ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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帰宅

 ジュリアにとって予想外の人物が、しかもハーマイオニーの両親と会話を楽しんでいる。ハーマイオニーは悪戯が成功したかのような笑みを浮かべると、ジュリアの手を引いて駆け出した。

 

 まだ頭が混乱している。しかし、匂いは間違いなくジュリアの姉弟子だ。消毒液と清潔なシーツ、魔法薬、それから爽やかな香水の匂い。こちらに気づいた様子の大人3人が、にこやかに手を振って出迎える。

 

 

「おかえりなさい、ハーマイオニー。楽しかったかい? うん、楽しかったようだね、安心したよ。それで、そちらが噂の王子様かな?」

 

「え、あ、あの」

 

「なに固まってるのよ、ジュリアちゃん。ほら、セシリーお姉ちゃんにただいまのハグは?」

 

 

 ジュリアがセシリー・オニールという後見人兼姉弟子に会うのは、おおよそ4年ぶりであった。慎ましやかに執り行われた母の葬式からしばらくして、ジュリアは彼女のもとを去る決断を下したのだ。しかし、それは彼女への感謝や愛情がないことを示すものではない。

 

 つまるところ、セシリーはジュリアにとって大事な姉であり、その姉と4年ぶりの再会を、しかも穏やかでにこやかな突然の再会をどう受け止めればよいのか、頭が追いついていないのだ。

 

 怒っていないだろうか。心配をかけただろうか。自分をどう思っているだろうか。無数の不安が浮かんでは消え、浮かんでは消え、ジュリアは返事に詰まって、あれこれ悩んで、それでも姉を信頼して、ようやく口を開くことができた。

 

 

「とうとうクビにでもなったか?」

 

「ひどい! 休暇もぎ取るの大変だったのにー」

 

「あーあー悪かったよ、ただいま姉さん、心配かけて悪かった。えっと、それで……」

 

 

 ハーマイオニーの両親はクスクス笑って2人のやりとりを見ていた。ハーマイオニーの性格からわかっていたが、悪い人たちではなさそうだ。

 

 挨拶せねばならない。ウィーズリーおばさんで経験を積んだジュリア・マリアットは成長しているはずだ。ジュリアは言葉を選び、選び、そして選んだ。

 

 

「はじめまして、ジュリア・マリアットです」

 

「こんにちは、ジュリアちゃん。ダン・グレンジャーです。ハーマイオニーから君の話は聞いているよ、その、ふくろう便とやらで。まるで白馬の王子様に出会ったかのような口ぶりだった」

 

 

 ハーマイオニーの父さんから大きな手を差し伸べられたジュリアは、沢山の疑問符を頭に浮かべながら、握手に応じた。

 

 

「それは、えっと、光栄です……?」

 

「はは、無理せず君の素で接してくれて構わない。そうだろう、アリソン」

 

「そうね、子どもは元気なのが一番だわ。それにしても、ハーマイオニーが本以外のお友達を連れてきてくれるなんて。アリソンおばさんと呼んでくれていいですからね。ああ、本当に嬉しいわ」

 

「あー、それじゃお言葉に甘えて。よろしく、ダンおじさん、アリソンおばさん。それで……なんでお二人は姉さんと一緒に?」

 

 

 グレンジャー夫妻も、セシリーも、そしてハーマイオニーも、悪戯げな笑みを浮かべた。まるでとっておきのサプライズが成功したかのような様子だった。

 

 サプライズの内容はセシリーの口から開示された。

 

 

「お姉ちゃんとしてはね、ジュリアちゃんに定住してもらいたいの。それも、信頼の置ける親友ちゃんと、そのご家族とね」

 

「は?」

 

 

 完全な想定外。それどころか、言っている意味がわからなかった。

 

 ジュリアは数週間、セシリーと同居していたことがある。まだジュリアが母の死から立ち直ることができていなかった時期のことだ。しかし、彼女は聖マンゴの癒者であり、脱狼薬改良チームに所属する研究者でもあり、すなわち非常に多忙であった。

 

 セシリーは深夜にジュリアが待つ自宅へと姿あらわしをして、ジュリアのために防護呪文や警戒呪文をかけ、疲労を隠した笑みでジュリアを優しく抱きしめて、また姿くらましで職場に戻っていった。これが彼女にとって大きな負担となっていたのは明らかであり、心身ともに復調したジュリアは置き手紙を残して失踪した。

 

 ジュリアももちろん定住できるなら定住したい。しかし、それが誰かの負担になるのなら、ましてや大事な人の負担になるのなら、放浪していたほうがいい。なぜ今になって、セシリーがこのようなことを言い出したのか。困惑のあまり返事を忘れたジュリアを見てくすくすと笑いながら、ハーマイオニーがジュリアの腕を取った。

 

 

「一緒に暮らすの、ジュリア。今日からお引っ越しよ」

 

 

 ハーマイオニーの顔を見て、ダンおじさんとアリソンおばさんの顔を見て、最後にセシリーの顔を見て、どうやら彼らの中では決定事項のようだとジュリアは理解した。

 

 

「どうしてそういうことになったんだ?」

 

「ジュリアが見せてくれたカルテの写しからセシリーさんの配属先を見つけて、ふくろう便を飛ばしたの。それで、セシリーさんの許可を取って、パパとママに事情を相談して、二人とも私の部屋にベッドが1つ増えることに同意してくれた。そんな流れかしら」

 

 

 げに恐ろしきはハーマイオニーの行動力である。半人狼としてのカルテ――厳密には、「遺伝性獣筋骨格症」という障害の経過観察に偽装された文書だが――からジュリアの後見人が聖マンゴのどこに配属されているかを見つけ、その上で後見人と自分の両親を説得し、ジュリアのために寝床を確保してくれた。それも、ジュリアに気づかせることなく。

 

 しかし、それはあまりにも申し訳ない話だ。ジュリアは長らく”遊牧”してきた。それは人狼狩りから逃れるためでもあり、定住するだけの金がないからでもあった。ジュリアの母、エレンの致命的な失敗は、ジュリアに財産をほとんど遺さなかったことだ。彼女は賢い人物だったが、しばしばそういった盛大なうっかりをやらかした。彼女はそもそもグリンゴッツに口座を開設していなかったのだ。

 

 ジュリアはハーマイオニーのことを親友だと思っている。だからこそ、そういった点で迷惑をかけるのは気が引けた。魅力的な提案だが、お断りをしなければならない。

 

 

「……お気持ちだけ受け取っとく、ありがとな。あたしには家賃も払えないし、それにいるだけで迷惑がかかるんだ」

 

「そのあたりはお姉ちゃんが説明しよう!」

 

 

 セシリーがない胸を張るので、ジュリアはため息をついた。どうあってもこの姉弟子兼後見人はジュリアをグレンジャー家に預けたいらしい。

 

 

「……まあ聞いてやるよ」

 

「よしよし、いい子。まず、金銭面は心配しなくていいです。お姉ちゃん、最近昇進してね、ちょっと特殊なチームに加わることになったんだ。グリーングラス家ってわかる?」

 

「……あー、スリザリンの。あいつ結構可愛いんだよな、頭もいいし。痛っ、妬くなよハーマイオニー。で、グリーングラスがどう関係してくるんだ?」

 

「患者の情報保護の関係から詳しいことは言えないけど、あそこの家族が抱えてる疾患を扱うチームに入ったの。脱狼薬の研究は継続したままで、チームに入ってからぐんと昇給したんだ。もう安月給の研究室泊まりはおしまい。だから、養育費くらいは払うよ」

 

「いや、それは」

 

「払うから。このままじゃエレン先輩に顔向けできないよ。もうできない気がするけど、まあここから挽回、みたいな? というわけで、ダンとアリソンにはちゃーんと養育費プラス謝礼金をお支払いします」

 

 

 母の名前を出されると、ジュリアにはもうどうしようもなかった。

 

 セシリーはジュリアの母が服毒自殺したとき、真っ先に駆けつけてくれた癒者だった。あらゆる解毒を試し、自腹を切って蘇生を試み、手遅れだとわかっても、決して泣くことなく、ジュリアを抱きしめてくれた。葬儀の手配から何から、すべて彼女がやってくれた。そして、彼女は転属願を提出してジュリアの母の研究を継ぎ、”安月給の研究室泊まり”になった。そんな彼女に迷惑をかけたくなくて、ジュリアは置き手紙を残し、失踪した。

 

 この人には頭が上がらないのだ。

 

 

「いや、私たちは謝礼なんていいと言ったのだけどね。娘と3人で暮らしてきたから余裕もあるし、何より、娘の親友なら娘も同然だ。第二子を授かったと思えばいい」

 

「ダンおじさん……でも、あたしにはちょっと厄介な事情が」

 

「それについても差し障りのない範囲で伝えてあるの、ジュリア。私、ジュリアのカルテをちゃんと、しっかり読解したわ。つまり、生まれつきの疾患があるってことについてはパパとママも理解してる。それに」

 

 

 ハーマイオニーはジュリアを見て、何かを思い出すような笑みを見せた。

 

 

「愛と病でギザギザの牙を持った狼さんが、歯医者に潜伏しているなんて、誰が予想するかしら」

 

 

 今度こそ、ジュリアはお手上げだった。

 

 

「あたし、家事は勝手がわからないぜ? 母さんはなんでも家事魔法で片付ける人だった」

 

「大丈夫よ、ジュリアちゃん。ゆっくり練習しましょう、ハーマイオニーと一緒に」

 

「それに、ご覧の通りがさつだし、口も悪いし、発音も下手だ」

 

「私としてはね、人は見かけや振る舞いではなく、信念で評価すべきだと思っている。そして、どうやら話を聞く限り、君は娘の命の恩人で、親友のようだ。私たちはハーマイオニーの人を見る目を信頼している」

 

「……降参だ。歯列矯正とかつけたほうがいいか?」

 

 

 笑いが弾けた。

 

 セシリーはジュリアの紺色の髪をかき乱すように撫で回して、それから抱き上げて、頬にキスをした。ジュリアはされるがままになっていた。この人にはそうする権利があると思っていたからだ。沢山心配をかけたのはわかっていた。

 

 

「ダンおじさん、アリソンおばさん。……あたしのことはジュリアでいい。その、なんだ。お世話になります」

 

「ようこそ、ジュリア」

 

「ええ、歓迎するわ、ジュリア」

 

 

 それから、ダンおじさんの運転する車に乗って、グレンジャー・デンタルクリニックに到着して、本がずらりと整列する部屋に置かれた2つのベッドを見て、ジュリアはついに、定住するのだと実感した。




 賢者の石篇が完結しました。

 二言、三言。(そーれ、わっしょい、こらしょい、どっこらしょい!)

 1つ目。

 記念コラムを活動報告に投稿しました。テーマは「クィリナス・クィレルという人物について」で、本作におけるクィレル先生と原作でのクィレル先生についてお話しすることになっていますが、脱線するかもしれません。よろしければご覧ください。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=220052&uid=244813

 2つ目。(2019/08/07改訂)

 諸般の事情から(主に体調面の問題で)しばらくお休みをいただいていました。(随分とご心配をおかけしました。もうきっと大丈夫です、ありがとうございます)予約投稿分がまだ残っていたので、しばらくはいつも通りのペースで更新できます。それまでに執筆スピードが戻らなかった場合、更新が少し遅れることになります。ご容赦ください。不調だったころの詳細はこちらに書きました。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=220007&uid=244813

 3つ目。

 明日から秘密の部屋篇が始まりますが、原作の冒頭に辿り着くまでは少々の話数をいただくこととなります。加えて、本話から登場したセシリー・オニールというオリジナルキャラクター、原作では名前のなかったハーマイオニーの両親は今後も作中で重要な役割を帯びます。少々原作から外れたストーリーとなりますが、のんびりとお付き合いいただければ幸いです。

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