ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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箒に跨がるなんて正気じゃない

 随分と楽しみにしていた様子の飛行訓練当日、ハリーが朝食の席でコーンフレークをつつきながらやけにしょぼくれていた。

 

 

「よお、どうしたハリー」

 

 

 ジュリアはハリーの隣に座ると、厚切りベーコンの大皿から焼きたてのベーコンを10枚ばかりかっさらった。

 

 相変わらずハリーはミルクに浮かんだコーンフレークを沈没させている。霧の海に沈んでは浮かぶ穀物船。なんともシュールな光景だった。

 

 

「飛行訓練の貼り紙、見た?」

 

「見たくもねえ」

 

「あー、そっか、箒嫌いなんだっけ。……スリザリンとの合同なんだってさ」

 

 

 ジュリアは箒が嫌いなのではない。ただ、箒の柄に跨がるなんてどう考えても股が痛くなるに決まっている、ジュリアはそう確信していた。さらに言えば、ずっと乗っていたら”がに股”になるようにも思えた。

 

 問題はハリーがなぜ落ち込んでいるかだが、解答を導き出すのはたやすい。スリザリンと合同の魔法薬学でハリーは晒し者になった。加えて、青白坊ちゃん――ドラコ・マルフォイがいる。どうやらハリーと彼との間には妙な確執が生まれてしまったようだ。

 

 

「僕、何よりも空を飛ぶのを楽しみにしてた。本当に。だけど、マルフォイの目の前で箒に乗って、あいつに負かされて、笑われるんだ、きっと」

 

 

 重症だ。マルフォイ性ドラコニックシンドローム。

 

 関係性や感情はともかく、ライバルがいるというのはいいことだとジュリアは思っていた。時折卑屈になるハリーに熱を与えてくれる。こういうとき、友人ではうまくいかないものだ。そうジュリアの母が言っていた。

 

 しかし、今回は始める前から負かされることを恐れている。あるいは、笑いものにされる羞恥を恐れている。もちろん、誰だって負けたり笑いものにされたりするのは嫌なことだ。

 

 ハーマイオニーは朝食を抜いて『クィディッチ今昔』を読み聞かせしているし、ロングボトムはハーマイオニーの信徒のように縋り付いてそれを聞いている。ジュリアは途中までそれを眺めていたが、空腹には勝てなかった。

 

 

「初めてのチャレンジに飛び込む前からチキるのはダサいと思わねえか、ハリー」

 

「だって、マルフォイはいつもクィディッチがうまいって自慢してるし」

 

「――そうとは限らないよ、ハリー。ジュリアもそう思うだろ?」

 

「ある程度はな」

 

 

 寮から下りてきたロンが両面焼きの卵を皿にとりわけながら、明るい顔で声をかけてきた。

 

 

「どういうこと?」

 

「ヒントやるよ、考えてみな。青白坊ちゃんは魔法界の名家。魔法界は秘匿されてる。青白坊ちゃんのクィディッチ自慢はいつもマグルのヘリコプターをかわすとこで終わる」

 

「……あいつが嘘ついてるってこと?」

 

「なかなか冴えてるじゃねえかハリー。飯食えばもっと冴えるぜ。ほら、そろそろその沈没船団すくってやれよ」

 

 

 コーンフレークはすっかりふやけていたが、ハリーはいくぶん元気な顔になってそれを食べ始めた。

 

 

 

 さすがに昼食は食べさせるために一度『クィディッチ今昔』を没収してハーマイオニーを連れ出したが、どうにもハーマイオニーは”箒酔い”で吐くのが怖いらしかった。

 

 動く挿絵で「競技場に高所から嘔吐するクィディッチ選手の図」を見せられたジュリアはさすがに少しげんなりしたが、この図はむしろハーマイオニーを説得するのに役立つことになる。

 

 

「いいか、あたしらはクィディッチ選手になろうってんじゃない。ほら、小学校でかけっことかクリケットとかやらされなかったか? あれで陸上選手のタイムとかプロプレイヤーの打率とかを要求されるか? そういうことだよ」

 

「ただの運動ってこと?」

 

「あるいはマグル出身の生徒が魔法界の競技に触れる機会を作るためか、まあそんなとこじゃねえの? ともかく、そいつは杞憂ってやつだ。ほら、オレンジ剥いてやったから食えって」

 

 

 実際のところ、ジュリアは小学校なんてものに通ったことはない。バイトで一緒になった年上の「お友達」が「家庭の事情で学校に行ったことがないジュリアちゃん」を哀れんで話してくれただけだ。情報は意外なところで役に立つものだとジュリアは実感した。

 

 ようやくハーマイオニーがちまちまとオレンジを食べ始めたのを眺めながら、ジュリアはベーコンエッグをおかわりする。最近ハーマイオニーがジュリアの食生活に口出しするようになってきたので、肉以外も多少は食べるように心がけているのだ。

 

 そして、昼食が終わり、飛行訓練の時間になった。晴天なれどやや風強し。「禁じられた森」の中にちらつく影が見えるほどの視界良好。絶好のスポーツ日和だとジュリアは悪態をついて芝生を蹴った。

 

 グリフィンドール寮生とスリザリン寮生が整列させられて箒の横に立っている。先頭には鷹のような目をした白髪の女性、彼女が教官だろう。色々な意味でマクゴナガルと同種の気配がした。

 

 

「なにをボヤボヤしているんですか、右手を箒の上に突き出す! そして『上がれ!』と言う!」

 

 

 ジュリアは内心で早くもうんざりしていた。自分にあてがわれた箒――ちゃっかり一番後ろを陣取ったが、状況からしてサボれそうな気配はない――はどうやらとんでもないオンボロの粗製品らしく、柄はささくれているし、節は出っ張っているし、挙げ句の果てに束ねた小枝が爆ぜていた。

 

 

「おいおい、これに跨がれってのかよ、冗談じゃねえ……」

 

「上がれっ! いいから、やるの! 上がれっ! 上がれっ!」

 

「転がってんぞハーマイオニー。はあ……上がれ棒っきれ」

 

 

 箒が勢いよく跳ね上がって、ジュリアの額を叩きつけようとしてきた。ジュリアはすんでのところでそれを避けたが、また箒は地面の上だ。

 

 

「しまいにゃへし折って焚きつけにすんぞオンボロ。嫌なら上がれ、おら、上がれっつの。……よーし、いい子だ」

 

「卑怯よジュリア、それって脅しだわ!」

 

「箒に対する恐喝罪で逮捕。魔法史の教科書に載っちまうなー、いやー参ったなー」

 

「ああもう……上がれ!」

 

 

 結局、箒が上がらなかった生徒は手で拾わされた。それから、跨がり方と握り方を指導され――ジュリアは教官に「本当にこんなもんに跨がるのか? 鞍もなしに?」と”質問”したが、鷹の目で睨まれるだけだった――、青白坊ちゃんがずっと間違った握り方をしていたと指摘されたことにハリーとロンが歓喜した。

 

 

「私が笛を吹いたら、地面を強く蹴りなさい。浮くだけですよ、いいですね。では、一、二の――」

 

 

 ロングボトムが飛んだ。

 

 極東から留学してきたとかいう学生に教わった歌があったな、とジュリアは思い出した。ロングボトム飛んだ、屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで――

 

 ロングボトムの体が傾いた。素人のジュリアでもわかる、あれは落ちる前兆だ。高度は6メートルほど。頭から落ちたら命はない。

 

 くそったれな箒を地面に叩きつけて、ジュリアは駆けだした。

 

 姿勢は前傾で、蹴るように。正しいフォームではないかもしれないが、ジュリアが一番パフォーマンスを発揮できるフォームだ。視界の中にロングボトムをしっかりと捉えておく。

 

 ただキャッチしただけでは意味が薄い。ロングボトムは首がむちうちになるだろうし、ジュリアは肩と腕を痛める。おそらく腰と膝も。だから、ジュリアも落下する必要があった。

 

 ロングボトムの着地点を追い越して、壁面へ。ロングボトムの高度4メートル。

 

 全力で蹴って宙に上がる。ロングボトムの高度2メートル。

 

 ちょうどやってきたロングボトムを抱える。そしてそのまま着地姿勢を取り、衝撃を分散させる。高度0メートル。

 

 

「よおロングボトム、息してるか?」

 

 

 返事はない。ロングボトムは気絶していた。魔力を持った子どもというのは危機が迫ると魔力を暴発させるとジュリアは聞いていたが、もしそれが機能したなら別に助けなくてもなんとかなったのではないか。そんな疑問がジュリアの頭をよぎったが、それはフーチ教官の声でかき消された。

 

 

「よくやってくれました、マリアット! グリフィンドールに10点! 双方とも怪我はありませんね? 気絶している? 大丈夫です、大丈夫。あとは私が預かります、医務室で気付け薬をもらわなければ」

 

 

 焦りやら興奮やらで嵐と化したフーチ教官は、ジュリアからぐったりしたロングボトムを受け取ると、ざわつく生徒たちに向き直った。

 

 

「私が戻ってくるまで誰も動いてはいけません。もし箒で飛んだりしようものなら、クィディッチのくの字を言う前にホグワーツから出ていかせますからね!」

 

 

 ジュリアは確信した。この教官はカテゴリー・マクゴナガルだ。校内にロングボトムを運んでいく教官を背に、ジュリアは生徒たちの列に戻った。

 

 グリフィンドール寮生には盛大に歓迎された。背中を叩かれ、肩を叩かれ、ハーマイオニーに頭を撫でられた。

 

 

「すっごいや、君……おったまげー」

 

「すっげえ間抜けなコメントをどうも、ロン」

 

「君サッカーとかやってたの? それとも陸上?」

 

「ハンティング」

 

「あの加速と壁蹴りは魔法よね?」

 

「ノードーピングだ、ハーマイオニー」

 

 

 盛り上がっているグリフィンドール寮生を好ましく思わない人物がいた。青白坊ちゃんである。彼はフーチ教官が声の届かないところまで行ったのを確認してから、嘲るような笑い声を上げた。

 

 

「見たか、ロングボトムの間抜け面! あれだけで一週間は笑えるね」

 

 

 他のスリザリン寮生も囃し立てるようにしてそこに加わった。

 

 ジュリアは放置するつもりだったが、勇敢なことに、ジュリアのルームメイトである女子生徒――ジュリアの記憶が正しければ、パーバティ・パチルという名前のはずだ、たぶん――が声を上げた。

 

 

「やめてよ、マルフォイ」

 

「へー、ロングボトムの肩を持つのかい」

 

「パーバティったら、あのチビデブの泣き虫に気があるんだわ!」

 

 

 今度はスリザリンの女子生徒が冷やかした。ジュリアが思うに、この女子生徒も他人の容姿をどうこう言える見目ではないのではないか。いや、そもそもルックスの話は価値観に強く依存するから不毛だ。ジュリアは考えないことにした。

 

 

「ごらんよ! ロングボトムのバカ玉だ」

 

 

 青白坊ちゃんが高々とさし上げているガラス玉は、どうやらロングボトムのものらしかった。中に霧のようなものが渦巻いていて、それが日の光を浴びて煌めいている。美術品としての価値は高そうだ。家を持ったら窓辺にひとつ置いておきたいかもしれない、などとジュリアは思った。

 

 無意識に意識しているライバルのご登場で興奮したのか、それともどこで身につけたのやらわからない持ち前の正義感を発揮したのか、ハリーが一歩前に出た。

 

 

「それをこっちに渡してもらおう、マルフォイ」

 

 

 不思議とハリーの静かな声は波紋のように広がって、騒がしかった集団は青白とハリーの二人に注目した。

 

 青白が不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「嫌だね。ロングボトムが自分で取りにくればいい」

 

 

 青白は素早く箒を手にしてひらりと跨がると、芝生に影を落とすいっとう高い樫の木と同じ高さまで舞い上がった。

 

 なるほど、少なくともクィディッチ経験があるというのは事実だったようだ。別に評価を修正する必要はないが、ジュリアは青白の認識を改めることにした。こいつに箒を渡すと空に逃げる。

 

 

「それとも、ここまで取りにくるか、ポッター!」

 

 

 ハリーが手をかざすと、自然と箒が浮かび上がって握られた。

 

 

「だめよハリー、だめ! 動いちゃいけないって言われたでしょう、私たちみんなが迷惑するの!」

 

 

 ハリーはまるで愛馬に跨がるようなスムーズさで箒に乗り、地面を蹴った。ローブが風に煽られてはためいている。ハリーは堂々と箒を乗りこなしていた。

 

 急加速して青白のいる高度まで上昇したハリーに歓声や黄色い悲鳴が上がる。ここはコロッセオだ。人気グラディエーターのハリーがヴィランの青白に挑戦しようとしている。

 

 何か空中でやりとりがあって、ハリーが矢のように青白めがけて飛び出した。青白は掠めるようにそれをかわし、ハリーは再び青白のほうを向く。

 

 

「すっげえ、ハリーは生まれついてのクィディッチ選手だよ! チャドリー・キャノンズに入団するのだって夢じゃない!」

 

 

 ジュリアは共感すればいいのか、ツッコめばいいのかわからなかった。確かにハリーは教わってもいない操縦方法で箒を自在に操っている。しかし、ここ100年優勝していないチームに放り込まれたハリーの心境やいかに。

 

 そして、青白はついにギブアップしたと見えて、ガラス玉を高く放り投げて急降下し、取り巻きの中に戻った。あれもあれでなかなか乗りこなしている。絨毯だって浮遊するより着地するほうが難しいのだ。ジュリアは二度と絨毯には乗りたくないと思っている。

 

 そして、重力に従って落下するガラス玉を追いかけるように、ハリーも垂直になって降下しはじめた。恐ろしい速さだ。悲鳴が上がる。

 

 

「ああもう、見てられない……」

 

 

 ハーマイオニーは両手で目を覆ってしまった。スプラッタな予測を立てたのだろう。ジュリアも万が一に備えてホルスターに指を添えた。地面にスポンジファイをかければ少しはダメージが軽減できるかもしれない。

 

 加速、加速、加速。ハリーは隕石だ。グリフィンドールのローブに縫い込まれた赤が燃えているように見えた。

 

 そして、ハリーはガラス玉を掠め取り――

 

 

「やった、やったぞ! すごいやハリー!」

 

 

 ロンの飛び跳ねんばかりの歓声でハーマイオニーがそろそろと手を下ろした。ハリーは見事な立てなおしを披露し、ガラス玉を掲げて軟着陸に成功した。ロンを先頭にグリフィンドール寮生がハリーへと駆け寄っていく。陽射しを受けてか、遠目に眺めるジュリアには一瞬だけガラス玉が金色に輝いたようにすら見えた。

 

 ハリーはすっかり自信、自尊心というものを獲得したようだった。そして、自分の成し遂げたことへの感動も。近づかなくてもわかる。いま、ハリーは幸福だった。

 

 しかし、それを打ち破るかのような雷が落ちた。

 

 

「ハリー・ポッター……!」

 

 

 我らが”オニ”のご登場だ。

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