ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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噛みつく

 ハリーに対する嫌悪の刺が四方八方から向けられていた。一晩で150点を引かれた目立ちたがりの自己中心的な子ども。それが4つの寮に所属する寮生の共通認識となっていた。スリザリンはあからさまに感謝を示し、グリフィンドールはおおっぴらに悪口を言い、ハッフルパフとレイブンクローですら悪意のまなざしでハリーを見た。みんなの嫌われ者であるスリザリンから寮杯を奪うチャンスを潰したのだ。

 

 ハリーはクィディッチで得点を稼いでいた。つまり、英雄扱いを受けていた。その分、掌返しの落差は激しい。ハリーはできるだけ試験勉強に没頭しようとしている様子だったが、それでも苦しんでいるのはジュリアにもわかった。

 

 もちろん、ジュリアも悪意に晒された。ジュリアはハリーほど目立っていなかったから、「ハリーと一緒に減点された奴」程度の認識しかされていないし、元々友達が多いわけでもない。ジュリアは隠し通路で教室に向かい、空き教室で本を読み、門限ぎりぎりに女子寮のドアを押した。食事だけは広間に出ないとどうしようもなかったが、そこはマクゴナガルが目を光らせてくれていた。

 

 しかし、ジュリアの悪口を言われるたびにハーマイオニーが怒るのは問題だった。ハーマイオニーが悪目立ちするのはジュリアにとって本望ではない。人は悪人を庇う人物もまた悪人であると考える傾向が強い。人狼狩りの魔法使いがジュリアの母を闇の魔法使いだと決めつけたように。

 

 

「グレンジャー、あなたならわかるでしょ? もうあの女とつるむのはやめなさいよ。あなただけよ、あんな屑の人でなしと付き合ってるのは」

 

「お生憎様ね、ブロックルハースト。ジュリアはこんなところで私に陰口を吹き込もうとする人なんかよりずっと素敵で立派な人だわ」

 

「へえ、あくまでもあの女の肩を持つのかよ、グレンジャー」

 

「マクラーゲン、だったかしら。そうよ、ジュリアは私の親友。なにか文句でもある?」

 

「ああ、あるね。あいつはポッターと一緒に寮対抗を台無しにした」

 

「それで? ご自分で稼いだ点はどれくらいあるのかしら? 私よりも多い? 記憶が正しければ、ジュリアだってトロールと戦ったときに10点もらっているのだけど、あなたは10点でも稼いだことがある?」

 

「……僕を挑発したな、グレンジャー」

 

「知らないの? グリフィンドールって勇敢なのよ。ああ、あなたには関係のないことだったわね、マクラーゲン」

 

 

 ジュリアはしばらくその会話をタペストリーの裏で聞いていた。出るタイミングを失ったとも言える。ハーマイオニーが自分のために熱くなってくれるのは嬉しい。しかし、こうやって他の寮に敵を作っていくのは、彼女のためにならない。確かに、親友のために戦うのはグリフィンドールらしい勇敢さだが、その勇敢さが彼女自身を傷つけることになるのではないかと思うと、ジュリアは胸が苦しくなった。

 

 マクラーゲンかブロックルハーストかのどちらかが杖を抜いた音がした。

 

 

「――おやおや? あたしの可愛いお姫さまに杖を向ける、悪い魔法使いが、ひとーり、ふたーり」

 

「ジュリア、どうして」

 

 

 隠し通路の斜面を蹴って、一歩で廊下の中心、”悪い魔法使い”とハーマイオニーの間に躍り出る。ハーマイオニーは壁際まで追い詰められていた。気丈なことを口にしていたが、顔色はよくない。

 

 ジュリアはマクラーゲンとブロックルハーストに向き直ると、両手を広げて笑ってみせた。

 

 

「どうした? お前らの憎い、にくーい、屑で人でなしのジュリア・マリアットはここだ。お前らの杖が届く一歩先だぞ。さあ、杖に力を込めろ。呪文は正確にな。何をかけたい? 磔の呪いか? しっかり憎しみを込めて唱えろ、それがコツだそうだ」

 

 

 ジュリアが小さく踏み出すと、マクラーゲンとブロックルハーストは杖を構えたまま一歩退いた。

 

 

「ああ、法に触れるのが怖いか? そうか、でも安心しろ。お前らにとってあたしは人じゃねえんだろ? ほら、ハンティングのお時間だ。呪いを唱えろ。獲物をいたぶれ。そして仕留めて、お前らは栄光を手にするんだ」

 

 

 ジュリアはもう一歩踏み出した。マクラーゲンとブロックルハーストの杖が胸に当たる。ジュリアの黒いローブの上に小さく火花が散った。2人の手は震え、ブロックルハーストは涙すら浮かべている。

 

 

「どうした。……ああ、呪文を忘れちまったのか。もっと簡単な呪いだっていい。スコージファイは相手を窒息させられる。死だ。インカーセラスは相手を絞殺できる。死だ。インセンディオは相手の衣服から頭髪まで炎上させられる。死だ。あたしを殺すのは簡単だぞ? さあ、さあ、さあ!」

 

「――もうやめて、ジュリア!」

 

 

 ハーマイオニーの叫びに、すっと意識が冷めていった。

 

 転げるようにして教室に駆け込んでいく2人の背を眺める。きっと「ジュリア・マリアットに脅された」とでも告げ口するのだろう。しかし、ジュリアのローブには小さな焦げ跡が2つ残っている。ジュリアは冷静だった。極めて冷静だった。

 

 

「悪いなハーマイオニー、本当はもっと早く――」

 

 

 ジュリアの右頬に痛みが走った。

 

 思わず頬に手を添える。熱い。涙ぐんだハーマイオニーが、息を荒げてジュリアを睨みつけていた。ハーマイオニーにこれほど鋭い視線を向けられるのはいつ以来だろうか。ひょっとすると、初めてかもしれない。ジュリアはただただ、驚いていた。

 

 

「馬鹿、ジュリアの馬鹿! あなた、もっと人付き合いがうまかったはずでしょ? どうしてそうやって、自分から敵を作るのよ!」

 

「ハーマイオニー」

 

「自分で言ってたじゃない! 実験と観察、計算と理屈、パターン化と実証! あなたならもっと賢く立ち回れるはずなのに!」

 

「ハーマイオニー!」

 

 

 口を開いてから、ジュリアは驚いた。まさか自分がハーマイオニーに声を荒げることになるとは思ってもみなかったのだ。しかし、譲れない一線というものがあった。

 

 

「あたしはちゃんと計算したさ。杖も抜いてない、脅しと取られる発言もしてない、相手が杖を構えた証拠だって残してある」

 

「でも、あの人たちはジュリアを敵視するわ。ずっと、ずっと。それがわからないの?」

 

「そんなことどうだっていい。ハーマイオニーが傷つけられそうになるならあたしはなんにだって噛みつくさ」

 

 

 ハーマイオニーはこぼれ落ちる涙を隠そうともせず、ジュリアの目を見ていた。ジュリアも、じっとハーマイオニーを見つめ返した。

 

 

「言っただろ、あたしはくそったれの犬っころだ。あたしを親友だって言うなら覚悟しろ、ハーマイオニー・グレンジャー」

 

 

 ジュリアも、ハーマイオニーも、荒くなった呼吸を何とか整えようとしていた。廊下は2人の貸し切りで、動くものは絵画だけ。その絵画すら沈黙を保っている。

 

 大きく息を吐いて、ハーマイオニーが壁を背に崩れ落ちた。

 

 

「……大丈夫か」

 

「少しも大丈夫じゃないわよ。馬鹿。馬鹿ジュリア」

 

「わかってる。あたしは馬鹿だよ」

 

「自尊心の欠如。自己犠牲。攻撃的。直情的。……躾けなきゃいけないことが多すぎて、親友として頭が痛いわ」

 

「今日は随分と手厳しいな。あたしはそういう奴だ。忘れちまったのか?」

 

 

 ジュリアはハンカチを取り出して、跪くと、ハーマイオニーの涙を拭った。ハーマイオニーは座り込んでされるがままになっていた。

 

 

「人は成長する生き物よ、ジュリア。向上心を忘れないで。私も、ちゃんとそばにいるから」

 

「あたしは……」

 

「あなたは人。犬でも狼でもない。そうでしょ? ……授業に遅れるわ。手、貸して」

 

 

 あなたは人。

 

 この一言が、ジュリアの頭の中で反響していた。ジュリアは自分のことをどこか人でなしだと思い続けていた。人でなしだから打算で人付き合いができると思っていた。人でなしだから半人狼の力を活用していると思っていた。人でなしだから、人でなしだから。

 

 ある記憶が蘇る。高級なローブを着た男が、ジュリアの母に磔の呪いをかけている。ほとんど表情の変わらない、それでも床に倒れて悶え苦しむ母を足蹴にして、男は愉悦に顔を歪めながらジュリアに杖を向ける。そして、ジュリアは――

 

 ジュリアはハーマイオニーが差し出した手を引き上げて、彼女の軽い体を抱き上げた。

 

 

「ちょっと、ジュリア」

 

「温室でハリーが針のむしろに座ってるだろうな。急がなきゃいけねえ。そうだろ?」

 

「でも、それは、ちょっと、あああ! 馬鹿、馬鹿ジュリア!」

 

 

 ハーマイオニーを抱いて、最速でホグワーツを駆け抜ける。風を切る頬が心地よい。安全な、しかし最短距離のルートで、ジュリアは薬草学の授業に向かった。

 

 いつか、人になれるだろうか。

 


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