グレンジャー家の番犬
ジュリア・マリアットの新しい生活は、これまでの”遊牧”より格段に快適だった。
早朝に目を覚まし、家族を起こさないように家を出る。新聞配達のバイトだ。当初、ダンおじさんとアリソンおばさんはジュリアにお小遣いを与えようと考えていたが、ジュリアはそれを固辞して、自力で稼ぐことを選んだ。今履いているスニーカーも自分で購入したものだ。
運動がてら素早く配達を終わらせて、家に戻る。マグル界の街並みはどこも似通っていて記憶に残りにくいが、ホグワーツほど難解なダンジョンではない。仕事前のコーヒーを堪能しているダンおじさんとアリソンおばさんに朝の挨拶をし、ハーマイオニーを起こして朝食を食べる。栄養バランスに気を使った、腹持ちのいい、そしてちゃんとした肉がある食事。ジュリアの食生活についてはハーマイオニーから聞かされていたようで、アリソンおばさんは冗談めかしながらもジュリアに健康の重要性を語った。
ハーマイオニーと分担して家事を片付ける。掃除はハーマイオニーのほうが几帳面で丁寧だったが、皿洗いの速度と正確性においてはジュリアが一歩先をいく。定住してみると、存外これまでのバイト経験が活きてきた。特にキッチン周りはアリソンおばさんとジュリアの独壇場だ。まだまだ学ぶことは多いが、グレンジャー家の人々はジュリアが焼いたマフィンがすっかりお気に入りになったようだった。
その後は自由な時間だ。ここしばらくは近年活躍した魔法使いや魔女から新年度の「闇の魔術に対する防衛術」の教師を予想したり、マグル界、魔法界を問わず様々な本を読み漁ったり、愉快な日々を過ごした。加えて、ハーマイオニーの体力向上のために公園でバドミントンもプレイした。この競技はジュリアにとってもいい訓練になる。力を込めすぎてもだめ、おっかなびっくり打ってもだめ。杖の繊細な動きをイメージして、ハーマイオニーが肩で息をするまでシャトルを飛ばし続けた。
昼食はジュリアが用意する。手早く食べることができて、爽やかなものが望ましい。ダンおじさんとアリソンおばさんは仕事の合間だし、ハーマイオニーは朝の運動で疲れきっているからだ。トーストしたバケットのサンドイッチとライムを搾った炭酸水は好評だった。飲み物が「歯に悪くないもの」だったのも高得点らしい。
そして、昼寝をするハーマイオニーの寝顔を眺めながら、爪を研ぐ。1年経って、また少し爪が硬くなった。そろそろ爪切りよりナイフが必要になってくる。
ナイフ。ジュリアはウェストポーチに目をやる。ジュリアは確かに定住していたし、ご近所さんにも「グレンジャーさんのところにホームステイしている子」として認識されつつあるし、グレンジャー家の人々もジュリアを家族として扱ってくれる。ジュリア自身、まだ実感はないが、家族ができたのかもしれない、と考えつつある。それでも、いつでもひとりで生きていけるだけの荷物はウェストポーチに入れてあった。
「……ジュリアぁ」
「寝言まであたしかよ、ったく」
寝返りとともにずり落ちそうになったタオルケットをかけなおしてやる。まだしばらくは眠っていそうだ。確かにハーマイオニーは少し前歯が伸びぎみだし、茶色の髪は伸びきっている上に癖だらけでぼさぼさだ。しかし、その程度は愛嬌。ジュリアから見て、ハーマイオニーは十分に可愛い女の子だった。
ジュリアはイヤホンをつけてラジオのスイッチを入れる。ハーマイオニーとジュリアの部屋は2階にあって、電波の通りがいい。ほとんどノイズの走らない音声が、最新のニュースを淡々と伝えてくれた。
「アブハジア紛争、ね。グルジアも随分ときなくさいじゃねえの。案外ファッキンヴォルデモートが潜んで……ありうるな、やめとこう。ほう、バルセロナオリンピック。バルセロナ……バルセロナってどこだ。スペイン? へえ……。まあ、ハーマイオニーは興味ねえだろうな。いや、わかんねえか、クィディッチで興奮してたし」
おおよその情勢を把握して、アンテナを畳む。このラジオはもともとダンおじさんのものだったが、ジュリアがニュースや音楽を好むことを知って、快く譲ってくれた。なかなかいい品だ。
微妙に時間が空いてしまった。運動をするには陽射しが強すぎる。なにより、寝ているハーマイオニーを残して外出するのは得策ではない。ジュリアはグレンジャー家の”番犬”だ。大事なご令嬢を守らねばならない。
ふと、デスクに目をやる。ジュリアはロンからの手紙に返事を出していないことを思い出した。ウィーズリー家の老いたフクロウはジュリアが公園から拝借してきた枝で急遽用意された止まり木に何とか掴まり、羽を休ませている。ロンはハリーのことを心配しているようだ。ジュリアも、ハーマイオニーも同感だった。なぜなら、手紙に返事がないからだ。
「……考えられるのは、ハリーが何か致命的なミスをやらかして、あたしたちの手紙を受け取らせてもらえねえって状況。もしくは、ハリーがやっぱり致命的なミスをやらかして、手紙は受け取っちゃいるが返事を出させてもらえねえって状況。大穴は、魔法界の何者かが妨害してやがるって状況だ。さて、どうしたもんかね」
ジュリアは考える。
昔のバイト先――グランニングス社のオフィスビル向かいのカフェに戻って、ダーズリーを捕まえ、状況を上手く聞き出す。これは悪手。多少の牽制は食らわせたが、魔法界の人間という時点でダーズリーはジュリアを信用していないだろう。そんな相手に居候させている甥を虐待しているなどという話をするはずがない。
直接ダーズリー家に赴き、状況次第ではハリーを攫ってくる。これはありだが、実現性に乏しい。そんなことをすれば押し入り強盗扱いを受けるだろうし、そうなればグレンジャー家に迷惑がかかる。何よりハリーをかくまうことができない。もし攫うとしたら、ダーズリーが沈黙するしかない手段、そう、たとえば、魔法を使うとか……。
それだ。
ジュリアは嬉々として、ロン宛てに遠回しな犯罪教唆の手紙を書き始めた。