この数日間でグリフィンドールとスリザリン両方の寮監に招かれることになるとは思っていなかった。共通しているのは、二人ともお茶を淹れる魔法がうまいということだ。ジュリアはハーブティー――ハイビスカスとレモングラスのブレンドだ――の入ったカップを手にして、スネイプの発言を待った。
「……エレンの葬式以来だな、ジュリア・マリアット」
「あー……そっすね、そういえば」
参列者の顔は覚えていなかった。誤魔化そうとしたが、スネイプは表情を変えずにハーブティーを口に運んだ。
「我輩に気づいていなかったか。さもありなん、君は茫然自失を体現したかのような状態であった。……とはいえ、エレンの知識と技術を君が継承しているのは喜ばしいことだ、ジュリア・マリアット」
「あの。なんでフルネームなんすか」
スネイプは無表情を貼り付けて、カップをソーサーに置いた。彼の指先がソーサーの蔦模様を這う。考え事をするときに手を動かすタイプの人なのだろうか。
硝子瓶に詰められた薬液の中でサルの胎児から泡が漏れている。あれはまだ生きているのか、それともガスが漏れているだけなのだろうか。もしかすると薬液自体がサルの胎児から溢れているのかもしれない。
ややあって、スネイプが重い口を開いた。
「……友人の遺児を無碍に扱いたくないという気持ちを持つのはごく自然なことだ。しかし、我輩は教育者でもあり、特定の生徒を贔屓するような振る舞いは慎まねばならない。妥協点だ」
「意外っすね。結構……その、私情挟んでる気がするし」
「ポッターと我輩の関係については、まあ、聞いていないであろうな。ヘクターもエレンも他人のプライバシーを侵害するような思慮に欠けた人物ではなかった」
スネイプが両親をやたら褒めるのが意外で、ジュリアは妙にこそばゆかった。しかし、答えになっていない。ジュリアが視線で続きを促すと、スネイプはもう一口喉を潤した。
「当時、我輩にとって友人と呼べるのはルシウス・マルフォイ、ヘクター、エレンだけだった。卒業間近にはヘクターとエレンすら疎遠になっていた。そして、ルシウスは少々……いや、かなり権力と闇の魔術に魅せられていた。一方で、ポッターの父親やその取り巻きどもは腹立たしい、実に不愉快な、グリフィンドール的悪童だった。我輩はルシウスと親しくなり、奴らはグリフィンドールらしい正義感のもとに我輩を……そう、不快にさせた」
「あー、じゃあ、つまり……あれっすか。死喰い人だったんすか」
スネイプと青白坊ちゃんの父親は友人関係。二人は闇の魔術に傾倒。そんなスネイプをハリーの父親が攻撃。それらが現在の人間関係に影響を及ぼしている。情報量が多すぎて、混乱したジュリアは思わず一番質問してはいけないようなところを訊いてしまった。しかし、スネイプは怒るでもなく、口を開いた。
「否定はしない。しかし、前述したとおり、我輩はホグワーツの教師であり、アルバス・ダンブルドアの部下だ。……君には知る権利がある」
君には知る権利がある。その言葉がやけに重くのしかかって、ジュリアの思考を締め付けた。これは権利というより、義務だった。ジュリアは父のことをよく知らない。父については母の口から聞いたことがすべてだ。だから、これから確かめていかねばならなかった。
なによりジュリアが知りたいと思ってきたのは、父の最期だ。
「先生は最後の戦いにも参戦してたんすか。つまり、魔法省の戦いに」
ジュリアの父、ヘクター・マリアットは死喰い人が魔法省に大攻勢をかけた時、狼化した状態で防衛側として参戦した。しかし、魔法省に置かれている戦没者慰霊碑にはヘクター・マリアットの名は刻まれていないという。
「いや、我輩は……別の場所にいた」
「そっすか。……あたし、知りたくて」
「何をだ」
一瞬、スネイプの表情が強張った。おそらく、最後の戦いの時にどこにいたのかを聞かれたくないのだろう。しかし、ジュリアはそんなことに興味はなかった。スネイプのプライバシーを詮索するつもりはない。もっと重要なことがある。
「父さんを殺したのは、”どっち”なのか」
「それは……」
「人狼なんて狼化しちまえば見分けがつかねえし、あの時ファッキンヴォルデモートの配下には人狼がわんさかいたって聞いてる。だから、乱戦になれば事故は起こる。でもよお、先生」
ジュリアはハーブティーを一気に飲み干した。喉がひりついていたからだ。
「マグル界じゃ事故でも犯人は罰せられる。過失致死傷罪。あたしはそっちのシステムのほうが好きだ」
「仇討ちを望んでいるのか、ジュリア・マリアット」
「そんなんじゃねえよ。ただ、区別のつかない人狼だからってだけで”事故死”した父さんと、父さんのために頑張り続けた母さんがあまりに報われねえ。顔も知らねえ父親でも、あたしは愛してんだ」
愛、と呟いてスネイプは目を伏せた。表情は変わらなかったが、心の奥底まで自分を潜らせて何かを考えているのだということはジュリアにもわかった。
ジュリアは父の顔を知らなかった。母は写真を好まなかったし、母以外に家族もいなかったから、当然のことだ。スネイプはジュリアの父のことをどれくらい覚えているだろうか。狼化した父の姿を見たこともあるのだろうか。それを、どう思ったのだろうか。
「両親を恨まんのか」
「なぜ」
「君の病は父から遺伝したものであろう」
「病っつってもなあ。歯が鋭い、爪が硬い、五感がちょっと変わってる、体が強い、月の光で魔力が高まる……あとレアステーキが好き。プラマイでプラスっすよ。いい個性」
「明言したほうがわかりやすいか。我輩は君が在学している間、脱狼薬を調合する用意がある。それに加えて、校長も狼化中に君が安全に過ごせる場所を用意して――」
ジュリアが笑い声を上げたので、スネイプは言葉を止めてジュリアの目を見た。スネイプとしっかり目を合わせるのは初めてかもしれない。吸い込まれるような感覚があった。
「ご心配どうも。あたしはこの力を制御できてんだ、先生。より正確に言えば、狼化するという性質を継承できなかった」
「しかし、エレンは君の人狼としての性質をコントロールするために聖マンゴを退職した。何か彼女が調合した魔法薬によって制御しているのではないのか」
「母さんがやったのは投薬治療でも外科治療でもねえんだ、調教なんだよ先生。先天性半人狼、つまり半分犬ころの娘に人間としての振る舞いを叩き込んだ。それだけだ」
スネイプはまじまじとジュリアの目を見つめて、それからこの会話を無かったことにするような素振りで咳払いをした。
「用件は以上だ。下がってよい。レポートは来週提出すること」
「うっす、んじゃまた来週」
「……卒業までに淑女らしい口調を身につけるように」
「あいあい、それでは”ごきげんよう”だ」
扉を閉じて、地下牢の薄暗い廊下を歩きながら、ジュリアは頭をかいて、あくびをした。別に眠いわけではない。これが癖なのだ。
地下牢を出ると、石壁に背を預けてハーマイオニーが立ったまま本を読んでいた。
「談話室で読みゃいいものを」
「談話室は騒がしいから」
本から顔を上げないが、目が動いていない。ジュリアにはハーマイオニーが自分のことを待っていてくれたことが容易にわかった。
そこまで話し込んではいないが、広間の片隅で一人立ったままジュリアを待ち続けるのは心細かったかもしれない。
「悪い、待ったか?」
「今来たとこ、って返せばいいのかしら」
「わかんねえ、生憎とデートの経験はねえんだ。……よし、まだ夕食まで時間あるし、ちょっとデートするか、ハーマイオニー」
「素敵なお誘いね。どこに連れてってくれるの?」
「湖の畔なんてどうだ」
ハーマイオニーは顔を上げてにっこり笑った。