ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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狩るものと狩られるもの

 薄暗いスネイプの執務室で、ジュリアはホットチャイを啜っていた。ミルクと茶葉の甘い香りが鼻を抜け、香辛料が体を温めてくれる。やはり気の利く男だった。地下牢の奥にある執務室はいるだけで底冷えする。大鍋が火にかけられていればまだましなのだが、今日はなんの魔法薬も調合していないらしい。

 

 スネイプはしばらく黙ったまま、ガラス瓶に詰められた緑色の水薬を採点していた。

 

 

「縮み薬っすね。あ、それ出来が悪いな」

 

「左様。失敗の原因はわかるか、ジュリア・マリアット」

 

 

 手渡されたガラス瓶を揺らしてみる。僅かに濁り、半透明の沈殿物も確認できる。栓を抜いて匂いを確認すると、まずネズミの脾臓の悪臭が鼻をついた。素材の匂いが残っているということは、魔法薬として反応が不完全だったことを意味する。

 

 他の素材はしっかりと溶け合っているので、ネズミの脾臓を処理する際に問題が生じたのだろう。もう少し情報が欲しかった。

 

 

「ネズミの脾臓は乾燥させたもんを?」

 

「いや、解剖から行わせた」

 

「んー……血抜きはしたが、リンパ液まで頭が回らなかった。そんなとこっすかね」

 

 

 スネイプは感心したように眉を上げた。この男はジュリアが思っていたよりも表情が豊かだ。

 

 スネイプは栓をしなおしたガラス瓶を受け取って、レイブンクローの鷲と”3”の数字が焼き印された木製のラックに立てた。

 

 

「叡智を誇る寮の3年生が、グリフィンドールの1年生に劣るとはな」

 

「人それぞれっすよ。あたしも変身術と呪文学は詰まること多いっす」

 

「口調と態度もであろう。グレンジャーを見習いたまえ」

 

 

 今度はジュリアが感心する番だった。てっきりスネイプはハーマイオニーのことが嫌いだと思っていたのだ。

 

 いつぞや、歌も教えてくれた極東からの留学生が、暴徒と化したデモ隊のニュースを見ながら教えてくれた言葉がある。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。スネイプはハリーの父親を憎むあまり、グリフィンドール全体とそこに属するすべての寮生に悪意を向けている節があった。

 

 

「そこまで意外か」

 

「あー、まあ」

 

「真面目な生徒を嫌う教師はそう多くはない。あそこまで出しゃばりでお節介が過ぎると辟易するが」

 

 

 ジュリアはハーマイオニーの悪癖を思い出して、微妙な笑みを浮かべた。弁護のしようがない。スネイプはジュリアのぎこちない笑顔を鼻で笑うと、ガラス瓶を棚に片付けた。

 

 

「もっとも、アラスター・ムーディのような例もある。礼節を弁えずとも、実力と成績が伴うならば君には闇祓いの道が開けているだろう」

 

「闇祓いねえ」

 

「そのような進路を希望していると考えていたが」

 

 

 まさか進路相談が始まるとは思わなかった。ジュリアはチャイを飲みながら考える。なんだかんだでホグワーツには来ることができた。では、ホグワーツを卒業した後、どうなるのか。

 

 正直、あまり明るい未来はイメージできなかった。

 

 

「あたしみたいな犬っころを魔法省が雇ってくれるとは思えねえんすよね」

 

「……人狼に対する偏見が存在しているのは事実だ。人狼に噛まれ、治療が間に合わず退職する闇祓いがいることも、また事実だ」

 

「期待させて落とすのはたちが悪いっすよ、先生」

 

 

 スネイプも一口チャイを飲んだ。この男が甘いものを飲むということがジュリアには意外だったが、ご多分に漏れずこのチャイもおいしく淹れられていた。いや、チャイは煮出すのだったか。

 

 ややあって、スネイプが静かに口を開いた。

 

 

「強くなりたいそうだな」

 

「ダンブルドアが?」

 

「校長だ、ジュリア・マリアット」

 

「あいあい。で、ダンブルドア校長から聞いたんすね?」

 

「聞かされた。トロールとどのように戦闘したか説明してみろ」

 

 

 ジュリアにとっては少々苦い思い出だ。敗北ぎりぎりだった。ハリーとロンが現われなければそれこそ命の危機だ。しかし、敗北から学ぶこともある。ジュリアはレポートを提出する気分で目の前の一流魔法使いに説明を始めた。

 

 衝撃呪文による挑発。頭部、特に目を狙い、衝撃と閃光の両方で注意を引きつける。こちらに注意が向いたらハーマイオニーに棍棒が当たらない位置に移動。棍棒の叩きつけを盾の呪文と持ち前の膂力で受け止め、さらに挑発。この時点で個室の隔壁は破壊され、視界が開けるのも想定済み。

 

 ここから戦況が変わる。断裂呪文を脚に放つが、表皮を切るだけに留まる。次に粉砕呪文で棍棒を狙うが、対象が大きすぎて効果が発揮されない。失神呪文が目に直撃するも、威力不足でよろめかせる程度。手詰まり。

 

 そして、横薙ぎの可能性を想定していなかったために、棍棒の直撃圏内にジュリアとハーマイオニーの両方が入る。咄嗟の判断でハーマイオニーの横まで跳躍、盾の呪文で棍棒の軌道を曲げる判断をする。唱える時間はなく、無言呪文で不完全な盾を展開するが、盾は砕け、壁に叩きつけられた。しかし、わずかに軌道を曲げることには成功し、ハーマイオニーには棍棒が当たらない。

 

 負傷し起き上がるのも困難な状態ではあったが、杖腕は動いたため、盾の呪文を再び展開。横になっていたため、棍棒の振り下ろしを盾で受ける衝撃を全身で受けることになる。痛みで集中が途切れ、次の攻撃に対する防御は展開が困難だと判断するも、動くことはできない。

 

 このタイミングでハリーとロンが登場。ハリーはトロールに物理的な痛みを与えて錯乱させ、ロンは浮遊呪文で棍棒をトロール自身に当て、トロールを気絶させることに成功する。

 

 これが、ジュリアの記憶しているあの戦闘のすべてだ。

 

 

「……なるほど」

 

「いやあ、途中までは頑張ったんすけどね、我ながら無様っつうか、なんつうか」

 

 

 ジュリアは肩をすくめたが、スネイプは否定するようにかぶりを振った。

 

 

「盾の呪文を無言呪文で展開するのは一部の魔法戦士や闇祓いの技量だ。……なぜそれほど守りに特化している? ムーアクロフトは君に何を教えた?」

 

「殺しても殺されたら負け」

 

 

 スネイプが息を呑んだ。

 

 

「あたしは犬っころだ。人間より多少呪いに強いし、力もある。それに、牙と爪も。弱い魔法使いや魔女なら無理なく狩ることができる」

 

 

 ジュリアは指先から鋭い爪を生やしてみせた。この爪で喉を貫くだけで、きっと人間はあっさり死ぬ。

 

 

「でも、ある程度の力量がある魔法使い、魔女、魔法生物、それから純粋な人狼。そういった連中に対しては、刺し違えることはできても生き残ることはできない。もっと上になるとお手上げだ」

 

「なぜ、戦うことが前提なのだ」

 

「あたしが狩られる側だから」

 

 

 今度こそ、スネイプは驚愕で目を見開いた。

 

 おそらく、スネイプは人狼を凶暴なハンターだと思っていたのだろう。たとえ弱点や性質を心得ていたとしても、印象というものはそうそう変わるものではない。

 

 魔法界全体の認識はもっと悪い。人狼を凶悪で凶暴で制御不能な疫病持ちの犯罪者予備軍だと考えている。純血思想の持ち主や人狼の被害者は排斥運動まで行っているし、噂によれば反人狼法を提案した高官もいるらしい。

 

 魔法界にとって人狼とは獣であり、獣とは狩られるべきものなのだ。

 

 

「ハンターは狼じゃない、人間なんだよ、先生。ましてや、あたしみたいな半端者の犬っころはウルフパックを組むことすらできねえ。あたしは一生、狩人から逃げ続けなくちゃいけねえんだ。……それが、母さんの教え」

 

 

 ジュリアはチャイを飲みほした。すっかりぬるくなっている。

 

 

「おおよそ、理解した。そのように思う。……わかった」

 

「え、なんすか」

 

「フリットウィックとマクゴナガルにもこの話はいっているようだが、我輩が受け持とう。君を鍛える。習得した魔法をより強力なものとし、実戦向きの魔法を指導し、君に適した独自の魔法を構築する。来週、いや、再来週からだ。部屋を用意しておく。異論はないな?」

 

「マジで……いや、なんつうか」

 

 

 ジュリアは思わず泣きそうになるのをこらえて、頭を下げた。

 

 

「ありがとうございます、先生」

 

「……まともな言葉も使えるではないか」

 

「めっちゃ頑張ったんすよ今の」

 

「もう崩れているぞ。……その泣きそうな顔をどうにかしたまえ。ムーアクロフトの顔で泣かれると、とても悪いことをしてしまった気分になる」

 

 

 泣かせたことがあるのだろうか。ジュリアは内心驚きながら、袖で顔をごしごしこすった。

 

 話は終わりだと言わんばかりにスネイプは棚から未採点のガラス瓶を呼び寄せたが、ジュリアはふと思い出して問いかけた。

 

 

「そういや先生、なんで三頭犬に噛まれたんすか。エピスキーで治るなら使いますけど」

 

「何?」

 

 

 スネイプの手が止まった。

 

 

「いや、匂いでわかりますって」

 

「どこで三頭犬の匂いを……ああ、言わんでいい。減点するのも面倒だ、まったく。あの閉鎖呪文は君だな。どこで覚えた」

 

「狼狩りの押し入りから逃げるときに時間稼ぎが――」

 

「わかった、言うな、口を開くな。……このことはポッターどもには」

 

 

 スネイプが厳しい視線で睨みつけてくるので、ジュリアは慌てて首を横に振った。

 

 

「先生が三頭犬に噛まれたことは言ってねえけど、4階の廊下で仕掛け扉の上にいる三頭犬自体はハリーたちも見てる。というか一緒にいた。ハリーは仕掛け扉の下に何が隠されてるのか気にしてるし、なんか先生のことを怪しんでるが、それはハグリッドのうっかりと先生の態度が原因。……オーケー?」

 

「最悪ではないが、望ましくない状況だ。……上手く誤魔化せ。気づかなかったように振る舞え。いいな?」

 

「あいあい。傷は可能な限り隠したほうがいいっすね、ハリーは近々本を回収しにくるつもりだ」

 

 

 スネイプは大きくため息をつくと、執務机の引き出しから『クィディッチ今昔』を取り出して、ジュリアに差し出した。

 

 

「返してやれ。……この後教員会議がある。それが終わったらフィルチに手当を頼むつもりだったが、どこにポッターどもが現われるかわかったものではない。気が抜けんな」

 

「先生、ちょっと脚出して。……しみるから食いしばって。テルジオ、拭え」

 

 

 スネイプが小さく唸ったが、化膿しはじめていた大きな傷は少なくとも清潔になった。ジュリアは懐からマートラップ触手液の小瓶を出して傷口にまんべんなく塗る。魔法生物から受けた傷だ、すぐには回復しない。それでも手当てしないよりはましだろう。

 

 

「よし、あとは……フェルーラ、巻け」

 

 

 ジュリアは杖から包帯を出して、傷口を覆った。傷口の洗浄、治療薬の塗布、包帯による清潔の維持。日用魔法は苦手だったが、これも母に叩き込まれた。

 

 

「きつくないすか? 本当はハナハッカ・エキスがあればよかった」

 

「……問題ない。そうか、ムーアクロフトは聖マンゴに勤めていたな」

 

「研究棟っすけどね。でも実習は受けてたみたいで……あ、先生、時間」

 

 

 スネイプは壁掛け時計をちらりと見て、無言で立ち上がると、早足で執務室を出た。ジュリアは『クィディッチ今昔』を忘れずに抱えて、スネイプの後を追い、何事もなかったかのように途中で別れた。


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