試験が着実に迫っている中、ハリーはどうやらまた厄介な情報を拾ってきたようだ。クィレルが何者かに降参した。ジュリアは朝食の席でそれを聞かされながら、ベーコンを頬張っていた。
どうやらハリーはもう”大冒険”に飛び込むつもりはないらしい。憔悴した様子でトーストをかじっている。ロンが一瞬正義感の火を熾したが、それはたちまちのうちにハリーとハーマイオニーの正論――自分たちの手に負えるものではないという発言によって鎮火された。
そのとき、もうひとつ情報が届いた。手紙だ。
「処罰は今夜11時に行います。玄関ホールに集合すること。マクゴナガル教授」
ハリーはすっかり処罰のことを忘れていたようで、トーストをぽろりと落とした。落ちたトーストをスキャバーズがかじっていた。
夜11時。ハリーとジュリアは悲痛な面持ちのロンとハーマイオニーに別れを告げ、ロングボトムを連れて玄関ホールに向かった。フィルチと、そしてマルフォイがいた。いつもハリーを見てにやついているマルフォイですら、葬式のような顔をしていた。青白い顔がより一層青白かった。
「これで、規則を破る前に、よく考えるようになることだろうさ。昔のような体罰がなくなって残念だよ、私は……。逃げようとするんじゃないぞ、もっとひどい目に遭うからねえ」
フィルチを先頭に、暗い校庭を進んだ。月に雲がかかっている。ロングボトムはジュリアの後ろで早くも泣き始めていた。
「ロングボトム」
「な、なに、ジュリア……」
「お前、どうして外にいたんだよ」
「どうしてって……マルフォイが君たちをはめようとしてるって聞いたんだ。だから、助けなきゃって思って……」
ジュリアは意外に思った。どこかでロングボトムのことを見下していたのかもしれない。結果が伴わなかったと言えども、彼は勇気ある行動を選んだ。マルフォイに呪いと罵声を浴びせられて心が折れかけていたときから、随分立ち直ったようだ。あるいは、何かが彼を成長させたのか。
「ありがとな、ロングボトム」
「え……」
「んだよ、あたしだって礼くらい言えるっつの」
「いや、違うんだよ、その……」
ロングボトムは何かを言いかけたが、フィルチが振り返ってぎろりと睨んだので、それきり怯えて黙りこくってしまった。
「私語は慎むんだな、小僧ども。楽しいピクニックじゃないんだ」
「あたしは女だぞフィルチ」
「ああ、いちいち腹立たしい小娘だよお前は。だが、その余裕も今日で終わりだろうさ。森の狼人間どもは若い娘の柔らかい肉が好物だ……」
フィルチの脅しを聞いて、マルフォイが跳び上がった。
「森だって? 禁じられた森になんて、行けないよ。そんなの、生徒がすることじゃない!」
「悪いことをしたら償いをしなくちゃあいけない。償いをしなくちゃあ生徒ではいられない。悪さをする前に考えておくんだったな」
「――その辺でいいだろう、フィルチ。説教するのはお前の仕事か? ここからは俺が引き受ける」
暗闇から巨体が現われた。常人であれば両腕で抱えるようなクロスボウを手に持ち、肩には矢筒をかけている。飼い犬のファングも一緒だ。ハリーとネビルは明らかに安堵した声を上げた。
「ハグリッド!」
「大丈夫か、ハリー。ジュリアは大丈夫そうだな、お前さんはたくましい奴だ」
「女に対する褒め言葉じゃねえ気がするが、ありがたく受け取っとくよ」
事実、ジュリアはフィルチの脅しに恐れをなしてもいないし、森に入るにあたって怯えたりもしていない。今回の仕事はハリーとロングボトムを無事に帰らせること。それからもうひとつ、ジュリアには森を満喫しなくてはならない理由がある。
フィルチは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、「夜明けに体の残りを引き取りにくる」と言い残して城に帰っていった。
ハグリッドがランプで獣道を照らし、4人が後に続く。ジュリアは様々な気配と匂いを感じていた。ここはフクロウからケンタウロスまで、幅広い生物の縄張りらしい。時折、ジュリアも知らない魔法生物が下草を踏み荒らして駆けていくのがわかる。静かな森ではない。森のざわめきを誤魔化すように、ハグリッドが声を上げた。
「俺たちが今夜やる仕事は危険だが、大事な仕事だ。軽はずみなことはしちゃいかん。救難信号の呪文はちゃんと教わっとるな? なにかあったらすぐに打ち上げろ。みんなで助けに行く。……あそこを見ろ」
ハグリッドがランプを高く上げ、照らした先を指し示した。地面に銀色の光が滲んでいる。説明されるまでもなかった。ひどく悲しく、苦しくなる匂いがする。とても美しく、とても気高いものの断末魔の匂いだ。
「ユニコーンの、血」
「わかるか、ジュリア。そうだ。今週でもう二度目になる。水曜日には最初の死骸を見つけた。何者かがこの森でユニコーンを傷つけとる。みんなで傷ついたユニコーンを探すんだ。それで、もし助からんようなら、俺が楽にしてやらにゃならん」
ハグリッドは悲壮な表情でランプを下ろした。
ジュリアの嗅覚は、すでに息絶えたユニコーンの肉と血を感じ取っている。ジュリアはまだ生きたユニコーンを見たことがなかった。本当は、もっと幸せな形で出会うことができたら、さぞかし素敵だっただろう。しかし、今は目を閉じて、ユニコーンのために祈るしかなかった。
「二組に分かれる。ハリーとドラコはファングを連れていけ。ジュリアとネビルは俺と一緒に。ジュリア、お前さんの鼻が頼りだ」
「任せな。……この森は荒らされていい場所じゃねえ。あたしにもわかる」
ジュリアの中の”獣”が低く伏せて唸りを上げている。
ハグリッドが道を開き、定期的にジュリアが匂いの方角を示す。ネビルは怯えながらも何とかそれに付いてきていた。
「ハグリッド。聞きてえことがある」
「何だ」
「人狼」
ハグリッドもジュリアも、警戒は怠らない。ジュリアは常にホルスターに指を添え、ハグリッドはクロスボウに矢を番えている。森の住民に対しての警戒ではない。ユニコーンを襲った侵入者に対しての警戒だ。
「やはり、気にしちょったか」
「数は」
「わからん。ダンブルドア先生が保護して、隠れ住んどる。もう言葉も魔法もわからんのかもしれん。死肉を漁り、人影に怯える。哀れな連中だ」
「……そうか。ありがとよ」
話しながらも、ジュリアは森の奥をじっと見つめていた。見つめあっていた。緑の瞳をした、痩せ細った男がいる。襤褸を纏い、歯を剥き出しにしてこちらを警戒する様は、野犬のそれに近い。
きっと彼にも噛み痕があるのだろう。そして、月が満ちるたびに苦しんでいるのだろう。
「……狼人間がユニコーンを殺してるの?」
「人狼だ、ロングボトム。人狼は動物を襲わねえ。闇の魔術に対する防衛術でやっただろ。……ハグリッド、救難信号!」
空に赤い花火が打ち上がった。さほど遠くない。ユニコーンの血の匂いがする方角だ。続いて、マルフォイの悲鳴が遠ざかっていった。
「いかん、急ぐぞ!」
ハグリッドが枝をかき分けて歩みを早めた。ロングボトムも震えながら杖を取り出している。ハリーに危機が迫っているのだ。急がねばならない。
一瞬、ジュリアが視線を戻したころには、彼はもういなくなっていた。