ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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毛皮を脱ぐとき

 ハーマイオニーはフリットウィックに質問があるというので、先に彼女の荷物を持って教室を出た。最近、彼女の世話を焼くのが習慣になりつつある。そのくせしてハーマイオニーは何かと苛立っているから、うまく接するのに苦労していた。

 

 ジュリアは考える。なぜハーマイオニーに付き合い続けるのか。つまり、この労力を割く価値はあるのか。世話がかかり、お節介で、謎の正義感を持ち、おまけに反抗期だ。いや、反抗期というものはもう少し後にくるのではなかっただろうか。ジュリアは育児に興味を持ったことがないのでわからないが、反抗期の娘を持った母親というのはこんな生活なのだろうか、などと想像してみた。

 

 入学初日に”ママ”と呼ばれたことを思い出す。不思議な気分だった。

 

 そんなことをとりとめもなく頭の中で流しているうちに、人ごみの中で見慣れた2人の背中が視界に入った。ハリーとロンだ。久しぶりに声をかけようと思った矢先、2人の会話が聞こえてしまった。

 

 

「――あいつには本当に我慢できないよ、誰だってそうさ。悪夢みたいなやつだ。お付きをやってるジュリアの気が知れないね」

 

 

 ジュリアは無性に腹が立って、一発叩き込んでやるかとホルスターに手をかけた。衝撃呪文で脳天をぶち抜く。それで体勢が崩れたところを蹴り飛ばす。よし、それでいこう。

 

 しかし、親しんだ匂いが駆け足でジュリアを追い抜いていった。癖のある跳ねた茶色の髪がどこか萎んでいる。鼻をすする音が聞こえた。聞こえてしまった。

 

 ハーマイオニーはハリーにぶつかって、振り向きもせずに追い越していった。

 

 

「聞こえたみたい」

 

「それがどうした? あいつに友だちがいないことはあいつが一番わかってるだろうさ」

 

 

 ジュリアはすっと意識が冴え渡るのを感じた。人ごみが邪魔だが、この程度の障害はさしたる問題ではない。抜く、構える、撃つ。それだけだ。

 

 青い閃光が赤毛の脳天を貫き、盛大に転ぶのを確認した。欄干を足場にして人ごみを回避し、駆け抜けて、着地する。

 

 

「痛、くそっ、いったいなんだっていうんだ!」

 

「ロナルド・ウィーズリー」

 

 

 立ち上がろうとした背中を蹴り飛ばす。

 

 

「今は急いでるからこれぐらいにしといてやるよ、くそったれ」

 

「ジュリア? 待って」

 

「悪いなハリー、あたしは”友だち”のハーマイオニーに荷物を持ってくんだよ」

 

 

 感情に振り回されて無駄な時間を使ってしまった。ジュリアはホルスターに杖を戻す。もうハーマイオニーの姿はないが、匂いは覚えている。ジュリアは隙間を縫うようにして駆けだした。

 

 3階、2階、1階。広間を通り過ぎて、廊下を進み、女子トイレへ。

 

 一番奥の個室から、すすり泣く声が聞こえた。

 

 

「……ハーマイオニー」

 

「なんで、いるのよ」

 

「追いかけてきた」

 

「……ほっといて。好きなところに行けばいいでしょ。あなたは私の、お付きなんかじゃないんだから」

 

 

 これは重症だ。ジュリアはハーマイオニーの性格からいくつかのパターンを想定し、最善と思われるものを選び、うまく宥めようとして――マクゴナガルとの会話を思い出した。

 

 計算と理屈でしか人付き合いができない。

 

 ジュリアは考えあぐねて、こんがらがって、ようやくすべての思考を捨て去った。

 

 

「確かにあたしはお前のお付きじゃねえな」

 

「そうよ……ほら、どっか行きなさいよ!」

 

「なあ、ハーマイオニー。こんな話を知ってるか」

 

 

 ジュリアは今、思いつくままに喋っている。計算もしていない。理屈も使っていない。浮かんだ言葉をそのまま投げている気分だ。

 

 

「初対面の人間が2人いる。一方がパーソナルデータを開示する。もう一方は会話を続けるために質問をするか、自分もパーソナルデータを開示しなくてはいけなくなる。その繰り返しがお互いのパーソナルデータを共有させ、信頼関係を構築する」

 

「……理屈は、わかるわ」

 

「あたしがホグワーツ行特急のコンパートメントでハリーとロンを誘導して使わせた手法だ。結果としてあいつらは仲良しこよししてる」

 

 

 ハーマイオニーは沈黙していた。考えているのか、聞いていないのか。ジュリアの口は勝手に続きを語りはじめる。

 

 

「こんなのもある。新しい環境に一人の人間を放り込む。出身、言動の観察、数回の会話からその環境に対するおおよその期待と不安を把握する。環境が期待以上のものであると示し、不安に対しては理解と支援を行ってみせる。自然とそこには信頼が生まれる」

 

「……そうね」

 

「あたしが入学初日にお前に対して使った手法だ」

 

 

 ひゅっ、と息を呑む音がした。

 

 理解したのだろう。理解してしまったのだろう。自分が抱いている信頼は意図的に構築されたものだと。ジュリアは胸が締め付けられるような思いだった。それでも口は動き続けた。

 

 

「実験と観察、計算と理屈、パターン化と実証。母さんの知恵袋ってやつだ。あたしはそういう生き物として調教された。そうでもしなきゃあたしは生きていけねえってことを、母さんはわかってた。……あたしが生まれついての半端者、人狼の呪いを部分的に受け継いだくそったれな犬っころだからだ」

 

 

 返事はない。もう返事はないのかもしれないと思いながら、それでもジュリアは話すことをやめなかった。

 

 

「あたしは半分浮浪者みてえに育った。短期間のバイトを転々とし、正体がばれる前に母さんとイギリス中を飛んで回った。死んだ父さんを母さんが追いかけてからは本当にストリートチルドレンだった。想像できるか? ホグワーツの入学許可証が届く前は、寂れた農村の牧草で寝泊まりして、ネズミ食って生きてたんだぜ?」

 

 

 もう、自分で自分が何を言っているのかわからなくなってきた。

 

 

「友達だって言えるようなやつはいなかった。ホグワーツに入っても無理だろうなと思ってたし、学歴だけもらってさっさと卒業しようと思ってた。だけど、だけどよ……お前がいたんだ」

 

 

 頭が回らない。視界がぼやける。

 

 

「嵐みたいなやつだって最初は思ってた。でも、気まぐれで褒めたらはにかんでくれた。あたしの牙を見て心配してくれた。ほとんど初対面なのに、あたしに頼って、任せてくれた。あたしを本気で叱ってくれた。あたしの考えをぶち壊して、振り回してくれた。あたしの魔法の練習にとことん付き合ってくれた。あたしのそばにいてくれた。あたしは、あたしはさ」

 

 

 もう何もわからなかったが、ジュリアはすべての感情をぶちまけるように、声をこぼした。

 

 

「あんたが、好きだよ。ハーマイオニー」

 

 

 もう言えることは何もない。無言だろうと、罵声だろうと、なんでもいい。これを終わらせてほしかった。しかし、終わりにしたくなかった。ジュリアは目を閉じて、俯いて、震えていた。握りしめた拳に爪が食い込んで血が滲む。

 

 個室のドアが軋んで開くのが聞こえた。

 

 

「――無愛想で態度の悪い人だなって最初は思ってた。でも……でも、マグル生まれで、みんなに追いつかなきゃ、小学校のときみたいに一番にならなきゃって焦ってた私を落ち着かせてくれた。私に魔法を使うタイミングをくれて、それをちゃんと評価してくれた。グループに溶け込めなくて緊張してた私をマイペースなジョークで和ませてくれた。生意気でお節介な私を甘えさせてくれた。ホグワーツが楽しいところだって教えてくれた。どんな無茶を言って後悔しても、笑ってついてきてくれた。私の魔法を何度でも褒めてくれた。私のそばにいてくれた」

 

 

 本と埃とシャンプーの匂いがする。大好きな香りが、ジュリアを包み込んでいた。

 

 

「私も、好き。好きよ、ジュリア」

 

 

 ジュリアは壊れ物を扱うように、そっと、そっとハーマイオニーを抱き返した。

 

 

「あたし、あんたの友達か?」

 

「違うわ、親友。私はジュリアの友達?」

 

「いや、親友だ。……うん、親友だ」

 

 

 ジュリアがハーマイオニーを抱き上げると、ハーマイオニーは力を込めてジュリアにくっついてきた。それが愛おしくて、ジュリアはハーマイオニーに頬ずりした。

 

 

「ジュリア、泣きすぎ」

 

「だって」

 

「ほら、ハンカチ貸してあげるから」

 

「おう……ありがと」

 

 

 ジュリアはハーマイオニーのハンカチで涙を拭き取って、それから濡れていない部分でハーマイオニーの目元を拭った。ハーマイオニーはこそばゆそうにしていたが、されるがままだった。

 

 ジュリアは洗って返すと言ったが、ハーマイオニーは気にせずハンカチを受け取って畳みなおした。

 

 

「私、もう少しパーソナルデータの開示を要求したいんだけど」

 

「なんでも聞けよ」

 

「そうね、目下一番気になるのは人狼の呪いを受け継いだってところかしら。あれは個人から個人への感染性の闇の魔術で、遺伝するものではないって闇の魔術に対する防衛術の参考書で読んだ気がするのよね。だから、ジュリアは非常に特殊な事例だと思うの。それで、現出してる性質に関してなんだけど」

 

「どうどう、今度母さんのノートと聖マンゴのカルテのコピー持ってきてやるから。だいぶ疲れちまった、頭回んねえ……」

 

 

 久しぶりに嵐のようなハーマイオニーと遭遇して、ジュリアは苦笑した。すっかり元通りのようだ。

 

 その時、ジュリアの嗅覚が腐った雑巾のような汚臭を感知した。

 

 

「ハーマイオニー」

 

「なに、私にも何か聞きたい?」

 

「あたしの後ろに。何か来る」

 

 

 振動が近づいてくる。何かを引きずる音も。

 

 このトイレは突き当たりだ。飛び出て廊下で相手を見るべきか、それともここで籠城するべきか。

 

 ハーマイオニーも近づいてくる存在を感じ取ったようで、震える手でジュリアのローブの裾を掴んだ。

 

 ジュリアとて実戦経験があるわけではない。緊急時の判断に慣れているとは言い難い。それでも、素早く思考を再度回転させて、ハーマイオニーの安全のために籠城を選んだ。迫り来る何かが引き返す可能性にも少しは期待している。

 

 しかし、おそらくこれは悪手だった。

 

 

「トロール……」

 

 

 ハーマイオニーが恐怖に目を見開きながら呟いた。大正解だ。灰色の巨体が、長い腕に棍棒をずり下げて、女子トイレの入り口に立ちはだかった。

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