フクロウを食べてはいけない
スコットランドの長閑な、つまり、寂れた村の外れで、積まれた牧草に埋もれた少女が足を漫然とばたつかせていた。乾いた牧草の香りはいい。気持ちを穏やかにさせる。心地よい眠りに誘う。しかし、問題は、
「……腹減ったあ」
彼女の空腹を満たすのには微塵も貢献していないということだ。
ジュリア・マリアットは猛烈な空腹感、あるいは飢餓を感じていた。三日前にネズミを食べたのが最後の食事だ。あるいは母が生きていれば、魔法でどこかしらから調達していたかもしれない。そんなくだらないことを思い浮かべて、ジュリアは笑ってかぶりを振った。
ぼんやりと母の言葉を思い出す。確かガンブのなんとかの法則で、食べ物は作れないのだったか。レイブンクローの才女であった母の言葉はジュリアにとって時折暗号にも思えた。しかし、感情的に喚き散らすタイプの生き物よりははるかにいい。ジュリアは母が好きだった。
餓えでジュリアの視界がぼやけてきた。最後の晩餐は母が焼いたサーロインステーキがいい。筋切りなんてしなくていいから、レアでさっと炙ったやつにかぶりつきたい。ジュリアは短くしたばかりの髪をがしがしとかいて、ため息をついた。
そんなとき、音もなく近寄る獣の――鳥の匂いをジュリアの鼻が感じ取った。猛禽類だ。小さい。フクロウかミミズクだろう。そこは誤差の範囲だ。
食うか。食おう。
そう思った次の瞬間には、ジュリアの左手がフクロウを締め付けていた。たまらずフクロウは悲鳴を漏らすと、運んでいた封書をジュリアの顔めがけて落とし、翼をはためかせて暴れる。
「んあ、手紙か。てことは、お前どっかのフクロウか」
しょうがねえなあ、とぼやきながら手を放すと、フクロウは別の牧草ロールで羽を休ませた。事実、彼だか彼女だかわからないが、このフクロウには先ほどの乱闘から回復する時間が必要だっただろう。
手紙には蝋封がなされていた。獅子、蛇、穴熊、鷲。そして”H”の文字。
ペパーミントを口いっぱい頬張ったときのように――あれは二度とやりたくないとジュリアは思っているが――さっと頭が鮮明になった。
ホグワーツ魔法魔術学校。ああ、懐かしい響きだ。何度母から聞かされたことか。思わずジュリアの左手が杖を挿したホルスターに伸びる。
「そうか、ホグワーツ……あたし、11歳になったんだなあ」
手紙を握りしめたままジュリアは大きなあくびをした。常人より少し鋭い歯がちらりと見える。フクロウがもう少し距離を取るそぶりを見せたのを尻目に、ジュリアは独り言をぼやきはじめた。
「で、どうしろってんだこれ。金はねえ足はねえ飯はねえの無い無い尽くしだっつのに。ポケットには……ねえな、クヌート銅貨すらねえ。でもなあ、ここに学歴もねえって付け加わったら母さん怒るわな。あー、だめだ、腹減って頭回んねえ」
やっぱフクロウ食うかなあ。その呟きにフクロウはもうひとつ間を開けた別の牧草ロールに飛び移った。
「そのようなことはいけません、ミス・マリアット」
牧草ロールに埋もれていて気づくのに遅れたが、声をかけられる前には誰かが姿あらわしをしてきたらしいとジュリアは理解した。厳めしい女性の声だ。きっとしかめ面をしているのだろう。そこまでジュリアは予想できていた。
「はじめましてだな、ミネルバ・マクゴナガル」
「……いくつか指摘すべき点はありますが、先に訊いておきましょう。なぜ私だと?」
ジュリアは愛しのベッドから弾みをつけて飛び降りると、太陽に目を細めて、背伸びをした。それから、深緑色のローブとやたら大きなとんがり帽子を被った、老境にさしかかった気配を刻まれた皺に感じる彼女に向き合った。
「あたしにミスなんてつけるお上品な連中は教育者だ。でもってホグワーツから手紙が届いた直後に姿あらわししてきた。そしてあんたからは猫の匂いがする。母さんがアニメーガスになる指導を受けたのはホグワーツのミネルバ・マクゴナガルで、その人は猫のアニメーガスだったそうだ」
ジュリアは別段自慢げな表情を浮かべるでもなく、屈伸して膝を慣らすと、もう一度あくびをした。まだ牧草の柔らかな心地よさが背中に残っているのかもしれない。あるいは、牧草そのものが。
一方で、魔女の瞳には仄かな困惑が見られた。
「エレン・マリアットの聡明さは確かにあなたへと受け継がれたようですね、ミス・マリアット。あなたの言うとおり、私はミネルバ・マクゴナガル。ホグワーツ魔法魔術学校で変身術の教鞭を執っています」
「こいつぁどうも。あたしは名乗ったほうがいいか?」
「いいえ、ミス・マリアット。私があなたに求めるのは、年長者を敬う態度だけです」
ジュリアは肩をすくめると、「はいよ、先生」とだけ答えた。もう少し気品よく振る舞っておけば、サーロインステーキにありつけたかもしれないと閃いたのはもう少し後になってのことだ。