ケンタウロスの背に乗せられたハリーは青ざめていたが、どこか怪我をしているわけでもなく、また呪いを受けた様子もなかった。ただ、緑の瞳だけが奇妙な光を宿していた。復讐心とも違う、恐怖とも違う、憤怒とも違う。ある種の覚悟と、確信と、使命感のようなものが見て取れた。ジュリアは今度こそ慎重に、警戒しつつハリーとロングボトムを談話室まで連れ帰った。
日付の変わった談話室にはロンとハーマイオニーしかいなかった。ハーマイオニーは本を開いていたが目が動いていなかったし、ロンはスキャバーズを嗅ぎタバコ入れに変える練習をしていたが、微塵も変化はなかった。ハリーはロングボトムが寝室に向かったのを確認すると立ち上がり、震えながら暖炉の前をうろうろして呟きはじめた。
「僕は禁じられた森であいつを見た。あいつはユニコーンの血で生きながらえていたんだ。ヴォルデモートだよ。間違いない。スネイプはヴォルデモートを復活させるために石を盗もうとしてるんだ!」
「ハリー、その名前を言うのはやめてくれ!」
ロンの悲痛な嘆願は耳に入っていないようだった。
ジュリアは考える。禁じられた森にヴォルデモートが潜伏しているとしたら。なぜ最も恐れるべき敵であるダンブルドアと、自らを打ち倒した相手であるハリーの目と鼻の先に。それも、ケンタウロスに追い払われる程度の力しか持たずに、だ。どこで賢者の石の情報を手に入れたのだろう。どうやってホグワーツに侵入することに成功したのだろう。
クィレルがダンブルドアに誘導されて手引きした? それはあまりいい仮説とは言えない。ダンブルドアが賢者の石を釣り餌にヴォルデモートを呼び寄せるつもりだったなら、教師を生け贄にする必要はなかったはずだ。
クィレルが自発的に手引きした? クィレルが自ら闇の陣営に加わり、ヴォルデモートから力を授かり、そして教師として着任することでヴォルデモートの侵入経路を確保する。無理な仮説ではない。しかし、それならなぜクィレルは「何者かに脅され、屈した」のか。
クィレルはヴォルデモートに忠誠を誓っていないが、協力を強いられていた? あり得る。マグル学の教授であるクィレルと、純血主義過激派テロリスト集団の首領だったヴォルデモートは相容れない。しかし、クィレルは力を求めていた。なんらかの契約関係、ファウストとメフィストフェレスだったとしたら。最初はクィレルに力を与え、グリンゴッツ破りをさせた。しかし、賢者の石はなかった。本来ならここで契約は満了だったのかもしれない。しかし、ヴォルデモートはさらなる力と甘言を武器に、クィレルをホグワーツで動く駒にした。そして、賢者の石が目前にあるにもかかわらず手が届かないことに苛立ちはじめ、クィレルに強硬手段を取るよう脅しはじめた。
何かがおかしい。そもそも、ヴォルデモートはどこにいる? 本当に禁じられた森をねぐらにしているのか?
考えろ。考えろ。考えるんだ、ジュリア・マリアット。
「ベインが言っていた。惑星はヴォルデモートの帰還を予言してるんだ。そして、ヴォルデモートが僕を殺すなら、それを止めてはいけないと思っている。僕はスネイプが石を盗み出すのをただ待っていればいい。そしたら、ヴォルデモートがやってきて、僕を殺す……。それが予言なんだ」
ケンタウロスはヴォルデモートの帰還を予言した?
スネイプの闇の印は薄らとした火傷痕程度でしかなかった。ヴォルデモートは生きていないが、死んでもいない。ユニコーンの血には呪われた延命効果がある。呪われてまで延命しなくてはならないほど弱っているのに、ユニコーンを傷つけるほど力を持っている。そしてまだ帰還していない。
クィレルはなぜアルバニアに行った? クィレルは「強くなりたかった」と言っていた。力を持っているのはクィレルだ。ヴォルデモートではない。
その仮説は本当に正しいか? ヴォルデモートは卓越した闇の魔術の使い手だったはずだ。しかし、ハリーによって打ち倒された。まだ赤子だったハリーによって。
情報が足りない。記憶を精査しろ。疑問点を摘出しろ。思考を回転させろ。考えるんだ、ジュリア・マリアット!
「……ハリー。クィレルは脅されてた、そうだな?」
「うん、それで泣きながら崩れたターバンを直して、教室を出ていったんだ。時間がない、時間がないんだよジュリア。スネイプはいまこの瞬間にもフラッフィーのところに向かっているかもしれない!」
ターバン。
クィレルはアフリカでミイラを倒して下賜されたと言っていた。しかしミイラの倒し方については口を濁した。
クィレルはアルバニアで吸血鬼に遭ってニンニクを詰めていると言っていた。しかし授業で平然と吸血鬼を扱った。
ターバンの下に何を隠している? 教室で誰と話していた? なぜターバンを巻き直す必要があった?
ヴォルデモートは「生きていないが、死んでもいない」状態だ。そして、クィレルは「卓越した閉心術師で、熟練の魔法使い」になった。
パズルのピースがはまっていく。しかし、すべては仮説に過ぎない。だからといって、スネイプやダンブルドアに相談する時間はもうない。ジュリアが直接クィレルを問い詰めることもできない。もし予想が正しければ、この予想に辿り着いてしまったこと自体が危険だ。
口を閉ざさなければならない。
「……ハリー、返し忘れてたな。透明マントだ」
「ありがとう、ジュリア。でも、もうこれを使う機会はないかもしれないね。僕は殺される……」
「ハリー、ダンブルドアは『あの人』が唯一恐れてる偉大な魔法使いよ。ダンブルドアがいる限り、『あの人』はあなたに近づくことすらできない。大丈夫」
ジュリアは同意を示すように頷いてみせると、肘掛け椅子から立ち上がった。
「さ、おやすみなさいの時間だ。窓見てみろよ、もう夜が明ける。あと数日で試験だ、少しは寝たほうがいい。ほら、ハーマイオニー」
「そうね。安心して、ハリー。おやすみなさい」
「……うん。おやすみ」
ジュリアにとって試験の内容はもはや重要ではなかった。クィレルに気づかれない。普段通り振る舞う。そこに注力しなくてはならないのだ。ジュリアは後悔していた。スネイプには攻撃手段より先に閉心術の指導を乞うべきだったのかもしれない。
作者から一言:ファンアートをいただきました。ありがたいことです。どこに掲載すればよいか、いまいち勝手がわかりません。あらすじを加筆してそこに入れさせてもらおうかと考えています。ともかく、お楽しみに。