ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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想定内の結果と、想定外の帰り道

 トロフィー室は4階にある。とはいえ、抜け道を使えばそこまで長い道のりではない。6階の階段に気をつけて、警備鎧の視界をくぐり抜けて、タペストリーの裏にある滑り台を下れば、あとはすぐだ。

 

 いちいちロングボトムが悲鳴を上げそうになるので、ジュリアは何度舌縛りの呪いをかけてやろうかと思ったかわからない。

 

 もしロングボトムが絶叫したとしよう。ゴーストに見つかる。それはセーフ。絵画に見つかる。それもまあセーフ。ピーブズに見つかる。おそらくアウト。フィルチやミセス・ノリスに見つかる。完全にアウト。

 

 ゴーストは特有の微かな浮遊音を出しているし、フィルチやミセス・ノリスは匂いがあるから、ジュリアが警戒していればなんとかならないでもない。ハリーもなかなか気配に鋭いからカバーが利く。

 

 問題はピーブズだ。自分の音を消すことができるし、匂いもない。そして生徒が一番嫌がることがなんなのかよく理解している。ピーブズに遭遇するか、ロングボトムが叫んで呼び寄せたら、そこでゲームオーバーだ。

 

 しかし、運よく5人はトロフィー室まで辿り着いた。案の定、マルフォイはいない。

 

 

「よし、いないな、確認したな、戻るぞ馬鹿」

 

「待って。まだ時間が残ってる……それに、怖じ気づいて遅れてるのかもしれない」

 

 

 ジュリアは汚い言葉を吐き捨てると、ガラス棚の影にもたれかかった。窓から月の光が差し込んで、カップや盾、像などを暗闇の中で金銀の輝きに変えている。寮杯やクィディッチ・カップも飾られていた。どちらも緑と銀の帯――スリザリンのものだ。グリフィンドール寮生がこの調子じゃ当然だろうよ、とジュリアは内心でまた汚い言葉を吐いた。

 

 そのとき突然、隣の部屋にフィルチとミセス・ノリスの気配が現われた。

 

 ジュリアの思考が加速する。匂いは間違いなくフィルチとミセス・ノリスだ。校内で姿あらわしはできないし、そもそもできれば検挙率はもっと上がっている。だとしたらなぜ。あらかじめ告げ口されているのは予想できていた。しかし、現れ方がわからない。とにかく、隠し通路でも隠し扉でも使って避難を――そうか、隠し通路。

 

 考えてみれば当たり前だった。トロフィー室にあるのは貴重品。貴重品を管理するのは管理人。管理人室から直通のルートがあってもおかしくない。迂闊。迂闊極まる行動だ。ジュリアは頭が煮えそうな思いで奥歯をかみしめた。

 

 ジュリアは反対側のドアを静かに開けると、ハンドサインで外に出るよう促した。

 

 

「いい子だ、しっかり嗅ぐんだぞ。どこかこのへんにいるはずだ……隠れているに違いない………」

 

 

 フィルチのしゃがれた声を背に、5人はおっかなびっくりトロフィー室を脱出した。鎧の並ぶ回廊を黙って進む。フィルチの足音が近づいてくる。

 

 ミセス・ノリスが鳴いた。

 

「ひ、ひいっ! ひいいっ!」

 

 

 ロングボトムが恐怖のあまりとうとう悲鳴を上げ、最後尾から走り出した。そしてなにもないところでつまづき、ロンの腰に抱きついて、二人揃って年代物の鎧に飛び込むはめになった。

 

 ジュリアの耳が一瞬麻痺した。ホグワーツ中に響いたのではないかというくらいの騒音。

 

 

「走れ!」

 

「逃げろ!」

 

 

 ジュリアとハリーの声が重なった。

 

 振り向く余裕はなかった。回廊を抜けるため、ドアを通り、廊下を走り、タペストリーを潜り……ジュリアの嗅覚が追跡者を撒いたと判断したところで、ハリーが声を上げた。額から汗が滴っている。

 

 

「ここ、呪文学の教室前だ。だいぶ離れたし、撒いたかな」

 

「少なくとも今のところはな。このへんにあいつが知ってる隠し通路がなきゃいいんだが」

 

 

 ハーマイオニーは胸を押さえて、呼吸もままならない様子でなお文句を言い立てた。

 

 

「だから……そう、言ったじゃない。はめられたのよ」

 

 

 ハリーもロンも返事をしなかった。認めてはいたが、それを表明することはできないのだろう。

 

 

「寮に戻ろう」

 

 

 今回ばかりはロンの提案に賛成だった。ロングボトムがいることを確認して、ハーマイオニーが呼吸を整えたのを確認して、ジュリアは階段へと向かい――教室のドアから”それ”が飛び出してきた。

 

 

「ハッハー! 真夜中にフラフラしてるのかい、1年生ちゃんたち」

 

 

 弱り目に祟り目。ピーブズはケラケラ笑っている。最悪の遭遇だ。ジュリアはホルスターに指を伸ばした。ポルターガイストにも効果がある呪文はある。問題は、間に合うかどうか――

 

 

「生徒がベッドから抜け出した! 「呪文学」教室の前にいるぞ!」

 

「ラングロック、舌縛り」

 

 

 ピーブズは間抜けな声を上げて口に手を突っ込んだ。どちらにせよお互い手遅れだ。こちらは場所がばれた。ピーブズは呪いが解けるまで喋ることができない。

 

 ハリーが全速力で走り出し、残る全員が後に続いた。闇雲に曲がり、そして辿り着いた先は廊下の突き当たり、ドアが一つ。鍵がかかっている。

 

 

「おしまいだ!」

 

 

 ロンが情けない声で呻くのを無視して、ジュリアは声を上げた。

 

 

「ハーマイオニー、頼む」

 

「任せて。アロホモラ!」

 

 

 解錠音とともにドアが開いた。5人はその先に雪崩れ込み、ロンが急いでドアを閉めた。全員沈黙している。またフィルチの足音だ。

 

 

「どっちに行った。早く言え、ピーブズ」

 

「んあー、んあー!」

 

「喚いてないで早く言え!」

 

「んあー!」

 

 

 フィルチが怒り狂ってランプを叩きつける音がした。足音が遠のいていく……。

 

 

「フィルチはこのドアに鍵がかかってると思ってる、もうオーケーだ……」

 

「なにも、オーケーじゃねえよ、間抜け!」

 

 

 ジュリアはあまりに異様な獣臭さに振り返ると、ホルスターから杖を抜いた。

 

 

「ルーモス!」

 

 

 弱々しい光に照らされた先は、部屋ではなく廊下だった。闇雲に駆け抜けてきたので、正確な位置はわからない。しかし、目の前に映し出された光景が、「ここは4階の右側の廊下」という標識以上に現在地を示していた。

 

 床から天井まで、黒い毛皮が埋め尽くしている。三対の血走った目が侵入者を睨み付け、三つの口が黄ばんだ牙を剥き出しにして唸りを上げていた。三頭犬だ。そのあまりに危険な魔法生物の口からは唾液がとめどなく流れ落ちて、巨体を乗せた金属製のハッチを濡らし、杖からの光を反射していた。

 

 もう限界だ。ジュリアはドアを蹴破ると、ハーマイオニーを掴んで扉から飛び出した。後から3人の足音が聞こえる。そして、3人を追って3つの首が迫っている。

 

 

「全員出たか!」

 

「うん!」

 

 

 ハリーの返事を信じて、ジュリアは後ろ手に杖を向けた。狙うのは足音と足音の間だ。

 

 

「イモビラス! コロポータス!」

 

 

 どちらかが当たればいい。止められればひとまず逃げることはできる。できれば後者だ。しかし、ジュリアはこういう日用的な、あるいは応用的な呪文が得意ではなかった。ひたすら祈る。天にましますファッキンゴッド。

 

 粘着質な音がして、ドアが”閉鎖”されたとわかった。

 

 

「よし勝った! 走れ走れ走れ!」

 

 

 今度はジュリアが先導して、把握している限りの最短ルートで駆け抜けた。息切れしはじめたハーマイオニーとまた転びそうなロングボトムを抱えて、ハリーたちがついてこれる最大限の速度を出した。本棚を蹴り飛ばし、ドアを蹴り飛ばし、タペストリーを突っ切った。

 

 そして、ようやく7階だ。

 

 太った婦人は肖像画に帰ってきていた。

 

 

「まあ、こんな時間にいったい――」

 

「豚の鼻! 開けろ阿婆擦れ!」

 

「なんて失礼な」

 

 

 ジュリアを糾弾しながら開いていく肖像画の隙間を潜り抜け、談話室に誰の気配もないことを確認して、ジュリアはロングボトムをソファに放りこみ、ハーマイオニーをひじかけ椅子に置くと、カウチに倒れ込んだ。全員が呼吸も絶え絶えで、口がきけるようになるには時間が必要だった。特にロングボトムには人一倍の時間が必要だろう。気絶していないのが不思議なくらいだ。

 

 

「あんな……あんな化け物を学校に置いておくなんて、何を考えてるんだ!」

 

 

 ロンがぜえぜえ言いながら悪態をついた。ジュリアも是非”飼い主”の意見を拝聴したい気持ちだったが、それを口にする前にハーマイオニーが怒りを露わにした。落ち着いた場所に戻ってきて、2人への怒りが再燃したらしい。

 

 

「あなたたち何を見てたの? あの犬が何の上に立ってたと思う?」

 

「床でしょ、床。頭が3つもあったんだよ、足元まで見てられないよ」

 

 

 ハリーの回答はハーマイオニーのお気に召さなかったと見えて、露骨に鼻を鳴らした。ロンがうんざりした声を上げたが、無視だ。ロングボトムがひいひい言っているが、それも無視だ。

 

 

「仕掛け扉の上よ。きっとあの廊下の番犬なんだわ。あなたたち、これで満足? 殺されてたかもしれないのよ? もっと悪ければ退学だったかも。ジュリア、行きましょ」

 

 

 どうやら死よりも退学が恐ろしい人物が身近にいたようだ。あるいは錯乱しているのかもしれないが。ジュリアはハーマイオニーが置き去りにしたガウンとランプを回収して、唖然としているロンに肩をすくめてみせると、ハリーに目を向けた。ハリーはこの大冒険が終わった直後にもかかわらず、何か思案にふけっているようだ。ジュリアには彼の考えを汲み取る余裕はなかったが、一言だけ残していくことにした。

 

 

「三頭犬が気になるのか」

 

「うん……」

 

「マグルはケルベロスっつうんだったか。とにかく、あれについて知りたきゃオルフェウスの冥界下りを読むんだな」

 

「ジュリアは知ってるの、あれが何だか」

 

「バイト先で立ち読みした程度に。んじゃ、今度こそ失礼するぜ」

 

 

 ハリーは何かを考え込んでいた。しばらく立ち上がる気配はなさそうだ。ジュリアはホルスターに杖をしまって、ランプの明かりを消すと、女子寮の扉を押した。今夜は月見の余裕はない。

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