エンリは窓の外の光景に全身の血が凍りつくような感覚を覚えていた。突然森から現れた悍ましいトロール。それを見た時エンリはいつか両親が話して聞かせてくれた〈東の巨人〉という御伽噺を思い出した。トブの大森林には恐ろしい化け物がいるんだよ、と。
それは村の子供が一人で森に行かないようにする為のよくある御伽噺で――
(違う!!)
エンリは確信した。あのトロールこそが、そうなのだと。
「ゴアアアアアアッ!」
トロールは獰猛な声を上げながら大剣を振り回す。
「みんな下がれ!」
回避しようとしたが漆黒の剣のメンバーらがわずかに間に合わず、掠ったようにも見えたがそれでも大きく薙ぎ払われた。
とくに前衛にいたペテルが大ダメージを食らったようで血を吹き出し地面へと叩きつけられる。そしてルクルットとダインもまた血だらけとなり膝をつき、ニニャも満身創痍だ。圧倒的な力の差に心が折れそうになるのを耐え――それでも彼らは立ち上がろうとする。
「《
陽光聖典予備隊員の放った魔法がトロールの正面に当たるが、僅かに身を揺らしただけであった。
「くそ!」
「ならばいけ!
「まずいぞ…!」
「魔力が……尽きそうだ……!」
それでも予備隊員二人は必死に天使を操り――すでに隊員の一人はトロールに敗れ死亡していた。そもそも彼らはここにきた時点で万全ではなかったのだ。元々のゴブリン殲滅の際にその魔力のほとんどを使っており、加えて彼らはまだ予備隊員であり今回が初となる出撃、そう考えればかなり善戦しているだろう。
「グオ、オオオオオッ!」
トロールの咆哮。そしてその分厚い岩のような腕で天使二体の頭を掴み地面へと叩きつける。天使は光の粒子となって霧散した。
「く……っ!」
盾としても使っていた
「オオオオオオッ!」
だがそれよりも速くトロールの大剣が振られ、予備隊員二人の身体がくの字に折れ、ボキゴキという何かが粉砕されるような音とともに吹き飛ばされる。宙を二回転して地面に堕ちた身体は――すでに誰が見ても死亡していると分かった。
「くっそおおお!」
ンフィーレアが飛び出しトロールに向けて《
「ンフィー!!」
だがその時、村長宅からエンリが飛び出す。
「!? きちゃだめだ! エンリ!」
「待てエンリちゃん!」
「くそっ、射てええ!」
自警団によって駆け寄ろうとしていたエンリは止められ、それと同時に何本かの矢がトロールに向けて放たれる。だがいくら矢が刺さろうともトロールは無反応のままだった。
「ち、ちくしょお……!」
ンフィーレアの前髪の奥で、その瞳が涙で揺れる。守れないのか、自分はたった一人の惚れた女性すらも守れないのかと。
カルネ村のゴブリン達も魔獣の群勢と次々に湧いてくる敵ゴブリン達相手に手間取っておりこちらに助力できない。
漆黒の剣は――ペテルはまだ地面に横たわったまま動かない。もしかするともう死んでいるのかもしれない。ルクルットとダインもなんとか戦闘に戻ろうとしているがかなり厳しいだろう。
「ンフィーレアさん!」
「ニニャさん……!」
ニニャだけは大剣の攻撃が届いていなかったようで、いや、おそらく他の三人が守ったのだ。ンフィーレアとニニャは覚悟を決めると二人でトロールの前に立ち塞がる。
「仲間と村人達には手を出させないぞ……!」
「僕たちが相手だっ! エンリ! みんなを連れて逃げろ!」
せめて数秒だけでも時間を稼ぐ。だからその間に――
「ンフィー!」
「やめろニニャー!!」
「ニニャ! 逃げるのである! 早く!」
エンリとルクルット、ダインが叫ぶ。
「グオオオオオッ!」
その声をトロールの吠声が掻き消し、二人の頭目掛けて巨大な大剣は振り落とされた。
「はいストーップ」
――だがその大剣は受け止められた。しかも片手だけで。
「……え?」
ンフィーレアとニニャは何が起こったのかまるで理解の追いついていない表情を浮かべ、突然目の前に現れた後ろ姿をただ呆然と見つめる。
白銀の髪が風に揺れ、黒のコートが靡く。その衣服から先程まで共に戦ってくれた天使を召喚する三人の男達の仲間だとは分かったが――何か、どこかが違う。
その人物は大剣を掴んだまま二人の方を振り返り――美しい女性だとおもわずンフィーレアは息を呑む――その背後、漆黒の剣や村人達、そして地面に転がっている予備隊員らの屍体をかるく一瞥し小さく息を吐くと、さらに辺りをきょろきょろと見渡した。
「グアアアアッ!」
だがそこへトロールが空いている方の手で殴りかかる。
「私…今、はいストップって言ったよね?」
その手もかるーく受け止め、一気に腕ごと引きちぎった。続いて大剣を持つ方の腕も斬り捨て、二本の腕が宙を舞う。
「ガアアアアァアッ」
ここで漸く、初めてこのトロールは叫び声をあげながら仰け反り後退した。
「――あ、やっときた。遅いよもう」
そう呟くと同時にトロールを蹴り飛ばす。
「じゃああとよろしくねニ……ルーイン殿!」
「えッ!? ――っは、《
突然森の中から飛び出してきたもう一人の黒服が魔法を放つ。そしてトロールは激しい閃光に飲まれ――跡形もなく滅びた。
「す、すごい……!」
ニニャがおもわず驚嘆の言葉を漏らす。だが女の方の黒服はそれをスルーし、今度はその他の魔獣達に視線を向けるとそちらへ歩いていく。
「この村を守っている側の者は五秒で離脱しなさい! はいご~……! よ~ん……!」
そう言いながら、黒服の男にまたちょいちょいと手振りで指示を出す。
一方で突然そんな事を言われたジュゲムらは狼狽し「えっ!? は!? はああ!?」と、しかし即座に状況を察したのか大慌てで村の方へ引き上げてきた。
「……にい~……いち……はい終わり!」
「《
再び男の方の黒服が魔法を放つ。
先の三人の黒服達も使っていた魔法だが、その威力は桁違いだった。
あっという間にゴブリンや魔獣が掃討され――森に静寂が戻る。
「……ん。よく頑張りましたね、みなさん」
女の黒服がそう言ってンフィーレア達に微笑み――ああ、なんて慈愛に満ちているのだろうとンフィーレアは思いながらその場に倒れ、スイッチが切れたように意識を手放すのであった。
++++++
ンフィーレアが目を覚ますとどこかの家のベッドの上だった。ふと身体を見る。あれだけのダメージを受けていたというのにそこには一切の傷もなくなっており、おもわず「ええ!?」と驚きの声を上げ――周囲を見れば隣のベッドでは同じようにリアクションをとっているペテルがいた。
「ぺ、ペテルさん! ご無事だったのですね!」
「ん、ふぃーれあ、さん……っ、わあし、は、いったい……?」
まだ意識が朦朧としているのだろう。呂律もまわっていないペテルに「自分が確かめてきます」と告げンフィーレアは外へ出ようとし――先に扉が開いた。
そしてニニャとエンリが飛び込んでくる。その後ろから数歩遅れてルクルットとダインが。
「ペテル! 目が覚めたんですね!」
「良かった、ンフィーレアも……!」
わあっと場が歓喜に沸いた。
「え、エンリ……みんなも無事で……」
そこでンフィーレアは漆黒の剣達も皆身体中の傷が完治している事に気付く。
「一体……」
何があったのか? と聞こうとしたが、それよりも前にその答えの方からやってきてくれた。
「お目覚めのようですね、ンフィーレア・バレアレさん。ペテル・モークさん」
「あなたは……」
扉から入ってきたのは、気絶する直前に見た女神様――ではなく、突然現れ自分達と村を救ってくれた黒服の女。白銀の髪が煌めき、まさに聖女という言葉がよく似合う。そしてその背後には同じく自分達を救ってくれた黒服の男も控えていた。
「ん。ひとまずは場所を移しましょうか? みなさんとはいろいろとお話したい事がありますので。自己紹介はその時にでも」
そう言うとエンリ達も同意するよう頷き、一行は村の中央広場へと移動した。
そこにはすでに村人達、そしてジュゲム達も揃っており、みんな無事だったのかとンフィーレアはほっと胸を撫で下ろす。
そしてふと――そこに横たわったままの三つの屍体に顔を強張らせた。名も知らない彼ら、見ず知らずの自分達の為にあの恐ろしいトロールと戦い、そして死んでしまった。その服装から目の前を歩く女性の仲間なのだろう。
「……あの」
申し訳なさからンフィーレアは口を開こうとし
「ああ大丈夫ですよ」
女性が手を翳し《蘇生》を三度唱える。すると屍体が――屍体ではなくなった。三人の男が息を吹き返したのだ。
「なあっ!?」
これにはこの場にいる全員が度肝を抜かれたと目と口を大きく開く。
「ルーイン殿、彼らを」
「は、」
黒服の男が三人の様子を確認し、大丈夫ですと返す。全員無事に蘇生できたようだ。
「偉大なる……魔法詠唱者様……」
誰かがそう呟く。
彼女はまるで、数日前にこの村を救ってくださったあの偉大なるモモンガ様のようだ――と。
「あなた方は、異国の大英雄様なのでしょうか……?」
村人のひとりが震える声で尋ねるが、女性は少し違うのだとそれを否定した。男の方が口を開く。
「…まずは先に我々の身分から明かしましょう。私はスレイン法国が部隊、陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーインと申します」
「スレイン……法国……」
その名くらいしか知らない村人達や、もちろんンフィーレアと漆黒の剣も「どうしてスレイン法国の方が?」と、戸惑いを強くさせる。しかもただの旅の法国民というわけではなく、一国の部隊隊長というあきらかに上位の者が何故こんな辺境の村に? ――と。
そんな反応の中、今度は女性の方がおほんと咳払いした。
「そして私はシ――んん。いえ、私の名はミタラシ・クロミツ・バニラアイス。同じく陽光聖典の……大隊長ですっ!」
「なんと」
「おお」
「……ぇ?」
女性の口から飛び出した隊長のさらに上位だろう役職に村人達が一斉に驚く中、ニグンだけが何ソレ聞いてないんですけど!? とばかりに視線を向けてきたが――シラタマは知らんがなとそのままその設定でやり通す。ちなみに偽名はシラタマがリアルで初めてまともな家にお呼ばれされた際に食べさせて貰い、咽び泣くほど美味かった思い出のデザートで――まあそんなことより。
「まず我々がこの近辺にいたのは別の任務を遂行中だった為です」
「別の任務……ですか?」
村長の問いにシラタマ、いや、ミタラシが頷く。
「実は少し前からこの近辺の村々が襲撃され壊滅する事件が多発しておりまして」
その言葉にカルネ村の全員がビクリと表情を強張らせた。
「村々が……襲撃? この辺りのですか?」
恐る恐るエンリが口を開く。その瞳は、かつてというにはまだ日が浅すぎる自分達の村を襲った悲劇を思い出しているようだった。シラタマは村人達を見回し全員が同じ目をしていると確認すると
「ええ」
でもそんな悲劇こちらは存じ上げませんよという風に首肯した。
「我々としてはそれらの原因がゴブリンや亜人、魔獣なのではと考え原因を調べていたのですが――森林内に住む者らから東の巨人が人間を襲う計画をたて移動していると聞きましてね。あとを追いかけ――ここに辿り着いたというわけです」
「そう……だったのですか、あの、危ないところを助けて頂きありがとうございますっ!」
エンリが頭を下げると、続くように村人達や漆黒の剣、ンフィーレアも頭を下げ、ミタラシは「いえいえ、当然の事をしたまでですよ」と優しく微笑む。
「それより……」
そしてゆっくりと周囲を見渡した。
「この村、カルネ村……でしたね。このカルネ村は随分と変わっているのですね、ただの村に柵や櫓、そして――ゴブリン」
ちらりとジュゲム達の方へ視線を向けると、彼らは身構えながらも小さく呻く。ゴミアイテムから召喚された低レベルモンスターといえど、さすがに力の差くらいはわかるのだろう。
一方で村長はチラチラと村長夫人や村人達と視線を交わし「あの」と口を開いた。
「なんでしょう?」
「あの、じ、実は……法国の部隊である皆様にお話しても良いものか迷いましたが……この村は少し前、すでに一度襲われているのです……」
「……そうなのですか?」
ミタラシの問いに村人達全員が頷いた。
「そして、襲撃してきたのは今日のようなモンスターではなく……人間の騎士達でした」
「ふむ」
それを聞いてミタラシはわざとらしく目を細めた。なるべく神妙な面持ちを意識して――隣にいるニグンはすごくこの場に居づらいようで目を伏せているが、丁度良い。このまま黙っていてくれるだろう。
カルネ村を監視させていた
「どうやらワケありのようですね。詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?」
※ 今回のオリジナル魔法及び捏造部分※
《善なる鉄槌/ホーリー・パニッシュ》
第五位階。清浄な光の光線を放つ。相手の属性が悪に傾いていればいるほど効果を発揮する。
陽光聖典予備隊員達のレベルはやっぱり正規の隊員達のレベルに比べて低いのかな、と。15~19くらいで考えてます。彼らにとってはとんだ初陣になりましたね。