クリスマス休暇が近づくと、パーシーですら文句を言わないほど浮かれた空気がホグワーツを満たしていた。ジュリアは静かに祝うクリスマスが好きだ。無口な母と小さなケーキを分け合って、ささやかなプレゼントを交換して、温かい紅茶を飲みながら窓辺の雪と凍り付いた窓を眺める。幼少期の美しい思い出。もっとも、ここ数年はクリスマスといえばバイト先が休業する日程度の印象しかなかったが。
ただ一人、スネイプだけが陰気な表情を崩さなかった。魔法薬学の授業はいよいよスリザリン寮生の指先すらかじかませ、吐息を白くさせている。ハーマイオニーが温熱の呪文というなかなか便利そうな魔法を試してくれて、これは事実ジュリアたちを寒さから一時解放した。しかし、ハリーとロンに魔法がかかっていることに気づいたスネイプがいつも通りの減点を通告したために使用禁止。ジュリアは何度も心の中で悪態をつきながら、震える指先で鰻の目玉から水晶体を取り除いた。
「可哀想に、クリスマスなのにおうちに帰れない子がいるんだ」
マルフォイがハリーを挑発するが、ハリーは黙ってカサゴの脊椎の粉末を天秤に載せている。冷静だ。
クィディッチでのハリーの活躍以来、マルフォイはなんとかハリーを笑いものにしようと奮戦しているようだった。嫉妬。自分はチームにも入れてもらえず、ライバルのハリーはチームに入って英雄扱いを受けている。そこで自分が上がるのではなく相手を落とすことを選ぶあたりがスリザリンらしかった。
「家族に大事にされないって、きっととても辛いんだろうねえ。僕にはわからないけど」
「それはお前の家族を人質に取ればなんでもしてくれるって意味か、聖28氏族のドラコ・マルフォイ坊ちゃん」
「ぼ、僕を脅す気か、マリアット!」
小さく悲鳴を上げて、マルフォイが薬匙を大鍋に落とした。こういう小心者の小悪党は可愛らしい。ちょっとつつくだけでいい声で鳴く。
もう少し遊んでやろうかと思ったところで、スネイプが大鍋からマルフォイの薬匙を引き上げた。少し縮んだようにも見える。
「軽率な言動は慎みたまえ、マリアット」
「うっす、すんません先生」
明らかに不服そうな表情で「なんで減点しないんだ」と訴えるマルフォイを尻目に、スネイプはグリフィンドール寮生の調合法を見て回っては粗探しをしていた。ハリーとロンがにやりと笑ってガッツポーズした。
地下牢を出て、大広間に繋がる廊下でもみの木を抱えたハグリッドに出会った。正確にはハグリッドに抱えられたもみの木だろうか。あの巨体が埋もれるほどの大きなもみの木を、フウフウ言いながら運んでいる。
「おう、お前さんたちか。ほれ、おいで。大広間がすごいぞ」
足の生えたもみの木についていく。ちょうど、マクゴナガルとフリットウィックがクリスマスの飾り付けをしているところだった。編まれたヤドリギが壁に飾られ、柊の実が色鮮やかな花火を散らし、輝かしいクリスマスツリーが11本――いや、ハグリッドが持ってきたものを合わせて12本。見事なものだ。あっけにとられたジュリアを見て、マクゴナガルが微笑んだ。
「ジュリア、ハリー、ロン、お昼まで30分あるわ。図書館に行かなくちゃ」
「そうだ、行こう」
「マジで言ってんのか。あたしは残るからな、クリスマスムードに浸らせてくれ」
「ジュリアの言うとおりだ。お休み前だぞ? お前さんたち、勉強熱心なのは偉いが……」
ハグリッドが呆れた声を上げるが、じきにその表情は固まることになる。
「僕たち、ニコラス・フラメルについて調べてるんだ」
「なんだって――ああ、まったく。お前さんたちは余計なことに首をつっこんどる」
ジュリアも同感だったし、なんならクリスマスの飾り付けを手伝うほうが有意義な時間を過ごせるとすら思っていた。それに、プレゼントの用意もしなくてはならない。今日の魔法薬学でもスネイプはレポートを課してきたし、休み中も個人授業は続くようだし、ジュリアは忙しいのだ。
しかし、3人はジュリアのささやかな願いを受け入れるつもりはないらしかった。彼らの胸にはいかにも魔法使いらしい探究心と、いかにもグリフィンドールらしい正義感が燃えている。
「ハグリッドが教えてくれたら、ゆっくり休めるんだけど。もう何百冊も調べた気がするのに、どこにも載ってないんだ」
「俺はなんも言わんぞ」
「じゃあ自分たちで見つけなくちゃね。ほら、その氷柱は食べられないわよジュリア」
「食おうとしてるわけじゃねえよ! はあ、あたしも行くのか? 行くのか、そうか」
3人が図書館に向かうのをゆっくり追いながら、ジュリアはすれ違いざまにハグリッドに囁いた。
「あいつらはまだ賢者の石を知らない」
「お前さん……」
「またな、ハグリッド」
やむを得ず追いかけて図書館に辿り着くと、3人はすでに調べものを始めていた。『二十世紀の偉大な魔法使い』やら、『現代の著名な魔法使い』やら、3人はニコラス・フラメルに対して「最近の」「ダンブルドアに比肩する」という人物像を描いているようだ。後者は当たり。前者も、当たりと言えないこともない。
ジュリアは重い本を運ぶ重機代わりにこき使われつつ、3人を現代魔法史にうまく閉じ込めていた。喜ばしいことだ。結局その日も昼食まで収穫はなく、3人はジュリアに促されて図書館を出た。
「ハーマイオニー、家に帰ったらパパとママにフラメルについて聞いてみて。パパやママなら聞いても安全だろ?」
「安全ね。二人とも歯医者だもの」
こうして、クリスマス休暇前日は無事終わった。
翌朝、ジュリアは目が覚めて、ハーマイオニーのベッドが空だと気づいた。これからしばらくはハーマイオニーロスが続くだろう。本当はハーマイオニーと一緒にクリスマスを祝いたかった。
談話室に下りると、ハリーとロンが魔法使いのチェスを指していた。暖炉には串に刺したマシュマロがかけられている。休暇を満喫しているようだ。
意外に、と言うべきか、ロンはチェスの名手だった。古参兵然とした傷だらけの駒を縦横無尽に操っている。ハリーは誰かからの借り物のようで、まず駒から信用されていない。
「冗談じゃないよお、君ねえ、僕をそこに進める気かい? あそこに敵のナイトがいるだろう、節穴なんだよ君はあ。あっちの駒を進めなさいよお、あの駒なら取られたってかまわないんだから」
妙に腹立たしい声でビショップが叫んだ。
「Nxc2にRxc2でルークが利くから取られ得だぞハリー」
「ジュリア、チェス指せるの?」
ぶちぶちと文句を言いながらハリーのビショップが取られた。
「いや、教本とスコアをざっと読んだだけ。指したこともねえし、ロンほど上手くもねえよ。……あー、今のは悪手だったか、悪いなハリー」
「えっ」
Qxc2。がら空きになったハリーの陣地にクイーンが睨みを利かせていた。
それから、ジュリアもハリーと交代でロンに挑戦し、興奮のあまり何度も罵声と悪態を吐いて2人を笑わせ、ボロボロに負けて夜を迎えた。ジュリアは貸し切り状態の寝室で月を眺めながら、来年度はトランプを2組持ち込んで、ポーカーで下着までひん剥いてやろうと決心した。
翌朝、ジュリアはベッドの足元にプレゼントが置かれていることに気づいた。きっとしもべ妖精が配達したのだろう。こういう粋な演出をするホグワーツのことをジュリアは気に入っていた。靴下を吊るしておけばよかったか、などと思いながら、ひとつずつ開けていく。
ハグリッドからは鹿肉のジャーキー。「ヘクターもこいつが好きだった。メリークリスマス。ハグリッドより」と下手な、しかし温かみのある字のメモが入っていた。
ハーマイオニーからはマグル界で売っているステンレス製の爪ヤスリ。先日、ガラス製のものが折れてしまったのだ。少々お小遣いを奮発した気配がする。本に使う予算を少しこちらに回したのではなかろうか。大事に使わせてもらうことにした。
母の後輩からも届いている。水晶製の薬瓶一式だ。高かっただろうに、と思いながらも、メッセージカードを読む。
「ジュリアちゃんへ。セシリーお姉さんです。ホグワーツに入ってくれたおかげでようやく送り先がわかるようになったし、かさばるものをプレゼントしても大丈夫になったから、悩みに悩んで、これを贈ることにしました。大きくなったジュリアちゃんに会いたいな。来年の夏休み、どこかでうまく休みを取るから遊びに来てくれない? ぜひお友達も一緒に。お手紙待ってます。セシリー・オニールより」
聖マンゴの消毒液とシーツの匂いがする。きっと職場で急いで書いたのだろう。ジュリアはメッセージカードをそっと胸に当てた。
ジュリアはこれで終わりかと思っていたが、まだあった。マクゴナガルからと、スネイプからと、差出人不明だ。
マクゴナガルからは真鍮の手鏡が届いていた。身嗜みに気をつけろということらしい。寝癖もそのままにシャツとショートパンツであぐらをかいているジュリアが鏡に映っている。ジュリアは笑って櫛を手に取った。
スネイプからは本だ。表紙には金の箔押しで『気品ある発音と表現――社交界デビューを迎えるご子息・ご令嬢のために』と書かれている。ぱらぱらと捲ると、クリスマスカードが挟まっていた。
「君が荒くれ者の傭兵かアラスター・ムーディになるのでもない限り、きっと役に立つだろう。勉学と両立して励むこと。メリークリスマス。S.S.」
「荒くれ者の傭兵とアラスター・ムーディって大体同じじゃねえか。……同じではありませんか。なんか気持ち悪いな」
ジュリアはぼやきながらも、最初のページにしおりを挟んで鞄に入れた。ゆっくり読もう。
最後の包みはセーターとたっぷりの焼き菓子だった。セーターは手編みだ。ジュリアの髪と同じ紺色のセーター。とても暖かそうで、一箇所もほつれがない。昔、バイト先の男がはしゃいでいたのを思い出す。「フィアンセに編んでもらったんだ!」などと言っていただろうか。
ジュリアはしばし悩んで、シャツの上に分厚いセーターを着ると、杖を確認し、もう一度手鏡で髪が跳ねていないのを見て、談話室に下りていった。
「よう、メリークリスマス」
「メリークリスマス、ジュリア。ペンナイフのプレゼントありがとう、大事に使うよ」
「おう。間違ってもダーズリーの連中は刺すなよ、ジュリアお姉さんとの約束だ」
「メリークリスマス。ママったら、ジュリアにも『ウィーズリー家特製セーター』を贈るなんて……。あっ、ネズミ用栄養剤ありがとう、さっそく1本スキャバーズに飲ませたよ」
「これ、ロンの母さんからか。あとでお礼のフクロウ飛ばさなきゃな。……なに変な顔してんだよロン」
ロンはしばらく黙っていたが、ジュリアがじっと見つめると、目をそらしてボソボソと返事をした。
「いや、その……ママに君のこと話したんだ。なんていうか……1人で暮らしてることとか、そういうことを」
「あたしが一文無しのストリートチルドレンだってことか?」
「えっと……嫌だったかな、ごめん」
ジュリアは歩み寄るとロンの赤毛をぐしゃぐしゃにかき乱した。なんだかんだでこいつも可愛げがでてきた。生意気な少年だが、ジュリアにとってはいい友達だ。
「気ぃ遣わせちまったな、ありがとよ。別にあたしは今の生き方を恥じちゃいねえし、それを友達に語られることくらいなんとも思わねえさ」
「――速報! ロニー坊やにガールフレンドの気配!」
談話室に飛び込んできた双子が喚きながらジュリアとロンの周りをぐるぐる回った。
「しかもウィーズリー家のセーターまで! もう僕らの家族か、手が早いなロン!」
「おっと、子孫繁栄はお祈りしないでくれよ? もう隠れ穴は満員だ!」
「ちょっと、フレッド、ジョージ、そんなんじゃないって! ジュリアからも何か言ってよ!」
ジュリアは色々考えた末、ニヤリと笑って口を開いた。
「生憎とあたしはハーマイオニーのボーイフレンドなんでな。ジュリア・グレンジャーになるのかハーマイオニー・マリアットになるのかは知らんが」
「……わーお、驚き桃の木」
そこにパーシーがセーターを抱えたまま顔を出して、また騒ぎになった。
ジュリアにとっては初めての賑やかなクリスマスだった。