イラストレーターを目指して絵を描いているのに俺はずっと底辺のまま。せめて童貞くらいは捨てたい……!そうだ!風俗行って捨てたらいいんだ!そしたら俺だって何か変われるはずだー!

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風俗行っても人生変わらなかった。

 同窓会のお知らせがスマホに届いた。迷うこと無く不参加を決めた。高校時代の知り合いに、今は誰にも会いたくないから。皆、社会の歯車として働いてて、休みの日には趣味に勤しんで、彼氏や彼女がいて、辛くて、楽しくて。SNSにはたくさんの幸福と小さな愚痴がばら撒かれていて、手が届かなくて。

 社会の歯車になるのが嫌で、好きなことで生きていきたくて、必死こいて毎日絵を描いて。それだけじゃ食っていけなくてバイトして、しこしこ絵を描いて、ツイッターに投稿して、たまに案件を貰って。バズることもなく、たまにつくリプライは名前も知らないキャラが、緑と赤に光るボタンを押してるだけの、何処が始まりなのかもわからない、絶対お前が描いたんじゃねえだろと言いたくなるイラスト。嬉しいけど、何故か喜べない。

 

 好きなことで生きていこうとしてたはずなのに、社会の歯車になる奴を笑ってたはずなのに、いつの間にか笑って生きてる、楽しく生きてるのは社会の歯車になった奴ばかりだった。俺は結局絵で大成することもなく、ツイッターとピクシブにイラストを時々投稿するただのアルバイター。そんな惨めな自分を、どうやって見せたらいい?

 同窓会なんてクソだ。「お前参加するん?」という無邪気なメッセージも未読無視だ。目を向けたくない。泥の中にいるから、お前らが眩しいんだ。

 

 せめて、もう少しリアルが充実していたら。例えば、恋人がいたなら。同窓会にも参加していたかもしれない。眩しい世界に片足でも突っ込んでいたら、なんとかその棒切れ一本に縋り付き、眩しい世界に住む人間のふりをしていてられたかもしれない、押し潰されなかったかもしれない。

 だけど金も無いイラストレーター(笑)みたいなアルバイターに彼女が出来るわけが無いのだ。液タブや好きなイラストレーターさんの画集と生活費でバイト代が消えるこの俺に、彼女を作ってもプレゼントをあげるためのお金や、デートに行く為のお金があるはずも無かろう。気が付けばもうすぐ魔法が使えるようになるかもしれない。不名誉な魔法だ。不思議な力が使えてもこの歳じゃワクワク出来ない。精々ティッシュをゴミ箱に捨てちゃう位しか出来ないのだ。

 

「……ほんま、死んだらええんちゃう」

 

 気が付けば、そう呟いていた。たかが同窓会のお誘いだけでこんなにもブルーになれる自分が嫌だ。こんなにも劣等感を感じるなら、いっそ死ねばいいのに。そう考えてしまう。そしてそう考えつつも、死ぬことが怖くて冗談としか考えられない自分が更に嫌になり、やっぱり死んでしまえと考える。

 パソコンの画面には、描きかけのイラストがラフで残っていた。裸の美少女が、頬を赤らめている──傍から見れば相当気持ち悪いと言われそうだが、全て妄想の産物だ。現実に出来る力すら無いから、画面の中に自分の妄想で作り出すしかない。小さな溜め息を吐いて、俺はマスターベーションに近いそのイラストの続きを描き始めた。

 

 こんな可愛い彼女がいれば、俺だって。

 俺だって、少しは充実出来るんだよ。

 

 現状に満足出来ない。現状が悪いのは当然ながら自分自身に問題があることは解っているけど、それでも俺だって本当は……!と言いたくなってしまう。

 本当もクソも、これが本当の俺なのに。

 

 パソコンの中の美少女が、俺を嘲笑っているように見えた。ムカついて保存せずに削除した。

 スマホが鳴った。高校時代の友達からだった。

 

『最近どうなん』

 

 たった一言。

 どうもこうもないわ。最悪じゃボケ。

 無性に泣きたくなった。ワンルームマンション、童貞、彼女は当然ながらいない。イラストレーターを目指して絵を描いても伸び悩み、アルバイトで生計を立てる毎日。今更サラリーマンになれる気もせず、タバコの燃え滓みたいな夢に縋り付いて汚らわしく生きているだけ。それが今の俺だ。お前らとは違うんだよ、助けてくれよ。

 

 せめて何か一つだけでも、小さな棒切れを見つけたい。そう思いながらも泣きそうな目で現実逃避にツイッターへ逃げる。

 たまたま目に付いたツイート。よくある四ページの漫画。

 

 風俗店のレポ漫画だった。

 

 一つだけでも、小さな棒切れを。

 それが何のきっかけになる?

 それでも俺は、少しでも、小指の先だけでも、このクソみたいな人生から抜け出したいんだよ。

 バイト代は一昨日入ったばかりで、財布は暖まっていた。今しかない、と何故か思った。

 童貞を捨てるなら想い人とがいいなんて幻想だ、ばーか。いつまでも童貞みたいな夢見てんじゃねえよ。それがどれほど惨めでも、俺は今変わらないといけない。

 

 風俗に行くことを決めた。

 

 

 

 

 

 日本に唯一残った遊郭だとか、一番有名な遊郭だと言われる大阪の秘境があることをインターネットで知った。そもそも日本にまだ遊郭があることに驚いたのだが、そう遠くないのでその遊郭で童貞を捨てることを決めた。

 なんでもこの遊郭、びっくりするくらい女の子のレベルが高いらしい。なんでこんな可愛い子が……?と疑問に思う程に可愛い子ばかりらしいのだ。どうせ捨てるなら可愛い子で捨てたかった。値は普通の店よりも張るらしいが、今更金を惜しむ気にもならない。どうせどれほど金を積んでも、安く見積っても、夢の相思相愛童貞卒業は不可能なのだ。ならばどうせなら美人とやりたい。

 

 電車に揺られ、通天閣の膝元を抜けて、閑散とした商店街を進む。カラオケスナックから聴こえるおっさんの歌声が、やけにビブラートが効いていて思わず笑いそうになってしまった。

 ひまわりの電飾が目に痛いスーパーの前を曲がり、商店街から外れていく。やがて桃色の提灯が見えてきた。インターネットの噂に聞いた日本で一番有名な遊郭に、俺は辿り着いてしまった。

 

 心臓が張り裂けそうなくらいに震えていた。空はもう暗闇に染まっていて、街灯でもなければ真っ暗な筈なのに、代わりの提灯とタイムスリップしたかのような伝統溢れる建物から漏れた桃色のライトで、幾つかの通りが明るく照らされていた。本当に一瞬、ここだけ百年ほど時間が巻き戻っているのではないか?と錯覚させられるほどに、その通りは浮世から離れて見えた。

 恐る恐る一歩、その通りに足を踏み入れる。どの店も入口の戸は開け放たれており、玄関口には桃色や痛いほどの白いライトで照らされた女性がゆったりと座って微笑んでいた。噂に違わぬ、美人。まだ遠目でしか女性を見ることは出来なかったが、それでもはっきり美人だと確信が持てた。

 

 ゆっくり、恐る恐る、それでも確かに。確かに歩を進めていく。現代に在る桃源郷に、俺は足を踏み入れている。その事実は少しの高揚と、大きな恐怖を植え付けていた。

 どうしようか、まずは兎に角一通り歩いて、そこから入る店を決めようか。既に見えている店の女性ですらとても美人だ、もうここに決めてもいいのかもしれない──そう、俺が考え始めた時だった。

 

「お兄ちゃん!ほらこっち見てみ!ほらめっちゃ可愛い子やろ!いい子やで〜もうここで決めとき!」

 

 ──心臓が急に跳ね上がったかと思った。一瞬、何が起きたのかすら解らなかった。

 俺が「美人だな」と遠巻きに眺めていた女性の店主と思われるおばさんが、俺に向かって大声で客引きを始めただけだった。おばさんの声に驚いてしまった俺は思わず一歩後ずさり、よく分からない愛想笑いを決めてしまう。

 すると玄関口で座っていた女性も俺に気がついたのか、笑顔でゆったりと手を振ってきた。あまりにも無邪気な笑顔。否、或る意味非常に打算的な笑顔。寧ろ打算しか無いのだろう。もしこれで俺が彼女を選んだとするなら、彼女は今笑顔で手を振っている相手の前で裸になるのだ。

 なんでそんなに余裕たっぷりの笑顔が出来るんだ。なんでおばさんはそんな勢いよく客引きが出来るんだ。今から俺は童貞を捨てようと勇み、戦争に向かうかのような気構えをしていたというのに。それら全てを以てしても、その余裕に辿り着ける気がしない。

 

 俺は何をしに来たんだっけ。

 急に、本当に怖くなった。女が、この場所が、急に恐ろしくて仕方がなくなった。

 

 落ち着け。落ち着け。

 来る前は「歩いてるだけで勃起でもしてたらダサいな。そうならないようにしないと」なんて考えていたが、勃起のぼの字も無い。寧ろ心配すべきは心臓と吐き気だった。怖い、怖い。なんだ、童貞を捨てるのって、小さな棒切れを掴むことって、こんなにも難しいのか?ふざけるな、社会の歯車として、彼女を作って童貞を捨てた奴はどうやったんだよ。なあ、助けてくれ。

 

 震える手を抑えて、必死の形相で手を振る女性、客引きのおばさんを無視して、通りを進む。見えている店全ての玄関口に女性が座っており、本当に誰もが驚く程に可愛かった。

 

「ほーらこっち向いてこっち可愛い子いるよ……お兄ちゃん!」

「お兄さんこっち見てみ!一回見てみよか……ほら可愛い子!もうここに決めとき決めとき!」

「ちょっとお兄さん!この子サービス上手いよ〜足止めて!足止めて見てみて!」

 

 そして、歩を進めれば進める程に至る所から聞こえてくる客引きの声、至る所から飛んでくる余裕の笑顔。どうしてそんなに抵抗が無いんだ、どうして俺をそんなに呼び止めようとするんだ。童貞を笑いたいのか、金づるだとでも思われているのか。あいつどうせエッチ下手でしょ、とでも思われているのか。勘違いさせてふんだくろうとでも思っているのか。

 

 結局、俺はその場の空気に耐え切れず、逃げ出すように遊郭を後にしてしまった。商店街のカラオケスナックから聴こえてきた「異邦人」が異様にムカついた。

 駅に向かうまでの道に、動物園がある。中学生の頃は友達と夏休みに遊びに行った。安かったのだ。別にめぼしい動物もいない、大きな動物園でもなかったが、皆で探偵ナイトスクープの主題歌を口ずさみながらライオンやシロクマを見て騒いでいた。

 夜の動物園。当然ながら開いている筈も無く、入口のゲートは閑散としていた。相変わらず綺麗でもなんでもないゲートだ。目の前の公園はめちゃくちゃ綺麗になったって言うのに。昔はホームレスだらけだったらしい公園も今や人工芝が敷き詰められ、夜もライトに照らされてサッカーを楽しむ人で賑わっている。

 

 まるで俺みたいだな、と思ってしまった。目の前で変わっていく何かを眺めながら、腐っていくばかりの自分。動物園は腐っていないから寧ろ俺の方がひどい。

 変わっていく公園の中を通り、変わり続ける駅前を横目で眺めながら駅構内へと入っていく。いつの間にか変わっていた電車のデザイン。銀とオレンジの電車に乗り込み、空虚な心だけ抱えて家へ帰った。風呂も入らずにそのまま死んだように寝た。

 

 

 

 目を覚ましたくなかった。それでも、生きている以上いつしか目は覚める。たとえそれが昼であっても、夜中であっても、死ななければ目は覚めるのだ。

 時計を見れば、朝の六時。ドがつくほどに健康な時間だ。二度寝をする気にもなれなかったのでそのまま起きることにした。バイトに行く気にもなれなかったので、仮病を使って休むことにした。基本的に勤務態度は真面目なので、特に怪しまれることも無いだろう。

 バイトに行きたくない理由は解り切っていた。昨日、あんなにも勇んで童貞を捨てに行ったのにも関わらず、あの場の雰囲気に呑み込まれて逃げてしまったことが原因だろう。棒切れを掴みに行った筈が、その棒切れを掴んだ途端に手をずたずたに引き裂かれる気がしてしまったのだ。

 

「……ホンマ一回死んでまえ」

 

 ただ、あの場でお金を払ってしまえば童貞を捨てられたのに。それで、自分の小さな小さな自尊心を守れたかもしれないというのに。それすら出来ない社会から逃げようとした童貞が、俺なら。いっそ死んでしまえ、本当に死んでしまえと思えた。チキン野郎、インポ、童貞!死んでまえバーカ!そう叫んでしまいたかった。

 無味乾燥なパンを貪りながら、適当なネットラップをユーチューブで流す。ネットラッパー達のマイクリレーを聴いていたら突如聴こえる「今すぐラップをやめてしまえ、俺を見てみろ?いい歳してこんなのしかない」なんてリリック。ああ、本当にその通りだ。誰でもない、何処かにいるイラストレーターを目指す若者に届け。俺の心のメガホンで叫び散らしてやる。おい、そこの若いの。今すぐ絵を描くなんてやめろ。この俺を見ろ。こんなクソ童貞になりたいか?先には到底辿り着けない、先への道程もまだ見えない、憧憬に苦しみ悶えるだけだ、絵を描くなんてやめちまえ。聴こえているかい、過去の俺に言ってるんだぜ。

 

 バイトに行かないとなると、丸一日暇になる。意味も無くパソコンを立ち上げ、絵を描く為にペンタブのペンを持つ。

 昨日まで描いてたラフの続きでも描こうか……あ、昨日削除したんだった。妄想の産物、二次元だからできる理想の俺の美少女。

 昨日あの遊郭で見た、リアルな女性の方が美人だった気がしてきた。二次元だからこその絶対的な美少女を描いていた筈なのに、昨日見たあの景色が、あの女性が、数多の男の前で裸を見せているだろうに、異様なまでの無邪気さと余裕を見せつけていた女性の方が鮮烈に記憶に残っている。

 想像の産物、妄想により創造された理想ですら、俺は現実に勝てやしないのだ。よくもまあ、それで食っていきたいなんぞ考えたものだ。死んでしまえ。生きているだけ呼吸の無駄じゃないか。

 

 無性に全てが嫌になって、パソコンをシャットダウンした。真っ暗な画面に映される俺の姿は、何か覚悟を決めたような表情をしていた。

 

 

 死のう。死んでしまおう。なんかもう、全てどうでもよくなった。

 

 

 あんなに普段冗談に思えていたものが、急にスっと現実のように思えた。怖くなかった。昨日のアレより怖いものなんて無い気がしていた。死んだら目覚めなくていいのだ、不安な朝を迎えないで済むなら、寧ろ死んだ方が楽しいじゃないか。何を今まで怖がっていたんだろう?

 紙とペンを取り出し、つらつらと遺書を書き始めた。元々遺産なんてものはありはしない、俺の生きた証は全部燃やしてくれ。父さん、母さん、今までありがとうございました。何を書いていいか解らなかったが、意外と言葉はスラスラと出てくるものだった。絵描きではなく、物書きの方が俺には才能があったのかもしれない。死ぬ間際に見つけた、俺の新しい一面のような気がした。

 

 さあ、あとは死ぬだけだ。どうやって死のうか、やっぱり首吊り自殺だろうか。死刑になった大罪人も日本では絞首刑で殺されるらしいし、そうしようか。俺の罪は馬鹿馬鹿しい夢が叶わないことに気付けず、最後まで足掻いたことだ。重罪だ。ロープを買いに行かないといけないな。

 

 ──昨日消した美少女と、昨日見たあの美人の遊女が、俺を嘲笑っているように感じた。なに、童貞のまま死ぬの?可哀想、くすくす。

 

 うっさいねん、黙っとけや。お前らとは違うねん、どうせ解らんやろ。取り残されて、ずっと泥の中で息継ぎしてる気分なんか。お前ら泥がエッチ出来ると思ってんのか。

 

 ──昨日、どうして私を選ばなかったんですか?

 

「うっさいねん!死ねやボケ!」

 

 俺だって、俺だって。せめて女を抱いてから死にたかった。

 

 ──今からでも遅くないですよ?私を抱いてから死んでください。

 

 自分でも、自分の感情が解らなかった。ただ、財布の中に入っている金は、ロープだけを買うにはあまりにも厚すぎた。

 どうせ死ぬんだ、金づるだと思われようが童貞だと思われようが、死ぬんだから同じだ。

 

 俺はもう一度、あの遊郭へ向かうことを決めた。最後に、美人の女で童貞を捨てて。そして死ぬ。

 

 

 

 

 

 昨日も通った道を、また通っている。閑散とした商店街、歌声が漏れているカラオケスナック、目に痛い電飾のスーパー。思えば、この商店街も駅前から見たら取り残されている。ここだけ昭和時代だと言われても信用出来てしまう程には取り残されている。

 街は取り残されても「人情溢れる懐かしい街」なんて言われて神格化されて、まあいいもんだなぁ。俺は取り残されてもクソにしかならなかったよ。死んで祟り神にでもなれなら御の字なんじゃないだろうか。

 桃色の提灯が見えてきた。まるで黄泉の国へ向かっているかのような気分だ。黄泉の国へ向かう時は何色の提灯が見えるのだろうか。こんな、少し毒々しい色ではないのだろうな。

 

 帰ってきた、或いは戻ってきた桃源郷の通り。昨日と同じ道、昨日と同じ店。見える女性は少し違うように思えたが、どちらにせよかなりの美人であることには間違いが無かった。そしてその余裕たっぷりの笑顔は、同じだ。きっと客引きのおばさんも変わらない。昨日と同じ客が来たとしても、きっと覚えてすらいない。それでいい。明日にはまた忘れていてくれ。明日には、この世から忘れられた存在になるから。

 昨日とは違い、震えや恐怖は無かった。どうせ明日には死んでいるからという、一種の全能感。死すら怖くないのだから、全て怖くないに決まっている。貞子もテケテケも、八尺様だって怖くない。帰りの電車できさらぎ駅に着こうが、今日夢で猿の汽車に乗せられようが、何も怖くない。

 

 ふと、足を止めた。俺の視線の先にいた女性は、何処か、昨日まで俺が描いていたイラストの美少女と似ている気がした。女性も俺の視線に気が付き、余裕たっぷりの笑顔で「私にする?」と言わんばかりに手を振ってくる。おばさんがそれに気付いて声をあげて俺を手招きした。

 

「お兄ちゃん!見る目あるね〜この子可愛いでしょ!サービスもいいよ〜ここに決めとき!」

 

 決めた。この子で、俺は童貞を捨てる。そして死ぬ。ゆっくり歩を進め、財布を取り出して、お札を数枚おばさんに渡す。

 

「二十分で」

「はーいありがとうね!じゃあ二階で待っとって」

 

 座っていた女性は奥へ引っ込み、俺は二階へ上がらされた。二階には布団と小さな照明があるだけの、薄暗い部屋がポツンとあるだけ。俺はここで、今からあの女性の用意が出来るのを待つのだ。

 思えば、死のうと思ったそもそもの原因は同窓会だった。取り残されていることに気が付くのは、そういう「誰かと集まる」瞬間。いや、気が付いているのに、気が付いていない振りをしているだけだったのかもしれない。傷つかないように、そうやって自分を守っていたんだ。だけど、同窓会の場で気が付いていない振りをするのは、あまりに傷がつきすぎる。不思議なものだ、振りをする、というのは。きっと、下の女性も何かしらの「振り」をしている。だって、俺なんかとエッチなことするの、絶対嫌だろ。

 

 

 階段を、昇る音が聞こえる。

 もうすぐ俺は、人生最後の何かを得る。或いは失う──

 

 

 

 

 

 

「ははっ、アホらし」

 

 家に着いた時、ロープを買い忘れていたことに気が付いた。その事実が、何故か物凄く涙腺を刺激して、家の中で一人でわんわん泣いた。遺書を破り捨てて、服も全部脱いだ。全裸で、紙屑が踊る部屋で、一人で、赤ん坊みたいに泣き喚いた。

 

 童貞を捨てた時、異様なまでの敗北感を覚えた。唐突に、自分が酷くバカに思えた。いや、元々ひどいバカではあったと思うが。

 

 どうして死にたかったんだっけ。

 

 自分が酷くバカに思えた瞬間、全てがどうでもよくなった。ロープすら買えない、死ぬ気無いじゃないか!どうしようもない、惨めに生きろっていうのか。同窓会?知らん!もうどうにでもなればいい。

 そのまま全裸で、パソコンを立ち上げて絵を描き始めた。想像の産物、俺の考えた最強の美少女。昨日まで描いていた、そしてさっきまで一緒に寝ていた女性とは似ても似つかない美少女。裸で、頬を赤らめているラフを描いた。そのまま寝ずにペン入れをして、色を塗って、朝日が昇りはじめた頃にツイッターに投稿した。そのまま全裸で寝落ちした。

 

 目が覚めて一番最初に見たのは、ツイッターに投稿したイラストの反応だった。いつもより、リツイートもいいねも少なかった。時間が悪かったか、と頭を抱えた。否、単純にイラストが良くなかっただけか。

 ただ、リプライだけはいつもより多かった。「えっちだ」「可愛い」「すきです」ただそれだけの文字。少しだけ嬉しかった。

 フォロワーが、少し増えていた。

 増えたところで、何も変わらない。俺は相変わらず燃え滓のような夢に縋って泥の中を這う虫のような存在でしか無いし、童貞は捨てども惨めな思いは変わらない。同窓会にも行かないし、社会の歯車になるつもりもない。

 

 

 ただ、またバイト代が貯まったらあの遊郭に行こう。少しだけ、人生を生きる道が見えた気はした。それがどれだけ不純な光で、不純な道でも。あの通りは、あの桃色の提灯は、俺にとって神の光だ。



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