班長だ。
陽光聖典の任務は主に人類を脅かす亜人種の集落やモンスターの巣の殲滅であり彼らは六色聖典の中でも最も戦闘が多い。入隊するには信仰系の第三位階魔法の修得が必須だし、また肉体能力・精神能力に秀でている事も求められ、信仰心の篤さも必要となってくる。魔法詠唱者でありながら近接格闘も熟せるほど鍛え上げられた屈強な身体を持つ彼らは部隊としてもエリート中のエリートである。
まあとにかくだ。イアンはそんな陽光聖典の一班の班長として誇りを持って日夜この仕事をこなしている。全ては信仰の為に、人類の未来の為に。
そしてそんな彼は今、部下である予備隊員の男からの一報を聞いて歓喜に震え、神に感謝し、その日の仕事が終わるや否や一刻も早く我らが隊長の元へと走っていた。
++++++
すでに空は夕闇が広がり、仕事を終え帰宅する人間達の声が窓の外から聞こえてくる。
そんな中で、陽光聖典構成員らの居住区内にあるニグンの住まいにてシラタマはとある絵本を開いた状態で固まっていた。
さっきまでニグンが陽光聖典隊長としての書類仕事を行なっていたのだが、それを何気なしに覗いたシラタマはある事に気付いたのである。
書いてる文字が読めない――と。
何この謎の記号みたいな文字はと狼狽えるシラタマに法国語ですよとニグンが答える。
「いや異世界だってのは知ってたけどさ、普通言葉が通じてるなら文字も勝手に読めるようになってると思うじゃん……何してんの翻訳班仕事してよ……」
ぐぬぬと唸るシラタマを横目にニグンは机の引き出しから一冊の本を取り出し、それを開く。
「シラタマ様や至高なる御方々がお使いになられる文字はこちらですよね」
「ん? おお! そうそうこっちだよこっち!なんだあるんじゃない日本語!」
「ニホンゴ、という意味は分かり兼ねますが、六大神様が使われていた言語として法国の神官は学ぶ機会がありますので」
はえー、とシラタマは感嘆の声を漏らす。どうやら六大神は色々と文献を残してくれていたようで、そこに書かれていた言語は神の文字とされ残っているらしい。伝えてくれた六大神やるじゃんありがとうとシラタマはニグンから渡された本をパラパラと捲る。内容は六大神の神話を日本語に翻訳し直され書かれているものだった。神官らが神の文字を学ぶ為の教科書、という感じだ。
「でもなんか堅っ苦しいねコレ……もっとふわっとしたのないの? 簡単なやつ」
そうですね、とニグンは引き出しの奥から今度はひと回り小さな本を取り出す。
「これは祭事で神殿に訪れた子供が神の文字を学ぶ際に使う絵本なのですが、法国語訳も横に書いてあります。話の内容も簡単なものですので丁度良いかと」
「おおマジか。どれどれ」
シラタマは絵本を開き――硬直した。
「……ニグンちゃん、これ子供向け絵本なんだよね?」
「ええそうですが」
「子供が、読むやつ、なんだよね?」
「? ええ」
「…………」
ふっ、とシラタマは微笑し絵本を閉じる。
「一旦この世界の言語をリセットすべきじゃない?」
「えっ!?」
その目は諦めを物語っていた。
子供用だか知らんがレベルが高すぎる。しかも子供用のくせに挿絵がないとはどういう事だ。絵本なのに絵がないとは詐欺じゃないか。法国の子供は活字中毒かなんかなのか? 頭良すぎてもはや馬鹿かよと嘆きたくなる。というかすでに嘆いているシラタマにニグンは当惑する。
「……ま、まあでも私も神の文字はまだ完璧に読み書きできませんし。ね、ホラ、神殿の神官達もヒラガナしか出来ない者も多いですし」
そう言ってなんとかフォローしようとしたのだが――
「…………は?」
シラタマが突然真顔を向けてきた。
「え、は、ちょっと待ってよその言い方だとニグンちゃんがまるでだいたいの日本語はわかるみたいじゃん」
「……えっ、いや」
「わかるの?」
完全に目が座っている。これはまずい時の目だ。
一体どうすればとも思ったが
「す、少しは」精一杯謙遜しつつも肯定する。
「マジかよ頭かしこかっ! かしこかよお前!」
ニグンちゃんのくせにずるいぞと言うシラタマに対し、いやずるいと申されましてもとニグンは何か弁明していたが――ふとシラタマは思い出す。
そう、よくよく考えればニグンはスレイン法国神官長直轄六色聖典がひとつ、陽光聖典の隊長をしていた男だ。それも話を聞く分に陽光聖典は六色聖典の中でも相当狭き門とされるエリート集団であり……小学校中退のシラタマでもそれがどれほどこの世界においての高学歴なのかはなんとなく分かる。いや学歴とか? 別にどうでもいいけど? 拗ねてないけど?
「なんか私だけお馬鹿さんみたいじゃん! 何? もしかしてこいつ頭悪いなーとか思ってる? お?」
「そ、そんなことは!」
ま、まずい! このままでは辺り一帯、最悪法国が滅ぼされてしまうとニグンは慌ててシラタマに取り繕う。
「で、でしたら! シラタマ様さえ宜しければ私がこちらの世界の言語をお教え致しますよ!」
「でも法国語くそむずいじゃんやっぱ国ごと言語リセットを」
「!?? まっ、ままま、ま、待って下さいシラタマ様っ! 大丈夫、大丈夫です! 法国語でなくとも王国語や帝国語もありますし、それにこの二国語は似ておりまして比較的に簡単ですよ。ええ、こちらから始めれば」
「…………は?」
「えっ」
再びシラタマが真顔になった。
「ちょ、ちょい待って……え、まさかニグンちゃん王国語も帝国語もできるの?」
「えっ? ええ……まあ」
「クソッタレが――――ッ!!」
ループであった。
なんだよお前グローバルかよお前とまた嘆きだす始末。結果最終的に、ニグンは陽光聖典の書類やナザリックへの報告書よりもシラタマに言語を教える事を優先すべしという
そして――
(――お、おかしい)
今イアンの目の前の光景はあまりにも不可解であった。
(王国のガゼフ・ストロノーフ暗殺任務以降行方不明となっていた我らがルーイン隊長と隊員たち数名が帰ってきたと聞いて私はここに来たはず……)
留守を任されていた班長としてニグンの部屋へと訪れたイアンの目の前には、どう見ても人間種じゃない女がいた。しかもその女は「ぎゃーもう嫌だー言葉なんてこの国ごとなくしてやるーうわー! 」などととんでもない事を言っているし、それに対してニグンは大慌てで何か答えている。
一体これはなんなんだとイアンの頭の中はクエスチョンマークで一杯になり
(いや、いやいやいや! それよりもだ!)
「何があったのですかああッ!! ルーイン隊長おお!!?」
駆け寄ると同時に叫ぶ。ただでさえお前の声はばかでかいのだと普段から仲間達によく注意される大声だが、しかしそれほどまでに今のイアンは動揺していた。
「……イアン、久しぶりだな」
「は、はい! 申し訳ありません隊長、勝手ながら部屋に入ってしまい、そのっ、ご無事に帰還されたと伺いまして……!」
イアンの言葉にニグンがピクリと反応し僅かに顔を顰める。
「……無事、か」
「――――ッ!」
しまった――!
失言だとイアンは歯噛みした。陽光聖典は任務中に不幸にも謎の強大なモンスターと遭遇――神官長ら曰く魔神暫定破滅の竜王とされた――してそのほとんどが死亡、死体を回収することすら叶わなかったという。それのどこが無事だというのか!
「申し訳ありま!!! せん!!!!」
「えっ」「ひぇ…」
勢いよく頭を机に打ち付けイアンは謝罪する。
「我らがルーイン隊長のお気持ちも察せず、班長としてなんたる失態か……! お許し下さい!! しかし私は! ルーイン隊長のご帰還を心からお待ちしておりました! 本当に、よくっご無事で……うっうおお、これもきっと神の御導きですぞ! どうか失った仲間たちの為にも、人類の為にも! 我々陽光聖典を導いて下さいっ! 我らがルーイン隊長殿っ!!」
「……ぇ、あ、ああ……そう、だな。イアン、その、頭を上げろ」
「はい!!! 我らがルーイン隊長!!!!」
「うへぁ……」
滂沱の涙を流しながら顔を上げたイアンに、ニグンの隣に座っていたシラタマが顔を顰める。その反応にイアンはやれやれと呆れるように肩を竦めた。
(そこの亜人の女よ、これは心の涙です。人類繁栄の糧となり命を捧げた友への涙です! 亜人にはわかるまい……)
だがそこでふと、先程神殿で耳にした神官たちの会話が脳裏をよぎる。
『陽光聖典を助けたのは異形種の少女らしい』と――。
「……ま、さか」
イアンの視線に気づいたのかシラタマは目を細め、そしてニグンも察したのだろう。
「……ああそうだ。この御方こそが我々を魔神から救ってくださった恩人、シラタマ・ホイップ・ナマクリーム様だ」
「な、なんと……」
馬鹿な、と口から出そうになった言葉を飲み込む。正直なところイアンは半信半疑だったのだ。異形種が人間を救うなど、あるはずがないと――。しかし今目の前でそれを肯定しているのは命を救われた当の本人であり誰よりも尊敬している我らが陽光聖典の隊長その人だ。
途端、イアンは疑っていた自分の浅はかさを恥じ、狼狽え、慄き、いつのまにか膝から崩れ落ちていた。
「お、おいイアン!? どうした!?」
「うっうおお、申し訳ありませんルーイン隊長おお……」
「えっ」「うわあ…」
床に頭を擦り付けイアンは懺悔する。
陽光聖典の恩人である少女の事を疑っていた事や、初見でただの亜人だと下に見てしまった事。さらに異形種と知り良くない感情を抱いてしまった事を――!
だからこそイアンは心から謝罪した。どんな処罰でもと覚悟した。だがニグンはものすごくバツの悪そうな顔を浮かべると
「その……お前の気持ちはわかる。法国に尽くす者としては当然だろう……だが今、お前はその行いを後悔し恥じているのだろう? ならば私からは何も言うまいさ……あ、あの、シラタマ様もそれで構いませんか?」
「えっ? あ、うん。(どうでも)いいよ」
シラタマとしては(勝手に部屋に入って来やがってニグンちゃんとの時間を邪魔する気かこの汚物はア、っていうか早く出て行けよ殺すぞ塵虫風情があアア)――程度のゆるーいお気持ちだったのだが、幸か不幸かニグンもイアンもそれには気付かず。
「あああありがとうございます!!!!」
「ひぇっ」
イアンはシラタマの前に身を投げ出し感謝を述べるのであった。
その後、ニグンの執務室にて書類仕事を手伝いながらイアンは陽光聖典らが遭遇したという魔神の話、至高なる神であるシラタマ様の話を聞いた。
「おお……おお……っ」
話を聞くうちに、つい感嘆の声を漏らす。まずシラタマがプレイヤーだと知り、その慈愛に満ちた御心はイアンが知るどんな異形種ともまるで違ったからだ。異形という存在は確かに恐ろしく神官らや他の隊員達が噂するのもわかる。だが目の前の御方は違うのだと、この瞬間にイアンは理解した。我らが隊長や仲間達を救ったシラタマ様は特別な存在なのだと。
そしてそれらを語る我らが隊長をじっと見つめるシラタマの瞳に――イアンはすべてを理解する。
「……は、はははっ! がはははは!」
だからこそ豪快に笑い飛ばした。
根も葉もない噂、思い込み、今までの自分、それら全てを。
「ど、どうしたイアンよ」
「――ああいえ、申し訳ありません隊長。しかし本当に、ああっ、私は今心より理解致しました! 人類の未来の為、真の安寧の為には種族など関係ないと、そういうことですな!? 種族の壁など! 問題ではないのだと! 神もきっとお許しになられるはず。もちろんこのイアン・アルス・ハイムも祝福致しますとも! ええ、ええ! シラタマ様は素晴らしい御方ですよ!」
「……………ん?」
なんか今、言葉の途中からものすごい違和感を感じたのだがこいつ大丈夫なのか? とニグンは顔を引き攣らせる。だがイアンは信頼できる部下だ。彼が分かってくれたならまあそれでいいかと咳払いし、話を戻す事にした。
「――それで、次はお前の話を聞かせてくれるか? わざわざ私の部屋まで来たのだから何か急を要する報告があったのだろう?」
「あっ、ああそうです! そうでした!」
すっかり忘れていたという風に慌ててイアンは背筋を伸ばす。
「実は我々一班が監視しておりましたトブの大森林にあるゴブリンの群れが最近力をつけたのか、想定以上に数が増えてきたとの報告がありまして……これ以上増える前に殲滅すべきかと、帰還したばかりのルーイン隊長には申し訳ないのですが、その、我々だけでは難しく」
「ああ、なるほど」
ニグンが鷹揚に頷く。
イアンの話すトブの大森林のゴブリンの群れは帝国領内にあり、半年程前から定期的に一班に見張らせていた連中だ。以前まではまだ数が少なく人間への接触や危害もなかった為保留としていたが――そいつらが力をつけてきたというならすぐにでも対処すべき案件だろう。
「数はわかるか?」
「おそらく、現在確認出来ているだけでも二千以上は」
「それは……厄介だな」
ならば実際にはその倍いてもおかしくはないだろう。ゴブリンの繁殖スピードは速い。本来であれば増える前に他のモンスターにより間引かれるものだが、極稀に歯車が噛み合ったように爆発的な繁殖力を見せる群れが現れるのだ。数匹だった群れがあっという間に百に、千に、そして万に――そうなればさらに危険度は増す。
「たしかにお前たちだけでは厳しい、か……この事を神官長には?」
「はい、すでに」
「そうか……ふむ」
法国に帰還しまだ一日だが、陽光聖典隊長として、そもそも法国に休みというものはない。いつ如何なる時でも使命を尽くせ――と。
(奴らが技術を持ち始めるのも時間の問題か……)
「シラタマ様、話はお聞きになられた通りです。私は明日にでもゴブリンの群れを調査しに向かいたいのですが」
隣で黙って聞いていたシラタマに許可を得ようとし、シラタマがふるふると小刻みに震えている事に気づく。
「シラタマ様?」
「いく……」
「えっ」
「私もゴブリン退治するう!! 何それめちゃくちゃファンタジーじゃんそれ! 私も行くうう!!」
「おおっ! ついてきてくださるのですかシラタマ様っ!」
「……ぇ?」
勿論だともとシラタマは目を輝かせ、イアンは嬉々としてそれを受け入れている。
「まっ!? お、お待ちくださっ」
「というわけで決定ね。私もゴブリン退治行くからね?」
「…………はい」
あ、終わった――。
この瞬間、陽光聖典はとんでもない同行者、もとい自由奔放暴虐無人な核爆弾を引き入れてしまったことを、この時はまだニグンしか気づいていなかった。
アプリ版でおなじみイアンさん、やっと出せました。
そしてシラタマ様は安定のシラタマ様です。
もしかすると彼女はアルベドとラナーのやばい部分がハイブリッドされた感じのやばい奴かもしれません。ニグンさんがんば(遠い目)