7月30日。ジュリアの誕生日だ。去年はこっそりお邪魔していた農場の牧草ロールで飢えと闘いながら迎えた。一昨年は裏路地で空き缶拾いをしていたような記憶がある。その前はノクターン横丁で絡んできたごろつきに軽い”挨拶”をしてせしめた財布でチキンを食べたのだったか。随分と充実した日々を過ごしている。
日の出を背にしてグレンジャー家のドアを静かに開け、靴を揃える。まだ家族は眠っているだろう。冷蔵庫にあるもので何か一品作っておこうか。そんなことを思ってリビングのドアを押し開ける。
その瞬間、破裂音がリビングに響き渡った。
咄嗟にジュリアは後ろに跳び、壁を背にしてホルスターから杖を抜く。
思考の加速。銃声? それにしては軽い。弾丸が何かに当たった音も、血の匂いもしない。
しかし、火薬の匂いがする。昨日の時点でリビングにもキッチンにも火薬なんて物騒なものはなかった。
侵入者の可能性がある。だとすれば、何のために? 自分の正体と居場所がばれた? 人狼狩りの連中が火薬を使う? ありえなくはない。腐っても魔法使い、魔女だ。マグルに魔法をバラさず狩ることができるなら、何だって使う。そういう連中だった。油断していた。
情報が必要だ。感覚を研ぎ澄ませろ。視界を広く。テーブルには料理が置かれている。キッチンからは肉が焼ける匂いがする。
そして、ドアの近くに、一番好きな匂いと、ここしばらくでしっかり馴染んだ匂いが――。
そこまで考えたとき、ジュリアの頭に色とりどりの紙リボンが舞い降りてきた。
「……へ?」
「ほら、だから言ったでしょパパ。ジュリアにサプライズは向いてないのよ」
「しかしだね、初めて祝う誕生日はやはり盛大でないと……。ああ、すまないジュリア。驚かせてしまったようだ」
そうだ、誕生日。
一気に気が抜けて、ジュリアは杖を収めてへたり込んだ。クラッカーを手にしたダンおじさんと、クスクス笑うハーマイオニーが開いたドアの裏から現われる。ジュリアは顔を覆いたくなるくらい恥ずかしかった。何が侵入者だ。
「誕生日おめでとう、ジュリア。あなたにとっては本当に”サプライズ”だったみたいね」
「ああ……。ありがとよ、ハーマイオニー、ダンおじさん。最高に”サプライズ”だったぜ。おい、笑うなよハーマイオニー、笑うなって」
「だって、あなた、まるで強盗でも嗅ぎつけたみたいに……」
ハーマイオニーは笑うのをやめた。ジュリアが何を警戒していたのか理解したのだろう。少し青ざめてすらいる。
ジュリアは平気な様子を装って立ち上がると、頭からリボンを取った。紫色。薄く、長く、しなやかだ。リボンはいい。幸福と平和の象徴のように思える。ジュリアの髪はリボンで結べるほど長くないが、ハーマイオニーなら十分だろう。
今にも泣き出しそうな顔で駆け寄ってくるハーマイオニーを抱きとめる。
「ジュリア、ごめんなさい、私、私……浅はかだったわ」
「んなこたぁねえよ。あたしはちゃんと喜んでるさ。……よし、長さは足りたか」
ジュリアはハーマイオニーの髪を指先で撫でて、まとめて、後頭部で1つに結わえると、彼女の頭を優しく叩いた。
「ラッピング完成。自分へのプレゼントを自分で包装するってのも貴重な体験だな」
そのままハーマイオニーをくるりと回す。ふさふさでふわふわのポニーテールが宙になびいた。なかなか似合っている。髪型を色々といじるのも面白いかもしれない。癖っ毛を整える魔法薬を調合してやるのも手だ。ジュリアはそういったことに無頓着だったが、母の腰まで伸びた髪を梳くのはジュリアの役目だった。懐かしい記憶が鮮明に蘇る。
一回転させられたハーマイオニーをもう一度抱きしめ、背中を軽く叩いて、ジュリアはできるだけ明るい声でハーマイオニーに話しかけた。
「ほら、お祝いしてくれるんだろ? びびっちまって悪かったな、あたしが大げさすぎた」
「うん……そう、そうね。お祝いしなくっちゃ」
ハーマイオニーはジュリアからゆっくり離れると、指先で目元を拭って、何とかジュリアに微笑みを向けた。ジュリアもそれに笑顔で応える。いい一日にしなくては。
「ダンおじさん、ポニーテールのハーマイオニーってのもなかなか可愛いもんだろ?」
「ああ、そうだね、意外な快活さが出てとても素敵だ。さあ、食事にしよう。時間はたっぷりある。ああ、アリソンがステーキを焼いているよ。確か、レアが好みだったね?」
「やったぜ。最高のプレゼントだ」
ジュリアはハーマイオニーの腰に手を回してリビングに入り、キッチンのアリソンおばさんにも挨拶をする。
「おはよう、アリソンおばさん」
「おはよう、ジュリア。誕生日おめでとう。今お肉が焼けますからね、席に座って待ってらっしゃい」
「ここ最近で一番嬉しいニュースだ……お、さらにニュースが増えそうだぞ、ハーマイオニー」
ジュリアの嗅覚が3羽のフクロウが接近するのを感知した。マグル界の住宅街にフクロウが飛び回ることなどまずない。つまり、これは魔法界からの知らせということになる。
リビングの窓辺にフクロウたちがやってくるまで、そう時間はかからなかった。
おっとりした1羽はジュリアの姉弟子――セシリーからの手紙。誕生日のお祝いに近々休暇を取るから、スケジュールを調整してダイアゴン横丁で落ち合おうという走り書きと、休暇を取れる日のリストが添えられていた。
よれよれの1羽はロンからの手紙。ハリー救出計画は秘密裏に進められているようだ。ハーマイオニーはハリーとロンが違法な手段を用いるのではないかと心配の声を上げた。ジュリアに言わせれば、大事なのは法よりハリーの命だ。ウィーズリー家の人々が甚大な損害を被らないのであれば。そして、ロンや双子の兄弟はきっとうまくやる。
最後の神経質な1羽はホグワーツからの手紙。新しい教科書のリストだ。サラダを取り分けるジュリアの隣で、ハーマイオニーがリストを読み上げた。
「『泣き妖怪バンシーとのナウな休日』、『グールお化けとのクールな散策』、『鬼婆とのオツな休暇』……すごいわ、新しい『闇の魔術に対する防衛術』の先生はきっと彼のファンね!」
「あるいは、ご本人様か。ロックハート……ロックハートねえ」
ジュリアもハーマイオニーも、ギルデロイ・ロックハートの本は多少目を通していた。ハーマイオニーは彼のファンだ。恋しているくらいに。これはジュリアにとってあまり面白くないことだった。
加えて、ジュリアはギルデロイ・ロックハートという人物にいくつかの疑問を抱いていた。武勇伝は確かに見事だ。しかし、奇妙なのは、話ごとに戦法や態度が異なるように思えること。そして、これほどまでの武勇で名を馳せながら、魔法戦士隊に所属していないこと。加えて、ホグワーツのトロフィー室に彼の名前がなかったこと。
もし、彼がハーマイオニーの信じるとおり著書そのままの人物であれば、今年はいい勉強ができる。しかし、そうでなかったとしたら――
そこまで考えて、ジュリアは思考を投げ捨て、焼きたてのステーキにナイフを入れた。こちらが最優先事項だ。