午後の授業まで時間があるので、4人は中庭でのんびりすることにした。とはいっても、ハーマイオニーは本に夢中だし、ハリーとロンはクィディッチ談義を始めたし、ジュリアは少々暇をもてあましていた。石段に腰かけて爪にヤスリをかけながら、どんよりと空を覆う雲を眺める。今夜は月を拝めそうにない。
何者かが背後から視線を向けているのに気づいて、ジュリアはちらりと振り返った。首からカメラを提げた小柄な男の子が熱に浮かされたような表情でハリーを見つめている。ハーマイオニーがロックハートのブロマイドに向けるそれに近い。
「ハリー、客だ」
「え、僕に?」
ハリーが目を向けると、少年は真っ赤になって縮こまった。それでも、カメラをしっかり握って、少年は口を開いた。
「ハリー、こんにちは、元気? 僕、僕、コリン・クリービーです。僕もグリフィンドールです。あの、もしよければ、写真を撮ってもいいですか?」
「写真?」
「僕、あなたのことなんでも知ってます。『例のあの人』があなたを殺そうとして、それでも生き残ったとか、それで『あの人』が消えちゃったとか、そのときあなたの額に傷ができたとか、なんでも」
ああ、これまた重症だ。そろそろシンドロームの命名規則を作っていいくらいだろう。今年はホグワーツに愛の妙薬でも撒布してあるのだろうか。ジュリアはロンと顔を見合わせて肩をすくめた。
コリン・クリービーはまた一歩詰め寄って、困惑しているハリーに懇願した。
「あの、できれば、あなたの友達に撮ってもらって、それで、僕の隣に並んでくれませんか? それから、サインも――」
「サイン入り写真? ポッター、サイン入り写真を配ってるのかい?」
厄介な奴が来た。マルフォイだ。いつも通りミニトロールを2頭連れ回している。リードをつけていないあたり、懐かれてはいるのだろう。あるいはトロールの言語を解するのかもしれない。もしそうなら、魔法界にはトロールの調教師がいるそうだから、もしマルフォイ家が落ちぶれても彼が職に困ることはないだろう。もちろん、マルフォイはそのような仕事を好む人物ではなさそうだが。
ジュリアの頭の中でトロールの調教をさせられているとはつゆ知らず、マルフォイ少年はいつもの皮肉げな笑みを浮かべて、悠々と中庭まで石段を下ってきた。
「我らのスター、ハリー・ポッター様がサイン入り写真を配っているぞ! みんな、並べよ!」
「黙れマルフォイ、僕はそんなことしてない!」
こうなると面倒だ。何かしらの決着がつくまでこの2人は落ち着くことがない。飛行術然り、トロフィー室然り、ドラゴン密輸然り。勇敢さではハリーが勝るが、狡猾さではマルフォイが勝る。そして、口喧嘩に必要なのは勇気より狡猾さだ。
ジュリアはひとまず爪ヤスリをポケットにしまって、静観することにした。場合によっては介入することもやぶさかではないが、できればハリーとマルフォイの喧嘩は2人の間で完結させたい。ジュリアは2人がライバル関係にあると考えていた。そして、ライバルとは高めあうものだ。
しかし、小さな勇者がここに乱入してきた。コリン・クリービーだ。
「君、ハリーに嫉妬してるんだ」
「嫉妬? この僕が?」
マルフォイはせせら笑った。中庭にいる全員がハリーとマルフォイ、そして小さなコリン・クリービーに注目している。
「ありがたいことに、僕は額に醜い傷なんてないし、そんなものがなくても特別な人間だと考えているのでね」
「ナメクジでも食らえ、マルフォイ」
ロンの参戦だ。こうなると流石にハーマイオニーも読書に熱中とはいかないようで、緊張した面持ちで事態を見守っていた。
ジュリアは考える。どのタイミングで介入するのが一番面白いか。まだ様子見だ。
「言葉に気をつけろ、ウィーズリー――今度ちょっとでも規則破りをしたら、わたしの手で退校させますからね!」
近くにいたスリザリンの一団が笑い、ロンが真っ赤な顔で折れた杖を取り出した。しかし、ここで呪いをかけさせるのは得策ではないだろう。ましてや、折れた杖で呪いなど、何が起こるかわかったものではない。ジュリアは立ち上がり、そろそろこの騒動に介入することにした。
「随分と自信があるようじゃねえか、マルフォイ坊ちゃん」
「ふん、マリアットか。もちろん、僕はいつだって自分に自信がある。マルフォイ家の跡継ぎとしての誇りに満ちているからね」
「そいつは重畳。――聖28氏族、マルフォイ家の跡継ぎ、ドラコ・マルフォイ様がサイン入り写真を配るとよ! ほら、並べよお前ら!」
ジュリアは自分の声が中庭全体に響き渡ったのを確認して、にっこり笑った。
実に間抜けな表情だ。自分が同じ手でやり返されるとは思ってもみなかったのだろう。2年生のマルフォイ少年にはまだまだスリザリンらしさが不足していた。
「おやおや、誰も並ばねえな。だが、気にすることはねえだろ? だって、嫉妬してねえんだもんな? 自分の写真を誰も、だーれもほしがらなくったって、なんとも思わねえ。そうだろ、跡継ぎのマルフォイ坊ちゃん?」
「マリアット、貴様、貴様は……」
「顔が赤いぞ、マルフォイ坊ちゃん。どうした、カメラには慣れてねえのか? それとも、ひょっとして、もしかすると、嫉妬しちまったか? だって、ハリーにはここにファンがいるもんな? そうだろ、コリン・クリービー少年」
ジュリアはコリン・クリービーの小さな肩を抱き寄せた。少年は緊張で体を強張らせているが、小さくてもグリフィンドールだ、この場を切り抜けるくらいの度胸はあるだろう。
コリン・クリービーがかくかくと頷いて、マルフォイが何か言い返そうとしたところで、中庭に颯爽と「奴」が現われた。軽やかに香る香水。自信に満ちた大股の足音。ハーマイオニーが顔を赤らめる。ギルデロイ・ロックハートだ。
「サイン入り写真を配っているのは誰かな? 聞くまでもなかったね! やあ、ハリー!」
この騒動もここで終結だろう。名高いギルデロイ・ロックハートの前でハリーやロンに喧嘩を売るほどマルフォイも馬鹿ではない。ハリーは可哀想だが、無事に事態が解決したからよしとしよう。ロックハートに無理矢理肩を組まれて写真を撮られているハリーを眺めて、ジュリアはあくびをした。
「父上が黙ってないぞ、マリアット」
「んじゃその父上に決算報告するんだな、サイン入りブロマイドの売り上げでハリー・ポッターに負けました、ってさ」
マルフォイはいい脅し文句が思いつかなかったと見えて、「後悔するぞ」とだけ捨て台詞を吐いて人ごみに消えていった。
そんなことより、この後は闇の魔術に対する防衛術の授業だ。ギルデロイ・ロックハートの真価がわかる。ジュリアにとって重要なのはその一点だった。