大人組の殴り合いがハグリッドによって強引に引き分けとされ、書店を去り、騒動にびっくりしていたグレンジャー夫妻をセシリーが落ち着かせ、それからハリーとウィーズリー家の人々とお別れの時間がやってきた。
「ハリー、ロン、また9月の頭にな」
「うん、ジュリアもハーマイオニーも元気で」
短く挨拶を交わし、次々と「漏れ鍋」の暖炉で煙突飛行の炎に包まれる彼らを見送る。きっとウィーズリー家の「隠れ穴」に向かったのだろう。
ジュリアは片手をセシリーに、片手をハーマイオニーに握られていた。山、谷、平地。この1年でハーマイオニーは身長を伸ばしている。ジュリアの母は小さな魔女だった。ジュリアもそうなるのだろうか。
「そうだ、ジュリアちゃんに誕生日プレゼントを買ってあげるんだった! ダン、アリソン、ちょっとハーマイオニーちゃんを借りてもいい? 大丈夫、さっきみたいな馬鹿騒ぎはそうそう起こるものじゃないから。うん、安心して、私がちゃんと預かる。それに、ハーマイオニーちゃんにも魔法界をもっとよく知ってもらったほうがいいと思うんだ。ほら、学校って狭いコミュニティでしょ? うちの職場でも長期入院の患者さんとか、結構視野が狭くなっちゃう人がいるからさ。あ、これオフレコね、こんなこと言い触らしてるってバレたらボスに怒られる。それじゃ、漏れ鍋でのんびりしてて。ここのサングリアはなかなかいけるよ。ほら、ジュリアちゃんどうしたの、気が抜けた顔しちゃって。お買い物しよ?」
「……悪い、ダンおじさん、アリソンおばさん。姉さん、ちょっとハイになってんだ。大丈夫、ハーマイオニーはあたしが守るから。うん。……行ってきます」
セシリーに引っ張られて、まだ気分が重いままのジュリアはダイアゴン横丁を進んだ。書店。用済み。ペットショップ。興味なし。アイスクリームパーラー。気分ではない。オリバンダーの店。杖に問題はない。3人はもうグリンゴッツの前まで来ていた。
グリンゴッツの前は十字路になっている。1つの道は日向の道。店々が軒を連ね、明らかに魔法的増築がなされた店舗から飛び出た輝く看板や垂れ幕が視線を惹きつけ、賑やかな人ごみに満ちている。ジュリアにとっては少々眩しく、少々騒がしい。
そして、セシリーの目的地は、もう1つの道だ。
「姉さん、まさかハーマイオニーを連れてく気か」
「清濁併せ呑んでこその魔女ってものでしょ。私たちがついてるんだから大丈夫」
「あの、セシリーさん。もしかして……”あそこ”に行くんですか?」
ハーマイオニーがおずおずと指さした先には、イギリス魔法界のちょっとした日陰、ジュリアの古いねぐら、ノクターン横丁があった。
セシリーは満面の笑みで首肯する。ハーマイオニーの表情が固まった。当然だろう。安全な場所ではないと一目でわかる。ジュリアも、ハーマイオニーを連れていくのはさすがに反対だった。
「だから言ったろ姉さん、ハーマイオニーにはちょっと冒険が過ぎる」
「でも、私たちにとっては庭みたいなものじゃない」
ジュリアは一時期、ノクターン横丁に居城を構えていた。突っかかってくるごろつきから財布をせしめるのにも有用だし、魔法省の手が入っていない無法地帯は父の杖で法の目をかいくぐりつつ魔法の練習をするのに適していたし、いい場所だったのだ。ただ、セシリーに発見されそうになって、ジュリアはここから逃げることを選んだ。
「そりゃ、そうだけどよ……ハーマイオニー、グリンゴッツで待ってるか?」
「……ううん、行く。これも社会勉強よ」
とりあえず勉強とつけておけばハーマイオニーは釣れるのではないか。ジュリアは心配になった。
ノクターン横丁は1世紀ほど時代を巻き戻したような不気味さと不衛生さで、ハーマイオニーを怯えさせていた。ジュリアはハーマイオニーの手をしっかり握る。今度はセシリーとジュリアがハーマイオニーを挟む形だ。セシリーの杖腕は左、ジュリアの杖腕は右。何かあっても素早く対処することができるよう、しかし警戒していることを悟らせないよう、ジュリアとセシリーはとりとめもない会話をしながら歩いた。これはジュリアにとっていい気分転換にもなった。
「繊細な魔力操作が後々重要になってくるのはあたしにもわかる。けどよ、なんでパイナップルにタップダンスなんだ。なんか、こう……なんかあるだろ」
「ラディッシュにポールダンスとか?」
「もっとひどいじゃねえか」
「私の時は確かそれだったよ。あ、おばあちゃん。人間の生爪なら間に合ってるよ、聖マンゴはもっとシンプルな素材で水虫治療薬を作ってるからね」
「相変わらず阿漕な商売してんな、ばあさん。じゃあな、長生きしろよ」
「ジュリア……人体の売買って法律で禁止されてるんじゃないの?」
「そりゃもちろんご禁制だ。だが、こういうとこで薬を買わなきゃ死ぬ奴もいる」
ハーマイオニーが小さく息を呑んだ。
今のところ、ハーマイオニーは基本的に「いい子ちゃん」だ。多少は規則破りに寛容になったが、流石に法律違反を無視できるほどではない。しかし、魔法界の法律などという檻は不完全で、不寛容で、不誠実極まりないものだ。
聖マンゴ魔法疾患傷害病院に駆け込むこともできず、密造された怪しい魔法薬でなんとか明日を迎えるこそ泥。そのこそ泥がとうとう財布の金も尽きたときに、歯やら爪やらを買い取る魔女。そしてこそ泥の命が尽きたときに、その死体を腑分けし、有効活用できる人々に流通させる管理人。いずれも法の光が照らせばお縄になる。しかし、影の中であればしばらく生きながらえることができるのだ。
ジュリアはちらりとセシリーの顔を見上げる。おそらく、セシリーはハーマイオニーを試したかったのだろう。勇気と正義を美徳とするグリフィンドールに属するハーマイオニーが、日陰者のジュリアを友とする上で、どこまで綱渡りができるのか。
セシリー・オニールという人物はジュリアを大切にしてくれている。しかし、その手口は快活で陽気な振る舞いとは裏腹に、エレン・ムーアクロフトの弟子らしい計算高さと、スリザリンの卒業生らしい狡猾さに満ちているのだ。
しかし、ジュリアはこの1年でハーマイオニーのことを多少なりとも理解したつもりでいたし、その人間性は信頼できるものだと判断していた。だから、不自然でない程度の明るさで空気を入れ換えることにした。これ以上彼女を試す必要はない。
「まあ、水虫で死ぬ奴なんてのは聞いたことねえけどな。……いねえよな?」
「さあ、私は基本的に臨床医じゃないから。足の裏からフライドオニオンが出てくる患者さんなら病棟で見かけたことあるけど」
「なんだそりゃ。まあ、そういうことだよ。ここにはちょっとした日陰者とちょっとした必要悪ってやつが集まってんだ。前者が9割、後者が1割」
「……ほとんど日陰者じゃないの、もう。それで、お二人のお目当ては?」
さて、とジュリアが狭い通りを見渡す。ノクターン横丁の露店や商人の大半はぼったくりか詐欺だ。まともな買い物はまずできるものではない。だから、まともでない買い物をするのには適している。
現状、ジュリアは「ボージン・アンド・バークス」に用はない。あの店は闇の魔術や呪いに関わる品を扱っている。ホグワーツに持ち込むことのできるような品はほとんど扱っていないだろうし、持ち込むことのできる品などは大したものではない。
露店にコウモリの丸干しが並べられている。食用だろう。見た目に反してなかなかいける味をしていることをジュリアは体験している。とはいえ、食事には困っていないし、お土産にも適さない。ラッピングしてスネイプに贈ったら怒られるだろうか。少なくとも機嫌を損ねることになるだろう。ジュリアはハーマイオニーの手を引いて歩みを進めた。
ペット用というには少々無骨な檻に、丸々と太った大きな蜘蛛が入れられている。ノクターン横丁で売られているということは、まず間違いなくただの蜘蛛ではない。少なくとも売り手はそのように説明するだろう。
「姉さん、あの蜘蛛なんだかわかるか?」
「聞いてみよっか。ねえお兄さん、その蜘蛛、見物料いくら? えー、3シックルはぼったくりだよ、どうせ檻から出せないんでしょ? 1シックル。この子らの分も? しょうがないなー、子どもだから3人で2シックルね。……うーん、出せないってことは毒持ちかあ。これで成体? 子蜘蛛なんだ。結構可愛い眼してるね」
ジュリアも檻の中の子蜘蛛をじっくりと観察する。近くで見ると意外と大きい。ジュリアには両腕で抱え上げるのが精一杯だろう。厚く黒い体毛が丸い体を覆っており、こちらを警戒するように鋏を鳴らしている。8つの目はつぶらだが、それを可愛いと評価するかは人によるとジュリアは思った。
「毒だけ買えたりしない? 小瓶でガリオン単位は流石に冗談きついよー、え、本気で言ってるの? じゃあ毒液見るだけ、ね、お願い! 2シックルも取っておいてまだおねだり? はしたない商売人だなあ。一晩? だーめ、あなた好みじゃないし、それに病気持ちでしょ。爪のひび割れ、目の濁り、貧乏揺すり。私、こっちが本業だから。そうだなあ、お薬出してあげるから、毒液と交換。どう、いい条件だと思わない? ……よし、契約成立」
売人は明らかに苛立っているようなそぶりを見せたが、濁った瞳には安堵が浮かんでいた。ノクターン横丁で女を買ってよくない病気をもらったのだろう。セシリーはポーチを漁ると、緑色の小さな缶を取り出した。わずかに清涼感のある匂いが漏れ出ている。
「軟膏だよ。発疹の出てるところに、1日1回、レンズ豆くらいの量を塗る。多くても少なくてもだめ。1週間分入ってるよ。少ししみるけど、二度とできなくなるよりましでしょ? じゃ、毒液が先ね。当たり前、慈善事業じゃないんだから。……はい、毎度あり。お大事にねー」
売人は軟膏の缶をポケットにねじ込むと、檻を掴んで逃げるように去っていった。
「大した癒者っぷりだな、姉さん」
「んふふ、でしょ。で、ハーマイオニーちゃん、あの蜘蛛なんだかわかるかな?」
ハーマイオニーはここまでずっと沈黙していた。彼女には色々と衝撃が強すぎたのかもしれない。彼女はまだ12歳の誕生日も迎えていないのだ。社会勉強には少し、いや、かなり過激だった。
それでも、優等生の頭脳は解答した。
「……アクロマンチュラ。M.O.M.分類はXXXXXで、実験飼育禁止令の対象生物です」
「よくできました、グリフィンドールに10点。魔法生物飼育学ってまだだったよね、勉強してるなあ。偉い偉い」
「あの……質問があります、セシリーさん」
「はいはい、何かな?」
ハーマイオニーは考えている。きっと、何から質問すべきかを整理しているのだろう。ジュリアはそう予想した。ここまでの道中、そして今の取引でハーマイオニーは多くの情報を得た。それをどう学びに繋げるかは彼女次第だ。
「さっきの人は、治るんですか?」
この質問は予想外だった。
初対面の、それも怪しい売人で、扱っていたのは取り締まりの対象になる魔法生物。きっと二度と会うこともない人物だ。ハーマイオニーはおそらく彼の疾病がどのようなものであったかわからないだろうし、セシリーもできるだけぼかして話していたように思う。それでも、あまり表沙汰にできないような病なのは伝わっただろう。それなのに、ハーマイオニーはあの売人の心配をしている。
ジュリアはもちろんのこと、医療従事者のセシリーもまた聖人ではない。もし聖人なら彼を掴んで聖マンゴに飛んでいるだろう。そして、私財を投じて治療を施し、何も問わずに送り返すだろう。そんなことをやっていたらきりがないのだ。
あの男が目先の欲を取って薬を売り、病魔に蝕まれようと、あるいは進行する症状を恐れるあまり乱用し、十分な効果を得られずに薬を使いきってしまおうとも、知ったことではない。取引は終わった。今後どうするか、どうなるかは彼の責任だ。ジュリアの知っているセシリーはそのように考える人物で、そしてジュリアは少なからず彼女のそういった側面を好んでいたし、時には模倣すらした。
だからこそ、ジュリアはハーマイオニーが眩しく思えた。そして、自分が薄汚れているようにも感じたし、彼女がそんな自分と手を繋いでいてくれることを誇らしくも感じた。それらの複雑な要素が合わさって、ジュリアの感情は大いに乱れ、そして笑い声という形で噴出した。
「あっはは、流石だハーマイオニー、いや、流石だ。これこそ”サプライズ”だな」
「何がよ」
「いや、あたしもまだまだわかってねえな、って。安心しろよ、姉さんはこれでも癒者だ。お、レタス食い虫。ホグワーツで増やす用に買ってくかな」
ハーマイオニーは訝しげな表情を浮かべていたが、ジュリアはそれに応えず話題をそらした。ジュリアはどこかで、ハーマイオニーのことをわかったつもりでいたのかもしれない。しかし、その気づきを口に出して伝えることに意味はないだろう。ただ、反省し、認識を改め、今後に活かせばいい。そんなことを考えながら、野菜屑を食むレタス食い虫を眺めた。
ジュリアはレタス食い虫の売人から「ハグリッドがレタス食い虫の駆除剤を大量に買っていった」と聞かされ、大いに凹んだ。