ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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誰が箒を呪ったか

 ハリーのデビュー戦当日。死を宣告された患者のような沈痛さを全身で醸し出しながら、ハリーはコーンフレークをミルクに沈没させている。

 

 ジュリアはなんとか気を紛らわそうと――シーカーが一番に狙われるなどと余計なお節介を口にした少年を睨んで黙らせたが、遅かったようだ――スネイプとの個人授業を話題として提供した。しかし、それこそロンにとっては死の宣告に思えたようだ。

 

 

「ジュリア、君、気は確かか? だって、あのスネイプだぞ? 嫌味で、陰湿で、闇の魔術にどっぷりの、悪党!」

 

「お生憎様。お前の大好きなスネイプは、あたしにとっちゃ両親の友達でいい先生だよ」

 

「あなた魔法薬学得意だものね、ジュリア。個人授業はどんなことをするの? スネイプ先生オリジナルの魔法薬を調合するとか?」

 

 

 ロンとは対照的に、ハーマイオニーは個人授業の内容に興味津々のようだった。いつもジュリアと組んで調合し、ジュリアが提出したレポートへの添削を食い入るように読んでいるハーマイオニーも、グリフィンドール寮生にしては珍しくスネイプに悪感情を抱いていない。

 

 ジュリアはキュウリのサンドイッチを冷えたミルクで流し込んで――キュウリの青臭い、メロンの食べられないところのような匂いも嫌いだ――質問に答えた。

 

 

「ちょっと呪文の個人指導をな。あたしはもっと強くなるから楽しみにしてろよ、ハーマイオニー」

 

「あなた、まさかまだハロウィーンのときのこと気にして……」

 

「トロールくらい片手間に狩れるようになるさ。なんてったってホグワーツは魔窟だ、マジの魔窟」

 

「聞けよ、ジュリア」

 

 

 ロンが教員席をちらりと見て、密告するかのように声を潜めた。スネイプはいない。彼が朝食を広間で食べている姿をそもそも想像できなかった。校長になれば毎朝来るのかもしれないが、今のところその路線ではなさそうだ。ジュリアは、”スネイプ校長”を頭の中に描いてみる。つばの大きなとんがり帽子を被ったスネイプが、仏頂面で「二言、三言。わっしょい、こらしょい、どっこらしょい。以上」と口にするわけだ。

 

 

「ちょっと、何笑ってるのさジュリア」

 

「いや、なんでもねえ。で、どうした」

 

「トロールをやっつけたあの日、他の先生たちはクィレルが言ったとおり地下を目指して急いでた。なのに、スネイプは4階のあの廊下に向かってた。怪しいと思わないか?」

 

「お前、寄り道したのか。おかげさまで結構痛めつけられたぜ、あたし」

 

「いや、それは、その……とにかく、スネイプは怪しい! ハリーもそう思うよね?」

 

 

 ハリーは上の空で「うん……」とだけ返事して、スプーンを置いた。

 

 

「僕、何も食べたくない」

 

「トースト用のバターでも口に放り込んどけ、エネルギーにはなる」

 

「不健康よ、それ」

 

 

 ジュリアは肩をすくめて、教員席を見た。ターバンを巻いたクィレルの姿もなかった。

 

 最近まではマグル学の教授だったという。その男が、アルバニアで修行を積み、闇の魔術に対する防衛術の教授として着任した。ジュリアは前のバイト先でラジオから流れていたニュースを思い出す。欧州の最貧国アルバニアが社会主義路線から資本主義路線へ転向し、アルバニア共和国と名を改めたのは今年のことだ。情勢は不安定。修行にはなるかもしれないが、なぜアルバニアなのか。力をつけるならアフリカのワガドゥに研修を依頼してもよかったはずだ。

 

 母が語った時代のホグワーツにクィレルという男はいない。何者なのか。ジュリアは思案に耽りながら、パリッと焼けたソーセージを口に運んだ。

 

 クィディッチ競技場の観客席はちょっとした塔になっていて、ひどく寒かった。この寒さの中で飛び回る選手はもっと寒いだろう。それともスポーツ特有の脳内麻薬で寒さを感じないのだろうか。ジュリアはマフラーがしっかり巻かれていることを確認して、手をさするハーマイオニーに寄り添った。

 

 グリフィンドールは先ほど先取点を決めたばかりで、全体的に興奮している。穴だらけのシーツで作った「ポッターを大統領に」という赤い旗が、色とりどりに光る獅子の絵を載せてはためいていた。シーツを用意したのはロン、絵を描いたのはディーンとかいうサッカーマニアの少年、発光する呪文をかけたのはハーマイオニーだ。ジュリアは絵の具にちょっとした魔法薬を加えて、グリフィンドールが点を取るたびに獅子が吠えるようにしてやった。

 

 

「おう、ちょいと詰めてくれ」

 

「ハグリッド!」

 

 

 双眼鏡を首からぶら下げた大男が、ふうふう言いながら観客席まで昇ってきた。今日は何も動物を連れていないようだが、それでも獣の匂いがする。ハグリッドは分厚いコートのポケットからロックケーキを取り出すと、3人にすすめた。

 

 

「ほれ、食うかロン、ハーマイオニー。お前さんがジュリアだな、話はよう聞いとる。エレンにそっくりの別嬪さんだな。おまえさんも食え食え」

 

「おう、ありがとよハグリッド」

 

「笑い方はヘクターによう似とるなあ。おーっ、ハリーが動いたぞ!」

 

 

 慌てて視線をコートに戻すと、スリザリンのシーカーからわずかにリードしてハリーが空を駆けていた。生徒たちは双眼鏡でその姿を追いながら興奮の声を上げている。ジュリアの目にも金色の光が見えた。あれがスニッチだろう。

 

 あと少しだ。手の届きそうな、ぎりぎりの距離。ハリーが片手を箒から伸ばす。

 

 その時、体格のいいスリザリンの選手がハリーにタックルして妨害した。ハリーは一瞬不安定な姿勢になったが、何とか落下せずに復帰する。しかし、そのころにはスニッチは彼方へと逃げていった。

 

 

「反則だ!」

 

 

 ロンを筆頭にグリフィンドールの観客席から罵声が上がる。ジュリアもタックルした選手に中指を立ててやろうとしたが、ハーマイオニーに手を押さえられた。確かこういうときは選手に生卵を投げつけるのが一番いい嫌がらせだったか。とはいえ、この距離で卵を投げつけたらさすがに怪我をするだろうし、卵を持ち歩いているわけでもない。ジュリアは無言で座りなおした。

 

 実況中継も――驚くべきことに、実況はグリフィンドール寮生のリー・ジョーダン、解説はマクゴナガルが担当している――明らかな妨害行為に不快感を示していた。

 

 

「えー、胸糞の悪いふざけたインチキの後……」

 

「ジョーダン」

 

「では、くそったれで不快なファールの後……」

 

「ジョーダン!」

 

「アイアイ、マム。フリントが誰にでもある些細なミスでグリフィンドールのシーカーを殺しかけた後、ペナルティー・シュートです。スピネットがスロー。よし、決まりました。クアッフルはグリフィンドールが持っています。ゲーム再開です」

 

 

 ジュリアが「いい実況じゃないか」と褒めようとした矢先、ハリーの挙動がおかしくなった。まるでロデオでもしているかのような――つまり、箒が乗り手を拒否しているような挙動を見せている。

 

 

「ちょいと意見を聞きたいんだが」

 

「何? ああっ、スリザリンが得点しちゃった!」

 

「ハリーの箒がおかしい。箒ってのは乗り手を選んだりするもんか? それともウッドがしごきすぎて故障したのか?」

 

 

 ハグリッドが慌てて双眼鏡を覗き込む。そのころには明確に箒がハリーを振り落とそうとしていた。

 

 

「箒はそう簡単に故障なぞせん。しかし、コントロールを失うなんて、ハリーに限って……」

 

「きっとスリザリンの連中が呪いをかけてるんだ!」

 

 

 ロンが悲鳴のような怒り声を上げたが、ハグリッドは否定した。

 

 

「箒には強力な魔法がかかっとる。チビどもがニンバス2000に手出しできるものか。よっぽど強力な闇の魔術でもなきゃありえん」

 

「まさか……ハグリッド、貸して!」

 

 

 ハーマイオニーはハグリッドから双眼鏡をもぎ取ると、ハリーではなく、観客席を見渡しはじめた。ハリーを落下から守るため双子のウィーズリーが旋回し、その間にスリザリンは得点を重ねていく。しかし、もはやゲームどころではない。

 

 ハーマイオニーが双眼鏡を握りしめた。

 

 

「スネイプだわ。……ロン、見てごらんなさい」

 

 

 ロンが双眼鏡を受け取ると同時に、ジュリアも向かい側の教員席に目をこらした。スネイプがハリーに視線を向け、まばたきもせず、なにかを唱え続けている。

 

 

「呪いをかけてるんだわ……間違いない。ちょっと行ってくる!」

 

 

 返事をする前にもうハーマイオニーの姿は消えていた。観客はもうゲームに集中していない。ハリーが今にも落下して命を落とすのではないか、そんな空気が充満して恐怖の囁きが聞こえる。

 

 双眼鏡をハリーに向けたまま、ロンが震える声で囁いた。

 

 

「早くなんとかしてくれ、ハーマイオニー」

 

 

 ジュリアは危機を感じていた。よく観察して落下地点さえわかれば、先日『クィディッチ今昔』から学んだばかりのモリアーレ――無重力呪文でダメージを抑えられるかもしれない。だから、ハリーに関してはひとまずなんとかなる。問題は、ハーマイオニーが向かったと思われる教員席だ。本当に、万が一スネイプが呪いをかけているとしたら、熟達した闇の魔術の使い手に1人で挑むことになる。ジュリアは教員席に目をやった。

 

 そして、気づいた。

 

 クィレルが嫌な笑みを浮かべながら、ハリーの箒を注視してなにかを唱えている。どもりながら教科書を読み上げる授業をしている”先生”の表情ではない。ジュリアを「狼女の出来損ない」と呼んで磔の呪いをかけてきた人狼狩りの魔法使いのような、暗い、暗い笑みだ。

 

 パズルのピースがパチパチとはまっていく。トロールを最初に発見したのはクィレル。クィレルは今年から闇の魔術に対する防衛術の教授になった。その前の期間でアルバニアで修行を積み、今年になって熟達した魔法使いとして帰ってきている。そして、今年はホグワーツに何かが隠され、守られている。

 

 

「なるほど。……なるほどねえ」

 

 

 どこまでダンブルドアの掌の上なのだろうか。ジュリアは考える。クィレルが怪しい。しかし、その程度はダンブルドアも承知の上だろう。そして、そのクィレルを教員として迎え入れ、よりにもよって生徒の護身術である「闇の魔術に対する防衛術」を任せている。わからない。情報が必要だ。

 

 その時、教員席にちらりと鮮やかな空色の炎が現われ、教員席の誰かが「火事だ!」と叫んだ。炎はすぐに”収納”されたようだ。

 

 そして、箒に復帰したハリーが急降下し――

 

 

「スニッチを取った!」

 

 

 口からスニッチを吐き出した。

 

 あれはルール的に許されるのかとジュリアは誰かに聞きたかったが、一転して熱狂状態の観客席では誰もがグリフィンドールの勝利についてしか語らない。ジュリアは自信に溢れた表情でスニッチを掲げるハリーと、震える足で教員席から立ち去ろうとしているクィレルに目をやり、小さく肩をすくめた。

 

 

「グリフィンドール、170対60! 勝利、勝利です!」

 

 

 厄介事の気配がする。

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